9℃

暖かい1日になりました。風も強くなかったし、暖かかった。

朝1番で病院。貧血~胃腸障害で通院してましたが、今日で終わり。
割と患者の話をよく聞いてくれるし、説明も丁寧ないいドクターに当たったと思っていたのですが、移動ですって・・・。田舎の病院はドクターが定着しないから、人間関係作るのも結構大変だったりします。慣れた頃には移動、あちこちの病院で経験しました。
不整脈があるので、1度24時間心電図(?)を取ってみたほうがいいでしょう、と言われましたが、ドクター移動でまた放置してしまいそうだ・・・。脈はやっぱり1分あたり100近く。速いほうですよね、まぁとっても長生きしたいわけじゃないからいいんですがw

明日も9℃くらいになる予報です。でも午後からは雨。雨だと9℃あっても寒いですよね、残念。
ではまた

久々に暖かい

今日は気温がプラスになる暖かい1日になりました。
朝方降っていた雪も午前中に止み、デッキに積もった雪はすぐに溶けました。雪の上に乗った雪は、なかなか溶けませんが。

午後ちょっと買い物に出て、久しぶりに友人宅にでもと思って電話したら留守。携帯にかけたけど出ない。大丈夫か? と、帰り道なので様子を見に寄ったらほんとに留守みたいで(当たり前か)。そしたら帰ってくる道で、友人のお母さんが犬の散歩をしているのに遭遇して、上京していると判明、安心しました。

我が家の電話の子機がかなりお疲れになってきて、うっかりすると3分くらいで「ピッ、ピッ」と充電モードになって切れてしまいます。まぁ、めったに電話なんてかかってこないし、かかってきた電話で長話なんていうのもさらにないのですが、不便といえば不便です。というわけで、買い換えようかという話になりました。
我が家は2階に光ケーブルの回線が来ているので、親機は2階のパソコン横が定位置。1階と店に子機を1台ずつ置きたいので、子機2台付きのファクスを探しました。2万円以下であるのにびっくり。昔、たしか雷が落ちて電話機が壊れたとき、必要に迫られて佐久の電器屋で買ったときには、4~5万はしたと思います。当時はまだライターの仕事もしていて、ゲラがFAXで送られてくるので、なければ仕事になりませんでした。泣く泣く買った記憶がありますが、ほんとうに物の値段がわけわからないことになってますよね・・・。
インフレになると物の値段が上がって困る、と、テレビで「街頭インタビュー」に人が答えているけれど、その度に、いま現在の物の値段が異常なんですよ、と突っ込みたくなるなぁ。あぁもちろん、ありうべき適正な価格に戻ることを是としているのであって、それ以上に上がっていくことは私も「困ります」けれどもね。

街頭インタビューに答えて 私やさしい人が好きよと
やさくしくなれない女たちは答える ♪ (時刻表)

あ、いま書き出して気づいたけど、「答えて~答える」と、重複使いになってるね・・・。 

FAXはネットで注文しました。
ではまた

今季最低気温-16℃

きましたね、今頃。この冬の最低気温、軽井沢で氷点下15.8℃、追分は多分それよりも低いと思われます。いやぁ~寒かったね~、もちろん真冬日でした。

海外旅行保険がようやく下りることになりました。
ようやくと言っても、向うさんがゆっくりだったわけではなく、私が請求を先延ばしにしていただけでして・・・。先週だったか? にようやく。今日電話がかかってきて、1週間くらいで振り込んでくれるそうです。
途中で2度、「経過をお知らせください」という郵便が来たのだけど、これも無視してしまいました。事務的な作業が本当にできなくなってきているなと反省。ま、2度目の「お知らせください」は、請求した翌日に届いたのでこれはいいとしてもですね。
多分向うさんとしては、「この人ぜんぜん請求して来ないな、もしかして、タダになるからと毎日整骨院とか通ってマッサージしまくってるんじゃないか・・・(いや実際にいるんだろうな、こういうヒト)」などと、不安を抱いていたのではないかと推測。単にずぼらで請求書を書くのがめんどくさかっただけでした(笑)。

現地で国内線航空券を1路線放棄し、新たに1路線購入したのですが、その金額も補償されるかも、と、最初の電話で言われていたのでその請求もしたのですが、そちらは入院治療が前提なので出ないそうでした。
それと面白かったのが、病院に行ったときのタクシー代が請求できて、レート2.8円で請求したのですが、「直近のレートでお出ししています、えーと、3.22円になります」だそうで、なんだかこの部分はすごく誇らしげに言っていたのが興味深かったです。たしか請求額は200バーツだったかと(笑)。

