値札チェックしたり

ぼちぼち商品を店に出し始めました。
今日は毎年恒例の値札チェック。傷んだりしているものは取り替え、価格に変更のあるものはこれまた取り替えです。
昨年秋に全商品をチェックして撮影したりしたはずなのに、
「おや、これはアップしてないな・・・」
的な漏れがいくつかあって、なかなか完璧な仕事はできないということを知る。
そしてチェック作業はまだ終わってません^^;

ほか、縫製も少し。昨日か一昨日から作っていたものを仕上げました。
やっぱり作る作業のほうが好きだ・・・(普通そうだと思うが)。

 

 初恋のきた道
↑これ、チャンツイイーだよ! なんてかわいいの!

お昼の後でチャンネルを回したらたまたまやっていて、2度ほど見ているからいいやと思いつつやっぱり見て、でも仕事しなきゃと途中から録画して夜に見ました。
中国華北の自然が厳しくも美しい村を舞台に、少女と青年の淡い恋、少女の母親の心配、文革と下放、時は流れ亡くなった夫(元・青年)の遺体を習わしどおり村まで人力で担いで帰らせると言って周囲を困らせる妻(元・少女)とその息子・・・。
なんていうお話です。
全編ほとんど人が言葉を発さない、静かな映画。恋がかなってからの二人はまったく描かれないというのも不思議な映画。でもこの、美しい、本当に美しい風景の中の1本道を、待ち続ける少女と、やたらいつも走っている少女・・・。
いい映画です。チャンイーモウの作品ではいちばん好き。
原題は「我的父親母親」(私の父母)。

何度も見たはずなのに、今回は少女が織る赤い布(青年が勤める小学校の天井梁に飾るためのもの)や、最後に老いた少女が夫の棺にかけるために織る白い布、がとても印象に残りました。赤と白なんだね(慶弔だからね・・・)。その味わい深い織機もです。そして丼を包む布なんかも素朴で美しい。少女が着ている綿入れの上着やズボン、村人たちが着ているチャイナ服・・・。あぁ・・・。

このところ作っていたのが土布のスカートだったので、土布を探しに行きたくなった。

今日は気温がそれなりに上がりましたが、ストーブはつけてます。桜どころか梅もまだ咲かないし、毎日風が強くてうんざりです。ではまたー

寒いです

最低気温はマイナス7℃ほど、最高気温が6℃に届かず寒い一日。関東あたりでも花冷えかな? ここはまだ東京感覚だと真冬ですよね。寒い。

昨年8月にインドで買ってきたカディを初めて縫ってみました。
糊が強いので洗ってみてから撮影します。初めての生地を使う時は、縫製後に洗濯機で洗ってみて、様子を見るようにしています。生地の強度は意外とわからなかったりするので・・・。

夕方また自分のサイトをチェックしていたら、見事にリンクが切れているものを発見し、慌てて直しました。どうもこういうことが多いなぁ。

昨年12月のインドネシア、長らくほったらかしにしましたが、ジャワ島のスラバヤ近くの話を書いたのでよかったら見てください。前はこっちにコピーしていたのですが、今回は飛んでください。こちらです
ご覧になればわかりますが、そこが旅行記置き場です。と言いながらまだぜんぜん置いてないけど^^; 1988のMy first travelだけは置いてあるのでよかったら。前に作ったサイトから持ってきているので、前からここ見てる人は既読のはずです。

昨日書いた『たとへば君』ですが、短歌というものの自由さであったり、力強さであったり、色々なことを考えました。
短歌というと5・7・5・7・7のいわゆる三十一文字(みそひともじ)だと思いこんでいるけれど、この「たとへば君」だけでわかるように既に字余り。31文字という定型にはあまりこだわらず、自由に作られているのだなと知りました。
何よりも強く感じたというか、心打たれたのが、歌というものがこれほどまでにその人そのものを感じさせるものなのか、ということでした。本当に、生々しい。人、あるいは魂、あるいは心、それがそこにそのまま置いてある感じ。まさに「命削りて書かれしもの」だと思いました。
いま話題の「万葉集」もそうですが、古来から日本人は短歌を作ってきた民族。私にその素養はからきしないけど、よいものを読ませてもらったと思います。これを期にもう少し、このお二人の短歌を読んでみたいと思いました。

