お風呂では注意

ぼんやりヤフーを見ていたら、演歌歌手の女性が浴室で倒れ頭を強く打って亡くなったらしい、というニュースがあった。
少し前は知人がヒートショックの話をしてくれた。私はお風呂場が寒いとヒートショックになるのかと思っていたが、そればかりではなく、入ったお湯が熱くてもなってしまうらしい。
わが家は夫がけっこう熱湯好きで、よく「もっと熱く」ボタンを押しているらしく、私が入る時に熱すぎると感じる時がある。気を付けなきゃと思った。

浴室で倒れて……、というのは私も経験がある。10年ほど前の話で、バンコクでやってしまった。
たまたまバスタブのあるホテルに泊まっていた。バスタブはあるけどバスタブとしては使用できないという例のあれ(笑)。
シャワーは浴槽内に入らないと浴びられない。浴びながらたぶん足の指でも洗おうとして、そこから立ち上がった瞬間にふらっとなって、倒れた。もんどりうって、という言い方があるが、まさにそんな感じで倒れた。バスタブの縁に脇腹をもろにぶつけて、肋骨が2本折れた。

やってしまった瞬間から1分ほどの間は息ができず、声も出ず、もちろん動けず、部屋にいる夫に急を知らせることが出来なかった。あぁこのまま死ぬのかなと思った。それでも少しずつ呻いていたのか、夫が気付いて来てくれて助かった。
打ち所が悪ければ、私も、だったと思う。
日本では立ったままシャワーを浴びることはまずないので、勝手が違って油断もあったと思う。以後、海外でシャワーを浴びる時はかなり気を付けるようになった。

皆さんもどうぞお気をつけくだされ。

さてインド人だ。話がまとまりそうなところが2か所あるが、そのどちらとも基本ワッツアップというラインのようなアプリでやり取りしている。こちらがちょっと質問すると、返ってくることもあるし、ないこともある。既読スルーだ。都合の悪いことを聞かれると途端にそうなる。子供じゃあるまいし! とイライラする。
現在もそのイライラ中だ。商品代金、送料、ほかに何か必要な支払いってあるの? と訊いたら途端にスルー~されている。2軒共に。あるならあるだし、ないならないだろう。最近中国人と同じようにやり合っている友人も言っていたが、相手の顔が見えないだけに、相手の性根みたいなものがわからないのが困る。誠実そうな相手なのか、どんだけぼったくってやろうかと考えている相手なのか、ただのバカなのか、ただの怠け者なのか、そのへんがわからないのは大きな難点だと思う。

話がまとまるかはよくわからない。とにかくインド人疲れる。
ではまた

e-Tax 結構難しい……

e-Tax というオンラインの税務申告を今年からやるのだけど、申告前に少し触ってみたら結構難しい。
今までは、マイナンバーカードとICカードリーダーがないと出来なかった。それでは普及しないので、IDとパスワードで出来るようになり、その発行を昨年税務署に出向いてしてもらった。
これで全部出来るのかと思ったのだが、そうではないようで。
いわゆるオンライン申告書作成をしてそれを出すだけなら出来るのだろうと思う。でも、ソフトをダウンロードして申告書を作成して電子署名を付けて、という作業は出来ないみたい。というのは電子署名が付けられないから! 電子署名はカードリーダーがないとあかん!

ということで、各種申請等も結局はそれがないとできない、ということが、本日3~4時間かけて色々やった結果わかったこと。すんなりわからせてくれないところがさすが。機械の取説と同じで、まったくもって要領を得ないんだなこれが。

これとは関係なく、つい昨日だったか、マイナンバーカードを申請した。銀行口座とか全部紐付けられるのが嫌で今まで申請しなかったけど、コロナでわしも考えた。こういう1枚のカードというかシステムで様々なことが把握できていれば、給付金の申請やら交付やらがもっと簡単にできたんだ、と。申請書類だの銀行口座を知らせるだのといった行政手続きに、莫大な税金が使われるのはあまりよろしくない。国民として協力もしていかないとダメだなと思った。
申告や申請のあれこれは、マイナンバーカードを手にしてから再挑戦してみようと思う。カードリーダーはあれかな、店頭カード決済で使うカードリーダーでも出来るのかな?

