PCでじたばた

新しく団地用に買ったHPのPC。
そろそろ今使っているものからコピーしないとなぁと、重い腰を上げてみた。PC丸ごとクローン……、この辺りで早速ギブアップ状態。外付けHDDにクローンできればいいんだけど、それにはそのHDDを初期化? しなければならないとかで、そんな怖いことできないなと。ちょろっとずつ外付けHDDのバックアップからコピーしていこうかと考え中だ。

おまけに、相変わらず詰めが甘い性格で、よくよく見たらストレージが256GBしかなかった。
数年前と比べても軽く倍の値段にはなっていたので、ストレージも大きいはずと思い込んだのかなぁ、ともかく256しかないのだとほほ。
メモリの8はまぁいけるかと思ってる、今のところ。ゲームとかしないし、同時に5つも6つもソフトを立ち上げるってこともそうはない。それに今8なら、8を1本挿せばいいだけだと思うので(テキトー)。
いやダメだった。4GBが2本刺さってて空きなし。増やすなら前やったのと同じで8を1本さして4+8=12にするか、8を2本にしたり? するしかない。

一応メモ。
HP PRODESK 405 G8 DM
Ryzen5pro  5650GE プロセッサー
メモリ 8GB DDR4 SDRAM(260ピンDIMM)
ストレージ 256GB
拡張スロットM.2 PCIe x1-2230×1スロット( for WLAN)(0)M.2 PCIe x4-2280×1スロット(for storage)(0)
拡張ベイ内部 2.5インチ×1(1)
PCリサイクルロゴラベル 多分ある 廃棄時に無料で引き取ってくれる

ということなので増設は1つ可能。スロットに空きはないのでこっちをいじるなら換装ということになる。

今のPCを見てみると、Cドライブ(SSD)で64GB、E ドライブ(HDD)で160GB、それぞれ使用中。足せば224GBになる。もちろんその全部をコピーしなくてもいいんだけど、いずれにしても今どきのPCはほんとに容量を食うし、データもどんどん重くなっているのかと思う。

というわけで、仕方がないのでHDDを突っ込んでみようかと思ったが、ベイと呼ばれる「入れられる場所」が小さくて、2.5インチのSSDとやらを入れた方がいいような。因みにこのPCはもともとSSDが入っているというか、それがメインというか。だからSSD+SSDってことになる。特に問題はないんだろうと思う(テキトー)。

2020年の12月に、今のPCでHDDをSSDに換装するということをやったが、もうきれいさっぱり忘れている。すごく苦労したことしか覚えていない。まぁ今回は換装とかではなくて増設だからそれよりはてんで簡単だとは思うんだけど。
2.5インチのSSD(SATA)は1万円弱くらいだ。今突っ込まないと、システムのSSDにデータを入れて行くことになり、たぶん動作が重くなるとかのイライラが生じそうな気がする、わからんけど。
そしてそっちにデータを入れ始めると、後からやっぱ増設しようとなった時に、移行が簡単にできるのか? 自信がない。
因みにメモリは8GBの2枚組で5000円前後からある。将来的にはこちらがメインで長く使うはずなので、メモリを増設するなら8×2にした方がいいかも。

ほんとに詰めが甘い。
しょうがないからSSDを買おうかなと思っている今ここ。
そんな繊細な作業が今できるのかはすこし疑問だけど、やらなきゃいけないならやるしかない。
でもやっぱり面倒だな……。とりあえず無駄なフォルダを作らないように注意して移行したりダウンロードしたりして使って、そのうち一杯になったら増設しようかな、と、そっちに決めそうな感じ。

**

今日は工房をざっと片付けて、機械類のコンセントを全部抜き、今年の仕事を終了した。明日にはネット店も閉じる予定。
自分のPC仕事部屋も少しだけ片付けた。横のものを縦にするくらいだけど(^^;
整形外科関係の通院予定がいくつか入ってしまったので、まだ団地には行かない。行っても行ったり来たりで今月半ば過ぎまではうろうろすると思う。

中国ではあちこちの大学で学生を郷里に戻すことを始めたそうだ。造反有理とは言うけれど、当局に対するそれは認められないから。みんな黙って郷里に帰りなさい、何より命が大事です。

なんて書いていたら江沢民が亡くなったとのニュース。一度ガセで死亡説が流れたが今度は本当だろう、96歳だそうだし。てんあんもんの前、民主化運動に対して徹底的にやっつけるという姿勢を示し、実際にてんあんもんが起きた直後には趙紫陽の後釜として中央に躍り出た人だ。その後、法輪功に対する徹底的な弾圧でも知られる政治家。大嫌いだがこんな人でなければあの国のトップに立てるはずがない。

ではまた

よぶのる?

