ワクチン接種完了

木曜日に2度目のワクチン接種に行ってきた。
夫は2度目の接種の後、熱こそ出ないものの倦怠感が強かったと言っており、同級生で2人既に2回目を打った人たちは片方やはり倦怠感、片方は38℃の発熱だったそうで、私も一応発熱する予定で赴いた。
受注など入るのも困るので火曜日以降新しいものも出さずにおいた(^^;

結果、予想通り当日夕方から微熱が始まり、寒気と38℃弱の発熱が夜から。そんな日に限って猫が私に執着してベッドに乗ってくるー(><)。寒い暑いだるい重い(猫が)の夜、早朝4時にやっと起きられてとにかく解熱剤をのむ(夕食時にのめばよかったよね考えてみれば)。
翌日も解熱剤の効果が切れると熱が出てくることを繰り返す。
風邪を引いた時と同じで全身が痛くてだるい。

でもこんな日でないとゆっくり観られないのでみゆきさんのDVDを観る、程度には元気(薬が効いていれば)。
この日の夜は猫も気にせずに(来なかったかも)よく眠って、接種から2日後の本日は無事生還を確認。
と、こんな感じだった。

接種自体は今回若い女性が担当で、とても上手だったのだが、打った3秒後にはなぜか脇の辺りが痛くなり、何だろう? と思った。担当の人に言うほどのことでもないかと思ったが。

それにしても接種会場にはたくさんの担当の人がいる。案内の人もたくさんいて、絶対に間違わないようになっている。早とちりの私は今回、打った後で待機の椅子に勝手に行きかけたが(笑)、すぐに担当の人にキャッチされて接種後の手続き場所に案内された。
こんなにたくさんの人がこのためだけに働いているんだなぁと、感謝したい気持ちになった。

ほんの2年前には思いもしなかった今の状況。副反応が出ることがわかっていても打たなければならない予防接種、それを国民全員が(拒否する人は除き)打たなければいけないなんて。そんなことが起きるだなんて想像したこともない。小説よりも奇であり珍である。
何とか世界中がこれを乗り越えていけるように願うばかりだ。自分にできることはワクチンを打つことと、出来るだけ人と接触しないこと、人がいる場所に出かけない、滞在しないこと、くらいでしかないけど。

でもまぁ何となく、これで忙しい夏が終わり、少しペースを落として秋に入るイメージが出来、時期的にはちょうどよかったかなと思っている。

アフガニスタンからは悲劇的なニュースばかりが伝わっており、ひたすら悲しい。行ったことはないが、いつか行きたいと思っていた。おそらく叶うことはないだろう。
ムスリムにはムスリムの正義がある。アフガニスタンでの正しさを決めるのは、外の世界の人間ではない。ただ、人殺しはよくない、正しくない。

今日も暑くなりそう。それでも軽井沢は29℃、今年このまま過ぎるなら30℃に1度なっただけで近年になく普通の夏だったということに。ではまた

曇り、夜になって雨

なかなかすっきりは晴れない毎日。
今日は仕事を休みにして、午前中に発送がてら買い物に。出かける時にふと畑を見ると、先日野菜の種を蒔いたところが荒らされている……。

出入りの猫が快適なトイレとして使用したらしい。
まったくもう。
やる気を無理矢理かき立ててようやっと蒔いたのに。蒔き直す気力もない(^^;

初めてのパン屋さんに行ってみた。いつの間にかずいぶん増えたんだなパン屋。安定的に経営が成り立つ職種の一つではありそうだ。あまり出来てすぐ撤退、とかの話は聞かないし、結構混んでいるようだし。
いろんな種類を買ってみた。サンドイッチも美味しかった。畑の中にあるパン屋さんでちょっといい雰囲気だった。

御代田の図書館がまた町内限定になったので、借りていた本を建物の外の返却ボックスに入れに行った。今度はいつ解除になるのかな。
長野はまだ要請段階にはないようだが、周辺の県は続々と緊急事態やら蔓延防止やらになっている。長野はどうなるんだろう。観光県だから手は打たないのかな。

