梅雨明け?

昨日の夕方、関東甲信が梅雨明けというニュースを見ました。
統計を取り始めてから最も早い梅雨明けだそうですね。

もう夏なんだ?
例年だと7月半ばなので、非常に変な気分です。

そうか~、夏か。

そういえば今日で6月も終わるというのに、今年の中島みゆきさんのスケジュールが聞こえてきませんな。例年この時期にはたしかもうやれ抽選だの何だのとしているような。
でもまぁ、先日亡くなった森田童子さんと同い年だしね。
休む年もあってもいいのかも。
体の異変でないことを祈るばかりです。

忘れてたけどコンサートだよ! って知らせがあったらうれしいですね。
いや夜会でもいいけどね・・・^^;

軽井沢も急に暑くなり、昨日今日は「2階は扇風機ほしい」感じです。
ほんとに梅雨明けなのかな。
ではまた

suica 見つかった!

きっと思いがけないところにあるんだろうと思ってたけど、

まさか

ラオス・キップの札束の中に埋まっているとは思わなかった!

 

たぶん最後にひとりでタイ&ラオスへ行ったとき、都内の移動用にsuica持って行ってて、そのまま外貨引き出しにしまいこんだんですね。

私はけっこう外貨を持って帰ってきちゃうタイプで。
というのは必ずすぐにまた来るだろうと思うから、ダブルチェンジ、トリプルチェンジになるのは嫌だな、めんどうだなと思ってしまうので、最後残った外貨を円に換えずに持ってきます。
次回行った時、深夜で両替所が開いていないとか、なぜか両替所のない国境を越えてしまったとか、そういうときにも最低限、日本円で500円1000円分あるだけで、とりあえず何とかなったりするから。最悪水くらいは買える。

とにかくsuicaは発掘した。とメモしておかないと、また探し回るというか、一度発見したことすら忘れそう・・・

明日は雨になりそうです、今日も暑かったですね
ではまた

 

ペイパルがクレカ不要の決済サービス

ニュースサイト

ペイパルは、私も新しいwebshop で実装を試みている会社です。実装に関するハードルはかなり高く、私のスキルではいまのところ無理かなとあきらめモードではあります。1~2度試したけど出来ないので今は放置中です。

そんなペイパルが、とうとう銀行口座からの決済ができるサービスを始めるとか。
いや~、これですよね、中国で爆発的に電子マネーが普及した理由。クレカから払うのではなくて、自分の銀行口座から直接相手に振り込めるというか支払う。当然、その手数料は限りなくゼロに近い(でなきゃ誰も使わない)。中国では。

日本で始まるというこういったサービスも、手数料が安くなければね~。
昔、クレカが出始めた頃、店なり企業なりが支払う手数料を客側が負担しなきゃならなかった時代もあったと記憶しています。海外でもよくありました、3%とか5%とか払わなきゃいけないシステム。
今はどうだろう、日本ではまず見かけなくなりました。海外では最近あまり使わないのでわからないけど・・・。

私としては、
1. 手数料が1%以下
2. 審査なし(または緩い)
3. 実装が簡単
であれば使いたいと思いますが、まぁ数年は先のことになるだろう(普及するまでは・・・)。

オリンピックも2年後だし、電子マネーについては国を挙げて推進していただきたいと思う今日この頃です。実装も簡単にしてほしい(笑)

秘技・てのひら返し

サッカー、ワールドカップ。
下馬評ではぜんぶ負けだと言われてたらしく、巷もいまいち盛り上がっている感じがなく、私などそもそも興味がない人間にはどこでやるのか、どことやるのか、わかりましぇんという感じでした。

1つ勝ったらこの騒ぎだよ!

今回はぜんぜん売れなかったユニフォームが、1つ勝ったとたんにバカ売れだと。

みんなファンじゃないんだな(笑)

ほんと、手のひら返しも大概にせぇと。
ま、基本、ほんと、どうでもいいんだけど(サッカー興味ない)。

 

今日は全国的に気温が上がり、軽井沢も晴れて28℃まで上がったようです。
夫は知人別荘の草刈りに。私は終日仕事場でミシンの前にいましたが、仕事場は2階なのでやはり暑かったです。
最近はすっかりナイロンにはまり、何やら作ったり、ありものを分解して作り直したり、といった怪しい作業をしています。今日もユニクロかどこかで買ったただのナイロンの手提げ袋2枚を、分解して1枚のちょっと大きいのにするとか(買うなり新しく作るほうが絶対ラク)、少し前に買ったカメラのストラップがどうにも大げさで存在感がありすぎるので細く短くしたりとか。
ミシン目をほどくのがきつい・・・。
ケンとレイが笑えるCMをやってるハズキルーペが必要だ。にしてもあれを見る度に、ケンワタナビは本当に役者なんだな、と思います。

ではまた~

湯の丸~烏帽子岳 快晴!

