いろいろと不思議なエボラ

【ニューデリー金子淳】インド紙タイムズ・オブ・インディア(電子版)は6日、インド北東部マニプール州で旅行中の日本人女性(27)がエボラ出血熱の疑 いがあるとして、現地の病院で隔離されたと報じた。血液検査で感染の有無を確認するが、病院関係者は同紙に「今のところエボラ熱の症状はない。検査結果が 陰性ならば隔離は解除される」と話しているという。
報道によると、女性はシンガポール、マレーシア、タイ、ミャンマーを旅行し、数日前に陸路でインド入りしたという。エボラ熱が流行している西アフリカを訪問したとの情報はない。在印日本大使館は「事実関係を調査中」としている。

数日前からインドで邦人女性がエボラの疑いで隔離中とは目にしていましたが、東部マニプール州だったとは。入れないことはないけど、入りにくいエリアだったはず。こりゃまたえらい場所ですな、隔離理由は病気じゃないんじゃ・・・・・・?

さらに不思議なのは。
「シンガポール、マレーシア、タイ、ミャンマーを旅行し、数日前に陸路でインド入り」とあるのだが。
時系列に並べるのが普通と考えれば、シンガポールを出発してどんどん北上して来たのねと思う。そしてミャンマーからインドに入ったのねと思う。
しかし、ミャンマーとインドの間に陸路の越えられる国境は、ないはずだ。
だから猿岩石はそこを飛んだのだ(古すぎる)。

厳密にはないことはない。しかしそれはミャンマー側からは越えられなかったと思う。インドのデリー、コルカタあたりでマニプール州への入域許可を取り、たしか単独ではダメで数人のツアーみたいな形でマニプールに入り、ミャンマーへ抜けることは不可能ではなかったはず。でも逆は無理、マニプールへの入域許可証が取れないから。
その後状況が変わって、たとえばミャンマーのヤンゴンあたりでインド、マニプール州へ入る許可が取れるようになり、陸路通過が可能になったのかもしれないけど・・・・・・。
ささっとぐぐってみたけど、それらしき情報にはぶつからなかった。

しかしだ。
もしもインド東部とミャンマーの陸路国境が開いているのなら・・・・・・。
行ってみたいのぉ~~~~~!

タイ北部から陸路で入って、マンダレーに行って、そこからインパール(マニプール州都)を目指す、的なルートが可能なら行ってみたいな。旧日本軍の愚かなインパール作戦、「白骨街道」を進むことになるのだろうか、だとしたらそれはそれで、手を合わせる気持ちで通ってみたい。

ミャンマーか~。
あ、ウメがこっち見てる(笑)。

ではまた

シミコットから1700km・・・

いつものようにネパール関連の記事をチェックしていたら、面白い情報を見つけました。
イギリス人女性が、西北ネパールのフムラ郡シミコットから、東ネパールのタプレジュンまで、およそ1700キロのヒマラヤ横断トレッキングをするそうです。この秋の話。
シミコットからララ湖を経てジュムラへ。ポクスンド湖からアッパードルポ。ムスタンとマナン。ランタン。ソルクンブ。最後にカンチェンジュンガ・エリア。この全てを踏破するのか、それぞれ歩いては次へ交通機関を使って動くのか、そのへんは私には読解できませんでした・・・(笑)
でもあれか、マナンからランタン、ランタンからソルクンブは、どう考えても距離がありすぎるかな。そうでもないかな、よくわかりません・・・。歩き出して、ノると早いですからねぇ。
元記事はこちらです。
ちょうど今、昔のシミコットから西北ネパールへ入った旅を辿っていたところだったので、アンテナにひっかかりました。何のことかわからない? それはモグリですね、こちらへどうぞ。

