カトマンズの旅行代理店からメール。
アグニエアという航空会社の、希望日ファーストフライトが取れたとのこと。午前6時半発だそうだ。
カトマンズでもポカラでもルクラでもジョムソンでも、とにかく飛行機が飛ばなくて待った記憶に関してはプロ並みの私。飛行機待ちの日数では、そんじょそこらの添乗員さんにも負けないと思う(何の自慢だ)。
圧巻はルクラの11日待ちだね。ラインホルト・メスナー様がエキスペディションのためのチャーター便を一気に7機も飛ばしてくれなかったら、永久にルクラで暮らすことになってたかもしれない。
あの時代、ネパールの空にはロイヤルネパール航空しか飛んでおらず、ルクラ便は1日3便、平均すれば1.5便飛べば御の字という状況だった。
それが今では、多い日には20便以上がルクラに飛ぶと聞く。一体どんな状況なんだ? どんだけのトレッカーがあそこに入っているんだろうか。すごく不思議な気分。まさかと思うけど、エベレスト街道が、北アのカラサワから槍への道みたいに渋滞してるんだろうか? ちょっと気重・・・。
それはともかく。
ロウアルパインの20?のディパックを背負って、ハイテックのミドルカット・ブーツを履いて、歩き始めた。あと出発まで1ヶ月。できるだけ体力をつけて、道具を慣らして、いかないと大変なことになりそうだ。
ハイテックのブーツは、かつて愛用していたシェラ・ライトよりはるかに進化しており、防水もしっかりしているようなのだが、思ったよりも足首が深くてくるぶしに当たる感じがする。これが命取りにならないといいのだが。
いちばんヒマラヤを歩いていた時期よりも体重が若干減っており、たとえばくるぶし1つとっても骨を包む筋肉が落ちていると思うので、少しのことにも敏感になってしまう。最悪の事態を考えて、普段履きにしているアディダスのローカットを持っていこうか、と思ったり。