午後から買い物に出て図書館に行き、友人宅に寄った。
小雨がたまにぱらつく天気、本格的に降り出したのは夜になってから。

友人宅では互いの近況報告。私の治療が無事終わったこととか、それなのに肩をやっちゃったこととか、友人は持病が少し悪化していることとか、いろいろ。
今年お風呂をリフォームしたそうで、見せてもらったりした。
ウチもやろうかな~。

友人から「よぶのる」という町内オンデマンドバスの話を聞いた。
何でも専用アプリから呼ぶと来てくれて、たとえば軽井沢駅とか中軽とかだとバス停があるそうなんだけど、何もないところでは家まで行ってくれるみたい。町内なら400円。まじか! 全然知らなかった!

例えば長期で海外に出る時など、どうやってどこまで自力で行くかでいつも悩む。車で成田まで行ってしまって駐車場に置くこともよくやったが、近年どんどん値上がりしていて使いづらくなった。電車でとなると、最寄りの追分駅までタクシーになる。もしくは最も近い高速バスのバス停まで遮二無二歩いて行くか。たぶん30分はかかると思う、荷物があると辛い。
でもこのシステムが使えるなら、2人で800円で軽井沢駅まで行ける、夢のような話だ。ぜひ私が行けるようになる時まで、ぽしゃらずに続いていてほしい。

何とこのサービス、町民限定ではなく、旅行者でも使えるんだそうだ。ただし夏はない(渋滞が激しいので)。
忘れないうちにアプリを入れようと思う。

住んでいてもまったく町内の事情に詳しくない。使える補助なんかも知らずに過ぎていることも多いと思う。時々は町のホームページなんかも見ないとなと思いつつ、見てもそういう情報は埋もれていることも多いので。

話は変わるが中国で「白紙革命」なるものが起きているそうだ。白い紙を掲げることによって、体制への抗議を示しているのだとか。マスクをしている人も多いが顔出しをしている人もいる。ウルムチでは顔出しでアジテーションしている人が動画に写っていた。その人はさっそく公安に連行されていたようだった。
みんな大丈夫なのか……。
ふと思ったのだが、もしかすると今の中国の若い人たち、50代40代以下の人たちは、日本人の私よりも公安の恐ろしさ、党の恐ろしさ、を知らないのではないのかなと。知らされていないから。文革もてんあんもんも、まともに語られることはないし、当時生きていた人たちは自分たちが何をしたかをわざわざ話すことはないだろう。
ある日忽然と消えて労働改造所(今はもう名称が変わっていると思う)に送られるとか、本当にもしかすると、想像だにしない人たちがいるのかもしれない、と思った。実際のところはもちろんわからないのだけど。

今の中国で、革命を起こすことは不可能に近い。てんあんもんのようなことはもう起きない。そうなる前に潰される。全土に張り巡らされた監視体制が威力を発揮する。デモに参加した人たちはどんどん特定されていくはずだ。
だからみんな、御身大切にと思わずにいられない。

雨が強くなってきた。ではまた

一喜一憂

サッカーのワールドカップ。勝てないと思った相手に勝ち、負けないと思った相手に負けるという展開になっている。
うまくはいかないというか。

サッカーは嫌いなので滅多に見ないが、そんな私も昨夜は試合開始4分後くらいに見始めた。が、3分で離脱してしまった。夫は見ていたので、9時近くなって「どーなったー?」と2階から訊いたら「負けたー」とのことで。ド素人の私が見ても、後ろの方でボールを回してるだけで何やってんのかしら? だったから、詳しい人が見ていたらストレス溜まったんじゃないかと思う。
ストレスが溜まるスポーツだからこそ、勝ったら爆発するのかもしれない。

今日は整形外科に行って1日終わった。1か月ほど前から始まった肩の痛みと動かせない状態が収まらず、悪化しているようにも思えて医者嫌いの私もとうとう行くことに。
朝、今回の癌でお世話になっている病院に電話してみた。リハビリしていたらおかしくなったので、続きで診てもらえないかと思ったのだがダメだった。この病院なら機械も揃っているから無駄がないんだけど……。
で、他はと言うと。
町の病院は腰と肋骨骨折でかかったことがあるが、話にならないくらい酷い。
佐久平の方にある整形外科はとにかくリハビリに回されて長期通わされる。
家からいちばん近い整形は、二度と行きたくないくらいこれも酷かった。
ということで殆ど選択肢がないまま、「めちゃくちゃ待たされるが医者はちゃんと診てくれる」という評価の多い開業医さんに行くことにして、電話したのが10時半くらいかな。「今すぐ来てもらっても1時過ぎになります」とのことだったが、初診の予約はできないそうなので出かけて、看護師さんの問診を終えて一旦外に放たれ、電話をもらって戻ったのが1時20分頃。
それからまた待って診察室に入ったのはたぶん2時頃。丁寧な、びっくりするくらい丁寧な診察があって、肩の可動域と痛みの場所を確認され、レントゲンを撮って、エコーもしてもらった。

