今年もお疲れさまでした

あっという間にとうとう大晦日。
数日前に「これでもう年末年始は買い物に行かない!」と言いながら買い物したというのに、
さっそく「頭痛薬がない・・・・・・」ということで買い物に。
また、今頃何やってんだと言われそうですが、年賀状の第一陣を投函。
第一陣と第二陣に分かれる理由はありません、上から順番です、毎年遅れてどうもすみません。
何しろ今日の午前中にせっせとイラストを探し、印刷したのです。
宛名印刷のソフトが(住所録も兼ねている)が相変わらず壊れたままで、シェアソフトなのですが修復もされないようなので、困ってますの。


もう使わなくなったイルカ型抱きまくらを与えたら、これまた気に入っちゃってこの抱きつきぶり。

すやすやzzz
1日のほとんどの時間は眠っています。
15歳と3ヶ月くらいかな、元気に年を越せそうです。

今年も1年、お世話になった方も別にならなかった方も(笑)、
この、頭が少しイカれた人のブログを、時々覗いてくれてありがとうございました。
お仕事その他、お疲れさまでした。
来年が皆さんにとって少しでもよい年になりますように。

さぁあと今年の大事な出来事は一つだけ。
中島みゆきさん紅白歌合戦出演!
衣装と化粧が心配です(笑) あと歌詞間違えとね。
あとNHK映るかどうかだ、今んとこ映ってる。

ではまた~

マイナス12℃

今朝はずいぶん冷え込みました。寒の最中ならさほど驚かない気温だけど、一応まだ年内なので、やはり極端に寒いです。
国道を除くとどこを走ってもつるつるの鏡面状態。
特に首都圏からの方は気をつけて走ってください~。

今年ももうあと数日。
と思っていたら、エア・アジア航空機が消息不明に。
今年は東南アジアで2度、墜落事故が起きたことになってしまうのかな。

先週は、親の保険のことやお客さんからの問合せ対応、さらにこたつの天板が反った(笑)など、様々な案件が重なり、
特に個人的なことは大したことじゃないのだけど、何となくわらわらとしてしまいました。
一応、どれもそれなりのところに着地させられたと思います。
特に親の保険がびっくりだった、というか自分の保険も見なおさなきゃと初めて知りました。
自宅を1ヶ月以上留守にすると、火災保険の補償対象から外れる、ことがある、ご存知でした?
まぁ普通は1ヶ月以上留守にするということ自体がないのかもしれないけど、長期出張とか、そういうことはあると思います。
この条項があるのは、たぶんですが、共済系。私は何も知らずにずっと県民共済の保険に入っていたので、次の更新の時によそへ移るつもりです。
知ってよかったというか。
県民共済などの火災保険に入っていて、長期入院して自宅が留守になる場合など、注意が必要です。
1ヶ月以上の時は申告してくれと言われたけど、申告すればいいのではなく、保険から抜けることになるらしいので、ほかへ移らないとダメです。
いや~勉強になりました。

あとひとつ、心配なことがある。年内にも少し詳しく状況がわかればいいのだけど。
ではまた

店の片付け

何となく延ばし延ばしになっていた店の最終片付けをしました。
すべての商品をコンテナボックスに収納し、終了。
自分の縫製したものがたくさんあって、妙にしみじみとしてしまいました。
ずいぶん作ったものだ・・・・・・。
別段アパレル系に興味があったわけでもなく、服やおしゃれに関心が高かったわけでもなく、洋裁学校に行っていたわけでもない。
ここで暮らすために最善の策と思ったので服を作り始めたのでした。
ただ人に言わせると、ミシンでまっすぐ縫えない人もいるんだから私はもともと素養があったと・・・・・・、ほんとかな?
器用貧乏という言葉のほうが合っていそうです。
アジアの地と関わり続けていきたかったし、それにはこうなるくらいしか道がなかった。
また、ただ単にものを右から左へ動かして利益を得るのにはいささか躊躇するものがありました。
私自身、長いこと旅をしていて、アジア雑貨屋さんは嫌いだったから。
だから自分が縫製することで、単なる商いではなく、生産者の側に立ちたいと思ったこともありましたね。
たくさん服を作りました。いま作りたいものは何だろう?