金曜日が梅雨の中休みになりそうだということで、湯の丸のつつじを見たがっていたヒマラヤトモダチが休みを取って信州に。一緒に登ってきました。
ルートは地蔵峠~湯の丸山~烏帽子岳~地蔵峠
雪の時期に湯の丸に登ったことがありますが、烏帽子は初めて。
家を出たのが6時45分くらい、地蔵峠を出発したのが7時半頃かな? もう少し早かったかも。いつものようにコースタイム+αで歩いて2時前に地蔵峠帰着。
のんびり登山でした。

 レンゲツツジと湯の丸山


湯の丸高原と書かれたお休み処からの湯の丸山
中央やや左のなだらか~なところが頂上です


富士山も見える快晴ぶり
富士山は画面の左から三分の一くらいのところにぽこっと見えてる三角です

 浅間ぶどうの花(だと思う)


湯の丸てっぺん。ボスが踊ってますな

平日なのにすごい人出でびっくりしました。ほとんどはリタイア組シニアでしたが、ごくわずかに現役組も。梅雨の合間の好天をみんな狙ってどっと出てきた、のでしょうね。


湯の丸から見た烏帽子岳と、その向こうに北アルプス
中央辺りにちょこんと三角が見えると思うけど、槍ヶ岳です

 ドウダンツツジっぽいけど?
なんだろう、いまのところわかりません

調べてみました。サラサドウダン だそうです。

 

 ハクサンフウロだと思う
野生のふうろは初めて見たかも(咲いてるのは)

 ランっぽい

つつじもまだ見られる状態だったし、いろいろな花が咲いていてきれいでした

 烏帽子岳頂上
後ろに見えているのは北方面、四阿山とかかな?
相変わらず得体の知れない格好をしているので、黒くつぶれててよかった^^;

地蔵峠でご当地アイスを食べてから帰宅。
お疲れ様&楽しかったです。

それにしても、足が痛くならない方法を何とか模索せねば・・・。筋肉痛じゃなくて、足、特につま先が痛くて、いろいろ工夫しているけど改善されないです。さらなる工夫が必要だなと。

 

さて。
今日はよんどころない事情で北京に国際電話。何やってんだ。話なかなか通じない。
結局、希望する方向には進まずに無駄な努力でした。

1つやらかしまして。
けっこう心理的ダメージが・・・。
何とか何事もなかったようにできないかと頑張りましたがダメだったので、じたばたあがいたけどあきらめがつきました。
注意力が衰えていくのはある程度仕方がないにしても、ポカしないように努力もしていかなくちゃならないなと反省しました。
身辺を片付けることや、頭の中の整理や、大事なことはメモしておくとか、ほんと、できることからやっていきたいです。

関係ないけど、10年ほど前に買ったザンバランの軽登山靴のソール部分が崩壊していて驚きました。剥がれたとか欠けたとかではなく、完全に崩壊。こんな風にもろく崩れてしまうものとは・・・。ぜんぜん一生モノじゃないですね。

そんなこんなで、ではまた

 

 

ストーブつけてます

この数日えらく気温が低く、ホットカーペットはもちろん、ストーブまでつける始末。6月も半ばでこれは・・・、いくら軽井沢でも寒すぎる。

昨日(だったと)、午後に地震。
群馬震源のもので、いきなりどんと揺れました。携帯の警報は鳴らなかった。
そして今朝は大阪で大きな地震。
何だか続くな。
気をつけようもないけれども、うーん、お祈り。

明日はすこし気温が上がる予報です。天気はずーっと雨または曇りです。梅雨ですからね・・・。
ではまた

初めての、ULザック自作


生まれて初めてザック作った!