今日もインド人とやり取り。
工房で買った時の値段に3~4割くらい乗せてくる相手がいて、「ちょっと高すぎない?」と文句入れたら意外とあっさり「じゃ、あんたの値段で」と言ってきたり、色々と面白い。インドだな~と思う。対面じゃなくてもインド!

疲れる……(^^;
でも暑さと匂いと埃と喧騒の中じゃないだけ楽かな。

今日は+0.2℃、ギリ真冬日回避。明日は0℃の予報、雪は軽井沢はセーフかも。しかし寒い。ではまた

 

事務仕事

過去の写真の取り込みはいったん終了。切り出し後のポジフィルムが大量に残っているが、これはまたいつかやろう。
2001年から2005年くらいの間に、デジタルカメラに移行したと思うのだが、この頃の旅の写真が完全に消えていることがわかった。デジタルで撮影して、一旦は何らかの形でPCにも移したのだろうと思う。その後、何らかの事情でそれを廃棄してしまったのだと思われる。または、この頃にPCがクラッシュしたことがあって、失ってしまった可能性もある。よく覚えていないのだが。
バングラデシュやインドのダージリンなんかに行った時の写真がごっそりないのが残念……。インド、マレーシア、シンガポール、インドネシア、このあたりがごっそり……。どっかにないかな~(ない!)

今週はずっと、インドとやり取りをしている。以前購入したことのある工房にメールを送ったりして、何とかオンラインで発注、発送してもらえないかと交渉中だ。インドの場合、おそらく輸出免許が必要なのではないかと思う。それに一点ずつ写真を撮って送るとか、無理だよねと思われる工房も多い。別の業者(免許所有者)を紹介してくれる工房もある。喜んで連絡すると返事がない……、なんていう非生産的なことを延々と苦手な英語でやっている。
そうかと思うとものすごい勢いで返事が来て、WhatsAppというアプリでやり取りさせろと言ってくるところもあり、便利なんだけどちょっと不安もありながら、何とかうまくいかないかなと思っている。

というのは、コロナの状況を見るにつけ、どう考えても今年インドに行くことは不可能だと、楽天的な私も悟ったからだ。タイですら行けないかもしれないし、インドに至っては下手すると2022年末辺りまで、普通の渡航はできないかもなと思ったりする。となるとさすがに生地が足りない。
それともう一つ。
コロナで世界は変わるということ。変わりつつあるということ。それに自分もついていくしかないということ。そんなことを痛感するようになった。今までの自分のやり方では、今はやれることがない。進化しているインターネットを利用し、頑張って変化に対応しなければいけないと、ホントに今さらだけど考えている。

英語のできる秘書がほしい(^^;

そんな作業の傍らで、確定申告の準備なども少しずつ始めている。オンラインの会計ソフトを使っているので、そんなに大変ではないけど、旅費の精算がまだ出来ていなくてややこしい(^^;
これも今年分(来年申告分)から青色にしようかと検討中だ。今までは事務処理が面倒(簿記はさっぱりわからない)なので白でやっていたのだけど、青にするともう少し自分有利になる。今はソフトなども色々あるし、エクセルで工夫すればできそうな(?)気もする。せっかくオンライン申告も始めることだし。

今日明日と真冬日、今日はさらさらとした雪が降って1~2センチ積もった。明日の午後も雪の予報、ではまた。

あ、あと、田中投手楽天におかえり。

 