今日の庭
地面が見えているところは除雪してから日が当たったところです。雪は今も30センチほどかな。
こういう雪だらけの景色になるのは1月も半ばになってからが多いので、今年は異例です。
この先、例年通り降り続けていくと、えらいことになりそうです。

眠るウメ
私の低反発枕が大のお気に入りで、今やすっかりウメのためにあるようなフィットぶり。
私には合わなかったので、こうして活用できてよかったです。

高校時代にお世話になった先生が、授業で使った現代詩のプリントを送ってくれました。
昔、谷川俊太郎や工藤直子、石垣りんなどの詩集をよく読み、感想を話し合ったりした先生です。
もう少し生意気になってからは、中原中也やランボオなんかも読んだけど、正直私は読んだだけでさっぱり理解できませんでしたw
今では詩を読む人が少なくなり、詩が話題に上ることもなくなった、とありました。
私も長いこと詩を読んでいないなぁと思いました。

親しくしていただいている方から、クリスマス・リースをいただきました
毎年いただいて、年内からお正月くらいまで玄関に飾り、その後はけっこう日が当たる場所なので玄関の中に飾っています。
いつもありがとうございます!
無粋な家がちょっとかっこよくなります。この場所だけですが!

1日早いですが明日書くかどうかわからないので、みなさまにメリークリスマス!
ではまた

早い

一昨日の夜、夫のパソコンが壊れた。
ハードディスクに問題があるようで、いろいろ調べて復旧を試みたけれども出来ず。こういう壊れ方は初めての体験だったので、手強かった。
で、昨日は私の古いノートパソコンを使ってもらってたのだけど、なんせあのVistaである。
「捨て子」ちゃんである。
メモリもたいして使っていないのにもさもさもさもさ動いてイライラする! と、私も先日東京出張の折に感じていたとおり。

で、直せるかもしれないけど、時間もかかるしいろいろ大変で直らないかもしれないし、ってんで、新しいパソコンを注文しました。
ついでに、私のモニタがちょっと・・・、なので、こちらも別の所に注文しました。
注文したのは両方とも昨日の昼間で、モニターは今朝、パソコンも今日の午後には届きました。
早い。びっくり。
もうパソコンも使えるようになり、モニタも接続して、調製などして使っているところです。

しかし、ワイドって、本当に横に細長いんですね~。
この横幅って、なぜ必要なんだろうか?
今まで私はワイドではない、割と正方形に近いものを使っていたので、余計にこの横幅が気になる。慣れるだろうけど。
こんだけ横幅があるなら、もう少し高さもあればバランス取れそうなもんだけど、この縦横バランスはいったい何用なんだろう。

今日はニトリにこたつを買いに。そしたら店には在庫がなくて届けてもらうことになりました。
椅子とかいろいろ見て面白かった。
auに寄って、とうとうezwebを外しました。ついでに親のも外して月々の経費を下げました。
auwalettとかいう、やたらCMをしているカード、勧められたので「いやいいです」と断ったら、
このカードを持たないと、auポイントがもう付与されなくなる、既にそうなっている、と説明されまして、はぁ???
じゃぁしょうがないんで作りますと、夫のも、親のも、作ることになり、わけわからんわ・・・。