最近、ミシンの買い替えを検討していて、今まで20年JUKIを使ったので、今度はジャノメにしてみようかと思っている。重いのだがその分部品が金属で堅牢ではないかと思うのと、フットコントローラーが大きくてよさそう、それと糸切りが足で出来るというのが便利そう。天秤が溝式ではなく穴なので、糸掛けの際にわずかにめんどくさい(穴を通す)くらいが違いで、後はとにかく直線しか縫えないので今の機種と大きな違いはないと思う。
色々見ていたら、専用テーブルというのもあるそうだ。これはどのメーカーでも職業用ミシンならあるみたい、知らなかった(^^; 今も補助テーブルというものを使ってはいるが、専用テーブルになるとさらに大きな板面になる。これは便利かも。いやたぶん便利だ。縫製時、どうしても縫っているものが左へ左へと落ちるのを、常に左手で引っ張り上げている。それが軽減されるならかなり楽じゃないかな。ミシンを買うなら専用テーブルも買いたいな。

経理部に稟議書上げて相談(^^;

ではまた

 

少しだけ畑仕事

午後から雨の予報だったので、どうしようか迷っていた大根の種まきだけやろうと畑に出て、あちこち草ぼーぼーなので少し草削りなどもした。
大根、ミニ白菜、チンゲンサイ、ほうれんそう、の種をまいた。
どれも少しだけ……。
場所を作ろうと思えば作れるのだけど、その気にならず。
しかも降るはずの雨は降らないし……。
ますますやる気がなくなる(^^;

長雨がようやく一段落して、昨日、今日と夕方の散歩に行けた。少しくらい歩かないと、ほんとに運動不足でまずい。都会にいる人の方が地方の人間の何倍も歩いている。降らなければ散歩くらいはしなければ。

アフガニスタンのニュースを見聞きすると本当に暗澹とする。
ミャンマーの軍事政権の酷さもそうだし、中国の新疆ウイグル自治区に於ける民族抹殺に近い暴挙も、胸が塞がれる思いだ。チベットに関してはほぼ征服したという認識なのだろうかとも思う、もちろんわかって書いているわけではない、あくまで感覚的なものとして。
少数民族政策に関しては、中国に何を期待しても無駄なんだろう、と思う。国家としての中国は邪悪そのものだと思う。

少し前までは、中国の西の果てから中央アジアに抜けるルートを通ってみたいなと思ったりもしていたが、今の新疆を旅する気になるかというと。
かつてチベットに入った頃は、それでもその実際の状況をこの目で見てみたいと思ったものだが、それは今思えば、情報が殆どなかったからだったのではないか。今こんなにも情報が伝わっている状態で、それでもそこを見たいかと問われれば、見たくはないという答えになる。

人の本質は善である。
ということをまったく信じられなくなってきた。

コロナはどうなんだろう。どんどん拡大なのか何となく頭打ちのような感じなのか。ワクチン接種が進むことに期待するしかない。
今日も相変わらず縫製仕事。特にアイロンをかける工程が多かった本日、久しぶりに作業場のエアコンを入れた。
今年このまま夏が過ぎていくなら、例年になく涼しい夏ということになりそう。ではまた

21世紀なのに

混乱するアフガニスタンの情報が少しずつだが入ってきている。多くの人が出国しようと空港に押し寄せたのだという。アメリカの軍用機にすし詰めになった人々の写真も見た。この人たちは単に幸運だったのか、それとも本当に真っ先に退避するべき人たちだったのか。混乱の中で赤ん坊だけでも乗せてくれと、人の手から手へと機体に向かって運ばれて行ったそうだ。乗れたのかどうかはわからないが。
まるで沈む船から子どもだけでも助けようとしているかのようだ。
アフガニスタンは泥船なのだろう。

