今日は晴れ

曇った昨日ではなく、晴れた今日に登ればよかったと思う(^^;
今日なら富士山も見えたかも。

今日で1月も終わる。12月に入ってすぐにこちらに来たので、2か月が経ったことになる。往ったり来たりで忙しない期間も長かったが、次に行くのは2月に入ってからで夫が行ってから2週間空いている。猫の梅さんは1人で気ままに暮らしているようだ。餌と寝床があれば、どこか他のもっといい居場所が見つかるまではわが家を根城にするのだろうと思う。
一応防犯カメラ等で来ているかどうかくらいはわかるので、見守っている。因みに寝床は暖かいです(氷点下当たり前なので暖房付き!)

オミクロンも感染者は増えているものの、これまでのものよりは軽くすみそうな感じで、そろそろ他の国々を見習って「共存」に舵を切ってほしいとつくづく思う。出来ることは全てやって、それ以上のことは自然に任せてもいいのではないかなぁ。
タイは明日から隔離なしの入国TEST & GO を再開するようだ。日本は今すぐは無理だろう(やってほしいがやるとは思えん)が、せめて夏には……。そして秋にはワクチンパスポートであちこちの国に隔離なし、PCRなし(これは難しいのかしらん)で行けるようになるといいなぁと希望している。

過去旅。
帰りに寄ったタイランド

特段中身はありません……

 『田舎のポルシェ』 篠田節子
軽めの中~短篇が3本入っている。表題作がやはり楽しい。軽トラで岐阜から東京を往復するだけの話なのに、色んなことが次から次へと出てきていつしか大冒険に。他2編もそれぞれに、特に最後の1編はラストに思いがけないオチが待っていてぐっとくる。「苦労も何も、あたしたちの時代はみんなそんなもんだったじゃない」と明るく言える主人公がかっこいい。
☆3.8 まぁ軽い話なのでこんな感じかな

私の家も軽トラを買うか考えたことが何度もある。軽トラはとても便利。灯油を積んでも臭くないし、薪もたくさん積める。コンパネも平置きで載るし、ツーバイフォー材なども載せやすい。燃費もいいんじゃなかったかな。軽の乗用車と軽トラが、もし今ゼロから始めるなら最強かもと今も思う。
知り合いの富裕層が趣味で軽トラ持ってて、ある時それで高級な店屋に乗りつけたら一番よくない席に案内されたと。後日こちらがメインカーの高級ベンツで行ってやったわガハハ、と話していたのを覚えている。そういう話はよく聞く。この手の話をしてくれた人は一人残らず普段乗っている高級車でリベンジしており、それもまた面白かった。

ではまた

アヅマヤマノボレ

このところふわっとする眩暈があって、昨夜は酔い止めをのんで寝てみた。すると爆睡……。今日の午前中もなぜか昼寝。かなり効くが肝心の眩暈は特によくなった感じはない。
2週間か10日ほど前にパソコンの見過ぎで眩暈が始まり、一旦よくなったと思ったが整体に行って着替えている時に下を向いたのだと思う、この時にかなり激しくふわふわしてしまった(^^; もちろん整体師さんには伝えて、自分の感覚的には大丈夫ということもお知らせしてやってもらったという経緯。体を整えてもらう前よりはずっとよくなって帰宅したのだけど、やっぱりまだ少しふわふわしている。これも体質でこんなもんかなぁと。

起きている時にはほぼ支障なく。たまにふらっとするだけ。
一昨日だったか、丹沢の塔ノ岳の尾根で滑落して亡くなった方があったそうだ。装備や経験云々ではなく、60代の方だったから、瞬間的にふらっとしてしまったのではないかと想像する。年を取るというのはそういうことで、若い人には想像できないことがたくさんあると思う。もちろん今の年齢の私にもまだまだわからない、想像できない、ことがたくさんある。

今日は散歩に出るのが午後になり、買い物に行こうと思ったのだが夫が遠回りしようと言い出して、今まで行ったことがない方向に行ってみた。すると吾妻山というのが目の前にあり、一度登ってみようと思っていたのででは今日、と近づいて行ったのはいいけど目の前に見えていたのに実は遠く、しかも登り口がわからなくて間違った道を行って引き返すなど散々無駄をして、やっと登った。山と言っても136.2mだから、まぁそんなにたいしたものではない。