電話が鳴っても誰も出んわ

高校生の頃、同期の部長がこういうことをよく言う子で面白かった。

昨日の夕方、録画していた「欲望の資本主義2021」という番組を見ていた。毎年正月に放送される、世界の知識人が経済や資本主義などについて語る内容で、よくわからないなりに面白いのでこの数年は毎年見ている。2020は見たかな、帰国後に再放送に気付けば見たかもしれない。

あるダンディーな学者がパソコンのカメラに向かって語っている最中に、彼のスマホが鳴り出した。その瞬間に彼がピクッと動いたので間違いない。しかし彼は冷静さを失わずに語り続ける。

切れよ!
その音邪魔だよ!
何でバイブにしとかないの!
とりあえず一瞬出て切りなさいよ!

と思いつつ見ていた。電話はなかなか鳴りやまない。よほど大事な連絡なのだろうが……。
ようやく鳴りやんだ。彼もほっとしたような顔をしている。よかったな。

番組も終わり、食事も終わり、さてそろそろ寝るかとスマホを見ると、ラインのアプリにマークが付いている。おや珍しい、と思って見てみると、「不在着信」の表示が。その時は、うーん家にいたのに気付かなかったのかなと思っただけだったが、寝てから思いついた。

その時間、そうだ夕方のその頃、私はテレビを見ていた。テレビの中で話している学者のスマホの着信音がガンガン鳴っていた。

違った。
鳴っていたのは自分のスマホだった。2階で。

気付けよ!

どうもすみませんでした。

 

今日はちょっと暖かくなったけど、明日はまた寒くなりそう。天気もいまひとつで週末にかけてまた降るかもという予報。ではまた

冬季K2 チーム・ネパールが制す

10日近く前のニュースだが、パキスタンと中国国境に聳える世界第二位の高峰K2に、ネパール人ばかり10人が同時登頂した。
2つのびっくりがある。
1つは言うまでもなく、今まで一度も登られたことのない冬季のK2がついに登られた、ということ。
2つ目は、今までは外国人登山家の陰にいた裏方さんのネパール人たちが主役として登った、ということ。
世界は変わって行くということの一つの象徴かもしれない。素晴らしいことが成し遂げられたと思う。

K2は魔の山とも呼ばれる、死亡率が非常に高い山だ。エベレストよりも遥かに難しいと言われる。それを証拠に8000m峰14座の中で冬季登頂されていなかった山はK2だけだ。それが今回ついに。しかも西欧先進国の人間ではなく、山の民ネパール人たちによって。

ネパール隊はもともと3つのグループであったのが、途中で合流して協力し合い、大量登頂に結び付いた由。その10人の中に、8000m峰14座登頂者が2人いるということも驚きだ。
ヒマラヤ登山はシェルパに代表されるネパール山岳民族の助力なしにはほぼ成立し得ない。単独登山する人もいるが、ベースまでの荷揚げサポートは使うことが多いと思う。単独以外の通常登山は登山家とシェルパが一緒に道を開き、梯子をかけたりザイルを設置したりして登っていく。商業登山になるともうほぼ完全にシェルパが道を作ると考えてよいと思う。登る際にも彼らがサポートしてくれる。場合によっては酸素も持ってくれる。やばい時には背負ってもくれる。そうして成り立ってきたのがヒマラヤ登山史である。
先進国の金持ちが世界最貧国の一つである国の民を使って記録を打ち立てたり楽しんだりしてきた、とも言えなくもない、というか言える。そういった状況に長く甘んじてきた彼らが、ついに表舞台に立つようになったのだ、と思うと感慨深い。

2020年はコロナのせいでヒマラヤの登頂数も少なかったのではないかと思う。そんな中での明るいニュースだった。ただ、同時期におそらく一緒に(?)登っていたスペインの登山家が一人亡くなっている。やはり魔の山だと思わされる。

ではまた

 

 