さういへば、我らの時代の短歌と言えば、俵万智(!)
あの有名な、「万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて 神奈川県立橋本高校」の破壊力ったらなかったな。「これが短歌か、こんなものが短歌なのか!」と、私ですら驚き、呆れ、笑い、怒ったものです。俵万智に怒ったんじゃない、これを持ち上げた人たちに怒った。
ちょうどその時期に私は教育実習で母校に戻り、終わってから恩師たちにおつかれさん会をしていただいたのだけど、その席での恩師たちの罵詈雑言の雨あられ(いや私にじゃなくて俵万智)が今も忘れられない・・・。

明日は一応10℃は超える予報。ではまた

雪が降ったり

しっかり積もるほどではなく、でもうっすらと白くなる程度には降ったようです。日中は舞う程度、今日も風が強く寒かった。
まだまだ最低気温はマイナス5度以下のことが多く、春は名のみ、です。

 駐車場でなぜ咲く
何かの拍子にここに連れてきてしまったらしい球根、種類わからず(ギガンティアかな?)。どこかに移してやらねば。

 
クロッカスが咲いてきた

 カタクリも咲いた

 チップを運んできた
夫が町の貯木場に行って木材チップをもらってきました。あちこちで出る剪定枝などを町民は無料で持ち込むことができ、それを粉砕したチップをこれまた無料でもらうことができます。ありがたいです。
チップは通路などに敷いて使います。今年もさすがにもう地面の底が抜け、そんなにぬかるむことはなくなるけど、チップがあると多少ぬかるみがましになります。


ぜんぜん肌に合わず、努力したけど10%もいかずにやめました。講談? であればこんな感じなのかもしれないけど、とにかく無理だった。

 『たとへば君』 河野裕子・永田和宏
2010年に亡くなった歌人・河野裕子さんと夫のこちらも歌人・永田和宏さんの相聞歌集。軽々によかっただの何だのと言うべきものではない気がします。
歌を詠むことはもちろん、読むことも殆どなく、理解が難しい歌もたくさんありましたが、河野さんが病を得てからはどんどん二人の歌が素直になるというか、直截になっていく、そうすると私のような者にもストレートに伝わる、ということを強く感じながら読みました。最後の方は泣きながら読んだ。
言葉の力。それは受け止める者あってこそのものだ。

 

いろいろなことを考えさせられました。

明日も寒そう、ではまた

 

新元号決まる

決まりましたね。
「令和」、万葉集からとはちょっと驚きました。令和という単語があるわけではないみたいだけど・・・。
何に決まっても文句はないし、イメージ的なものだけれどもおだやかでよい文字面だと思います。
昭和→平成の時は何と言っても昭和天皇の崩御があってのことだったから、めでたい気分とは違ったけど、今回はなんとなくことほぎの空気が広まっていてよろしいなと思うのでありました。

 『泥濘』 黒川博行
久しぶり。イケイケ極道の桑原とサバキ屋二宮のコンビもの、シリーズものですな。今回はオレオレ詐欺とか老人福祉の闇などに「カチこむ」話で面白かった、堪能しました。黒川博行には腐れ刑事コンビシリーズなどもありますが、私はこのイケイケコンビものが好きだな。桑原という極道は絶対に道ですら会いたくない見かけたくないタイプの人間だけど、「腐れ外道」ではない。そんなところが気に入ってます。
☆4.5 また期待してます

今日はサイト関連で気になっていたことのチェックを始めたら、いつものことながら簡単には行かずにずるずると手直しやら見直しやら・・・。
以前、旅に関するものだけを置いたサイトを作っていたのですが、それを復活させようかとやり始めて混乱した。なぜならそれらはHTMLで作っており、これからHTMLで継続するつもりはないからです。であるならば、過去に作っていたものをブログにコピペ? しなきゃいかんかなぁ。それはそれでめんどくさいんだよねー。かといって全部リンクで飛ばすのもどうかと思うし。
なかなかめんどいですわ。
布に関することなんかも、今までは殆ど書いてこなかったのですが、少しずつ書いてみようかなと思ったりしている今日このごろ。
ぼちぼち・・・。
では。

平成最後の日? ちがーう!・新作など

今日で平成が終わるんですね。いや終わんないよ。ぼーっと生きてるのでうっかりそう思い込んじゃったけど、よく考えたら新天皇が即位しないと元号は変わらないんだよねー。
平成最後の1ヶ月が、明日から始まりますな。