とはいえ眺めはいい。相模湾から伊豆半島の方向を眺める。菜の花が満開を過ぎている感じ。麓では紅梅が年末から咲いてるし、白梅も早いものは咲いている。剪定していない梅は早く咲くのかな。軽井沢のことを思えば驚いてしまう風景ではある。1月末だから。

今日の歩数は11600歩くらいだった。

今日の過去旅はこちら。
1990カトマンズ

特に中身はなく、写真をたくさん並べただけ。今のカトマンズはどんな街になっているんだろう……。

ではまた

5100歩くらい

ちょっといつもの道からずれて遠回りをして買い物に行ってみた。色んな道があり、それぞれが上ったり下がったりなので面白い。すぐ近くなのに行けない場所があったり、ここ下りられればすぐなのにという場所はただただ斜面で道がないとか。まだまだあちこち歩いてみたい。

ランタン谷トレッキング1

ランタン谷トレッキング2

ネパールのトレッキングルートはあちこち行ったが、ランタンにも3回入っている。1988年、1990年、1999年頃(仕事)の3回。3回目は正確にはいつだったんだろう? この頃、としか記憶していないことに驚く。
今では車道が延びて、前世紀とはルートも変わっているらしい。日程的にはもちろん短縮されているだろう。カトマンズからバス(または車)で行けるトレッキングコースだがどちらかと言うと人気は今ひとつ。誰もが一生に一度であればエベレスト街道を選ぶだろうし、2度目であればアンナプルナに行くだろうから。ランタンを選ぶのは3度目の人か(笑)、もしくは日程が少なくて仕方なく、の場合が多いかな。谷が多く、驚くような絶景もないような気がする。都市に近い分、今一つ人が好きになれなかった記憶がある。

この辺りの地図を見ていると、やっぱどっか行きたいな~となるのだが、ネパールヒマラヤはもう難しいかな。メインや準メインのコース以外でとなると、大掛かりになったりしそうでそれは面倒で嫌だ。グレートヒマラヤントレイルの、あまり人気がないと思われるロウワールートなら、村から村を辿りながら行けるかもしれないけど……。

などと思う今日この頃。

 

 『ゆずこの形見』 伊藤たかみ
夫と幼い子を残して情夫と一緒にいる時に死んだ妻が冷凍庫の中に残したたくさんの総菜とカニ。夫は必死で子育てをしつつ、妻の不倫相手に復讐をすべきか否か考え続け、出した答えが……。という話(どういう話だ)。
起承転結がある話ではなく、人生のどこかを切り取ったらこうだった、というような。ペーソスのある小説ということになるんかな。そういやペーソスという言葉自体最近は聞かないような(文芸誌とか読んでないからあれだけど)。
☆3.5 特にどうってことはないけどおもしろい

 『展望塔のラプンツェル』 宇佐美まこと
初めて読む作家。最近ネットの読書サイトで名前を知った。上の小説が突き出しのほうれんそうのお浸しだとすると、これは火鍋って感じ。日本向けにマイルドにされた偽火鍋じゃなく、10m離れても目が開けていられないくらい痛い本物の四川の火鍋。児童虐待、育児放棄、不妊、と幾つかのストーリーが組み合わさり、特に児童虐待は酷すぎて読むのが嫌になるくらいなのだが、先が気になってどんどん読んでしまう。最後に時系列が一気に整理され収斂されていくところは見事だった。見事にだまされた。
☆4 他にも読んでみたい

ではまた

 

8860歩

図書館まで歩いて行ってみた。遠いと思ったが歩いてしまえばそうでもなく、意外とすんなり行き着けた。往復しての歩数が8860。股関節の痛みもなく、いい感じ。さすがに仙腸関節の辺りには、動かしたのだから軽い痛みはあるけれど、薬を飲むとかそういうレベルではない。
なるべくまっすぐ歩くように心がけている。今までも変な風に歩いていたつもりはないけど。

