あれから1か月

放射線が終わってほぼ1か月。
色んなことが解禁される時期になりまして。
一応、お酒や温泉、岩盤浴などは、治療終了後1か月は自粛するよう言われました。いろんな病院のHPなど見ても、1か月というのは一つの区切りのようです。

ということで、祝・解禁! (何をだ)

告知から4か月と少し。もやもやが始まった4月の終わりからは半年。
ようやく色んなことが一段落したなと(思っていいのかな)。
とはいえこれからもずっと、定期的に病院に行って診察を受けたり検査を受けたりはしなくてはならず、その度に「再発してるのでは」「転移してるのでは」と不安になるだろうし、なかなか「一段落」とはならないのかなとも思いますが。それがこの病気なんだと思います。

とまれ、標準治療が終わり、色んなことをもう普通にできるようになったことを、喜びたいし感謝したいと思います。

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木曜に山に登って下りてきたら、翌日からすごい筋肉痛で(^^; 金・土はロボット歩きになってました。この山に登ってこんなに筋肉痛になったことはなく、自分ではもうちょっと回復しているかと思ったけど、実はまだまだだった……。今日はようやく普通に歩けるようになり、近くの美容院に行き、散歩にも行きました。
美容院ではご近所で起きている様々な事象(!)を色々と聞けて楽しい。ウチはほんとに陸の孤島みたいで、別荘と定住が混在するエリアにいて、最近は引っ越しの挨拶なんかもないことが普通なので、近所のことをまったく知らずに暮らしています。何も変わらずに流れているように見えていても、実は「え、住人が変わったんだ?」とか、「え、あそこって老人ホームだったの?」とか、ほんといろいろあって面白い。

夕方、天皇賞を見ていたら、ノーマークの馬が大逃げして「このまま行くんじゃないの?」と思わず興奮しちゃいましたが、最後の最後に1番人気に鼻先刺されて、でも2着だったみたい。いや~あのまま勝たせたかった。
日本シリーズは、まだ結果が出ない。

ではまた~

石尊山登ったり

昨日、裏山の石尊山に登ってみた。
標高1667、麓との標高差は650あまり。そんなに大変な山ではない、なんせ浅間山の中腹にぽこっと寄生したような山だ。

 2番目の林道との合流点

 落ち葉が散り敷いた道を歩く

 だいぶ登っておはぐろ池

珍しく1組の登山者がいた。前後して山頂まで。
登っている時に上から下りてきたのは3人だけだった。帰路は誰とも会っていない。

 カラマツが色づいた浅間山

 冠雪した蓼科山(かな)

 清流だったらねぇ

 なめこみたいなキノコ

朝は快晴だったのに、登っている間に曇って来て、全体的に暗い感じの写真になってしまった。天気予報は晴れだったのに……。

因みにこの周辺はまだキノコの放射線量が高いので、採集も食べることもしないほうがいいと思うが、取りに来る人は後を絶たない。

覚え1つ。
下山時、三分の二ほど下った辺りから、左腕のしびれと痛みが出てきた。これは翌日も続いている。
もうずいぶんよくなったと思っていたが、やはり手術&放射線は何かしら悪影響を残しているらしい。
リンパを取った人によく出る症状に近いような気がする。私はリンパは取っていないが、生検はしているし、手術の傷も脇に大きいのがあるから、そういう関係かな。
因みに背負っていたディパックは2キロもないくらいだと思うし、下山の時に使うストックも右手にしか持たなかった。
焦らずに、ですな。

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今日は夫が柿と大根を収穫。大根葉を保存しようと茹で始めたところで、知人から留守電が入っていることに気付き、電話してみたら近くにいらっしゃるとのこと。急遽作業を中断して片付け! 片付け! 片付け!
今日は72でゴルフをされて来たとのこと。快晴でよかったと思う。短時間だったけれどお会いできてよかった、病気のこともご報告していたので、元気な顔を見せられてよかったと思う。
「お酒は飲んでるの?」
「いえ、一応放射線から1か月は自粛していて、今週自粛明けです」
「あ、そう♪」
またお酒のお相伴もできたらなと思う(ついていけない大酒豪さんだけど)。