結果、心配していた「肩腱板断裂」ではなく、「肩腱板損傷・軽いやつ」という診断だった。筋肉というか腱というか? よくわからないが肩のあちこちに水が溜まっているらしいけど、これはほっとけばいいらしい。とはいえMRIでの確認も必要とのことで、来月、通っている病院でMRIを受けることに。だからそっちに最初から行きたいのにね。
リハビリもすごく混んでいて、来月半ばにしか予約が取れない。うーん、その間どうすれば……。

私が診察室を出たのが2時35分。そしたらさっきまで誰もいなかった待合室にもう数人が控えていて驚いた。午後の診察は3時かららしい。ドクターは忙しい。

地方は本当に医療機関が少ない。おそろしく少ない選択肢の中から選ばなければならず、その点は大変だとつくづく思う。今回はまともなドクターに当たってよかった。混んでて待つけど、今後また何かあったらそこへ行こうかなと思う。

肩の腱板断裂だとしたら手術が必要になるかもしれず、この手術は術後の回復期間がすごく長くて何カ月もかかるとネットで見ていたので、そうではなくてよかったほっとした。
それにしてもリハビリをやってたらさらなるリハビリが必要な状態になるなんて。自分でも呆れる。

会計までまたえらくかかり、薬を買って帰宅すると5時。そんなに遅くなると思わなかったので梅の餌や出入り口を考えずほったらかしで出てしまった。餌入れは空っぽで梅さんおかんむり。餌を食べたら出て行ってまだ帰らない夜8時半。
ではまた

 

峠の下はまだ紅葉

群馬県側に峠を下りて、高崎に行ってきた。
峠を下りていくと、季節が冬から秋へと巻き戻されて行くようで面白い。
下界はまだ紅葉も続いていて、もうすっかり落葉が終わった軽井沢とは別世界だった。

コロナの第8波の影響で、母親が入っている施設がまた面会禁止になる、とメールが来ていたので、その前にと慌てて出かけた。解禁になってから1か月も経っていない。ほんとに医療機関とこういう施設は大変だ。

母親は元気、ちょっとした手押し車? みたいなものを押して、自力で歩ける。
頭はだいぶ、いい感じに緩くなってきた。
私のことはわかるけど、とても親しかった実弟のお嫁さんのことはもうわからないし、とても強いつながりがあったその弟のこともぼんやりしているらしい。兄の子どもたちのこともうろ覚えだ。

普通はこういう風になっていくことはショックだろうし、悲しむ人が多いと思うが、私は逆で「よかった、ようやくぼけてくれた」と喜んでいる。
私の母はなかなかに強烈な自己愛があり、人を恨んだり妬んだりする部分も強くある。少し前までは「自分が世界で一番不幸だ」とかなり本気で思い込んでいたフシがある。それは年齢を重ねるごとにどんどん加速し、記憶の混乱と相まって他者攻撃がかなり酷かった。

そういう負の感情、負の部分も忘れて行くことができたら。ぼんやりしていけば。
生まれてからずっとそのはけ口だった私もだし、何より母自身が救われると思う。これは本気でそう思う。

私の病気のことは手紙で知らせてはいたが、案の定ほぼ忘れていた。が、「どっちかが、何か大変だったんだよね」という感じでは覚えていたらしく、あらためて話をした(耳が聞こえないので筆談)。母は保健師だったし(その前には戦後のどさくさの中で看護師免許も取っていた)、実姉を乳がんでなくしているから病気には割と明るい。
「悪いものを切るのはいいことだけど、切られるのは……、かわいそうだね」
母の口からそんな言葉を聞くなんて! かわいそう? 私がかわいそうだって?
びっくりした。長い長い間、幼少期を除いて、そんな風に母が私のことを心配したことがなかったので。心配したことがあったのかもしれないけど、憎まれ口と皮肉しか言わない人だったので。

少し穏やかになってくれてうれしい。楽な気持ちで残りの時間を過ごしてほしい。

梅さんが家出中で帰って来ない夜。臆病なくせに何してるんだろう? それとも帰りたくても帰れない理由(通せんぼされてるとか)あるんだろうか。

ではまた

 

 

雨は横殴りだぁーーーー!(術後4か月の通院も)

新曲「倶に」を何日か前にテレビのTVerで見たらすとんと落ちて、以後頭の中でずっとかかっている状態(^^; PCで2回見た時はそんなでもなかったんだけど。画面の大きさとか、イヤホンかどうかとか、何かあるんだろうか。わからないけど。
この倶という字、私のPCではというか私の日本語なんちゃらでは出てこない。なぜこの字なんだろうなぁ。「共に」では色んな意味でスカスカすぎる? ような気は私もするけど。