図書館で、夫が貸出券を作っている間に雑誌の棚をぼんやり見ていたら、懐かしい「ヤマケイ」が(^^;
手に取って見ていると、前の(かどうかはわからないが)編集長で私も見知っている神長さんという編集者が書いたレポートが載っており、興味深く読んだ。神長さんはNHKでやっている登山の番組によく出ているのでご存じの方が多いと思う。
栗城氏という人に関する山岳雑誌関係者としてのレポートだった。この人のこともご存じの方が多いかと。エベレストに無酸素単独で登ると言いながら登れずに何度も行って最終的に亡くなった人だ。その自分の(無謀な)挑戦を共有しましょう、とぶち上げて資金を集めては遠征を繰り返した。端的に言って彼に「単独無酸素で」エベレストを登る力はないにも関わらず。力、つまり経験や登山技術や精神力が備わっていても、現在のエベレストに「単独無酸素」で登ることはかなり難しい。ザイルや梯子が残置してあるからだったり、登れる季節には多数の一般登山者が押し寄せてしまうからだ。ヒマラヤが特別な人のためだけにあった頃とは事情が違う。
少しでも登山、ヒマラヤ、に関りがある人なら誰もが持つ彼に対する複雑なものが的確にとてもわかりやすく書かれていて、読んでよかったと思った。

夢、とか。挑戦、とか。
それを持ったり実行したりするのはいいことだけれども。
他人のそれを「共有」することが可能なのかな、と思う。
「共有」という言葉に対する感覚が、若い世代と私のようなロートルでは違うのかもしれないが。

山じゃなくて海に、冒険の舞台を設定してほしかった……

奇しくもそのエベレストの麓から下りてくる話です
エベレスト街道最終頁・下山編

ではまたす

 

 

 

久しぶりに東京へ

今日は友人に紹介された整体さんに行ってきた。先月、股関節が痛くて歩けなくなったことがあり、それを心配して予約を取ってくださったのでありがたく! 恐る恐る……(^^;
新宿から中央線に乗って行く所だったので、最初はJRで行こうと思ったのだが、待てよ秦野に出て小田急という手も……。と考え、小田急で行くことに。なじみがある路線なので安心感がある。
とはいえ窓を開けて走っていることは知らず、風がぴゅーぴゅ―来てびっくりした。
痛さに悶絶する素敵な整体が終わった後で新宿に出て、ちょっと小田急HALCなぞに寄ってみたが、店員が喋っているだけの昔の中国のような店内に驚いた。お客さんも少ないし、まぁこんなもんなのだろう。
オミクロン株の蔓延も著しいことだし、早々に引き上げた。

 ハルクって昔からここだっけ?
もっとずっとしょぼいビルだった記憶があるんだけどな。

秦野、「はだの」と読むのが正しい。でもこの駅名ピンと来ないなぁと思ったら、30年ちょっと前までは「大秦野」という駅名だったという。そうだそうだった、当時も「おおはだの」だったのかもしれないが、「おおはたの」と周囲の人は呼んでいた気がする。
駅名も変わるし、新しい駅も出来るし、線路は上に登ったり下に潜ったり。もはや殆ど懐かしさはない。新宿に近づいた最後の3駅くらいと、新宿のホームに入って行く直前の踏切の向こうにある銀行か何かの電光時計が懐かしかった。これだけは昔もあったはず。

夕方4時には帰宅。
仙腸関節の右側が固着しており、リンパも水も右半身には流れていなかった! と整体の人は言っていた。それを流す手技が痛いのなんの。で、今日は水をたくさん飲むようにということで、蛙のように飲んでいる。いや、高地にいる時のように飲んでいる(^^;

 りっぱな鳥、サギとかシギとかそういうの?

 前回私が帰った時
パソコンで防犯カメラの画像を見ていると梅が膝に乗って来て邪魔をする。

 家の中ではこの甘えっぷり

なのに外で会うと完全に他人、完全に疑わしき人間として認識される。いつか外で会っても、よく見聞きする他の猫さんのように、付いて歩いて来たりするようになるんだろうか。

ではまた

カラパタびっくり

カラパタールは正確には2つあるらしく、その時私が登ったのとは別の、さらに奥にある方が本峰らしい。というのは現地で聞いていた。一緒に行った友人はポーターのシェルパ族の少年と一緒にそちらに登っている。先に登った自分はそれを見ているので、もう一つの方にも登ればいいものを、すっかり満足してしまったので「もういいや~」と後にしてしまった。