ともかく、現地の治療費がキャッシュレスで無料でしてもらえ、帰国してからのレントゲン撮ったり薬出してもらったりの金額もカバーしてもらえるので、旅行保険はありがたいですね。できれば使わずにすめば一番いいのはもちろんですけどね!
今回はいろいろと勉強になりました。よく考えてみればもうじき50歳。いろんな所が昔のようにはいかないことも増えてきてます。注意深くならないといけませんね。うっかり事故はないほうがいいです。

明日もマイナス13度の予報。タイに行き、ぎらぎらと照りつける太陽をうんざり見上げながら、「あぢーな今日も。パイナップルシェイクでも飲みに行くか」と呟いてみたい。ではまた

おもしろかった

昨夜というか今朝、は当然ぐーたら眠っていてリアルタイムでは聴いていないのですが(物理的に無理? 入るのかな?)、ネットに落ちていたので夕方聴きました。みーさんのオールナイトニッポン1時間の話。
いや面白かった。
というかこの人って、30年前とぜんぜん変わってないの?
喋り方とか、なんだろうね、昔の録音を聴いているのと錯覚しそうでした。
そして、4月から、再びレギュラーでラジオをやるんだそうですよ。月1回ではあるけれど、2時間のオールナイトニッポン。そんな真夜中に起きていて平気なんでしょうか・・・・・・。
初回放送は4/14だって。午前3時かららしいですよ。

上の1行を調べるためにぐぐったら、みーさんがこのラジオ番組をやっていた時期がきちんと出ていて、1979年から86年までの8年間だったそうです。
個人的には、中学3年から大学3年(一浪含むw)。
最もよく聴いたのは、浪人から大学2年までの3年間だったと思います。でもそれも、聞き逃すことも多かった。私は大学3年になる時に就職して2足のわらじになったので、それからは殆ど聴く機会はなかったかと。
だからこのラジオに関して、ものすごく思い入れの深い人がたくさんいると思うのだけど、私はそれほどでもないんですよね・・・。自分のことで忙しかったからな~。先が何も見えなかったし(誰でもそうだと思うけど)。

『ツアー1989』 中島京子
初めて読む作家です。タイトルと、帯に「香港で消えた旅人を追ってなんちゃらかんちゃら」とあったので、どんな話かと思って読みました。1989年に募集された香港ツアーで、1人消えた人がいる、その人は帰国しないままどこかに消えてしまった、というのがお話のベース。というかまぁ、そんだけなんだけど。
小説の話は置いて。
1988年に初めて中国に行ったとき出会った人が話してくれたことを思い出しました。彼女の知り合いが新婚旅行で香港に行き、奥さんがブティックの試着室に入ったきり消えたそうです。ご主人が必死に探したけれど見つからず、一度帰国し、ご主人含めた家族と、そして彼女(中国語が話せる)が一緒に香港に渡り、警察その他もちろん領事館などにも協力してもらいつつ探したけどダメだったと。だから香港では、決して試着室に入ってはならないと、後ろに別のドアがあって攫われてしまうと、繰り返し諭されました。
よくある話で都市伝説だよと哂う人もあるかもしれませんが、少なくとも彼女の話は本当だと思う。
1989年には自分も春に香港に行っていて、胡耀邦死去のニュースをそこで聞き、その2ヵ月後に天安門事件が起きました。
そんなことを思い出しながら読みました。
☆3.0 カオサンのパッカーだけはリアリティがあった(笑)

朝のうち雪、その後やんで強風が吹き荒れ、寒い一日でした。当然真冬日。ではまた

富士山の日

ですよね。でも今年はテレビでちっとも言わないんだけど、なぜなんだろう。去年はやたらとどこの局でも言っていたような気がするのに。
そして今日は、みーさんの誕生日♪

そうそう、今日の深夜というのか、明日の明け方に、みーさんがラジオに出るそうですよ。オールナイトニッポン。だからニッポン放送? ここでは入らないと思うので私は寝ちゃいますが。午前3時から1時間、何でもオールナイトニッポンをやってた人たちが1日中だか順番で番組回していくんだって。

