曇っていた午後、今日は気温が高めで屋根から雪(というか氷)がどさっと落ちました。
それを見ようと窓を開けたら、目の前の林をシカが・・・・・・。
3頭いて、最後尾を歩いていた最も小型の1頭。子どもかなと思いました。角はあるけど。
これ、カモシカではなくニホンジカですよね?
このへんにはカモシカしかいないはずでしたが、数年前からニホンジカも棲息するようになったと、話には聞いていましたが、はっきり見たのは初めてです。3頭そろって浅間山の方角に去っていきました。
ヤフーのトップに、ソニーの旧本社ビルが売却されると出ていて、驚いて記事を見に行ったら、かつて「ソニー村」と呼ばれていたあの一帯のビル群は、既に殆ど売却されているのだと知りました。びっくりした・・・・・・。
出版界での仕事を始める前に、派遣社員としてワープロを打っていた私は、あわせて半年ソニーでお世話になりました。あんなに暇でお給料をくれた会社は他にない。たいへんありがたかったです、いえ、暇ということではなく、きちんとお給料をくれてありがたかったです。
私が通っていたのは当時品川駅前にあったなんとかビルのワンフロア。全部ソニーが借り切って、そこにプロジェクトチームが入っていました。世界中のソニーの、ありとあらゆるシステムを、ある日ある時間一斉に、滞り無く電算化する、というプロジェクト。当時はまだ紙での決済とか伝票とかだったのだと思います。それを全世界同時に、1秒たりとも狂いなく、完全に電算化する。そのために、そのビルにはありとある部門から出向してきた人々が詰め、日々システムと格闘していたというわけです。
私はとある部署の課長さんの秘書みたいな感じでしたが、なんせこの課長さんがちっとも会社に来ないので(他のところに行っていたはず)、では部下の人たちのお仕事を手伝おうと声をかけても、素人に頼めるようなことは何もないようで、故に死ぬほど暇でした。親指シフトのワープロが持っていた様々な機能(グラフ作成とか罫線揃えとか)を習得したのは、実はここだった。暇なので勉強してました。
時々ソニー村へのお使いを頼まれ、会社の巡回バスに乗って行きましたが、ビルがたくさんあってよほどちゃんと聞いて行かないと迷うこと迷うこと。当時は携帯電話もなかったし、往生しました。
いま思えば、あの頃がソニーの全盛期だったのか。当時正社員で仕事をしていた方たちは、皆さんご無事なのか。
残業ってなると課長さんが必ずビルの中の中華料理屋に連れて行ってくれて、夕飯をご馳走してくれましたっけ。
一度、シンガポールの空港で、その課長さんによく似たスーツ姿の日本人を見かけたことがあります。声をかけようか迷って、結局、かけなかった。人違いかもと思ったし、こちらもどえりゃぁバックパッカー・スタイルだったし、彼は白人さんと連れ立っていていかにも敏腕ビジネスマン風だったから、こんな格好の人間に声かけられても迷惑だろうと思って。
お元気だといいのですが・・・・・・。
もうひとつ思い出した。
派遣会社の担当が時々様子を見に来るのだけど、若い男の子にいつも
「お願いですからスカートはいてください! お願いです!」
と言われてました(笑)
ソニーって自由な社風で、社員も皆さん相当無茶苦茶な格好してましてね、ピッチピチのボディコンにピンヒール、なんて人もいたのよ♪ で、私もさすがにジーンズはないけど、チノパン(譲歩)で行ってましたの。
そっかぁ、ソニー村、もうないのか。
寂しいねぇ。
明日は曇り、ちょっと降るかも、で、日曜はまた雪らしいです、ではまた