この冬最初の除雪車出動

朝起きると雪が降り続いていた。でもひどく積もるような降り方ではない。朝の時点で15~20cmの間。それでも除雪車が来てくれていて、町道は除雪されていた。助かる。


ちょっとこんもりと降った感じになった


湿って重い雪

春に降るような感じの雪だった。
日中一杯降り続けたが、霧雨が雪になっている程度の降りで、積雪が増えることはなかった。

店の裏にはテンの足跡が。
どこに住んでいるのかな、店ではないと思うけど。

では

朝から降っていた雪が午後になって積もり始めた。午前中は多少気温があったせいか、積もらなかったのだが。

 3時過ぎ
積もり始めた。明日一杯降るらしいので、この冬最初の本格的な積雪になるような気がする。

 1997年末から1998年1月にかけての雪
まだ土地を切り開いている状態で冬を迎え、大雪が降った。土地まで車で入ることはできず、近くに置いて徒歩で入ってみた。積雪50cmくらいだったかと。
ここから数年間は割とドカ雪が降り、まだこの道が町の除雪ルートに入っていなかった時は大変だった。除雪車が来ているところまで100m以上を除雪しないとならず、しかもまた降った。この頃はこのエリアに定住者は殆どいなかったので、大変だったなぁ。

 1997年秋
時間は戻るが97年秋、だいたい敷地の伐採と伐根がすんで、丸太を買った。近くの森林組合から、杭用のスギ丸太を。ログハウス用の丸太を買ったわけではない。高いし持てない(^^;


丸太の長さは4m


せっせと皮剥き
皮剥きの道具があることを何かで知り、町の金物屋さんで買った。とにかくひたすらに皮を剥いたなぁ。

 1998年4月頃
雪が溶けて、丸太小屋の建設を始めたところ。1本目の丸太(土台丸太?)を回したところで、まだ皮を剥いている(^^;

3段目の丸太のようだ。
おや。
1段目をぐるっと回して、2段目をぐるっと回して、という風に作ったんじゃなかったかな。写真だと、この壁だけを作っているみたいだ。仮組なのかな。


右手に数段組まれた小屋がある。その横で相変わらず皮剥きをしている。


こっちは自宅の中、壁を張っているところ。

自宅の建設と丸太小屋(店兼木工房)の建設と、同時進行中。もちろん自宅の方は大工さんだ。常時3人がかりでやってくれていて、私はそこに手伝おうとしてちょっかいかけては嫌がられていた・笑
やってみたかった、というのもあるが、一分でも早く工事を終わらせて大工さんに引き上げてもらわないと、手間賃その他各種経費がどんどんかかっていくので必死だった、というのが本音。まぁ私がちょっとやったくらいで工期が早まるわけもなく。遅くはならなかったと思うが(?)。

この頃。
あっち手伝いこっち手伝いでくるくるしていて、さらにまだ続けていたライターの仕事が入るとどこへでも行っていた。人生最初で最後のイギリス行きもこの建設途中だった。ロンドンの記憶は正直ほとんどなく、おそらく写真も撮っていない。ローラアシュレイというブランドをこの時初めて知った、くらいが覚えていることだな。何で知ったかといえば取材に行ったからだ。今もこのブランドの名前を聞くと、あああの花柄の……、と思う。

ではまた

今日はプラス

日中+の8℃くらいまで上がり、暖かい一日だった。それでも朝は氷点下9℃以下……。このくらいのプラスだと、帽子なしで散歩に行っても大丈夫。毎日こうだといいのに、明日はもう急降下。

昨日、軽井沢の図書館に行ったら、しばらく休館との掲示が出ていた。軽井沢町は長野県のコロナ警報レベル5になっているので、とのこと。今は東信一帯がこのレベルになっていると思う。借りる気満々で行ったのに空振りで残念。

で、まだまだ続く写真のデジタル化。旅の写真はかなり片付いてきて(嘘、残ポジはまだまだ手付かずだった)、今はこの土地を切り開いた時の写真などをやっている。
本当に不思議なことに、この土地の、最初の姿を撮影した画像がどこにもない。
撮影しなかったのか???
不思議で不思議で仕方がない。撮らないわけがないと思うのだが、撮らなかったのかなぁ。バカ?