アジア横断にはインドを通るルートと、もう一つ、中国からパキスタンに入りそのまま西へ行くルートもあったと思う。もしかすると中国からパキに入れば南下するよりも西進する方がよいということでアフガンを経由するルートがあったのかと思ったが、この辺りに詳しい友人によると80年代後半から90年代初頭にかけてはアフガニスタンには入国できなかったようだ。
もっと古い時代には自由に入れた時期があったそうだから、そういう時代の話を耳にしたのかもしれない。

アフガニスタンのこの20年余りの時間は、失われた時になりそうだ。すっかり逆戻りしてしまい、女性の権利も何も再び奪われてしまうのだろう。21世紀だというのに、と暗澹とした気持ちになる。ミャンマーもそうだし、中国の西方もそうだ。
アフガニスタンは中国にとって大きな脅威になるだろう。今は懐柔政策を取るだろうが、先々どうなっていくのか心配だ。ウイグルあたりの人々をますます弾圧するだろうな……。

久しぶりに午前中晴れ間が出たので洗濯したりして、その後最近作ったものの撮影。このところまた作り続けていたので今日はミシンは休むことにして、午後は画像のチェックをしたり、数点上げたりといった作業。
今年はたくさんワンピースを作った。
藍は育てず(種どり用に育てているだけ)、故に毎年大変な収穫→乾燥作業が今年はない。そのうえ今年は藍を建てなかった。色々と間に合わず、そのまま使える生地が十分にあることもあり、来年に回すことに。
そんなこともあって縫製に集中している今年だ。
そろそろ秋ものも考え始めないとね……。
ではまた

アフガニスタン・・・

米軍の撤退が続くアフガニスタンで、とうとうタリバンが政権を奪取した。政府軍には全くやる気がなく、タリバンにはやる気があるので戦にもならないらしい。
各国の大使館員たちも続々と脱出している。米軍関係者の脱出も続いている。残念ながらアフガニスタン人の座席はない。取り残されまいとする人々が空港に押しかけて飛行機に乗ろうとする光景を見て、ある一定の年齢以上の人はベトナム戦争終結時のサイゴン(現ホーチミン)を思い出しただろうと思う。
同じことがまた起きてしまったな。
取り残された人々が、出来る限り無事であるといいと思う。

それにしてもアフガニスタンは、記憶する限りずっと戦の中にある国だ。本当にいつになったらこの国で銃声が止むのだろう。
どうしてこうなんだろうか…………。

若い頃、旅人なら一度は考えるヨーロッパまでの陸路を私も考えたことがある。とはいえあまり具体的にではなく、ぼんやり夢想のレベルだったが。
あの頃、インドからパキスタンに抜けたら、そのままイランに入るルートが一般的だったのか、それともアフガニスタンを経由していくルートもあったのだろうか。
あまりにも昔のことで覚えていないのだが、何となく、アフガンルートを耳にする機会が多かったように思う。実際はどうだったんだろう。
当時、アフガニスタンはソ連との戦の最中だったのではないか。89年にソ連が撤退した後もずっと内戦状態だったはずだ。そんな場所に入れたのかな。こんなに長期間戦争が続いている国というのもあまりないような気がする。

ところでアフガニスタン、コロナはどうなんだろう?
それどころじゃないんでコロナも広がらないとか、そんなわけはないし。

今日も降っている時間が多い一日だった。終日縫製仕事。またパターンを1つ(病気だ)作ってみたりして、適当な生地で試作を始めたところ。既にイマイチ感がうっすらと見えているような(^^; なかなかむずかしい。

では

お盆休み終わり

休みも終わった、と思って本日は発送がてら買い物に出かけたら、まだ終わっていなくてどこも混雑していた。特に蕎麦屋とかパン屋とか外に行列が出来ているくらいの人出。こんな田舎なのに(観光地ではあるのか)。

コロナが酷くなってきたので、我が家は再び警戒度を引き上げ、外食は当分やめておこうということになった。買い物などもネットで済むものはネットで。短時間のスーパーでの買い物くらいにしておくのがよいかと。
人さまのことは知らないし、みんな自分で好きなようにすればよいと思う。私はびびりなので、コロナにはかかりたくない。少なくとも今は。インフルエンザのようにいつまでも流行が繰り返されるようになれば、いつかかかることはあるだろうけれど、治療法が確立されるまではインフルよりは危ない。アレルギー体質だし免疫力も高い方ではない。用心するに越したことはない。

政府が! ガースーが! オリンピックが! パラリンピックが!