話は逸れるがインドが入国制限の完全撤廃に踏み切ったようで、もはやワクチンパスポートすら必要ない、PCR陰性とか全然要らねぇです、ってことになった。パスポートとビザさえあればいつでもインドには入国できそうだ。数年前に取った5年有効ビザはたぶんダメだと思うけど。まぁそのくらいは仕方がない。
とはいえインドはまだ先だと思う。

週の前半に病院に行ってきた。外科と放射線科の両方。外科は問診&触診で問題なし。気になっていることも訊けてよかった。私の病巣の病理検査の結果、なんだけど、ホルモン陽性とかそういうことは検査していないのだ、ということが判明。そうなんだ! ちょっとびっくりした。やる所の方が多いような気がする。だから私のそれが陽性か陰性かはわからず……。「気にした方がいいですか?」と訊いたら、「そんなに気にしなくても……」(まぁそうだよね他に言えることってないよね)とのことで、うん、そんなに気にせずに生きていこうと思う。とはいえもうHRTなんかは考えていないけど。
放射線科では肺のレントゲンを撮って、こちらも問題なし。
こちらではレントゲン撮影に対して敏感であるべきかを訊いてみたら、「まるっきり、ぜんっぜん、気にしなくていい!」という返事だった。そうなんだねー。これだけ被ばくしまくった年だから、気にした方がいいのかと思っていたよ。

ともかく問題なしで、次回は1月にエコー検査。これは術後半年での再発&初発(右に出たら初発ってことになるんではないかと)チェック。以後半年おきに、エコーやマンモをやっていくんだそうだ。マンモ……! これは大変そう、冷えたおやきみたいになってるからな~。

まぁそんなわけで、それからちょっと南信の方に行ってみた。温泉大浴場、もうすっかり慣れて、まるで大丈夫だ。いろいろ心配していたのが杞憂だった。
気を遣うべきは私じゃない、んじゃないかなぁ。
傷跡や、変形や、もちろん障害なども、本人ではなく周囲の人が気を遣うということで、いいのではないかと思うけど。もちろんそうしてもらって当たり前、という気持ちが強すぎてもおかしなことになるけど。

梅さんは仕方なく家の中に置いて行った。家の中から外のサンルームには出られて、そこからデッキの下の空間にも行ける。その先には出られない。
なんせ前回サンルームを他の猫に取られて以来、怖がって入らなくなってしまうくらいに臆病(繊細)な猫さんなので。野良だからもっと自分の縄張りを守るために頑張ると思っていたけど、そのへんは個性みたいなものなのかな。
帰ってきたら、デッキに出る→入る→出る→入る、をエンドレスで100回くらいやった後、何度か通路の50Mダッシュを見せてくれて、その後どこかに行って3時間くらい帰って来なかった。臆病だけど出かけることは好き(?)。

ほんとに困った(=^・^=)

ではまた

 

晴れて暖かい

朝から晴れて日中もそこそこ暖かい一日。まだデッキで座ってお茶を飲む気分になる小春日和。11月も半ばを過ぎて、落葉もすっかり最終盤、あとカラマツが散ったらもう終わり……。

今日は最近気になっていることを調べたりして過ごしている。今はPCのバックアップを外付けHDDに作っている。そろそろ神奈川行の準備をしないと、と重い腰を上げかけたところだ。これが終わったら、新しいPCに今のPCから大事なものをコピーして、新しいPCに必ず使うソフトをダウンロードする作業をしなければ。
団地には光回線を引いていない。いないことのほうが多いから。で、携帯電話からwi-fiを飛ばしてPCを動かすので、ダウンロードなんかはこっちでやる方がいいと思うので。

 しいたけとれた

たぶん一昨年に菌を植えたところからやっと出た。今年3つめ。

 『地図と拳』 小川哲

初めて読む作家だと思う。満州の架空の町を舞台にした物語で、日露戦争のあたりから敗戦までが描かれている。登場人物が非常に多く、主人公はいない。群像劇と言うのだろうか、唐突に人が現れては消える。どこにも盛り上がりがなく、カタルシスはない。ものすごく分厚く、たいして面白くもないんだけど、最後まで読ませる力がある不思議な小説だった。出来過ぎた小説にはないリアリティはあったと思う。
☆3.5 戦争だけはやったらいかんのに、なぜあっちもこっちもミサイルぶっ放したり戦艦送ってきたりするのかね……