知恵熱が出そうでした。
もっとシンプルな形にしようと最初は考えたのですが、サイドにポケットがあれば便利だなとか、ストックを挿して固定できるようにしたら便利とか、いろいろ考えたらややこしい形になっちゃった。
ややこしいのはサイド部分かな。底の部分とうまくくっつけるのに半円になってて、そこにポケットも配したもんだからえれぇめんどくさいことになりましたが、力技でなんとか押し込みました^^;
ちょっとわかりにくいかもですが、黄色い部分がもっと上に伸びて、そこにコードが入っててぎゅっと巾着のように絞れます。それを適当にくるっと丸めて、真ん中の黒いバンドで止めてます。

計算では本体だけで24Lくらい。エクステを伸ばすともっと入る。写真で黄色い部分がエクステなので、普段は26Lくらいで使う感じかな。
雨蓋のない形、最近こういうのがメーカーからも出てきてるんですね。少し前にアウトレットに行った時、どこかで見ました。
いいの、降ったら歩かないもん。
歩いてて降ってきちゃったら、ビニール袋でもかぶせときゃ平気^^;


背中側。
ここが大変だろうなと(ショルダーベルト付けたりするから)思ってましたが、意外とすんなりいった。前面のほうが大変だった(間違えて思いっきりほどく工程が増えたせいもある)。


ショルダーベルト付けている図。
別布で押さえる、という方法を取ったのだけど、よく考えてみたら、この部分折り返してこのように補強することもできたかも、いやできる。そうすればよかったな。次回そうします。


しつけ、しつけ、しつけ・・・
この時点で見えている縫い代は、すべてグログランテープという幅2センチのテープでくるんで縫い付けて補強しました。


本体部分ほぼ完成したところ。ポケットの口の紐は、3ミリのかっこいいコードを通す予定だったのに、ハトメを通過させることができなくて、ただの紐になってしまいました。


秘技・ハトロン紙縫い
縫う人なら誰でも知ってる、超薄物を縫う時にはハトロン紙、です。
この部分はシルナイロンという、私が今まで縫った中では最も薄く、そして滑る素材。ハトロン紙なしでは縫製は難しい。

こういう極薄素材を縫う時には、
抑え=弱め
糸=弱め(特に下糸)
あと、あるならテフロン押さえ(私は持ってない)、薄物押さえ、薄物用の縫い板、があるとよいです。

UL、ウルトラライト(登山)という言葉は、たまに見聞きしたこともあったけど、自分が作ろうとまでは思わなかった今まで。
今年、なぜか急にその気になり(山を再開したからかと)、アメリカから生地を取り寄せたのが2~3月。その後必要な各種パーツを少しずつ買い集めて、ようやく取りかかり、完成させることができました。
初めてのことで、型紙も資料もなく、ネットでいろんな画像を見ては参考にしながら作ったので大変でしたけど、楽しかった!
また作りたいと思いまーす。

あ、忘れてた。
重さは310g でした。
300を切る予定だったので惜しい!
とにかく、生地以外にたくさんのパーツ(テープ類やプラスチック)が必要で、軽くするにはそれをなくしちゃえばいいんだけどね^^;

ちょっと色が・・・。
この生地、もうちょっと茶っぽいベージュだった(TAN)、というかそういう色に見えたから買ったんだけど、思いっきりただのベージュだった・・・。
でもまぁエクステに使いたかったオレンジイエローを使えた(バランスとか考えずにとにかく使った)のでいいことにしよう。

今日の軽井沢は一日雨で肌寒かったです。
週末悪天が多く、なかなか山に行けませんにゃ・・・。
ではまた

ラスト・ワルツ

朝、北の将軍様とアメリカのジャイアンがそれぞれホテルを出るとか出たとか、車列が通ったの通らないの、という報道をひとしきり見てからPCを立ち上げてみると、ヤフーのニュースに森田童子逝去とありました。
亡くなったのは春先のことだったらしいですが。
私がよく聴いていたのは大学まで。卒業後はそれほど聴かなかったかな、いつのまにかテープもなくなっている、と思います。
テープ→テープ、ダビングのテープ。
いちばんよく聴いたのは高校生の頃だったな。

いま「孤立無援の歌」というのを聴いてます。Youtubeは便利ですね。
孤立無援といえば言わずと知れた高橋和巳・・・。

さっきぐぐったら、中島みゆきさんと生まれ年が同じ。
あぁ・・・・・・。

とても素面じゃ聴けない感じもする。
今って、こういう感じの歌ってあるんだろうか?