こんなものを作ってました。今日じゃないけど・・・。
今日は別のものを作ってて、それは明日にでも。

夕方、濡れた靴紐を結んで犬の散歩に行き、帰ってきたら、靴紐がピンピンに凍ってました。ではまた

ウメの誕生日

ウメは今日、1歳になりました。

本当は、12歳と半年弱という年齢になりますが、正確に生まれた日は知らないし、何より去年の今日、ウメは死の淵からこちらに戻ってきましたので、この日を誕生日にしようと思って。
まさか1年生きるとは思わなかった。
去年の今日は、今日と同じようによく晴れており、ウメに「最後の日光浴」をさせるつもりで庭に寝かせてやったのでした。そうしたら、立ち上がり、自分でヨタヨタと庭を歩き始め、あわてて追いかけてリードを付け、林に連れて行き、抱いて帰ってきたらすこし生きた目をしており、ジャーキーを術後ほとんど初めて自分の力で食べたのでした。
そこから長い闘病期間があったけれど、何とかかんとか危険なところを乗り越えて、かなり元気になりました。
あらためて、当時ご心配いただいた皆さん、ありがとうございました。
それから今現在闘病中のわんこたちが、元気を取り戻しますように。


回復期によく作っていたマカロニと肉のゆで炒め


多すぎるかなと思ってやったのですが、2杯ぺろりと食べて、「もっとよこせ」と人間に圧力をかけ続けました(笑)

2/21、よく覚えているもんですが、なぜかというと、みーさんの「夜会」千秋楽だったのでした~♪
(チケットもホテルも準備万端でしたが、手術を決めた時点でキャンセルしたという経緯でした)

『明日なき今日』 辺見庸
「自動起床装置」という変なタイトルの小説で芥川賞を取った人。正直、意味不明な小説でした。その後『もの喰う人びと』がベストセラーになったので、こちらで記憶している人の方が多いかもしれません。この作品はよかったけれど、その次か、その次に読んだ『ゆで卵』というのが吐き気もので最後までとても読めず、以後、私の中では抹殺した作家の1人でした。だからものすごく久しぶりに手に取りました。
共感できる部分とできない部分がある。理解できる部分とできない部分がある。3.11後のこの国を覆う空虚な言葉あるいは空気、「がんばろうニッポン」や「絆」に象徴されるそういうものが気持ち悪いという、そのへんはよくわかると思いました。つまるところそれがファシズムであるということ、というあたりも何となくわかりました。
吉本隆明の変化(というか堕落)にも触れていて、そのへんが実はいちばん面白かったです。彼は原発推進派だったのだけど、3.11後も誰もそれに突っ込んでいないし、彼自身ほとんどまともなことは話していない、のです。そのことを、戦争中に戦争賛美の文章を書いていながら戦後批判されなかった作家たちと並べて、日本人とはそういうものなのだ、という部分が面白かった。吉本隆明は、私は学生時代に読んだ程度で、近年では「ほぼ日刊イトイ新聞」で対談やら何やらを読んでいただけなのですが、裸の王様のような感覚は持っていたように思います。知の巨人とか言われていて、誰もそれを貶めることは許されない、的な。
吉本的な思考方法というのかな、結果的に現状肯定になる思惟と不実践の方法みたいなものは、悪い意味で現時点でもまだ受け継がれている。」(カッコ内抜粋)
という一文は、メモしておこうかなと思いました。
☆はなし。ちょっと付けようがない。

今日も真冬日。明日も真冬日予報。ではまた

麻とカディで服2点


カディのワンピース。袖は8分くらいです。
このカディは、実は生地として販売したときに汚れがあり、汚れを避けたら6メートルほどあった生地の真ん中しか取れず、それをお客さんに、残る半端部分が手元に残った、というもの。
生地に直接文字を書いたりするのは本当にやめてほしいです・・・・・・とほほ。
でもそこは服屋ですので、無駄にしたりすることはなく、汚れを避けて裁断して服にできました。


去年の6月のタイで求めた麻100%の生地。これがものすごく重くて、10メートルなのに私では運べないくらいです。ちょっとなら運べるけど、ホテルまで持って帰るとかは無理。なんでそんなに重いかというと、麻は麻でもリネンではなく大麻だから、かな? もっと細く紡げれば薄い生地にもなるのだろうけど、手仕事だとそれは無理なような気もします。詳しくはわからないけど。
このざっくりした感じを活かしたいので、またまたチャイナ衿のジャケットを作りました。