と言いながらも新作です。

 手織り綿のふわっとギャザー

 木版更紗のタックチュニ

上はタイ北部チェンマイ近郊のジョムトンで、10数年前に買った手織りの木綿です。その頃は大きな工場の近くに小さな家内工場が点在していましたが、今では小さなものは尽く淘汰されてしまったと思います。
下はインド、ラジャスタンの木版更紗。こちらも調べたら15年前の生地だった・・・。
物持ちがいいというか?
熟成させていい味になったと思います(違

この1~2週間で作っていたものを上げ終えたので、さらに前に作っていたものをぼちぼち上げていきます。さすがにこの勢いで縫っているわけではないですよ^^; そんなに早くできないですしね。

 

私が旅を始めたのは1988年、昭和63年です。その年の夏に昭和天皇が倒れ、ネパール~インドを旅していた私は、何度も何度も親切な欧米人に「君の国の天皇が亡くなられたね、お悔やみを」と言われました。そりゃもう何人も何人もが、そう言うのですよ。写真を見た、皇太子が戴冠した写真を見た、国葬のニュースを見た・・・。当時の私たち旅行者に正確な情報を知り得るルートはあまりなく、特に山に入っていた日にゃ一切情報がなく、何度も信じさせられた。そしてカトマンズに下りて日本食屋に行って古い新聞を片端から見て、「どうやらまだ天皇は存命らしい」と知るのでした。
天皇が亡くなったのは私が帰国してから7日後でした。そして平成が始まり31年? 経ったのかな? ほぼ私の旅の歴史と一緒なわけで・・・。まるごと平成+1年、が目下のところ私の旅歴史になる。

新しい元号になっても、まだもう少し旅をしそうです。元気な限り。元気で興味が続く限り、か。

新しい元号、何だろう???

それはいいけど、そろそろ公的な書類等に関しては西暦に統一してほしいです。今が平成何年か? たぶん31年だけど、また次の元号になっても同じことを繰り返すし、昭和は五進法でいけたけど違いますもんね。

本日も強風でした、雪が降りました、ではまた

新作など

 山の民のかばん2

 絣織りのきものスリーブ

この3日ほどはかばんを作ってました。思いのほか時間がかかった・・・。
きものスリーブの絣はこれも我が家で静かにビンテージになった生地。どれくらい? たぶん10年は軽く・・・。
そういう生地もたくさんあるし、新しい生地もたくさんある。
生地長者です。

次に行きたい場所もほぼ決まりまして、内心ガッツポーズ(笑)
今年ではない予定、たぶん来年。
生地の産地を回りながら、尚且つ旅らしい部分もあるという、我ながらすばらしい計画だと自画自賛中です。グーグルマップを眺めながらニヤニヤしています。
そしていざ実行すると予定は次々に変更となり、目指す町にはたどり着いてもそこで行き止まりになり、収穫物はなく、宿は果てしなく汚く、脱出するための列車は来ず、ようやく乗ったバスはエンジンから黒煙を吹き上げ、その前に自分が腹壊す^^; と、まことに旅とはままならないものであります。
そうなることがわかっていても出かけるあたり、ほとんど病気というか習い性というか何だろうか・・・、といつも思う。

まぁとにかく、生地をある程度押さえておきたいという欲求は昨年から強くなり、というのは「本当に消えていく」実感を強く持っているからなのですが、とにかく、買えるものは買っておきたいなぁと思っています。

今年はせっせと縫製。
今日は雨になりました、明日は雪マークも出てました。東京では桜が満開だというのにー。では

 

糸のチェック

縫製用のミシン糸は普段は棚にずらっと並べているのですが、使って戻す時に元の場所には戻らず、いつの間にか色もごちゃごちゃになってしまいます。
自分が悪いのですけどね。
今日は糸を全部出して棚に掃除機をかけ、色味ごとに分類してみました。

4列に並んでいるのが60番のスパン糸、一部にテトロンも混じっています。テトロンは普段自分で買うことはありません(私には縫いにくい)が、仕事が増えてきた時期に一気に色糸を増やしたくて、「おまかせセット」的な買い方をした時に混入してました。同じような化繊糸でもスパンの方が扱いやすいと感じますね。
ここにある他に、ロック用の90番をこれまたおそろしい数持ってます^^;

こんなにあっても、いざ縫う時にはぴたっと合わないことが多いです。一部はもっと小さな巻きの家庭用のミシン糸で色を揃えたりしています。
極端に減っているものなどもチェックして、久しぶりにミシン糸を発注しました。主にロック用の90番。60番はもうこんな大巻(3000~5000m)は買わずに、200のシャッペスパンを必要な都度揃えてもいいかなと思います。