覚え2
電力会社を変更した。今使っているのはループ電気という所だが、何やら大仰な文書が届き、読むのもめんどくさいがたぶん値上げだろうとちょっとググったら、10月からものすごく高くなっているらしかった。調べたらたしかに、9月分で270kwなのに1万円を超えていて驚いた。何でも何とか調整額とかいうのが、ループ電気は中電の3倍近くなっており、それが原因らしかった。しかも12月からは市場価格連動性のようなことになり、上限がわからなくなるみたいなので、変えるしかない。
いろいろ調べたがよくわからない&どうせすぐにどこも値上げラッシュだろうと思うので、いったん中電に戻すことにして手続きした。これがまた! 煩雑だわサイト壊れてるわで散々時間がかかった。何とかできたけど。
ループ電気を使っている方は要確認です。

そんなこんな。ではまた

 

浅間山に初雪

だそうな。私は見ていないけれど友人のSNSで知った。
もう最低気温は氷点下も当たり前になってきて、紅葉もどんどん進む。落葉も同じ勢いで進んでいるので、林が少しずつスカスカになってきた。近くの林道を歩いていると、夏の間は殆ど見えないわが家が、ちらちらと見えるようになって「もう秋も後半戦」と思う。

先日書いた「中国の旅1日500円」の続きだが、当時の中国元のレートは35円くらいだったと記憶している。その頃は外貨兌換券というものが存在し、そのレート。外国人はまず外貨を外貨兌換券に換えて、それを闇で人民元に換えた。その闇レートの人民元が25~28円くらいだった。
現在の人民元は20円台半ばから後半くらい。当時よりも若干円が強くなっている。
ただし物価は……。10倍以上になったので、今では1日5千円でも難しいのではないかと思う。まぁもちろん当時は「その街でいちばん安い宿に泊まる」のが旅人の使命みたいなところがあったし、そもそも外国人が泊まれる宿はごく限られており、皆が貧乏旅行者まっしぐらにならざるを得なかったという側面もある。その頃だってそこそこの宿はそこそこの値段だったのかもしれない(よく知らない)。

このところやったこと。
新しく購入したPCをモニターにつないで初期動作の確認。確認しただけでまだ何もしていないに等しい。メインの中身をコピーしたり、必要なソフトをダウンロードして入れたり、しなければならないけど、まぁもうちょっと先でいいか。

端切れの整理を続けている。インドネシアの更紗がほぼ終わった。インドの更紗は量が多いので先延ばしにする予定。どのみち夏物になるわけだし。むしろタイの手織りなんかを整理しようかな……。

昨日は佐久平の南側に新しくできたショッピングモールに行ってみた。カインズがここに移転したので猫エサなどを買いに。隣にワークマン女子なる店が出来ていたので、寄ってみた。好きそうなものばかりで参る・笑

保険金の請求をし忘れていたので昨日郵送した。

ずっとさぼっているアップ作業を2点だけ本日。サイズなんかをメモした紙がどこかに消えたので、残りはまた計り直してから。

 
こんなのを上げた。パンツはかなり昔に作ってそのままにしていたもの。かばんは最近作った。

そんなこんなで寒い毎日。ではまた

端切れの整理

とにかくちょっと見てみようと工房に入り、端切れケースをチェック。
20年くらいこの仕事をしているので、色々な時期に整理してはプラのケースに畳んで並べているものもある。新しい端切れはそのまま箱に放り込んでいる。後から後から放り込むのでしわくちゃになっている。素材も分けていないので一緒くただ。