そういうことはどうでもいいので、自分のことを考えて生きたらいいと思う。
それはそれ、これはこれ。
戦う相手を間違えては身も蓋もなくなってしまう。

とはいえ、都会で働いている人たちは、もうこれ以上何をどうすればいいのか、という感じなんだろうと想像する。仕事にも行かなきゃならないし、買い物やその他色々で出かける先はどこも人がたくさんいるだろう。
田舎はその点、移動はほとんど車で、不特定多数の人との接触を減らすことが可能だ。ウチなんかはもう、自営で今年はネットオンリーだからほんとに誰とも接触せずに仕事をしている。せいぜいヤマト運輸さんと接触するくらい。環境的には本当に恵まれていると思う。

とにかくコロナが何とかなるまで我慢するなり頑張るなりやっていくしかない。

で、今日でお盆休みは終わりなのかな。
雨続きで休みという感じもしないけど。今日は昼前から雨は止んで曇になったが、明日はまた雨の予報。気温も低くて寒い、フリースを着ている(!)。

午後、このところ作ってはそこらに置いていたパターンを1つずつ封筒に入れてしまう作業。またまたパターンが増殖中で、そのうちに整理しないとなぁと思っている。改良型、改良型、と作り続けるし、ほんと増えてしまうんだなぁ。これさえあれば、というような万能のものがあればいいけどそれは無理な話で。
と思いながらまた1つ新しいパターンを今日作ってしまった(^^;
裁断して、接着芯を貼って、までで本日は終了。

雨や曇りでは撮影がしづらくてそれも困る。いつ晴れるのか。
ではまた

雨続く

断続的に降り続く雨、全国的に同じような状況で、あちこち災害なども起きているようで心配だ。軽井沢町にも朝から避難指示が地域によって出ている。
三石、大日向、千ヶ滝西区、に今朝高齢者の避難指示が出た。三石、大日向、というのは追分の西隣、東隣にあたるごく近いエリアだ。今までこういうものを見たことがなく、驚いた。
ヤフーの災害マップを見てみると、我が家の上方わずか100mたらずの所までが、土砂災害注意の茶色で塗りつぶされていた。

浅間山噴火のハザードマップはよく見かけるし自分でも見ているけれど、土砂災害や洪水のハザードマップは見たことがない。確かに浅間の中腹で土石流でも発生すれば、それは下へと流れ下るわけだから、どこも危ないといえば危ない。
幸いわが家の辺りというのは傾斜もうんと緩やかになっており、崖もない。もしわが家が土石流に襲われるとしたら、それはすごく大規模なそれであり、また、特別に不運な方向に流れた時だと思う。

避難指示はその後どんどん増えているが、幸い追分には出ていないようだ。お盆休みで帰省している人も多いとは思うが、残念でもあり、コロナのことを考えればこれはこれでよかったとも思う(^^;
軽井沢には特別警報2というのが出ていて、これは最高レベルかな、もう一つ上があるのか、というレベルなので、とにかく気をつけて過ごしたい。

猫の梅もこんな日はまったく外に行かずに家の中にいる。昨日はどういうわけか2階の何もない場所(捨てようと思ってた服の上ではあった)でおしっこをしてしまったり、猫の行動はよくわからない。その前の晩は一晩中私のベッドから下りなかったし、その日の昼間は私がPCの前にいると膝の上に乗って寝たりしていた。そんなことは今まで一度もなかったので驚いた。
猫はミステリアスって、こういうことも差しているんだなと思う。ツンデレってこういうことなのかと、梅さんと付き合い始めて初めて知った。