 

  『それを愛とは呼ばず』 桜木紫乃

そうだねぇ愛じゃないねぇ(身も蓋もない)。
主人公の二人にまったく感情移入できず、一番わかったのは超変人でキモいおっさんだった、このおっさんなら、あぁこういう人もいるかもしれないし人間こういう心理状態になることはあるかもしれないなと思えた。
☆3.2 らしくないなと思った

さっきPCを立ち上げてメールをチェックしたら夥しい数のWPからのメールが。久々に来たよスパムの嵐。そうかスパム避けを入れてなかったのかと急いでプラグインを適当に調達して入れてみました。うまく効くといいですが。
今日はものすごい風で今もまだ吹いています。明日は一気に寒くなる予報、桜が前橋あたりまで来たらしいけどここに来るのは約1ヶ月後だ。
では

 

新作など

 木版更紗のギャザー

 あひるのダンス

こんな2点。
どちらも殆ど手を加えていない、布本来の力で勝負の服。
上はインドラジャスタン、ジャイプール近郊の更紗の村で買った生地。
下はタイ東北部コーンケン近郊の織りの村で買った生地。
下の生地はなんと、たぶん、15~20年ほど前のもので、まだ布屋になって間がない時の収穫品です。右も左もわからず、闇雲に旅をしまくって産地と聞けばどこへでも突っ込んで行ったあの頃・・・。いろんなことがあり、たくさん失敗しだまされ、でも楽しかったなー。
布を買いに行ったのに肝心の布は見つからず、意気消沈して飯屋で飯食ってるところに天秤棒のはちみつ売りが通りかかり、なぜかはちみつをどっさり買って帰りのバスに乗っているとか、しょっちゅうだった・笑
この生地はあひるがダンスしている絵柄なのですが、縦横の絣織り。絣自体が激減しているし、こんな風に作り手の個性というかなんというか、楽しい柄を織り出すなんてことは今じゃほとんどなくなった、どんなに歩いても機織りの音を聞き取れなくなってしまった・・・。

イサーンの村出身の人(友人の奥さん)に訊いても、
「うーん、もう誰も布なんか織ってないよ・・・」
という返事しか返ってこず、寂しいかぎりです。

 

 

  新しい武器

最近ネットで買った作業用ゴーグルというもの。もちろん花粉除けです。さすがにこれ付けて車の運転とかはないけど・・・。庭でちょこっと何か、なんていう時にはこれ付けて、マスクして、ツルツルした要するに雨合羽みたいなのを着て、という重装備で出ています。多少はいいかもと思う、よくわかりませんが。

母親が重度の花粉症でしたが、最近は殆ど気にならないと。おそらく加齢により、花粉にも反応しなくなったのだと思われます。個人差はあるでしょうし、歳を重ねても変わんないよ! という人もあるかもですが。
でも、加齢によってパニックも治る(可能性がある)し、花粉症も治る(可能性がある)。希望を持っていこう。

カメムシがリターンキーにへばりついてる!
そんなわけでではまた

ラオスに鉄道?

たまたま見たネット上の記事で、中国がラオスに鉄道を敷くらしく、国中トンネルだらけになっているとありました。国境のボーテンあたりからとりあえずはヴィエンチャンまで。開業は2021年というから2年後か? 全然知らなかった、突貫工事ですね。
今ちょっと調べてみたら昆明からシーサンパンナ景洪を経由してルアンプラバン経由ヴィエンチャンまで、という路線らしいです。もう工事は着々と進んでいて、巨大な橋を作っている写真など見られました。
昆明から景洪まで3時間、昆明を夜出てヴィエンチャン朝着、というようなことになるらしいですよ(棒)

景洪は2度行ったことがあり、最初は1989年。この時はバス以外に交通機関がなく、2日がかりで到達する僻遠の地でした。のんびりしていて気に入りました。人も漢族よりタイ族が多く、食べ物も口に合ったなー。
そうそう、ここで夫に出会ったんでしたっけよ。
次に行ったのは1993年。私はバスで行ったけど空港が出来ており、台湾からのツアー客が溢れかえっていて(と私には感じられた)、つまんなくなっちゃったな、もう来ないかもな、と思ったものでした。
2009年頃に近くを通過したことがありますが、この町そのものには入らなかったはず。入る気にもならなかった。
本当にどんどん変わっていくし、変化も早く、そして変化の幅というのか度合いも大きいなと感じます。
中国、恐るべしです。
ラオスはだいぶ前から旅をしていて「中国の属国か!」と思うことが多々ありましたが、ほんとに属国になっちゃいそうだ。