新しいPCのキーボードをどうしようかと考えていた。付属のものはあるが、これだとローマ字変換でしか使えない。親指シフトキーボードは現行品がもうないので、出来るだけそれに近い形のキーボードを探し、キーを割り当てることで何とかすることが多いのだが、検索してみると3万とか4万とかする高額なものがよさそうなんだけど、ちょっと高い。「専用品に近くなる」だけ。そんなに出すなら完全なものが欲しいわけで。でももうそれはない(哀号)。
今使っている骨董品レベルのキーボードが使えなくなったら、どうするんだと考えた。思い切って別の入力方法(薙刀式とか数種類ある)に移行するのも手かと思ったり。でも出来るのか? と考えると自信はない。
既にローマ字変換と親指シフトの2つが鎮座している脳に、もう一つのパターンを組み込むことができるだろうか。難しいと思う。
というわけで、当分はキーボードを持ち運びして使おうと思う。そのうちにどっかの篤志家が親指シフトキーボードを作ってくれるのを期待したい(^^;

先週、手術から4か月が過ぎた。過ぎてしまえばあっという間。運命を受け入れると、最近になってようやく自然に思えるようになってきた。というよりは、実際に受け入れることができたのではないかと思う。
グレー判定や告知やらからの時間、色々なことを考えた。今考えているのは、軸足を少し動かそうということだ。
布を探して旅をし、布を買い集め、それで服やらかばんやらを作ることで生計を立ててきたわけだが、その比重を下げようと思う。これからも布は探すだろうし買うこともするだろうが、もうたくさんは要らない。たくさん買ってたくさん作る、というところから出ようと思う。

何というか、服を作るのは天職なのかと問われたら、違うと答えるしかないと思う。好きだけど、自分にしかできない仕事なのか? と訊かれたらそれは違う。むしろ私なんかよりもずっと上手に、デザインも縫製も出来る人は世の中にたくさんいる。専門的な教育を受けていない、ということはずっと自分の中で弱点だと思っても来た。人を使ってまでやる仕事ではない、とも思う。そういうのは自分には向かない。
これからも服は作るけれど、今までよりは少ないペースで、呑気に作ることにしたいと思う。これがまず1つ、最近はっきりと形になってきた今考えられる自分の今後のことだ。

そしてもう1つあるんだけど。
長くなったし、これはもうちょっと形が見えてきたら書こうかな。今はせっせと情報を集めているところ。なかなかに難しく、最近とみに新しいことに頭がついていかないので、時間がかかるかもしれない。でもとりあえず、以前使っていてとてもよかった(それなのにどっかに消えた)O’s Editorというソフトを再度買おうと決めた。

バックアップは5時間くらいやってるのにまだ終わらない。

ミャンマーで拘束されていた邦人が解放されたとニュースで。よかったと思う。こういう人がいることも大事なんだと、理解しない人も多いようで残念だな。

ではまた

雨→晴れ

雨や曇りだと強烈な冷え込みはなく、今朝も0℃以上だったと思う。昼前には晴れ間も見えてきた本日。クリやどんぐりの葉もほぼ落ちて、いよいよ冬枯れの風景に近づいてきた。
午後ちょっと自転車。久しぶりだからか、帰ってきたらどっと疲れた。

夜、TVer(すごい久しぶり)で中島みゆきさんの新曲を聴いた。
このドラマは見ていない。映らないというのも理由の一つだし、小児医療というのがもう見る前から泣くだろうという感じでできればスルーしたいジャンルだ。相変わらずテレビでは映らないのだが、関東圏だけに昨夜主題歌が全部流れたという情報を得て、TVerで見てみた。立ち上がらなくて焦った(^^;

倶に というタイトルの歌。みゆきさんらしい歌だった。
一応リンク貼ってみます。ここです

ところで「倶に(ともに)」って、この字は普通使わないと思って20年ぶりとかそんな感じで漢和辞典を引いてみたけど、どうしてこの字をあてたのかはよくわからなかった。そしたらネットで、にんべんとこの右の部分は「みなが両手で捧げる」象形、なのだそうで、そこから「共に」という意味のある文字として成り立った、んだって。
(だから何、と訊かれてもわからん)
あぁでも、「共に」のほうにも「捧げる・そなえる」っていう意味があるんだね。
ふむ。
(さらにわからなくなったけど、まぁいいか)(にんべんが大事なのかしらん)

そろそろコンサートやってくれないかな~

**

 『極夜行前』 角幡唯介
肩痛があるので本日は読書。数年前に読んだ『極夜行』の、準備段階の数年間が記録された本だった。一つの冒険というか探検というかあるいは「旅」の準備に、何年もかけるというのはそんなに珍しくはないと思うが、それは日本に居ての準備の話であって、現地に渡って物資をデポするとか(またこれが犬ぞりやカヌーという「絶対自力」を貫いてて)、犬を訓練するとか、そういうことに数年を費やすってやっぱりすごい話だと思う。
☆4.8 いやほんとにすごい冒険家で作家だわ!