旅ぶくろ

この間読んだ『草笛の音次郎』は、若い渡世人の音次郎が、親分の名代として初めて江戸を離れ、旅をしながら成長していくという話でした。
旅立った朝、船の中で役人の検問を受け、道中手形や大金を行李に入れていた音次郎がなかなか取り出せず、要領が悪いと皆から責められて恥をかく、というシーンがあるのですが、昔も今も同じだなーと微笑ましくなりました。
実際、旅をするときに一番気を使うのが、道中手形つまりパスポートとお金の管理ですよね。これをどこに入れてどう持つか、ってのは、かなりの難問です。自分が今日どこに行くか、どんな状況に置かれるか、によっても、それは変わってくるわけです。出入国や飛行機に乗る日なら、パスポートはすぐ出せるところに。銀行に行く日には、ある程度の金額を出しやすいところに。そのときパスポートは必要か? なんてことも含めて。長距離バスに乗る日なら、車内に持ち込む荷物の中に。それも体から離さないところに。すられないところに。
私はズボンのポケットなんつう怖ろしい場所にはとてもとても入れられないタチなので、それはそれは考えます。たいてい、出す予定がなく死守すべき時間が長い条件下では、腹巻にしていることが多いかな。
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でも、たとえば慣れ親しんだタイの地方都市などで、乗り物に乗る予定もなく、あたりをぷらぷらするだけなら、こんな袋に全部突っ込んで歩いたり、もします。もちろん、大量の現金のない時ですけどね。私のコレを奪っても、キャッシュはないですよ、因みに。
これは、プーケットの近くの村で植物染めをやっているおばさんから、仕入れの時に「これは失敗作だからあげる」と貰ったもの。この仕事をしていると、よく「疵物だからあげる」とか「ハンパものだからあげる」とか、あるんです。「水飲んでけ」とか「ごはん食べてきな」なんてことも、よくあります(笑)。
バックパッカーだった時は、お金を使わない旅を当たり前のようにしていました。だからこの仕事を始めたときは、あまりに大金(私にとって)が動くので、鼻血が出そうでした。ありえない額を両替するのも怖かった。旅人のときは、航空券を買うとき以外に、5万以上換えるなんてないですからね。
でも、今の自分は、ある程度お金を使うことは必要だ、と痛感しています。ケチなだけの旅行者は嫌われる・・・。ほんとは持ってるのにただケチなだけの人、「値切り倒す」なんて言葉を平気で使う人、現地でも嫌われてるし、私も嫌いだ・・・。相手はそれで暮らしてる、相手の儲けも必要だ、相手に好かれなければいい関係なんて築けない。言いなりに出せ、ということではなく、相手も自分も納得するラインがある、それを相手側に押し切ったらいかん、ということなんです。もひとつ踏み込むと、そのラインよりちょっと相手が得するところで引いてみる、これなんかもある意味奥義ですよね。これができたらね、たいしたもんだと思います。相手にも好かれるし、バカにもされないしね。
「きれいに金を使え」「きれいに遊んできな」
音次郎はそう教えられて旅立ちます。自分が商売をしているせいか、この言葉は非常に奥が深い、大事なことが含まれている言葉に思えます。旅にも通じますね。
人生、学ぶことだらけですな・・・。
明日は雨模様の涼しい日になりそうです。

17回目の登頂おめでとうございます

何の話かと思われるでしょうが、
ネパールの山岳民族シェルパを代表する登山家のアパ・シェルパ氏(47)が、16日現地時間の朝、エベレストに17回目の登頂を成功させたそうです。
詳細はこちら(英文)。
17回というのは、もちろん世界ナンバーワン。
うち4回は酸素なし(英文を私がぱぱっと読んだ限りで、です。間違ってるかもしれません、ご指摘ください)。
なんにしてもすごい人ですね。
実を言うと、私が今か今かと登頂のニュースを待っているのは、アパさんじゃなくて(失礼だな)、アンリタさんのほう。別のチームで登頂を目指しているはずなんですが、どうしたかな、登れたかな。
アンリタさんは現在11回の登頂記録を持っていますが、彼のすごいところは、全部が酸素なし、というところでしょうか。年齢的にもアパさんよりずっと上。59歳ではないかと(1~2年のズレがあるかも)。
一時は再起不能説、死亡説も流れたアンリタさん。今年の春、チームを率いてエベレストへ向かうというニュースを見たときには、ほんとびっくりしました。ぜひ登ってほしいな。
朗報待ってます。

ネパール航空は全便欠航らしい

気になるネパール航空ですが、
飛んでいた1機がドバイに行ったっきり戻ってこないそうです。
ということで、今日現地を出発して、明日関空に着く予定だった便も
欠航です。
欠航するとどういうふうに振り替えるのでしょうか。
タイ航空でバンコクへ飛んで、そこから何とかして関空。
もしくは何とかして香港へ飛んで、何とかして関空。
もしくは、広州へ飛んで(毎日飛んではいませんが)、そこから関空。
いずれにしても、全ての乗客が予定通りの日に帰国できるのか、わかりません。なんせ日本は連休中ですから。
それにしても、これからどうなるのか、ネパール航空。
気になります。
引き続きウォッチします。

ネパール航空、大丈夫か

今日のネパール航空(旧ロイヤルネパール航空・RA)は、9時間半あまり遅れて、夜8時20分にようやく関空に到着しました。
乗客を入れ替えて荷物を入れ替えて給油して、出発できるのは夜の10時頃でしょうか。上海を経由して、カトマンズ到着は明日の朝。
国際線に使える飛行機が2機しかなく、以前から危険性を指摘されていたこのネパール航空。現在はその2機のうち1機は長期故障中。残る1機が酷使されている状況です。
朝デリーに飛んで、午後デリーから戻り、夕方クアラルンプールに飛んで、翌日クアラルンプールから戻り、またデリーに飛び、戻り、夜には関空へ飛び・・・・・・。
てなことを日常的に繰り返しているのですね。
スケジュール自体はどの飛行機もこんな感じで飛び続けているのかもしれませんが、問題は、代わりの機材がないということ。軽微の故障なら飛ぶ、ということにつながりそうでちょっと心配です。
次の関空路線は5月6日、連休最終日ですね・・・・・・。大幅な遅延や欠航のないことを祈るばかりです。もちろん、安全に飛ぶことと!