どこも混んでて年末だからか、クリスマス前の土曜日だからなのか、なんか疲れた。
今日もいっとき雪が激しく降り、夜になってから雨も降りました。ではまた~

寒い

今日はマイナス9℃。今日も、か。
野辺山はマイナス20℃以下になり、全国一寒かったとか。
何なんだこの寒さは。

STAP細胞、やっぱり無理でしたね。こんなに時間をかけて検証する必要があったのかすら疑問です。
それにしてもおぼちゃん・・・・・・。
いったい何なんでしょうかねぇ、病んでいる人なのかな。
それにしても周りが全部ころっとだまされちゃったというお粗末さ。
引くに引けない状況に陥っていることは理解するが、でも、認めて謝る以外に道はないと思うがな~。この期に及んでまだなんとかなると思っているとしたら・・・・・・、おそろしい。
そして、この期に及んで尚、みんなが早く忘れてくれるのをひたすら祈り続けている理研よいい加減にしろ。

明日も午後からは雪になりそうで、日曜以降はまたもや寒波、雪の予報です。おそろしや~
私は上京の疲れが出てきたので (あ、投石はやめてくださ~い) 週末は休むつもりです。どのみちもう染めはできないし、冬の間にやる作業の予定など立てようかと。
ではまた

だいたい40センチ

断続的に降っていて、今日の午後で大体40センチくらいになりました。この時期にこれだけ降るのはあまり記憶にないですね。最高気温も氷点下3℃と真冬日が連続しています。これもまだちょっと早いよという感じ。まぁ今日あたりは名古屋でも降ったというから、全国的に大寒波襲来状態なんですね。
ウメは元気にしています。散歩も結構よろこんで行ってます。雪が好きかどうかはわからないけど。

昼寝ウメたん
お腹に腫瘍があった時は、全身写真を撮らないようにしていたのですが、今は気にせず撮れるようになりました。いったん抜けた冬毛がまた少し生えてきたのか、ちょっと「みっしり」した感じになってます。そんなに太ってるわけじゃないんですよ~、冬毛が抜けた時は「やせた?」と心配したくらいなんです。

この間スマホで撮ってみた。なんか細長くないですか? スマホってこうなのかな?
友人と待ち合わせしてて、既に1分前、焦ってたのでぶれてる(笑)

なんか、赤坂にはすっかり土地勘が出来た、ような気がする。東京にいた頃は近寄りもしない町だったのに。

いろんな歌が断片的に残ってて、でも全部は覚えていないので悶々とする(笑)

今回の夜会が気に入ったのは、
中村中さん、石田匠さん、みゆきさん、の3人が熱唱し続けるので、それぞれ迫力だった
メッセージはとてもシンプルでストレートだったと思う
という2点からかな。
でも私は、生の夜会はこれが3作目なので、要するに、比較するものが殆どないに等しいというか。ずっと観ている人には、物足りなさもあったのだろうと思います。昔を知らないと、そのぶんノーテンキでいられる。

もちろん今でも疑問はある。
警備員のお母さんは・・・・・・。
バーのママって本当はいないんじゃ? 代理ママがずっと店主なんじゃないのかな。
警備員は祖父が脱走兵だったとは知らずに生きてきたのでは?
とかまぁいろいろと、いつまでも美味しいわけであります。

集団から捨てられた個を救えるのは、集団を捨てた個だけ、というような文言がどこかにあって、だから国を捨てた脱走兵が3人を救うという解釈でよいと思うのだけど。
この部分の解釈というか飲み込み方みたいなものは、各人各様様々に分かれるところだと思う。
私もまだ文字にできるほどにはまとまっていないです。

明日は晴れる予報。最低気温は氷点下9℃。まだ寒にも入ってないのにね・・・。ではまた

夜会終わったら爆弾低気圧

15,16日、夜会「橋の下のアルカディア」を観に東京に行ってきました。
堪能しました。
本日は朝東京を出て、高崎までは晴れていましたが、碓氷峠を越えてトンネルを出るとそこは雪国だった・・・・・・。昨日から降って、積雪は30近いと思われます。午後ひとしきり降り、今は止んでいるかな。

千秋楽が終わったし、ここを見ている人にも僅かながらも興味がある方もある、かも、しれないので、軽~くどんな劇だったのか書いてみますね。興味なければスルーしてください。できるだけ短く書くけどね。

