きのうカイラスの話を書いて、ふと考えてみたら、あの旅をしてからちょうど20年が経ったことに気がつきました。
1992年から20年経つと2011年ですよね?
あれ、19年ってことは・・・、ないよね?
数字にとことん弱い私です。
まぁ20年ってことにして、その20年前の5月27日に、私は中国チベット自治区のプランという町に徒歩でたどりつき、捕まったわけではないけど、パスポート預けの禁足状態になりました。たどりついたのは夜だったけど、通報されるのはわかっていて宿泊所に行って、30分と経たずに兵隊さんがやってきましたね。
5月31日は禁足5日目。でもいろいろやってますよ。この日の日記には、買ったものが書いてある。
みかんのかんづめ 2.5元 きんぎょのびんせん 1元 のり 1.5元 さとう半斤 1.5元
おかし 3元 えりまき 4元
きんぎょのびんせん・・・・・・。なんだろう、記憶にないし手元にももうない。なぜ重くなるものを買っているのかw
みかんのかんづめは美味かったでしょうなぁぁぁぁ。さとう半斤もうまかったろう。インスタントラーメン1個を3度に分けて食べながら10日くらい歩き続けてきたからねぇ。ほかにも小麦粉なんかは食べたけどね。
ちょとおもしろい、懐かしい写真なぞ載せてみませう。
判決後に数日待ってやっとヒッチしたトラック。もちろん荷台。チベタン満載の中に紛れて乗せて貰った。30元くらいだったかなぁ・・・ ここは聖地マナサロワール湖、みんな降りて聖なる水で手を清めるのね。私も手を洗いました。
あたくしのテント。アライテントの人が後日この写真を見て、「ウチのテントを使ってくれてありがとうございます」と電話くれた。もちろん自分で買ったテントですよ~
グーグルマップでかなりはっきり見えていたカイラスの南西面。
若かりし日のわたくし。これは、テントを張った後にカイラスが見えてきて、ほんでもって撮ったんじゃないかな。なぜなら、ザックの上にくくりつけていたテントが下ろされてるから。ジャージはいてますね。靴はゴアでもなきゃ防水でもない、ただのシェラライトだ。
北面で2泊したのは、曇って山が見えなかったから。2泊した早朝、山が姿を見せてくれました。あまりにも有名なカイラス北面、一枚岩のような(実際そうなのかな)垂直の山肌が神々しいです。
またトラックをヒッチ。次の町、アリへ向かう朝。この日でもう3週間は風呂入ってないですわw
新疆ウイグル自治区へ脱出するのもトラックのヒッチで。4日かかった。これはチベット高地に点在する命の宿。これがなかったら誰も生きてここを出られない。ここの地名はたしか・・・・・・・、死人杭。
この旅をしていた時は、とにかく必死だったから、20年後にこんな風に振り返るなんてことは考えもしなかった。というか、自分に20年後なんていうものがある、ということ自体、わかっちゃいなかったかな。若いって、そういうことなのかもしれませんね。
さてさて。
今日は前から考えていたジャケットを作りました。えいやっと決めてからは早かった。でも写真は撮ってないので、また後日。