発掘できた中で最も古いと思われる1枚

これでもかなり伐採を進めた後の写真だ。人が入れない、人が入った形跡のない密林だった。ここまで切り拓くのに2か月くらいはかかったんじゃないかな。なんせ手作業だったし。


その次に古いと思われる時期

太い木を残しているのは特に理由はなくて、結局ここに写っている中で今現在残っている木は1本もない。東南の角あたりから北側を見ている。


アカマツ、カラマツを切り倒す
斧持って立ってるけど、さすがに私が斧で倒したわけではない。倒したのはオット、私はポーズつけてるだけ(^^;


まぁとにかく切った切った切った切った切った


切っただけじゃダメなんさ、根っこを取らないと。ってんでユンボを借りて伐根作業。因みに、ユンボは自分の土地の中だけであれば免許なしで運転できる。


その頃住んでいた土地の中の小屋
まぁ住んでたわけじゃなくて、休憩小屋だ。ユンボを借りた時は3日間という期限があり、朝から晩まで作業するために泊まり込んだけど。テント張ってヒマラヤの山の中で寝ることを思えば天国みたいな小屋だった。

軽井沢から別の土地にセカンドハウスを移した知人がいて、その人が「軽井沢はなんだかお高く止まってる感じで好きになれなかったんですよ」と言っていて驚いたことがある。なぜならその人の社会的な地位ときたら、どんな人でもへへーっと頭下げながら3歩下がるくらいのものだから。そんな人が、「軽井沢はちょっと…。今のここはそういうのが全然なくてとてもいい」と言うのだから、まぁ軽井沢っていうのはそれなりの、そういう、土地なんだろうと思う。
そんな場所で、上の写真みたいな掘立小屋を建てて森を切り開いていたのだから、今思えば相当浮いていたんだろうと思う。浮いていたし、喧嘩売ってるに近いものがあったのかもしれないな。
まぁ、その知人のいた場所とこことでは、かなり雰囲気は違うんだけどね。なんせ軽井沢中心部の人は、追分なんて軽井沢じゃないって言うからね。

因みに。
軽井沢のことを、かるいざわ、って言ってる間はよそものなんですよ。
土地の人は、かるいさわ、って言うだに。


ビニールハウスの天井で寝るんじゃない!
わが家の常連になっている野良猫さん。三毛なのでメスだよと、遊びに来た友人が言ってた。こんな寒い土地で猫を捨てる人間がいるのだから腹が立つ。

アメリカ、バイデン新大統領が無事に就任。何事もなくよかったと思う。
これですこし世界が右傾化しすぎた状況から真ん中めがけて戻ってくれたらいいのだが。

ではまた

コツコツ

虫のようにコツコツとフィルムをデジタル化している。随分やったようにも見えるし、まだまだ半分もやっていないとも見える。紙焼きのフィルムは1スリーブ6枚(日本現像分)と決まっているので、それなりに捗るのだが、リバーサルは切り出しているので、3枚、2枚、1枚、というコマが分断されて残っており、これが大変。ピンセットでつまみ出してセットしなきゃならないし、そうなると誤作動も増えてやり直しが多くなる。
そもそも切り出さなかった残、はねもん、もデジタル化する必要があるのか? ということも迷いながらやっている。

そんな残ポジの山から今日はこんなの。


康定~徳格 のバス 2000年

標高5000近い峠で雪になった。徳格は四川省からチベットに入る道、川蔵公路の四川省側最後の町。外人が行ける最終地点だ。徳格では色々なことがあった、それは別の場所で書いておこうと思う。


2000年 アムドの紅原北部

バスが壊れて簡単な調整をし、いざ出発となったらエンジンがかからない。男どもが総出で押す!
伝統的なチベット服の下にジーンズを着ている、そういう時代に既にこの時入っていた。