時は現代もしくは近未来、とある橋の下の閉鎖された地下街に、立ち退き勧告を無視して居座り続ける女がふたぁり、いると思いねぇ。
(おっと、これでは長い話になっちまうので端折ります、因みにこれは浅田節)

劇の運びは無視して時系列で書きますね。

天明の頃、暴れ川を鎮めるために人柱になった村女と、その夫がおりました。村女は進んでその役割を担ったわけじゃない、村という組織に強要されたわけです。村女はかわいがっていた猫と別れねばならず、自分を追ってきてしまうだろう猫をあやして寝かせて「お前だけは生き延びよ」と籠に入れ、「捨てたんじゃないよ、捨てたんじゃないよ」と詫びながら人柱になります。夫は絶望して後追い自殺します。猫は「自分が人間だったらあの娘を救えたかもしれないのに、次は人間に生まれてあの娘をきっと救いたい」と悲しみにくれます。
時代変わって現代。村女は占い師に、猫はバーの代理ママにそれぞれ転生し、閉鎖された(捨てられた)はずの「橋の下の」地下街にかつての記憶を取り戻さぬまま、しかしその片鱗には気づきながら、居座っています。夫も転生して警備員になり、この2人に立ち退きを勧告しに来ますが、彼もまたこの町の住人だった者であり、亡父の供養を欠かしません。
警備員の父がバーのママに書き綴ったラブレターが話の鍵を握ります。自分の父、すなわち警備員の祖父が、国を捨ててここに逃げ込んだ脱走兵であったこと、この地が危険な状況になった時は「緑の手紙」を開けること、この2点が手紙により明かされます。警備員は脱走兵の孫という「身内の恥」と、そしてかつて自分の妻と猫を助けることができなかった男の記憶も同時に背負っているわけです。
やがて地下街と地上を結ぶ扉が封じられ、3人は地下街に取り残され(社会から捨て去られ)、折しも集中豪雨が襲いかかります。このままでは全員が水に呑まれてしまうというその時、代理ママが猫だった記憶を呼び起こし、大きな扉を探し当てます。その奥にあったのは、ゼロ戦、そして飛行兵。飛行兵(祖父)から飛行帽を受け取った警備員、3人で脱出しようとしますが、体の大きな代理ママは、自分が乗れば飛行機は飛べないと拒み、大きな金属のゴミ籠に入ってしまいます。このあたりで占い師も代理ママも、自分がかつて何であったか思い出しています。
自分が死ぬことで「あの娘を救」おうとする代理ママ(かつての猫)。
今度は決してお前を捨てないと誓う、お前が残るのなら自分も残るとする占い師(かつての村女)。
かつて守れなかった妻と猫を今度こそ守ろうとする警備員(かつての夫)。
ゴミ籠に入った代理ママを追い、占い師もカゴに入ってしまいます。警備員はワイヤーで飛行機とこの籠を結び、ゼロ戦はゆっくりと浮上していき、ゴミ籠がぐらりと持ち上がった瞬間・・・・・・・・・・・・。幕。

緑の手紙とは、おそらく、緑色のゼロ戦が入っていた格納庫の扉、じゃないかな。

わかった? わからん? どうだろうねぇ、自分で書いてても下手くそで嫌になります。

占い師と村娘がみゆきさん。代理ママと猫が中村中さん。警備員と村娘の夫が石田匠さん。

ゼロ戦はヘリコプターじゃないんだから上には浮上しませんとか。
そもそもゼロ戦をどうやってここに埋めたんだろうねとか。
整備はどうしていたのかしらとか、警備員はなんで飛行機操縦できんのとか。
祖父は死んでるんだよね、なんで出てきて飛行帽渡したりしてんの、その後どこへ消えたの、とか。
ゼロ戦を上に逃すことができるのなら、そのまま出てもいいんじゃね? とか。
そういうこと言い出したら話になりませんからね!