ざっくりと分けると、
・インドネシアの更紗(バティック)
・インドの木版更紗
・インドのカディ
・タイ、ラオスの手織り布
・タイの汎用布
・中国の土布
・ミャンマーのロンジ―
・国産布
・自分で染めた布
のようになる。
それぞれの中でさらに、大きな四角、接げばスカートになる程度の長さのある四角、中くらいの四角、小さい四角、5センチまたは4センチの短冊、に分ける。
分けると言っても四角の状態であることは稀なので、不定形の布から四角を切り出す作業が必要で、そのためにはまずアイロンをかけることから始まる。一見したところ四角に整えた後のように見える畳まれた布も、開いてみると不定形であることが多く、仕事は際限なく増えてしまう。

今日はインドネシアの更紗に挑戦してみたんだけど、疲れて疲れて全然終わらんわこれ。
私はネズミやリスみたいにあちこちに端切れを忍び込ませているので、「そうそうあそこにもまだ」「大袋がどこかにあるはず」となる。

冬の間に神奈川でのんびりやろうとも思っていたのだが、案外スペースが必要だし、アイロンもアイロン台も要る。そういうのを運ぶのも面倒かなと思ったり。
今年は新作を作ることよりも、こういう整理に残りの時間を当てようかと考えている。ものすごいチマチマ組を冬の間の仕事にしようかな(ほんとに小さい端切れの群れもありまして)。

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円ドルが151円台半ばまで進んだのを昨夜見た。32年ぶりだとか。
1990年頃とすると、私が旅を始めて2年後、最もあちこち出かけては3か月~、2か月~、とほっつき歩いていた頃だ。その頃の円ドルは150円くらいだったのか。
アジアへの旅だったのでドルに換えることはまずなく、常に円のT/Cを持っていたから、さほど円ドルのレートについて考えることはなかった。当時のアジアは全体的に物価が安く、円との交換率がどうであれとにかく安く旅行ができた。今でも覚えているが、当時の「地球の歩き方・中国」の表紙には、1日500円以内で旅をする、と謳われていた。実際それは可能で、場合によっては100~200円で暮らせる日もあった。
1993年の初夏頃だったと思うが、NHKのラジオに呼ばれて旅の話をしたことがある。じわじわと円高に向かっていた頃だ。円高について話を振られたので「旅をする者にとってはありがたい」と言ったところ、広島のリスナ―様(!)から怒りの電凸があったそうな。おそらくマツダの関係者だろう。まさかそのリスナー様も、その後円高が80円まで進むとは考えもしなかっただろうなと思う。

そうしたら深夜に介入があったらしく、今朝は147円台後半になっていた。どっちにしても数円の違いでは殆ど何の変化もないけど。

ウクライナでの戦争は泥沼化しているし、中国ではしーさん個人崇拝絶賛推進中だし、世界はこれからどうなっていくのだろう。コロナ前の状態に戻る日はあるのだろうか。円ドル110円、ガソリン120円、バンコクへのLCCが2万円、そんな日がまた来るのかどうなのか、神のみぞ知ることだけど、自分もとにかくこの変化し続ける歴史の中で生きているんだな、と思う。

今ニュースを見たら、李克強首相が退陣(クビ)、それが発表される直前に胡錦涛が党大会の会場から連れ出された、とあった。なるほど本当にしーさんは皇帝になるんだなと思った。権力の座に座るものは誰も同じだが、イエスマン以外は全て切っていく。毛沢東の時代から何も変わらない。どれほど血塗られた椅子なんだろう。くわばらくわばら。

ではまた

 

 

トンネルを抜けても

まだ雪国ではない。10月下旬だから当たり前。
新潟の石打という町に行ってきた。昔は町だったが、今は市の一部になっていると思う。米の一大産地で、私にとっては父の会社が経営していたスキー場のあった場所。学生の頃にスキー旅館のアルバイトで住み込んでいたこともあり、思い出深い場所だ。
もちろん住み込んでいた頃からも40年近い歳月が、そして父に連れられ大きなリュックを背負って石打駅から旅館まで歩いた頃からは50年の月日が経っている。その頃はまだ上越新幹線がなく、赤羽から在来線に乗っていた。自分で書きながらびっくりするなぁ、50年か……。
その会社はなんだかよくわからない間に人手に渡ってしまい、住み込んでいた旅館もとうになくなり廃墟となっている。その意味ではほろ苦い思いもある場所だ。

