あと数時間で今年もおしまいですね。
ウメの病気と、腰周りの悪化と、肋骨骨折が三大事件でした。幸いにもウメは回復し、腰痛も死ぬようなものではなく、骨折も肋骨で不幸中の幸いだったと思います。来年はもう少し健康的に! 暮らしたいです。
『人質の朗読会』 小川洋子
とある国を旅行中のツアー参加者と添乗員が、反政府勢力に拉致されて人質となり、数十日後にゲリラも人質も全員死亡という最悪の結末を迎える。何もない場所に監禁された人質たちは、ある試みを始める。ひとりひとりが、何事かを物語るということを。彼らは思いつくままに語るのではなく、いったん文字に書き起こし、それを朗読するという方法をとる。人質たちが文字を書き付けた木片が粉々になりながらも発見され、また、ある時点から政府軍により盗聴されていた音声テープが遺された。ひとりひとりが語った、個人的な体験、記憶。それはまぎれもなく、その人にしか語れない、その人だけの物語だった・・・。
どんな人の人生も一編の小説となりうる、とはよく言われることですが、この小説を読んでしみじみとその思いを深くしました。どんな人の人生にも物語がある、潜んでいる。どんな人にもかけがえのないものがある。
小説は一切の「なぜ」を排除しています。この小説において、「なぜ」は無意味だから。
年の終わりにまたいい小説を読ませてもらいました。☆5つ ここんとこ脱帽しっ放し
昨日は開高健のドキュメンタリーをテレビで見ました。久しぶりに生きて動いている開高氏を見た。
高校生の質問に答えて、「100人の作家がいれば100の文学があるが、どの作家も突き詰めていけばたった一つのことを書いている。たすけてくれと叫んでいる」 と語った音声が印象に残りました。開高健が生きていた時代の文学と、今のそれとはだいぶ乖離があるかもしれないけれど・・・。
『花終わる闇』の冒頭にある実に有名なあの一文、「漂えど沈まず」。あれは最初に書かれたときは「漂えども沈まず」だったのかな、直筆原稿がちらりと写ったのだけど、「も」が存在していた。どの時点で切ったのか、興味を覚えました。
たまたま先月帰国してすぐ、病院通いをしたときに、この『花終わる闇』を久々に読み返したところでした。時々読みたくなります。たくさんの本が書棚に並んでいるけれど、何度も読む作家といえば、開高か池波正太郎。池波は何も考えずに読むし、開高は考え事をしたいときに読む。
そうそう、最近雪が積もったのでわかったこと。
ウメのおしっこが、黄色くなっていました。子宮蓄膿症から急性腎不全を患っていた今年前半は、透明に近いおしっこをしていました。腎臓が働かないからです。雪が消えてからは色の判断ができず、どうなのかなと思っていましたが、ちゃんと黄色くなってた、よかった・・・。
ではそろそろ。
よいお年をお迎えください。