輪廻転生信じてないのに、転生モノ好きだなぁ。すごく楽しめたし、泣きポイントもあるし、この演目好きです。みゆきさんの歌がもうちょっと聴きたい・・・、けど、それはもう我慢する。

みゆきさんは「捨てる」という言葉でボールを投げてきてるわけだけど。
私が今感じてるのは、「個を生きる」ということです。決然と、ね。

明日は雪どうでしょうか、北のほうが酷いようですが、ここも風向きに寄っては降るかもですね。まだ12月半ばなんだから、これ以上降らないでほしいです。ではまた

やわらかいウメ

首をおもいっきり反らせると90度近く曲がるんですね。
犬って体柔らかいな。
人間もそのくらい行くのかな?
私は今、反らせると痛いので実験できないけど。

昨日は最高気温が氷点下1.5℃で、真冬日でした。
寒くなりましたね。
インフルエンザも流行ってきているようだし、気をつけないと。
ではまた

除雪車出動!

朝起きたら、雪が15センチほど積もっていました。うぎゃぁーっと思っていたら、もう除雪車が来てくれていて、我が家の前の町道は除雪済みでした。また今年もお世話になりますなぁ、いつも感謝しています。

朝、玄関前
興奮してぜんぜんカメラ目線にならないウメ

新雪だー、と元気に歩くウメ

林の中は、木々に雪が積もっているので、足元は意外と雪が少ないです。
これはもう完全に根雪コースです。今年もまた、雪氷の季節が始まりました。

昨日のカイラスがあまりに残念だったからか、泳ぐ夢を見ました。抜き手を切って泳いで行く。競技に参加しているようで、私はけっこう速い方です。色々な場所を泳いで行った。行き止まりになっていて引き返したりした。
起きてから気づいたら、泳いでいたのは水の中ではなく、普通の街。普通の道路。そこを抜き手を切って、時々はバタ足もしなきゃねとか考えながら、泳いでました。
泳ぎは特に好きでもなく得意でもないから、不思議な気分。

カイラスは、チベット仏教とボン教(チベットの土着宗教)とヒンズー教の聖地。長い長い間、ここはそれらの信徒たちの巡礼地であり、また、僅かな数のチベット好き・山好きが訪れる場所でした。辺境中の辺境にあり、どこから行くにも往復3週間は見なければならず、公共交通機関もない。宿泊できる場所もない。食事する場所もない。だからよほどの物好き変人でなければ行かなかった、行けなかった場所でした。様々なものが整備された今は多分、漢族のプチ冒険旅行先なんでしょうね。ラサから3日で行けるのなら、ほんとにちょっとした冒険旅行感覚です。

30年前に見た番組では、チベット人巡礼にたくさん話を聞いており、彼らがなぜ巡礼をするのか、何を祈るのか、がとても興味深かったです。彼らは口を揃えて、「来世もまた人として生まれるように」祈っていると語っていたのでした。チベット仏教は輪廻転生を信じるので、来世に動物や虫やそういうものに転生せずに、人になりたいと彼らは祈っていたのです。現世のことではなく来世のこと。それはまた、彼らにとって、現世は祈っても仕方のない、現世での救済は求めても得られない(漢族に支配されているから)ものだからなのか、とも考えました。

時が流れ、チベットは大きく変わりました。映像に出てきた各種チベット人のいうことが本当ならば、チベット人は驚くほど豊かになり、そして、拝金主義が蔓延しています。それは2011年にチベット圏の端っこを旅した時にも強く感じたことでした。漢族よりもチベット族のほうがよほど金に汚く金を追いかけ金に支配されていた。中国政府の思う壺だと思いました。
今そのチベット人たちがカイラスに巡礼する時、何を祈っているのか、それを聞いてみたかった。今も、来世もまた人として生まれるようにと祈っているのか、それとも現世での幸せを祈るようになっているのか、知りたかった。彼らにとっての幸せが何であるのか、それは変化したのか、知りたかったと思いました。だから残念だった。