唐突ですがまたナイロン縫ってます。

 これは何でしょう

答えはまたいつか。
出来上がったらね。

今日は晴れる予報で朝から洗濯もしたのに結局曇りで、昼ごろからは雨→雷→大雨になりました。我が家では雹は降りませんでしたが、近隣あちこち降ったみたいです。
連休過ぎたらもう地上波がほとんど映らなくなってきて、天気予報もなかなか見られません。ネットで見ればいいのだけど。
ではまた

(追記)
書くのを忘れましたが、ラスト・ワルツは森田童子さんの曲。いちばん有名なのはたぶん「ぼくたちの失敗」(1980年代にテレビドラマの主題歌になってリバイバルした)だと思う。私は前にも書いた記憶がありますが、耳を聾するような蝉の声のフェイドアウトからこのラスト・ワルツが始まるところの印象がものすごく強くてですね。「アン・ドゥ・トロワ アン・ドゥ・トロワ」という繰り返しを聴いている内にすーっとゆっくりと・・・・・・(どうなるかは各自違うと思うので)

ナイロンを縫う

初めてナイロンを縫ってみました。だいぶ前にアメリカから個人輸入したナイロン生地、ザック袋を作ろうと思ったら微妙に足りなかったので、練習に小さなサコッシュみたいなものを作ってみることに。

市販品の形を真似たので画像はなしで^^;
ただ真似たんじゃあまりに芸がないので、内布をつけて、間にウレタンのうす~いのを挟み込んで、クッション性のあるものを作ってみた。カメラとか入れられる。
ナイロン生地の感じは縫ってみてよくわかりました。
意外に伸びる気がする。
あと、シワる。
おもしろいです。
これで次は、大物を作るつもり。

気持ちが落ち着いていない時には、売るものを作らないほうがいいと思うので、自分のものというか練習というか。
もともとそういう性格だったかもしれませんが、特にこのところは、いつもと違う状況になった時に動揺する度合いが大きい気がします。周囲の景色が目には入っているけど、まったく見ていない、把握できないというか。

まぁ、ぼちぼち。

 

 東京まちなか超低山 中村みつを(画伯)

3月に出た本なのに今頃・・・。
実は2月にお知らせのメールを頂いていたのに、それがこの1年ほどは完全に放置しているメールアドレスだったために、気付かなかったという大失態。
ヤフーのメール、もうとんでもないスパムの嵐で・・・。ほったらかしているのです、いま使っているアドレスに皆さん誘導したつもりが漏れてしまって。
はー。注意力欠如ですね。
こちらの本、アマゾンだと妙に高い値段がついているので、他の普通の書店などのほうがいいと思います。私も他を探します。
たまーにテレビなどで、「山」とついているけど実は標高10mのただの土盛り、みたいなのを見たことがありますが、そういう「山」を巡る本。東京に住んでいたら、いろいろ歩いてみたら楽しそう♪ 真夏はきついですが。

昨日書いた昔ご近所だった編集者さん。私よりも一回りちょっと上だったかな。私が30前だったから、彼は40代半ばだったかと。
自宅兼事務所のマンションに伺う度に、片付けろ片付けろとそりゃぁもう説教をしてまして私。片付いていないからものがなくなるし、仕事だって捗らないし、だぶって受けちゃうし、結果的に自爆するのだと、説教しながら片付けました。特に切り出したポジフィルムをなくした時なんかはもう、わたくし烈火のごとく怒りまして、自転車ですっ飛んで行って余計部屋をぐちゃぐちゃにしながら探したもんですわ。見つかったからほんとよかったけど。

実は亡くなったカメラマン氏と行った雨季のジョムソン街道の写真を見てみたくて探したら、残ポジはあったんだけど肝心の切り出したほうがない・・・。おかしい。どこに行ったのか・・・。
今の私の仕事場や頭の中を見たら、「あの頃の俺のほうがましだろ」と言われそうです。
いや、さすがにね、ミシンとアイロン台と裁断台は何とかちゃんと常に救出された状態なのですが、要するにその周囲が、崖から落ちたもので埋まってたりする。
Suicaも見つからないし、ほんといつかちゃんと大掃除しなきゃです。