で、そのカラパタールの本物は正確にはどこなんだ? と検索しようとしたら、

なんと、カラパタールという名前の馬が筆頭に出てきたのでござる

2歳未勝利、と書いてあった。それ以上詳しくは見てもわからないので見てないけど。
大きな競馬場で走るような馬なら、いつかテレビで見ることもあるかも。
応援するぞ^^
そしたらなんと、ダウラギリという馬もいる(いた、のかも)。カンチェンジュンガだって字数的にはギリ大丈夫? 呼びにくいけど(^^; マナスルとか、アコンカグアとか、山の名前ってかっこいいかもな。

ここまで書いて3日も放置してしまった(^^;

御嶽海が優勝、大関になりそうだ。
このまま終わらんでよかった。
かくなる上はさらに上を目指して……、頑張れたらいいなと思う。
楽しみにさせてもらいまーす。
テレビがないので観戦はできないけど。

今日は近場に3つあるスーパーの中でいちばん遠い所に往復した。歩数が6000を越えた。せっせと歩いて、動ける体にしていきたい。
丹沢の山地図も買った。山地図なんて買うの久しぶり♪ 学校の遠足で登ったヤビツ峠とか(ここは車で行けるようなのでいまいちかな)大山、学生の頃にヤマケイで見て登った高松山なんかに、登ってみたいと思う。それより高い山になるとちょいと自信がない。ライター時代にはあちこち登ったけど、20代だったし……。
ネットはおろか携帯もパソコンもなかった学生時代、登山、チベット、と言っても何が必用でどこで買うのかなどの情報がなく、山と渓谷やBE-PALなんかを買ってその広告でずいぶんたくさんのことを学んだ。大学には山岳部はわからないがワンゲルはあったはずだけど、みんなで山登るとかちょっと腰が引けてしまって(^^;

そんなこんな。こちらは暖かくてたすかります♡

ではまた

小田原のイワシ

スーパーに行くと小田原産のイワシが売られていて、2尾で100円ちょっと♡
試しに買ってみた。海の近くでも近場のものが売られているわけではなく、今日も長崎産や千葉産の中に混じってひっそりとしていた。流通は面白い。
早速晩御飯に焼いて食べたところ美味しかった。
軽井沢でも手に入るし、日本海沿岸に住んでいる知人は「魚は御代田のツルヤに限る」といつも言っていて、それが冗談なのか本気なのかわかんないんだけどそういうもんなのかな? でもまぁ気分の問題ですわね。

夕飯のおかずが1人イワシ1尾? と驚かれるとあれだけど、この数日は夫が軽井沢に戻っていて私が1人暮らし中♪ みゆきさんとか聴いちゃってる毎日♪ でもご飯時はまずい、食うのか歌うのかどっちかにしろと・笑

もちろん団地なので、小さな音でかけて、小声で歌っている。それで気が付いたんだけど、小声なら、意外と一緒に、オクターブ下げなくても歌える、かも。いや錯覚かも。

先日出かけた美容院で、テレビドラマの話からライブの話になり、何か行くんですかと訊かれたから「うん、中島みゆきさん」と答えた。
「ほんとですか、私、カラオケで歌いますよ」
「え、そうなん?」
「はい、中島みゆきさんって女性の中では声が低いじゃないですか(1グサ)、私、声が低いので中島さんの歌が音程合うんですよ(2グサ)」
「あのーそれって、中島さんの歌を原曲キーで歌えるって話だよね?」
「え? は、はい……(グサッ グサッ グサッ)」
「私は3つか4つか場合によっちゃ5つ下げないと歌えんのよ……」
____ 薪ストーブが燃え盛っているのに凍てつく室内……(^^;

っつう笑い話。
でもほんとに、ささやき声ならいけるかもなー、今度試してみようもちろん一人で! 気持ち悪いかもしれないから(^^;

というかそもそも、カラオケのキーってCD のみゆきさんの音と同じ高さなのかな、そこからしてわからないや。

今日の夕焼け@西湘エリア

今日も過去の旅。やっとカラパタール5545mに登った話です。

ゴラクシェプへ、カラパタールへ

2度目のカラパタール

この時は若く元気だったので、カラ・パタールという小さな山に2度登っている。到着した日に1度、1泊して翌早朝に再度。昼と朝ではずいぶん風景が違って見えて面白かった。天候に恵まれて幸運だった。
こうして振り返っていると、ヒマラヤいいな~、また行きたいな~と思う。身も心もすっかり年を取ったので、この最初の時のような新鮮な感動は得られないかもしれないけど。