まぁそれでも。漢族がカイラスに詣でるなんていうことは、私が行った頃には考えられないことでしたから、今それが別に不思議なことではなくなっているのなら、中国は良い方向にも変わっているのだなと思います。漢族の尼さんが増えている話は前にも書きましたが、中国人も迷い始めたというかね。迷うことを知ったというか。あるいはビートルズがヨガにはまったみたいな流行病的な部分もあるかもしれないとはちょっと悪く言いすぎかな。

選挙、与党圧勝。そりゃそうだろね。
さてさてこれから日本はどうなっていくのかな。ではまた

カイラスは近くなり・・・・・・

NHKの番組「チベット・カイラス巡礼」を見ました。
なんか、全体的に不満足。カイラスぜんぜん見えないし。
そもそもね、カイラス北面の映像がないってどういうことなのよ?
これはあれですよ、「夜会」観に行ったのにみゆきさん出てない級の・・・・・・、言い過ぎか。
なーんか散漫だし、漢族の巡礼に話持って行きすぎだし、なんだかな。
安易な作り方にちょいがっかりした。

でもま、驚いたことは驚いた。
ラサからシガツェへ鉄路が延びてたとは知らなんだ、不覚。
シガツェからカイラスまで2日だと! ハイウェイだと! ぎゃぁぁぁぁっ。
タルチェンが町になってる! なんじゃこれは!
以下同じ以下同じ以下同じ・・・・・・。
ずいぶん変わったなぁ~。

番組を見た人がいるかもしれないので、昔の写真をちょっと載せてみます。変化が見て取れて面白いかも。

タルチェン 1992年
山の麓にあり、ここが一周の基点であることは昔も今も変わらないようです。今はすっかり町になっていましたね。1992年当時もごくごく小さな村がありました。飲食店はなかった。招待所が1軒だけありました。商店もなかった、このテントの中に小さな雑貨屋があり、そこでビスケットを買いました。

タルチェンから歩いて2時間ほどのところ
当時はチベット人巡礼も少なかったし、それ以外の人間などいなかったので、こんなことしててもよかったのです。コンロでお湯を沸かして、なんか作って食べていました。

この仏塔みたいなものに家畜を通そうとしている家族
巡礼というわけでもなくて、家畜を引き連れて、これから村へ行くみたいなこと言ってたけど、チベット語わからないのでよくわかりません・・・・・・。写真送ったけど、絶対に届いていないだろうなぁ、ラサの人たちにも誰一人として届いてなかったのだから。

ディラプク・ゴンパの宿坊

今はホテルができていましたね。1泊2日で回るならここが宿泊地になる。私は4泊で周ったかな?5泊したのか? タルチェンを午後出てるし、景色がよければ泊まったし、山が見えなければ連泊したし、で、ですが。
ここでは、かなり離れた場所にテント張っていたらゴンパの管理人がやって来て、「宿坊に泊まれよ、自分で荷物背負ってきた奴は安くしてんだよ」と言われて、ありがたくこの建物の中にテントはらせてもらいました。テント張るしかないただの土間の部屋だったから。

カイラス北面
この時期に、私にとって可能な限り早かったこの時期に、自力でここに至り自力で歩いて回ることもできた、そんな自由な旅ができたことに心から感謝します。私は幸せ者です。

ドルマ・ラ  5668だったかな?

この頃もタルチョーはあったけどこの程度。巡礼自体ほんとに少なかったし、また、豪勢にタルチョーを買い込んで来るほどにはみんな豊かじゃなかったのだと思います。

中国もチベットもどんどん変わっていくな。
押しとどめようのない流れに飲み込まれている。
もう一度、機会があれば行ってみてもいいかなと思っていたカイラスだけど、たぶん行かないほうがいいんだろうなと思いました。
すこしさびしい気もする。でももう十分歩いたな、という気もする。

と、感慨にふける夜。
夜になって雪が降り出しました。明日も雪の予報、あまり積もらないといいのですが。
ではまた~