 見えているのは谷川岳ではないけど(^^;
標高が高い上の方は紅葉が進んでいる。

ここ何年か続けて出かけているが、目当てはコシヒカリの新米。
そんなものネットでも買えるんだけど、今一つ信頼性に欠けるので、出かけてスキー旅館の近くにあった地元の旅館民宿御用達のスーパーで今年は買った。このスーパーには当時行ったことがある。女将さんか旦那さんの車に乗って、荷物持ちとして連れて行ってもらった。
それから酒屋に寄ってお土産の地酒を選んだのだが、久保田がない。2~3軒行ってみたがない。久保田ってあのあたりの地酒ではなかったのかな。今調べたら長岡の酒造会社が作っているものだった。
旅館の厨房のシンク下には必ず久保田と八海山の一升瓶が置いてあり、いつ飲んでもいいようになっていた。そんなに飲んだわけではないけど(^^; 懐かしいな、もう鬼籍に入られた人も多いと思うが、一緒に働いていた人たちのことをちょっと思い出したりする。みんなお酒はめっぽう強かった。

帰りは17号を普通に走っていたつもりが湯沢ICの案内看板を見落とし、つまり高速に乗り損ね、そのまま苗場の辺りを通ってあちゃこちゃナビの通りに走って軽井沢の北に出た。友だちが働いている場所があり、ものすごく久しぶりだし病気になって心配をかけたので、顔だけ見に(見せに)寄った。友人も元気そうでよかった♪

中軽のツルヤに寄って帰宅。
今回はまだ温泉にも入れないので日帰りだった。

今日は昼頃に林道の散歩、午後は自転車に乗った。朝から快晴で清々しい。デッキで日を浴びていると、ヒマラヤのどこかにいるような気がしたりする。最もよくヒマラヤを歩いていた頃は、暖を取るために火が焚かれることはまだなくて、日が暮れれば寝て、夜が明けたら起きるのが当たり前だった。太陽は暖かいもの、暖を取るもの、でもあった。

 マイ自転車
20インチの折りたたみ。
今日はママチャリに抜かれてびっくりしたが、電動機付だった、ほっ(^^;

モニターが届いたのでPCをつなげてみなければ。
ではまた

今日の最低気温はなんと-1.6℃だったそうな。どうりで畑の雑草が霜げていたわけだ。

受注品の縫製など

日曜からかかっていた受注品の縫製、今日の夕方で完成。
タックのあるワンピース、ジャワの更紗で作った。
秋らしい、夕焼けのような、柿のような色。模様が割と細かくてうるさいかと思ったが、広げて見た時に「おやイケるかも」と思った直感が当たりで、お客さんにお勧めしたんだけど、かわいいものができたと思う(自画自賛)。

このワンピースのために生地探しをしていて、インドネシア行きたい! となったというわけでございます。

午後早めの時間に散歩。林道一周4000歩コース。
その後曇って寒くなってきた。

**

 小田雅久仁

図書館で手に取った時に「うーん、またどうせ読めないだろうけど」と迷いつつもまぁ借りてみるかと借りた本。初めての作家。本屋大賞ノミネートだったと思う。珍しく帯が貼られていない本で、純文学なのかどうかもよくわからず。
3つの作品が収められている。1つは短篇、残る2つは中編。最初の短篇を読み始めてすぐに、これは好きな文体だと思った。ホラーなのか、SFなのか、そんな感じに思った。2つ目はよくわからないなりに面白く読んだ。3つ目の表題作が圧巻だった。すごいものを読んでしまったという感覚を持った。
表題作は広義ではファンタジーなんだろうと思って裏表紙を見たら、ファンタジーノベル大賞を取った人だった(これではない)。なるほどと思った。
☆4.5 恒川光太郎を見つけた時と同じような。久々に静かに興奮した