いろいろな部分部分に「そうなんだよな~」「それなんだよな~」と思いながら読んだ。今の時代の圧倒的な情報量と文明の利器によって、我々はむしろ自由を失いつつあるのではないか、というのは誰もが何となく感じていることだと思う。それは旅に於いてもそうで、30年前なら情報は紙媒体しかなく、誰かが書いた本、雑誌に載った記録、そんなものを探すしかなかったのだが、今はちょちょいと検索すればだーっと情報が(玉石混交で)吐き出される。
どこにも情報がなく、現地で買う青焼きのほとんど空白の地図だけで旅をしていた頃もあったのに、ものすごい進化だと思う。私も西ネパールから西チベットへ越えた時は、NASAの地図くらいしか日本で手に入る情報がなく、それ持って行ったけど地図読みの力が足りなくて最後まで自分の位置を間違えて認識していたなと思い出した。

今の旅人が気の毒だなと思うのは、普段の自分を取り巻く何もかもから隔絶される経験ができないことだ。ネットがない時代は、外に出ている側が頑張って国際電話をかけるなどのアクションを起こさない限り、どこで何をしているのか生きているのか死んでいるのかそれすらわからない、という状況に置かれることができた。私は祖父の死を数か月知らなかった。電話なぞかけないからだ。その頃はみんな絵葉書を買って書いたものだ。旅人は暇だったから、葉書を書くというのはいい暇つぶしになったし、一方通行で我は無事なりと知らせるだけでよかったのだ。
何もかもから隔絶され、自分を知る人の誰もいない土地であっち行ったりこっち行ったりする時に感じる(感じた)自由をこそ、私も求めていたんだろうなと思う。私はどちらかというと、「つながり」にはあまり価値を見出せないタイプの人間なんだろう。
今はどこにいても連絡がついてしまう。「ここにいる私」を全世界にぶちまけられるようになり、絵葉書を書く人も殆ど見かけなくなって、みんな自撮りして「いいね」をもらうことに腐心している。旅先で出会うあれもこれも、単なる消費材料に成り下がってしまったと、私も感じる。

そんな時代に旅をすること。
それは自分にとってどういうことなんだろうと考えてみたいと思った。

ではまた

 

梅さん受難

今回は4泊の旅行だったので、梅さんには外にいてもらうことにした。
家からそのまま入れるデッキの猫ハウス(夫作)。その家との通路はふさいで、代わりにデッキからは自由に出入りできるようにした。ハウスの中はサンルームのようにもなっていて、梅も気に入ってよくそこで日中は寝ていたりしたので、まぁ期間も短いし大丈夫だろうと出かけた。

セットした防犯カメラは方向が狂っていて、ほとんど役に立たなかったのだが、1枚だけ外に梅がいて、その次の瞬間に中で猫の目が光るという、謎の動画が撮れていた。もしや別の猫が入ったのかと思ったがよくわからず。

帰宅後の梅はとにかくくっついて離れないし、外にもほとんど出かけず家の中で爆睡している。4日間、眠れなかったみたいで(^^;

で、帰宅したその夜にも防犯カメラを改めてセットした。
すると。

 午前3時半過ぎ
草木も眠る丑三つ時に、縞々の猫が! こいつは15分ほどの滞在で去って行った。昨年というか今年の2月頃にしょっちゅう来ていたオスのような気がする。

そしてその翌晩も

 これは朝だけど
真っ白に近い猫が夜中の1時過ぎに来て、そのまま泊って(笑)朝を迎えたの図。こいつが梅の寝床を奪っていたのかもしれない、その可能性が高い。
なんと梅さんはこいつがいると中に入らない、または入ってもすぐ出てきてしまっている。自分よりも大きいからなんだろうか。オスかメスかはわからないが、梅さんには戦うつもりはまったくないことがわかった。他の猫に譲ってしまって、自分は外をうろついていたんだろうと思う。

ダライ・ラマか、イエス・キリストなのか!
戦え! 戦うんだ!