ナンパ・ラでチベット難民が銃撃される

報道によると、中国領チベットから国境を越えてネパール側に入ろうとした難民およそ70人が、中国の国境警備隊に銃撃され、うち40人は無事だったらしいのですが、残る30人の安否は不明。
ということのようです。
ナンパ・ラは、来月私が行こうとしているエベレスト街道の、本線とは違いますが、ナムチェバザールから別れて左へ巻いていくルートの、先。「ラ」というのは峠を指しますので、ナンパ峠ということになります。
私が1996年にこのルートをナムチェから1日行程のターメまで行ったとき、折りしもチベットから国境を越えてきたカムバ・チベタンに出会い、言葉を交わしたことがありました。私はチベット語ができないので、悲しくも中国語でしたが・・・。
この旅のとき、ナムチェ・バザールで週1日開かれる定期市に、チベットからよく国境を越えていろんな品物が持ち込まれてきていて、そのためカトマンズよりも安く中国製品が買えるんだ、という話を聞きました。
この銃撃の模様は、どうやら近くの山を登っていた登山隊のメンバーが、目撃したのが第一報だったようです。近くの山、えと、チョ・オユーです。
こういうニュースは、おそらく一般的なメディアでは報道されないのですよね。インターネットの力ってすごいですね。あらためて。
情報はこちらから見て下さい(英文)

とうとう、ラサが北京と結ばれてしまった・・・

本日、青蔵鉄路が営業運転を開始。当分の間、北京~ラサ間は毎日運行。成都・重慶なんかからは隔日運行。北京~ラサは48時間、地獄の硬座で389元だそうです。
ラサはとっくの昔に空港ができて、北京とも成都とも最近では昆明とももっと他にもいろいろな街と結ばれていましたが、鉄路となるとなんせ乗客の数が違いますよね。今までの空路にプラスして、鉄路でも人が流入する。観光客ならまだしも、政治屋、公安関係者、人民解放軍、武装警察、そして移民・・・・・・。
2000年11月に、チベット自治区を訪れた時点で、すでにチベットは完全に乗っ取られた状況に思えました。小さな町に立ち寄って宿に泊まっても、メインストリートはほとんど漢族の店で埋められていました。話をすると、ほとんどが四川省や甘粛省からの移住者でした。ちょっとした「チベッタン・ドリーム」みたいな感じで、移住政策が進められているのでしょう。
1991年、1992年と訪れた時点では、エリアが違うので一概には言えませんが、まだまだチベット族も幅を利かせていました。漢族がチベット族に遠慮して、小さくなっている状況もよく見ました。
2000年には、もうそんな状況はまったくなかった。チベット族が押しやられて、押し込められて、町は漢族のものになってた。
その状況に拍車がかかるわけです。というか、あれからもう5年半、すでに十分拍車がかかった上に、さらに止めの列車が通る。
この列車に乗ってみたいとは、今はとても思わないなぁ。ラサ自体に、自分は再び行きたいとは思いません。せめて91年にラサを訪れることができたことを、喜ぼうと思います。
それでもこの列車に乗ってみたいと思う方も多いでしょう。止めません(笑)。ただし! かなりしんどいはず。私もこのルートを陸路で行きましたが、最初の峠を越えて4500m台に上がった直後、数時間分の記憶がありません。たぶん意識を失っていたんだと思います。気がついて最初の記憶は、隣にいたチベット人の若い女の子が、水のペットボトルを渡してくれて「飲め、飲め」と身振りで言っていたこと。かなり過酷です。事前に心肺機能のチェックは必要かも。
さて。
心配していたトマトですが、今日の午後見たら1株の上半分がぐにゃりと萎れていました。周りは元気なので、こりゃ完全にいかんと思い、さっそく処分。根元のほうから切ったら、真ん中が空洞になっててしかも茶色く変色してました。虫が入った可能性もありかと。ただし、その前に病気にもなってたと思いますが。
ほかの株も、不安要素を抱えています。先端のくるくる病も広がりつつあります。トマトはまじでむずかしいですねぇ。
今日は店の展示替えや、最後の値札付けなどをしていて、予定していたはずのニンジン・キュウリの種まきをすっかり忘れました。明日は雨の予報。蒔けるでしょうか・・・。では。