台風はもう通り過ぎたのかな、軽井沢は一日しとしとと降っていましたが、さして風も強くなりませんでした。
ではまたです

東京とんぼ返り


祖師ヶ谷大蔵駅 昔の面影はなく、ひとり浦島太郎になる

往復JRバスで新宿バスタ着発。
20と数年ぶりに小田急線に乗り、祖師ヶ谷大蔵駅へ。生まれ育った成城の隣の駅で、ここまでは中学の学区だったし近いし、当時の行動範囲の中でした。
降り立った祖師ヶ谷大蔵は高架駅になっており、昔の面影は少なくとも駅舎には全くない。商店街をちょろっと歩いてみたけど、チェーンの飲食店に飲み込まれた感じがすごくした。地方だけでなく都市部も、チェーン店でなければ生き残りが難しいんだなと(もちろん普通の店もあったけど・・・)。よく通ったはずの図書館にも行ってみたけど、ぜんぜん見覚えがなかった。移転する前の図書館の記憶が(子供時代だったから)強すぎるのかな。

昔。
25年くらい前、私がまだそのあたりに住んでいた頃に一緒に仕事をしていたカメラマンが亡くなって、昨日はお通夜でした。
自宅が近かったこともあり、当時は「小田急ライン」とか勝手に呼んでいた「仕事つながり」がありました。祖師谷に彼。成城に私。狛江に編集者。それぞれフリーで。でも私は半人前で。いつも仕事を回してもらっては一緒にやらせてもらっていた関係でした。
亡くなった方とは国内でも山やスキー場の取材に何度か。
そしてネパールに1度、取材で行きました。
今にして思えば、彼にとってはそのネパール行きはかなり気合を入れた何かであったのだろうなと。転機というか。仕事の枠を広げるとか。そんな取材だったのではなかったかと思います。
残念ながらその取材は日の目を見ることがありませんでした。約束していた雑誌の休刊が決まり、最終号までのスケジュールに割り込む余地がなかった。
私にとってはもう何度も入っていたネパールであり、その仕事がポシャっても「うーんしょうがないか・・・」ですませてしまったけれど、彼にとっては本当に残念だったのではなかったかな。私にもっと力があれば、何とかできたかもしれないけれど、できなかった。

当時の出版関係者がたくさんみえているだろうな、会いたくない人もいるなと思いながら会場に着くと、真っ先に目に飛び込んできたのが狛江の編集者さんでした。その隣にはみつを画伯。よかったほっとしました。
ところが編集者N氏はチノパンにポロシャツにスニーカーという、通夜らしからぬ服装。山岳関係者はちょっとTPO外した人が多い(人のことは言えませんが)けど、それにしてもどうしたんだろう。まだ山の仕事をしていて、その帰り? と思って訊いてみたら、足に障害を負われて、歩行もままならないと知らされました。
ほんとうに驚きました。
もちろんお互いに年を取り、顔だって多少は変わっているけれども、声も話す内容も昔と何も変わらないのに。

会場を辞した後、N氏を車で送っていくという画伯に誘われて祖師谷まで送っていただくことに。ところが一方通行だらけで道に迷い、結局、成城に向かうことに。母校砧中学の横から駅まで、思わぬ道行きとなり、もう二度と行くことはないと思っていた成城の駅に。ここも高架になっていて、ほんと別の町。

東京を離れてから、長いこと存在していた境界線を、思いがけない理由で越えた、不思議な一時でした。生まれ育った場所(色々あったので鬼門だった)と、出版という世界(こちらは自分が自然消滅)。越えたとは言っても、一瞬でまたこちらに戻ってきたわけで、そちら側に居場所があるかと言えば当然ない。靴を脱ぐ場所はかろうじて空けてあった、のか、いややっぱりなかったのか、どっちかな。わからない。
年に不足がたくさんある人が亡くなったことと、昔散々生意気を言った、仕事場を片付けろ納期を守れ締め切り当日に泣きを入れてくるな、と本当に言いたいことを言って甘えていた人が大変な状況になっていたことのおどろきで。本当のことではないような気がしてならない。

バスタに着いて、きっぷを買い、椅子を確保し、そうだ会場でもらった封筒には何が入っているのだろうと開けてみたら、ポストカードが3枚。最初のは鳥かペンギンの写真(メガネかけてなくて)、彼はこういう撮影もしていたのかと思いながら次をめくると、見覚えのある写真で思わず「あっ」と声を出してしまいました。
彼と行った雨季のネパール、アンナプルナ西側のジョムソン街道で、聖地巡礼に向かうインド人の行者たちが、黒いこうもり傘をさして立っている写真でした。オレンジ色の衣をまとった行者たちは照れたように笑っていたり、軽く片手を上げていたり。一緒にいた私には撮れない、彼だから撮れた写真でした。

合掌