ということで、梅さん外にいる作戦は失敗した。
この冬のテーマだったんだけどなぁ。

この外との入り口を閉じることは可能で(というか元々は閉じておくつもりで夫は作った)はあるのだが、梅は元野良猫で今も自由に外に出て鳥やネズミやモグラを捕まえて食べたり、けっこう遠くまで出かけていたりする。それができなくなることは梅にとっては大きなストレスになると思ったし、ずっと一人でいるのも可哀そうなので、出入り口を付けてもらったという経緯がある。
因みにデッキの下のスペースも全て閉じてグラウンド状になっており、トイレなんかはそこでできる(はず)。
うーん困った。他の猫が来ることは予想はしていたが、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。気付かなかっただけで実はずっと来ていた可能性もあるかもしれない。そして最悪来てしまったとしても、共存するんじゃないかと思っていたんだけど甘かった……。

この白い猫は、普段まったく見かけることはない。一度だけ、梅がまだ野良だった時にデッキに避難小屋を作ったことがあるのだが、その時にこの白い猫に襲われているのを救助したことがある。それっきり白いのは見たことがない。ということはこれはメスなのかもしれない。それか去勢されたオスか。わからないけど。

またまた困った。
どうする梅さん。

ではまた

日本海へ

放射線治療終了後5週間ほどが経過し、特にすごく悪い感じもしないので、流行りの全国旅行支援で日本海方面に行ってみた。
最初の計画では、松本経由で高山に行き、そこから能登半島に行き、最後は新潟の上越または糸魚川周辺で泊って戻るという感じだったのだが、なんと、岐阜、石川、新潟の3県は既に終了しているらしく、情弱な私はそれ以上のことがよくわからないので、まだぎりぎりセーフだった長野、福井、富山、で泊ることにした。私が見たのはじゃらんというサイトだが、どうやらここで終了していたとしても、個別にアクセスするとOKだったり、色々なことがあるらしい(^^;

 松本近くの道の駅から
紅葉が真っ盛り終盤、きれいだった

 中の湯温泉から見る穂高連峰
どれがどれだかはわかりません!
穂高は30年以上前に1度縦走したことがあるけど、鎖や梯子があって二度と行きたくない山ナンバーワン(剣もダメだったので一位を争っている)。その点では私はまったく山女ではない。

 中の湯温泉旅館に泊まる
焼岳のベースとして有名らしい山の中の一軒宿。上高地や松本への送迎もしてくれるらしく、山ヤばかりかと思ったらそうでもなくて、普通の宿だった。
何ともう安房峠旧道は冬季閉鎖に入っており、上高地も次の週末が過ぎたら閉山(というのかはわからないが)らしかった。真冬でも釜トンネルだっけ? あそこから歩いて入る人はいるけど……。

期待していなかったけど温泉がよかったです♪

二日目は高山に出て、白川郷~五箇山世界遺産ルートを通って、福井のあわら温泉へ。

 そしたら雨で
雨の白川郷

展望台から写真撮っただけで撤収~!

白川郷を出ると雨が上がった。本来はここからホワイトロードなる道を通って小松のほうへ抜けて行きたかったが、台風の土砂崩れがまだ復旧されておらず、五箇山へ向かう。

雨雲が追いかけてきて、結局どこも雨。

 五箇山の菅沼集落
今はほとんどの合掌造りの建物がカフェやお土産屋さんになっている模様。

 屋根はずいぶん分厚い

 雨で暗いけど

 離れた所にもぽつりと
こんな離れた場所にあると何かになってはいない気がする。

この日は半日雨で、海近くに下りて行ったら晴れてきた。
泊ったのはあわら温泉の宿。とにかく昭和。かつてはコンパニオンであったかもしれない仲居さんたちがやらたとフレンドリー、よく言えば。おっさんたちが赤子の手を捻るかのように転がされていた・笑

3日目はとりあえず輪島に向かってみたけど、何もないなと能登島というところへ行ってみた。行っただけ。

 日本海!

 どこだかわかんない
能登島かも

なんかこの日は走ってただけで、夕方ようやっと雨晴というところにある民宿に到着。あまはらし、と読む。
いつの間にか高級魚になったのどぐろの釜めしと、日本海の魚の船盛り、やらでお腹いっぱいになる。

 湾の向こうに立山連峰

 くつろぐ鳥さんたち

 翌朝、雨晴の漁港

 突堤を歩いて行ける
釣りをしている人もちらほらといた。

 列車が来た
撮り鉄、牽かれそうだよ

 線路と日本海

そこから日本海沿いを走って糸魚川に向かう。途中有名な親不知を通過。

 崖の上からだけど
切り立った崖下に道なき道があり、干潮の時に走って通らないと波にさらわれる、ここを走る時には親も子もなく我が身だけを考えて走れと、よく時代劇なんかに出て来ますな。津波てんでんこ、にも似ている。

糸魚川で南へ切り返して白馬を通り、大町というところの宿に泊まった。長野県に入るとほっとする(^^;
ここも温泉宿だったが、温泉はどうかなぁちょっと今一つだった。温度は低め。露天風呂からの紅葉がきれいだった。

