峠の下はまだ紅葉

群馬県側に峠を下りて、高崎に行ってきた。
峠を下りていくと、季節が冬から秋へと巻き戻されて行くようで面白い。
下界はまだ紅葉も続いていて、もうすっかり落葉が終わった軽井沢とは別世界だった。

コロナの第8波の影響で、母親が入っている施設がまた面会禁止になる、とメールが来ていたので、その前にと慌てて出かけた。解禁になってから1か月も経っていない。ほんとに医療機関とこういう施設は大変だ。

母親は元気、ちょっとした手押し車? みたいなものを押して、自力で歩ける。
頭はだいぶ、いい感じに緩くなってきた。
私のことはわかるけど、とても親しかった実弟のお嫁さんのことはもうわからないし、とても強いつながりがあったその弟のこともぼんやりしているらしい。兄の子どもたちのこともうろ覚えだ。

普通はこういう風になっていくことはショックだろうし、悲しむ人が多いと思うが、私は逆で「よかった、ようやくぼけてくれた」と喜んでいる。
私の母はなかなかに強烈な自己愛があり、人を恨んだり妬んだりする部分も強くある。少し前までは「自分が世界で一番不幸だ」とかなり本気で思い込んでいたフシがある。それは年齢を重ねるごとにどんどん加速し、記憶の混乱と相まって他者攻撃がかなり酷かった。

そういう負の感情、負の部分も忘れて行くことができたら。ぼんやりしていけば。
生まれてからずっとそのはけ口だった私もだし、何より母自身が救われると思う。これは本気でそう思う。

私の病気のことは手紙で知らせてはいたが、案の定ほぼ忘れていた。が、「どっちかが、何か大変だったんだよね」という感じでは覚えていたらしく、あらためて話をした(耳が聞こえないので筆談)。母は保健師だったし(その前には戦後のどさくさの中で看護師免許も取っていた)、実姉を乳がんでなくしているから病気には割と明るい。
「悪いものを切るのはいいことだけど、切られるのは……、かわいそうだね」
母の口からそんな言葉を聞くなんて! かわいそう? 私がかわいそうだって?
びっくりした。長い長い間、幼少期を除いて、そんな風に母が私のことを心配したことがなかったので。心配したことがあったのかもしれないけど、憎まれ口と皮肉しか言わない人だったので。

少し穏やかになってくれてうれしい。楽な気持ちで残りの時間を過ごしてほしい。

梅さんが家出中で帰って来ない夜。臆病なくせに何してるんだろう? それとも帰りたくても帰れない理由(通せんぼされてるとか)あるんだろうか。

ではまた

 

 

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