3作とも月をテーマにした小説。月って確かにミステリアスな雰囲気なので、あっけらかんとした太陽よりも歌や小説によく出てくる。みゆきさんの歌にもよく出てくる。
この本、アマゾンのレビューだとかなり酷評もあって、嘘だろと思った。
お前の読書力が低レベルすぎるのだ、と言っておこう(笑)。
もちろん小説には好き嫌いがあるから、好きじゃない、はありだと思うけど、文章が小学生レベルとか、いくら何でもそれはない。

それと、今から読む人もいると思うので詳しくは書かないけれど、表題作に出てくる設定(政治的な部分というか人物というか)が、日本のここ数年に似ている点があり、予言的な部分もあって少々鳥肌が立った。出版は2021年だから知りようのないことで、ほんとにそれはちょっと驚いた。

ではまた

午後から雨

午前中に林道の散歩、4000歩くらいだと思う。西湘で団地から近い方のスーパーに行って帰るとこのくらいの歩数になる。遠いスーパーだとこの倍くらいかな。体調に無理がなければせっせと歩くことにしている。だんだん寒くなる……。

病院に頼んでいた診断書が今日届いた。やっと保険金が請求できる。
いや全然たいした額じゃないけど、ないよりはいい。長いこと払ってきて、今回初めて使った。
放射線治療は医療費もそうだけど病院までの交通費もバカにならない。そこのところが通勤定期とかで手当てされている場合を除き、公共交通機関もガソリン代もほんと毎日積み重なるから大変だ。この部分は残念ながら保険ではどうにもならないので、あらかじめたくさん出る保険に入っているしかないのかな。
それでも日本は恵まれているとつくづく思う。収入に応じて医療費の限度額が決まっているなんて、他国では理解されないんじゃないかと。
ただこれも、無節操に使われてしまうと困るわけで。

数日前にPCが届いた。団地用にノートにするか迷ったけれども使い慣れているデスクトップ。とはいえものすごく小さくて驚いた。価格はさすがに大分上がってきている感じで6万弱。中身に初めてAMDのRYZEN5とかいうのを選んでみた。多分ずっとIntelだったと思う。
その時点でそこそこまともなPCが2万円台で買えた時期もあった。10数万出さなきゃ買えない時期もあった。ワープロから数えれば100万なんかじゃ全然足りないくらいこれらの機械に注ぎ込んでいるが、はてさて元は取っているのだろうか……笑

で、初期不良のチェックをしておくかと梱包を開けてみたら、おいおい、D-subのポートがないではないか。PCの進化はまだ続いており、モニターとつなぐポートが今ではHDMIとかそういう小さいやつになっているのね。
サブの液晶につないでチェックしようとしたが、これがD-subしかなくて、つなげない。メインのモニターはたぶんつなげられるけど、今使ってるPCも動かしながらじゃないと何かあった時に検索とかできないし。
アダプタを買うか考えたが、モニターを買うことに。向こうに行く度にモニターを持って移動するのもめんどくさいし。画像を編集するときなど、サブのモニターはある方が便利なので軽井沢の今の状態は崩したくない。それと現行のPCには骨董品レベルの親指シフトキーボードがつないであり、モニタも含めて極力どこも触りたくない。触ると何かが起きそうで、起きたらもう対処できないと思うので。
モニターはまだまだ安いな、と思った。

MLBのポストシーズンが盛り上がっていて、時々見るが楽しい。まさかドジャースが敗退するとは! ヤンキースもまだ決まっていないが危ない。順当に力の差を見せつけたのはアストロズだけだという不思議なことになっている。これがポストシーズンってやつなのね、と思う。野球はおもしろい。

