日中プラスになる

昨日、今日と日中はプラス気温でありがたい。こういう日もないとまじでやってらんね~。という感じの寒冷地。

あちこちに緊急事態宣言が拡大された昨日。
それにしてもいつも政府の人間が何か言う時に、「専門家の意見をお聞きして」が強調されるのが気になって仕方がない。
専門家の意見=免罪符、なんだろうな~と思う。専門家が気の毒である。この国には何かの時には腹を切る覚悟を持った政治家はいないのだろう。
それにしても、コロナで困る人がいる傍らで、コロナで太る人もいる。救われる人がいれば救われない人もいる。そういうことが社会に与える影響を思うと暗澹とする。

姪っこが陽性になったらしく、身近では初めての感染だ。首都圏にいるのでこことは危険の度合いが格段に違う、若いから学校に行ったりバイトしたりもするだろう。陽性は陽性でも症状が出ないまたは重くならなければいいのだが(家族みんな)。

 『くまちゃん』 角田光代

連作短編集。失恋の話ばかりが続く。振った人が次では振られる(逆もあったかな?)、ことの繰り返しで面白い。最後だけちょっと違った展開になって、失恋の連鎖が止まる。
☆3.5 なんてことはないんだけど面白い

 『裸の華』 桜木紫乃

怪我をして引退したストリッパーが出身地札幌に戻ってダンスバーを開く。謎の凄腕バーテンダー、若い踊り子二人、そして姉御肌の主人公ノリカ。登場人物それぞれがよく書き込まれていて見事に立っており、最後はえっと驚く幕の引き方で恐れ入った。ハードボイルドのいいのを読んだ感じだ。この人が書く女はほんと強いんだよね。
☆4.5 命短し恋せよ乙女

 『森へ行きましょう』 川上弘美

同じ名前の女2人の、出生から60歳くらいまでの半生記、というのかな。パラレルワールドもの、らしい。あの時別の道を選んでいたらどうなっていただろう、ということを見せてくれるというか。最初は交互に繰り返される同じ名前(漢字とカタカナ)の二人の話にちょっと辟易し、これが最後まで続くのかと、読むのやめようかと思ったが、案外読めてしまった。
タイトルの「森」は何かの拍子に森へ入り込んでしまう、というような言い回しで使われていたが、むしろ生まれた時からずっと森の中、なんじゃないかと思った。最初の10年くらいは親またはそれに代わる大人に手を引かれているけれど、自分がその手を振り払うのか、親が離すのか、不可抗力で離れるのか、いつの間にか一人で歩いている。誰かと出会ってたまさか一緒に歩いても、それは道と道が並行しているだけで、一つの道を一緒に歩いているのとは違うのだろう。なんて思った。
☆4.0 そいつと結婚するのだけはやめろルツ!

1966年生まれの女を描いた小説で、結婚か仕事かどちらか選ばされた世代だ、というような描写があった。うんうんそうだった、と思った。私が結婚するすこし前、当時出入りしていた出版社に行くと、顔見知りの編集者が「聞いたよ、結婚するんだって? 残念だなぁ、ゴトーちゃんとは一度仕事してみたかったのに」と、喜色満面で言ったのを思い出す。「え? 結婚するだけですよ?」と言った私に、「いやいや、仕事できなくなるでしょ」と返されたっけね。その頃、結婚はともかくとして、出産しても続けられる仕事なんて、公務員か教員か、くらいだったと思う。会社員でも有能な人だったらできたかな?
つうかまぁ、この編集者とのエピソードは、単に私が疎んじられていた、ということなのかもしれない。でも当時は確かに、女は結婚したら辞めるものだった、と思うのだが。
今はどうなんだろう、よくなっているといいな。

昔の写真


プモ・リ  1990年11月

当時ちょっとハマっていたモノクロの写真。今はデジタルでモノクロに加工するのも簡単だけど、当時はモノクロフィルムを使うしかなかった。リバーサル、カラーネガ、モノクロネガ、と3種類のフィルムを持って旅をしていたのだな。大きな白い山の手前に黒い三角が見えるが、これがカラ・パタール5545m。エベレスト街道と呼ばれるトレッキングルートの終着点がここだ。私は89年3月に続く2度目のエベレスト街道で、やっとここまで到着した。
おそらくこのモレーンを乗り越えて少し行ったところがゴラクシェプ、当時は簡素な小屋が2つあるだけの小さな小さな場所だった。

ではまた