ではまた

 

モバスイ引っ越し

モバイルsuicaを以前使っていて、スマホを替えたので引っ越しをしなければならなかったのだが、めんどくさいのと使う機会が皆無なので先延ばしにしていた。近々都内に行く用事ができたので、重い腰を上げて作業。
古い方の機種で設定して~、「アプリ更新しろ!」
おさいふケータイという別のアプリも「更新!」
と言われて一生懸命遅いwifiで更新。
新しい機種にもそれぞれアプリを入れて、引っ越し。
ここまではまぁ普通、時間がかかっただけ。
その後、チャージか~、コンビニ遠いしめんどくさいな、クレジットカードから出来るようにするか、と思ったのがややこしさへの入り口で、3Dセキュア対応カード以外ダメ、となっているのだが、それって何? の世界で。検索するとやたら楽天が出てくるけど楽天は嫌いなのでできればヤフーで、と色々調べた結果、自分のカードにはもうそれが設定されていたというオチだった。
無事にその設定もして、wifi が遅いので不安だったけどチャージも試しにしてみて、何とか成功。よかった。

あとはスマホを落としたりせずに改札でタッチしなければ。ちょっと不安。

過去の旅。
一昨日既にアップしていたのだけど、その後、過去に書いたものの文字化けを直すことができ、一部復旧できたのでそっくり書き直してます。自分の記憶違いも色々あって、そのへんも修正しました。

ペリチェからトゥクラ

トゥクラからロブチェ

 

 『類』 朝井まかて

柴田錬三郎賞受賞作。文豪森鴎外の末子、森類という人物の生涯が描かれている。森鴎外には娘に茉莉さん、杏奴さん(ここにもアンヌさん!)、と二人の著述家がいたことは記憶にあったけれど、類さんという末っ子の男の子がいたことは知らなかった。
超格差社会であった時代、森家は裕福そのものの暮らしをしている。女中がいる生活。子どもたちは自由奔放に育つ。鴎外も子煩悩。海外留学も楽しむ。鴎外の遺産があれば一生生活には困らないはずだったのが、戦争、敗戦によって、生活する術を持たない、そもそも「働くから生活が成り立つ」ということを理解しない子どもたちが社会に放り出され……。
☆ こういう階層が存在したのだなぁとつくづく思った

今も富豪はいるけれど、この時代のような格式のある富豪、っているかなぁ。
つくづく生活力がなく、奥さんが駆けずり回り着物を質に入れて必死に作ったお金を、自分一人が平気で喫茶店でアイスクリームなんぞ食って使ってしまうバカボン。究極のバカボンでどうしようもないんだけど、どこか憎めない。家族から切り捨てられて当然と思うような男なのに見捨てられないのは、やはり魅力があったからなのだろうなぁ。
おもしろかった。

wikiで確認したがもちろん類氏は実在。そして森家の系譜に星新一が連なっているのを見てちょっと驚いた。

ではまた

1000から0へ

また軽井沢に戻り、海近に帰ってきた。
軽井沢では梅さんチェック(^^; まぁまぁ元気そうに暮らしている。餌が食べ放題のせいか太っている。到着した時にたまたま家に来ていて、以後くっついて離れない。人間がいれば安心する(守ってもらえる)のだろうなと思う。梅はもともと野良なので、警戒心はとても強い。未だに家の外で梅に会うと、全力で警戒され、ものすごく迂回されるので傷つく・笑 家の外で梅に触ったことがない。絶対に触らせないし近寄らせない。家の中では膝の上に乗ってきたりするのに不思議なことよ。

あと美容院にも行ってきた。サッパリした(ちょっとしすぎた)。

過去の旅。
エベレスト街道のタンボチェからペリチェ

ペリチェからロブチェ

昔のことで記憶もだいぶ怪しい。勘違いしていることもあった。また当時の写真には撮った日などのデータが残らない(写真に焼き込んでいれば別だけど)ので、「はてこれはどこかいな???」ということが続出している。
遭難一歩手前のようなことになったり、危険な状態で降ろされて行く人を見たり、色々なことがあった旅だった。
この時一緒に行った友人とは今は年賀状だけの付き合いになっているが、こちらにいる間に一度会えればと思っている。