『IN』  桐野夏生
桐野夏生さんといえば、まぁなんつったって『OUT』でしょう。直木賞をこれで取ったはず。(ウソ、直木賞は『柔らかな頬』でしたね、『OUT』は推理作家協会賞でした)。同時期に高村薫さん、篠田節子さんという2人の作家も注目を集め始めていて、「新・女流ご三家」と呼んでいました、よね? 世間的にそうでしたよね?(自信がない&じゃ、旧女流ご三家は誰? とかはなし)
このタイトルは『IN』なので、『OUT』に対する何か、であるのではないかと思って読み始めました。歌だとアンサーソングという言い方があるけど、本の場合は何と言うのかな。
小説の中に出てくる昭和の時代の作家の赤裸々な告白本を、私は壇一雄の『火宅の人』かなと思ったのですが、アマゾンで見てみたらどうやら島尾敏雄の『死の棘』のようですね。こちらは未読です。
えーとそれで。
小説の上手いヘタみたいなことがどうであったか、というのは、この際置いておきたい気分。この作家らしいどろどろした、ざわざわしたもの、剥き出しの憎悪というのか。狂気か。あるいは愛憎か。それが受け入れられるかどうか、どこかに少しでも共感できる部分があるかどうかで、この小説への評価は決まるような気がしました。
☆4.2 出てくる女がとにかく全員死ぬまで女

因みに、旧・女流ご三家、たぶん、三浦綾子、有吉佐和子、瀬戸内晴海、あたりかと。昭和40年代あたりが最盛期だった方たちというと、このへんが思い浮かぶ。それ以前はよくわかりません。
高村薫は生真面目な学者肌、書くものも実に生硬いイメージ。篠田節子は何でもそつなくこなす優等生、ハズレは少ないがどこか乾いた感じ、小説を「作っている」気がする。桐野夏生は喧嘩もするし駄作も書くけど、でもいちばん生きてる人間の気配が濃厚だと感じてます。

本日もバリバリ真冬日。もう寒すぎて嫌になってきました。明日も真冬日だって。ここが寒さの底か。ではまた

雪中歩行訓練

雪の上に雨が降った昨日。夜は気温もぐっと下がり、今日は一日中氷点下の真冬日。道路もメインルート以外はどこもガチガチに凍り、スケートリンク状態のままです。

こんな時期でなければできないこと。
アイゼンを付けて雪道を歩いてみる。

靴の前にヌッと出ているのが、前爪の部分。氷壁とか登るときには、これを氷に蹴りこみ、叩き込み、しながら登るらしいですよ(私はそんな危ないことしませんけど)。
しかし、靴も含めると実に重い。
そして歩きにくい。しゃかしゃか歩けない。
冬山をやるというのは、体力的にほんとに大変なことですね。
犬の散歩20分でかなりばてました・・・。滑らないのはいいけど。まぁ靴もスキー靴みたいな感じで、ロボット歩きになってしまうのも一因ですが。いや確か、雪道では、フラットステップっつって、蹴りださない歩き方をするのが基本だったんじゃなかったか、だから硬い靴でもいいってことかも。

またこの間登れなかった石尊か、近くのちょっとした丘を登ってみようかと思っているのですが、寒波が来ていて、これから1週間ほどは激寒だそうです。参ったね・・・。今日なんか、佐久でも氷点下だったんじゃないかと思う寒さ。車の氷が解けないんだから、きっとずっと零下だったはず。寒い寒い、凍えそうでした。

午前中、服を2点撮影しましたが、まだ整理していません。明日にでも。ではまた

翼をあげて~

先日i-podを整理していたら出てきた写真。
去年の11/1、成田~上海間の空と飛行機の翼。
このおよそ22時間後、わたくしは肋骨を折りました(笑)

雪→雨の1日。シャーベット状になった雪が凍る明日が怖ろしい。
明日も真冬日の予報です。ではまた

そういえば米は

どうなったのかと思っている方もあるかも、ないかもw


昨年の秋に収穫した我が家の米。青森のまっしぐらという米の玄米から発芽させて育てたものです。
この籾を取り除くのがえらく大変で、時々やってはいたのですが全然進まず、ほとんど忘れてました。
精米機でやったらどうだと夫が言うので、半信半疑でやってみたら、まぁまぁ籾もとれ、精米もできました。ただし、かなり壊れたけど(笑)


左、精米完了の米、右、籾やらヌカやら・・・


磨り減った(?) 米です。籾のついた収穫時の重さは2キロ、精米したら1.3キロくらいになりました。水分も減ったと思われます。


そういう人間の営みとは無縁のウメ。座布団を発見し、うまく寄りかかって昼寝中♪

昨日今日と氷点下13度まで下がった軽井沢。追分はもう少し下がっているんじゃないかな。もちろん真冬日。明日は数日振りに気温が+になる予報ですが、また雪らしい。
今年は雪が多いですね、除雪した雪がかなり壁になってきました。ではまた