野菜の生育にもまた影響がありそう。うちも見に行ってないけどきゅうりとかバケモノになってそうで嫌だ(^^;

あと最高気温が18℃行くか行かないかで涼しい通り越して寒い。いくら何でも8月半ばでこれはつらい。夏カムバック頼む。

ではまたー

 

お中元届く印度から

驚いたのなんのって。
99.999999%諦めていたインドへの発注品が、本日到着した。

発注したのは2月、全部揃ったと言われたのでお金を払い、それから荷物が出ないこと出ないこと、さんざん揉めくりかえってようやく日本に来たのが3月22日。ところが発注したものが全部入っていたわけではなく、5点つまり50m足りなかった。
すぐにクレームを出してずっとやり合った。インドのコロナが酷くなってロックダウンになったり色々あった。奴は送る気はなく、こちらも諦めつつも時々クレームを出して嫌がらせをしていた。その5点がなぜか届いた。

2週間ほど前に、「金曜日に送ります、荷物番号もすぐにシェアします」と言ってきた。はいはいまたかよ。と思いながら、「うれしいです、楽しみに待ってます♡」的な返事をしておいた。最近はこれはもう一種の遊びと化しており、どーせ送りもしねぇくせにと言っても仕方がないので、付き合ってやることにしていたんだよね、そうこの1か月ほどの間は。
案の定その後はうんともすんとも言ってこないし、荷物番号を訊いても「知らせます!」「OK!」とか言ってくるけどもちろん知らせては来ない。いつものやつかとうんざりしていたら、先週半ばに運送会社のナンバーが入った画像を送ってきた。
どーせ前回の画像だろと思って、でも一応見ておくかと運送会社で調べてみると、何とデリーに荷物が動いていた。そして本日、無事に成田経由で到着。

ほんとに何で送ったんだろうあいつ!
まじでインド人ってわけわからない。

ところで届いた5点だが、そのうち3点は確かに私が頼んだものだけど、残り2点は「は? こんなの頼んだっけ?」というシロモノだった。でももうどうでもいい。諦めていたものなので、仮縫いとか裏地とかに使おうと思う。

インドと付き合うと不思議なことが色々とある。
ネットでは埒が明かないので、やはりできるだけ早くまた渡航したいものだ。

今日は水汲みのついでに、白樺湖や車山高原の方面にドライブしてみた。すごく混んでいてびっくりした。お盆休みなのか……。連休が終わった平日だと思ったがまったく違ったようだ。どこも駐車場は満杯ですよ! 自粛とか完全に終わったなと、本日つくづくと実感した。
それでも例年よりは少ないのかもしれないが……。例年はこんな時期に観光地を通ることがないのでわからない。

信州の夏の山の景色はきれいだな。今まで夏は動かなかったのでよく知らなかったが、夏はいいほんとに。冬も悪くはないけどまぁ住んでみると寒すぎる(^^;

ではまた

オリンピック終了~

そして立秋、夏終わる(早すぎるか)。

何だかんだと言われまくった割には、大きなトラブルもなく終わってよかった。
メダルもたくさん取れてよかった。
ソフトが金でよかった。
以上。

昨夜は教育テレビが少しだけ映ったので閉会式を見てみた。
国旗が入場する時のボランティアさんの服に目が釘付け。アフリカ辺りの民族衣装を模しているのかと思った。男女兼用ということもあってああいうデザインになったのか……。それにしてもちょっと……。私に言われたくないだろうけどださかったと思う。まったく日本を感じさせないのは意図的なのか。

その後の日曜の公園っていう出し物にも辟易していたところ、電波が弱くなって画面がガジガジになり始めたので早々に離脱した。
マツケンサンバが来るってんで見てみようかと思ったんだけど、結局それはなかったらしく。つまらない。
全体的に???って感じだ。何だろうこのセンス(と、センスの欠片もない私が言ってみる)。
よかったのは宝塚の国歌くらいで。あの後少し踊ってもらうとか、すればよかったのに。