 

 『カザアナ』 森絵都

このところ何冊か読んでいて、これも期待したのだが、ちょっと外れた。
平安の昔に存在したという森羅万象と会話ができる異なる者たち、その末裔が近未来の日本に蘇ってとある家族(シンママと子ども2人)と活躍する、というような話。近未来の日本はディストピアだ。
最初の方は面白く読んだのだが、だんだん「?」が増えてゆき、最後まで読んでも「うーん……、あんま面白くなかった」という感想になってしまった。日本の未来がディストピアになる可能性はあるし、それについて憂えることも多いのだろうと思うが、政治に寄りすぎたり、詰め込み過ぎたり、暴走しすぎだったり、ちょっとかなり残念だった。特にラストが酷すぎた。
☆2.5 素材はよかったのに料理の仕方がイマイチならぬイマサン……

ではまた

 

強風

午前中から風が強く、閉じたドアが開いてしまうくらい(なんせ古い団地なので)だった。2枚の引き戸を通り越してその先のドアを押し開けるのだから、相当な風。ビル風のようになっているのだと思う。
晴れてはいるが雲も多い。日本海側では雪が降っているのだろう。そのことは別に驚くようなことではないんだけどねー。ずーっと前から、雪が降る場所には雪が降るのだから。
ネットしか見ていないが、何でもかんでも騒ぎすぎだと思う。
越後湯沢の辺りなんて、雪降ってなんぼ。降らなきゃ困る、地域経済はスキー場にも相当拠っているから。1mや2mの積雪は当たり前。最近は減ってきているのかもしれないけれど。

軽井沢も雪になっているようだ。こちらは凍るからなー(^^;

過去の旅。
エベレスト街道 ナムチェからタンボチェへ

クンデ? が聳えるナムチェ

コロナ禍で、ヒマラヤトレッキングもどんな状況になっているのだろう。エベレスト街道にはピーク時には30本もの飛行機が飛びトレッカーを運んでいた。30本というと400~500人くらいではないかと思う。それだけの人数が連日ルクラをスタートし、歩き、お茶を飲み、泊まり、食事をし、お土産を買い、莫大な現金をその地に落としていたわけだ。それが殆ど出来なくなったのだとしたら……。
特にこのエリアは2015年の地震で大きな被害を受けた村もある。
早くコロナが収束し、以前のように賑わうようになってほしいと願う。

 

 『荒城に白百合ありて』 須賀しのぶ

幕末の動乱期、会津女と薩摩隼人が出会って……。という話(簡単すぎる)。
尊王攘夷だ勤王だというのは言葉では知っているが、読んでいるとこれはどっちだっけ、天皇だっけ幕府だっけ、とわからなくなってしまう。寝返ったり裏切ったり裏で手を組んだり。どの藩もうまく立ち回ろうとするのに、会津だけは時代遅れの「会津の人間はこうであるべし」という教条に縛られて滅んでゆく。滅びの美学というものは理解するが、ちょっと会津は……(自重する)
幕末の動乱の中で無慈悲理不尽に死んでゆく者たちを描いた小説としては、朝井まかての『恋歌』がはるかに胸に迫った。こちらは水戸藩だけど。余談だけどこれ読んで以来、福井や石川の衆が恐ろしく感じられてならない。
☆3.5 この表紙はだいぶいただけないと思うが如何

この話、すとんと落ちなかったのは、主人公たる会津女と薩摩隼人が二人そろってある種特別な人間だ、ということになっていたからだと思う。心はあるが情はない、簡単に言うとそういう人間で常に冷ややかに世の中を見ている。情がないからどんな場面でも自分に与えられた役割を演じることができる。生きることにも死ぬことにも意味を見出せない。この世でたった二人だけが! この世に二人だけが! そういう人間の形をしたバケモノなのだと、だから二人は惹かれ合うのだと、いうことになっているんだけど。
そーなの???
あんたたちだけがバケモノで他はみんな普通の人?
と、ここんところ(そしてこれがこの小説の肝であるはず)に引っかかってしまったので、何だか腑に落ちないまま終わってしまった。

ではここで中島みゆきさん、歌は「この世に二人だけ♪」

 

バカ言ってないでではまた