今日はパターンを一つ修正して裁断、縫製にかかりましたが、失敗してしまって解いたり、いまひとつ絶好調ではありませんでした。
おまけに、夜になって借りてきた本を読み始めたら、「むむむ、何か知っているような気がする」で、中程までページをめくったら「あぁこの展開、これ読んだ本だった!」ということで凹む。あまりないんですよね、読んだことがある本を気付かず借りるのって。ここに記録を残すまでもなく返してしまった本だと思うんだけど・・・。

ではまた

「改善」、チベットのことなど

数日前にNHK衛星でチベットの特集番組があり、知らなくて前半見逃しましたが途中から見ました。四川省のラルンガルゴンパと、同じく四川省の徳格が主に取り上げられていました。どちらも行ったことのある場所で、ほほぅーと思いながら見ました。徳格のほうは少し前にニュース番組で同じ映像を見たので、あれは先出しだったのですね。

 ラルンガル 2011年6月
ラルンガルは四川省のかなりの山奥にある巨大寺院。寺院が巨大というよりは、寺院を囲む僧坊群がとにかく多く、谷の斜面を埋め尽くす様はなかなか壮観でした。私が行った時には特に外国人禁止令などはなかったと思います。検問もなく公安にも会わなかった。1~2時間の滞在で特に心動かされることもなく去りましたから、あまり「特別な場所」としては記憶していません。
「喧嘩するな」とか「大声禁止」みたいな貼り紙がやたら目に付いたのはよく覚えています。
ラルンガルについては前に一度書いてます、ご参考まで

ここが数年前から中国政府の「改善」政策により、集まってきている僧侶が帰されたり、僧坊が一部破壊されたりしている、とありました。そして一大観光地化するらしいです。
なるほど、と思います。中国はこのような形で人がグループ化されることを嫌いますから。チベット仏教に対してだけではなく、あらゆる宗教に対して。法輪功やらキリスト教系への弾圧も激しいものがあります。
「改善」の名のもとに、徳格では遊牧民を定住させる「脱貧困村」が出来、そこでは人びとは「党に感謝」することを叩き込まれる。その踏み絵を踏んだら家とかインフラや最低限のお金が得られる職を与えられるようです。
どういうふうに生きていくことが幸せなのか、それはどこの国のどんな民族の人でも考えることだけれども。複雑な気分で番組を見ました。
そしてとにかく思うのは、中国ってすげーな。ということなのでありました。

 あんたもコルラかい?
これは四川省の西の端っこに近い、えぇとどこだっけ? リタンだ、そこのお寺の周囲を回る徒歩道で会った人たち。こういう出会いには心動かされます。
リタンの町の中心は大きなロータリー様の交差点でしたが、そこには常に公安の車両が何台もいて、人びとを監視し、少しでも「集まる」気配があると拡声器で怒鳴り散らして「解散」させているのでした。

誰にも止められない流れの中、上手に泳いでいってほしいと思う。

 

 『夢も見ずに眠った。』 絲山秋子
一組の夫婦の25年。結婚し、妻の実家での同居生活があり、妻の単身赴任があり、夫が鬱病になり、そして・・・・・・。折々にどこかに出かける、その旅先での二人が描かれることで小説が動いていく。ちょっとロードムービーっぽくもある。細切れだから違うんだけど。
いつもこの人の小説を読むと思うのは、なぜこんなにわかるんだろう、ということ。読んで考えてわかると「思う」のではなく、読んだ時にはもうわかっているというか。誰にでもあるであろう語るほどのことではない傷だったり引っかかりだったり、すれ違いだったり齟齬だったり、もやもやするものや悲しいと思うこと、そういうものをこんな風に文字にして読ませてくれる作家ってあまりいないんだよなと思う。
夫が突然「わかる」場面があるんだけど、そこは泣いた。
☆5 いい。

 

まったく小説とは関係ないんだけど、読書メーターという本の感想を書き込む掲示板のようなところを覗いてみて、
「絲山先生、すごくいいよね」
「そうそう、絲山先生って・・・」
というような書き込みが散見された。
それがどんな大作家であろうとも、「先生」を付けて呼ぶってことが、理解出来ないし自分は虫酸が走るほど大っ嫌いだと思った。

高崎行ってから花粉症が悪化中、これからどんどんひどくなると思うと嫌だなー。ではまた