小さな村、2000年
トラクターを改良した通称トラジがみんなの足。


四川と甘粛の境にある朗木寺という村 2000年
お寺の周囲を回るコルラ道。登っていく二人の見事なチベット服に目を奪われた。

ちょうど20年前の写真だ。この辺りも激変しただろうな。

 『約束された移動』 小川洋子

安定の小川洋子。
☆4.2 この人にしか書けない世界

 『不愉快な本の続編』 絲山秋子

珍しく男性一人称の小説。クール。頭のいいクズの話なのだが、いろんなページに自分がいて驚かされる。(性癖ではないよ念のため)
☆4.5 誰もが見ないふりをしている絶望……

明日も真冬日、最高気温-3℃の予報 ではまた

雨から雪

予報どおりで気温は高め。
昼過ぎから雨がぱらつき始め、3時過ぎにはしっかり雨。その後雪になった。

東京あたりで降るようなぼた雪。しばらく降りしきって、割と早めに止んだ。積雪はまたしてもうっすら積もった程度。

軽井沢は、いわゆる豪雪地が降る時には降らないことが多い。そうではない時、例えば関東、東京あたりに降る時に、どかんと降る。一晩で70cmが連続して降ったこともある。除雪車が来ないと閉じ込められてしまうし、自分の家から出る場所が除雪されても、その先につながらなければやはり閉じ込められる。数年に一度はそういうことがある。数日分は食料の備蓄をすることが大事かと思う。

今日もせっせと画像の取り込み。我慢比べみたいになってきたが、それでも自分の過去の旅をたどるのは面白い。

96年(おそらく)に仕事で行ったパタゴニアの写真を載せてみる。切り出してもいないスリーブからなので、過去に使ったことはないのだろう。フィルムにかなり光が入っているのは何でだろう? 惜しいカットが幾つかあった。巻き取る際に開けちゃったわけでもないだろうし、広範に渡ってあるのでそれは違うなー。?


プンタアレナスだと思う 南米最南端の町


いかにもパタゴニアという風景


常に吹く強風に曲がって生えている木


氷河の氷が崩れて湖に浮いている

 

アウトドアブランドのウェアのカタログ製作の仕事だった。カメラマンが2人、助手(にしては態度がでかい・笑)1人、ライターの私とイラストのNさん、という陣容だった。私とNさんはモデルも兼ねた。
そういう仕事の旅は記憶にあまり残らない。自分で調べて自分で行くわけじゃないから、地名だって忘れている。寒かったこと、太陽が高く昇らず常に斜めからの光線を浴びていたこと、肉以外に食べるものがなかったこと、などを覚えているくらいだ。

新製品のお披露目を兼ねた座談会みたいなものがあり、銀座の三越だったかと思う、そこのアウトドア売り場へ行った。仕事の前だったか後だったか、その場にいたら、雨合羽を買いに来た中年女性が試着室に入った。そして出てきたその人に、三越の人が、「たいへんお似合いでございます♡」とうやうやしく言っていた。なんていうことをよく覚えている。
カッパだぞ。

そうだ今思い出した。その時は、アメリカのシアトルの近くにあるマウントレーニア国立公園に行く、と聞いていた。そのつもりで当日事務所に行くと、行き先がパタゴニアになっていた。滅茶苦茶すぎる。撮影用のシューズがあるから靴は要らんというのでそんじゃ荷物にもなるしとサンダルで行ったら、肝心のシューズがなくて、サンダルでパタゴニアまで行かされたわ!
今はどうか知らないが、その頃は、そんな感じで頭おかしい人がいっぱいその業界にはいたように思う。懐かしいと言えば懐かしいが、まぁ何というか、むにゃむにゃ。

明日は気温が下がってくるらしい。この寒暖差でやられそう。ではまた