ではまた

晴れのち曇り

午前中は晴れて気温も上がり、外にいても気持ちのいい空気だったが、午後になると曇って寒くなってきた。今週は一気に気温が下がり、半ばには0℃の長期予報が出ている。もう冬か……。

昨日からかかり始めたものの続き。粗織りの生地は縫っているそばからどんどん崩壊していくので、最初にロックしてしまわないとえらいことになる。ループや肩紐を作ったり。
この冬は、神奈川の団地に端切れを持って行き、整理しようかと考え中。ミシンを持ち込むのはちょっとな~、と思うので、端切れを整形することくらいならできるかなと。整形もそうだけど、次に何かになる形、に整えていければ。接ぎ合せはロックミシンでやることが多いので、こちらでの仕事になる。
何しろ端切れがすごい。おそろしいことになっている。

夜、母方の伯母から久しぶりに電話。母方の兄弟と伴侶たちの中で生きているのはもうこの人だけになってしまった。(あ、もう一人の弟の元のお嫁さんは存命かもしれない、完全に疎遠になっているので知らないのだが)
母の心配の電話だったが、伯母も今年交通事故に遭い、何か月も入院していたとのこと。私が入院して退院して、という時期に伯母は長期入院中だったらしい。何でも歩道を歩いていたら意識を失った運転手の車が突っ込んできたと……。ニュースで時々目にするが、まさか身内がそんな事故に巻き込まれていたなんて。少しずれていたら即死だったと医師に言われたそうだ。
今は杖なしで歩けるところまで回復しているとのことで、安心した。もともとアクティブな人なので、回復はとても速かったそう。
それにしても驚いた。
私の兄も心臓に何やら見つかってカテーテルの手術をしたり、先日は網膜剥離? でやはり手術を受けたそうだ。今年は家系的に何か起きる年だったのかな。

国民年金の納付期間が5年延長されることにどうやらなりそうな。はぁ~、あと3年ほどでようやく逃れられると思っていたのに、人生設計狂うわ!
というか年金制度は根本から見直さないとどうしようもないんじゃないかと。3号問題とか、免除制度とか、生活保護との格差とか、問題がありすぎる。
頭のいい人は年金なんか払わない、というのは私が若い頃既にそういうことが巷間で言われていたわけだけど。私は頭のよしあしはともかくとして(まー悪いが)、そういう賢さはよしとしなかったな、そこは禿は愚かでおるのがよかろう♪、ってことで。
愚かな禿って、簡単に言えば凡夫ということかなと思っていたが、親鸞! に因んだ言葉だったのだと今知った。「愚禿親鸞」と自ら名乗っていたんだって。他にも坊さんが自分を謙遜して言う言葉でもあるらしい。ま、ハゲてるから? ハゲてない坊さんも最近は多いけど・笑

愚かな禿、は中島みゆきの夜会「今晩屋」で歌われた曲、CDとかには入っていない。

ではまた

検診へ

午前中昨日の続きの縫製仕事を少し。
1点出来上がった。
縫製はおもしろい。好きなので趣味のようなものなのかもしれない。好きなことを仕事にしてはいけないと昔教わったことがある気がするが……(^^;
でもまぁもっと好きだったのはたぶん書くことだったので、これはこれでいいのではないかと思う今日この頃。

軽井沢は林の中の低木群は既に紅葉というか黄化、落葉している。桜系は早いのでとっくの昔に丸裸になった。日もどんどん短くなり、私にとっては辛い季節なのだが、今年はなぜかそんなでもない。はるかにびっくりするようなことが春から夏にかけて起きたせいかもしれない。体内時計が狂った?