と、多少の文句はあるものの、競技にはもちろん文句はなく。開催できてよかったなと思う。
できれば観客を入れられればよかったけど、それは色んな意見があるしどちらを取るかの丁半博打みたいなものだったのかなと思う。どっちを取っても問題だらけなので、少なくとも責任論が噴出する事態は避けたのだろうなと。

オリンピックの閉会式でいちばん印象に残っているのは、サラエボの冬オリンピックだ。「〇〇✖✖サラエボ! 〇〇✖✖サラエボ!」という明るいアップテンポの歌に合わせて、白い妖精のような子供たち(大人だったかも)がたくさん踊っていた。それがとても美しくて、なぜか忘れられない。
その妖精たちが踊っていたスタジアムは、その後の内戦で亡くなった人たちの墓地になったという。あまりにも戦死者が多すぎてそんなところにまでおそらくは急ごしらえのような感じで埋葬していったのだろう。
サラエボのオリンピックは1984年だった。

今日は台風の影響で一日どんより、時々ざんざん降りという天気だった。
型紙のチェックと生地の整理を少ししただけで、本日はほぼ休み。ぼちぼち真夏ものに加えて初秋ものも考えつつ、作っていこうかと思う。生地は山のようにあるが自分の手とセンス(!)が追いつかないのは通常運転。

では

ワクチン接種

昨日1回目のワクチン接種に行ってきた。少し早めに着いたけどすでに同じ時間帯の人が20人近く来ていて驚いた。最初の待機場所でぼんやりしてたら、友人がやって来た。同じ日だったなんて!
そこからドナドナされて接種場所に。ドクターの次は待機だと思ってたらいきなり接種だったのでこれもびっくりした。緊張する間もなく打たれた(^^; 聞いてたより痛いじゃないですか……。
15分待機して帰宅。
打ったところと左の肩や上腕はもちろん痛いけど、痛み止めを飲むほどではない。この程度ですんでよかった。昨日は大事を取って午後は休んだけど、今日は仕事もできた。

これが終われば少し気分的にも余裕ができるかな。
都会はえらいことになっており、長野県もけっこう、特に東信がひどくて警戒レベル5(最高レベル)になってしまった。やれやれ。

今日の仕事は白ものの続き。複数同時作戦を展開中で、今日で何とか終わるかと読んでいた。というか今日絶対に終わらせたい。なぜならご注文が入っており、それをやるためには糸替えが必要だから。糸替え、手間なのでできれば回数を減らしたい、特にロックミシンは……。てなわけで作業作業。
最後に「よし、これを聴き終わるまでに終わらせるです!」とセットしたのは「親愛なる者へ」。選んだわけではなく順番なだけ。曲と共に順調に進むが、やばいもう「小石のように」か! 急がねば! うわぁ、「狼」が終わりそうだ、あと1曲じゃん、待ち針待ち針! 打て打て! とかなんとかやってどうにか予定通り終了できた。最後の1曲が割と長くて救われた。
ひとりオリンピック。自分との闘いじゃなくてアルバムの時間との闘い・笑

そんなことをしている毎日だ。
オリンピックも終盤、みんながんばれ。

そうそう、あほの名古屋市長。よりにもよってソフトボールの後藤選手の金メダルをかじりやがって、許さねぇ。

きのうワクチン接種の待機時間と午後休んだので読めた本。↓

 『家族じまい』 桜木紫乃

高齢の親を持つ人にはなかなか身につまされることばかりの連作短編集。一組の老夫婦の周囲の人々がそれぞれ描かれる。この著者にはこの手のものが多いような気がする。あいかわらずうまい。
登場人物それぞれ、どこかで一つ曲がり角を別の方向に進んでいたら、これが自分であってもおかしくないと思う。そう思わせるのはこの作家の筆力。
一つ一つの話にオチはまったくない。普通に生きている人にも、オチなんかないんじゃないかな? あるとしたら最期の時かな。
☆4.2 乾いた冷たい風みたいな作風が好きだと思う

では