で、最後は松本に戻り、軽井沢に戻った。

各地でクーポンをもらったが、長野県は出発するその日が有効期限で、中の湯では困った。何しろ出発してものの10分くらいで岐阜県に入ってしまうので、仕方なく旅館の売店で使った。他は道の駅やスーパーなどで地域経済に貢献。米や味噌や漬物なんかを買ったり。富山ではカニも買ったよ♪

**

術後割と早い時期に一度、山梨の温泉に入ってはいるけれど、そこは小さな宿でお風呂も本当に小さく、他人とバッティングすることがなかった。
今回はそういう意味では体の一部が変わってからの大浴場デビューだったわけだけど。
案外まったく平気なものだということがわかった。長めのタオルで隠そうかなとか、一応考えてはいたんだけど、それも面倒で結局やらず。普通の人は他人をじろじろ見ないし、仮に見えてしまって「ん?」と思ったとしても、さらにじろじろ見ることはないだろうと思う(そう思いません?)。ましてやそのことについて言及することもないだろう、と思う。もしそういう人がいたら、その人が異常なのであって、私に問題があるわけではない、と思う。
年齢的にも、もう今さらっていう年齢だし。
もちろん私はかろうじて何となく胸があるという状態は保てたので、全摘の人とはその困難の度合いが違うと思うけれども。

というようなことで、今週は遊びの1週間だった。
10日ほど先に診察の予定が入っている。このあたりを目途に、今年の営業を終わろうかなと考え中だ。

梅さん家出中。サンルーム付き立派なねこハウスは作って行ったんだけど~。
ではまた

 

晴天続く

気持ちのいい晴天が続いて、気温も日中はそこそこ上がるので、外のデッキでお茶などすると気持ちいい。こういうよい日はもうなくなっていくので、毎日「今日が最後かも」と思う。

 自転車で走る舗装された林道
ここはもう御代田町

 散歩で通る未舗装の林道
車がまず来ない(来るのは作業車くらいで許可がないと入れない)

 どんぐりか何かの木
あと数日で落葉が急激に始まると思う。

相変わらず端布の整理をしている。とても終わらないのはもうわかっているけど、まぁできるところまで。今日は大判の更紗の端切れや、ミャンマーのロンジ―を整理した。
私はこれをどうしようとしているのか……笑
何かにできるかどうか、何にしても来年の話になりそう。

 『アカペラ』 山本文緒
以前にも一度借りたことがあるように思うが、その時は読めなかった。3篇の短篇か中編が入っているが、その最初の小説が自分にはどうも文体が軽すぎて気持ち悪くて読めなかったのだと。今回も気持ち悪かったけど読んでみた。
3つめの作品が一番よかったかな。
☆3 すらすら読めるっちゃ読めるんだけど

 『紙の梟』 貫井徳郎
新刊のところにあって借りてみた。
面白くないわけではないが、特に読まなくてもいい本だった。
☆3 今の時代の不寛容さはうまくあぶり出していると思った

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左の肩は山に登る前からちょっとおかしいなぁと思っていて、痺れや重たさは病気と関係あると思うが関節の痛みはおそらく違う。五十肩に近い。寝ていても痛みで目が覚めることがあるので、関節炎ですな!
整形外科とか行くのめんどくさいし(^^; 説明するのがめんどうな感じ。それとレントゲンは撮られたくないんだなぁ少なくとも今年は。被ばくしすぎているので。というわけで家にあった塗り薬を塗ったりしてみている。

服薬オール停止中。数週間前から。
ドライマウス→あきらめた
不眠とざわざわ→我慢!
不眠とざわざわによく効いたのは実は女性ホルモンだったのだが、さすがに使う気にはならない(乳がんに僅かなりとも関係がある)。また、向精神薬もドライマウスのためにのんでいて実際は不眠とざわざわに効いていたというややこしさなのだけど、こちらも一生のむ薬ではないと思うので。
また不眠関係の漢方薬でものんでみるかもしれないけど、とりあえず今は何ものまずに内臓とか休ませようと(意味があるかは不明)。

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 梅さんの子どもたちの写真が届いた!
ふたりで外を見ていてかわいいな~♡ 外に出たことがないんだよね君たちは。まだここにいた時は、梅さんが外に連れ出そうとして頑張っていたけど、絶対に出さなかった。梅は狩りの仕方やトイレなんかを教えたかったんだろうなと思う。

 小さい時の面影が残るむぎ君
小さい時はちゃーちゃんと呼んでいたオスの子。大きくなったな~。

 何とも堂々としたよもぎちゃん
うちではこげちゃんと呼んでいた子。メスでいちばん大きく生まれて、何をするのもいちばん早かった。心配したおでこの茶色も今ではぜんぜん目立たない。

かわいがられて幸せに暮らしている。2匹一緒にもらってもらえて、ほんとうにこの子たちにも幸運だった。ありがとうございます!

ではまたですにゃ