午後は町の病院に行って、子宮頸がんの検診を受けてきた。実はコロナ禍になってからさぼっていた(^^; ダメだな~。何となくこっちは平気なんじゃ?(リスクが高いのは乳がんかと)と思ってしまっていたけど、ダブルキャンサー、トリプルキャンサーも多いと聞くと(癌の掲示板みたいなところで)やはりやっておかなければと思った。
どこも同じかもしれないが、町の病院だと内診とエコーも同時にやってくれるので、「ちゃんと検診を受けたぞ」という気分になる。内診&エコーの所見は特に悪いものはなさそうだった。結果は2か月ほど先になるとのこと。

大きな病気をしたので、問診票にもそのことは書かなければいけない。隠す理由もないし。ドクターからは現在の治療について質問があったが、放射線まで終わって現在は無治療の経過観察中と伝える。薬も何ものんでいないし。あと半月ほどで私はもう普通の人になるんだもんね(既に普通だけど!)。
それでももちろん、一般の人よりはリスクが高いと思うので、検診をさぼらずにちゃんと受けようと思った。

帰りに中軽のツルヤに寄ったら、レジに4~5人ずつ並んでいるという、軽井沢町民にとっては「劇混み」状態だった。行楽っぽい感じの人が多い。複数人でキャッキャと買い物をしているのですぐにわかる。そうか今日は金曜日だったと気がついた。何たらいう旅行の何やらが始まったらしいし、少しずつ元に戻っていくなぁと実感。でも混んでいるツルヤは嫌い・笑 普段は御代田に行くのでそんなにいかにもいかにも的な行楽&別荘族は多くない。

戻ってから自転車に乗りに行った。6キロ半くらい走った。いや~自転車楽しいな! やっぱり車じゃないと出かけられない、ということも自分にとっては閉塞感につながる要素の1つだったのではないかとあらためて思った。かといって自分の車であちこち遊びに行くようなアクティブさは自分にはなくて。
アクティブといえば今はインドネシアの地図で頭がいっぱいだ。最初に行くのはインドかなと漠然と思っていたが、今はネシアに傾いている。インドの生地はどんどん薄くなっていて私には使いづらい。ネシアの生地は基本的用途は彼らのサロン(巻きスカート? 男性も着用する)なので、もちろん安くて薄いものもたくさんあるが、比較的厚手のものもまだある(はずだ、少なくとも2018年の時点ではまだあった)。そんなわけでネシア。来年だけど。

そんなこんな。ではまた

ようやく

長かったコロナ禍もようやく収束に向かいそうな空気になってきた。
海外からの入国者数の上限が撤廃され、個人旅行者も入国できるようになった。何もなければ隔離されることもなく、ワクチンの接種証明があれば、それもなければPCR陰性でOK。
台湾からの便がほぼ満席で飛んだとニュースでやっていた。
よかった……。ようやくここまで来た。

私はインバウンドにはまったく関係ない職業だが、それでもこれにより国全体の経済が活気付けば、いつかは私にも恩恵が……(?)。それはともかく、この円安状態もインバウンドには追い風。どうせ個人の思惑など関係なく為替は動くのだから、今有利な業種が今潤えばいいのだと思う。
(でもその後は少しは円高に戻ってほしい!)

今日は晴れて暖かくなった。手袋なしで自転車に乗っても大丈夫な程度に。
ミシンを動かしたり、自転車に乗ったり、散歩に行ったり、PC仕事をしたり。
ほぼ手術前と変わらず色々なことが出来るようになっている。
どうやら皮むけもなしで終わりそう。実によかった。あとは時間の経過と共に、痛みが減っていくことを楽しみにしたい。
とはいえ調子に乗らず、当分は低下した免疫力のことを考えながら、疲れないことを第一目標に生活しようと思う。

海外へ出る人も増えていきそうだが、私はもう少し先になりそう。さすがに年内はありえない(いくら私でも一応、やったらいかん気がする(^^; )。
来月下旬に両科とも診察があるので、その時に術後最初の検査の予定が決まると思う。まぁそれをクリアする(クリアしたい)、してから、くらいの感じかな。その頃には航空便も増えて選択肢が多くなっているとありがたい。

ではまた