あれから30年(鯖読み)

河口慧海やらドルポやら、そういうチベット系の単語を見聞きすると血が騒ぐ。
今日は仕事の合間に何となくグーグルマップでその辺りを見てみたりしました。
慧海が入蔵したルートよりも西寄りにある峠を越えて、かつて私はチベット入りしました。地図を西へとずらしていくと、その国境があるはず。ネパールの西北の端っこあたりにその場所があります。

あった。
おぉ。
ヒルサという町が出来ている。
そうか、あの時あの人が言っていたヒルサというのはここのことだったのだ。

1月にインドで列車に乗っていた時、ダラムサラ在住でダライ・ラマさんにも縁のある人に会い、スマホで動画を見せてもらいました。それは私が辿ったフムラ・カルナリの地形によく似ていたので、「フムラ?」と訊いたら「ヒルサだよ」と。
その時の話はこちらにあります。
フムラというのはエリア名。ヒルサというのは村または町。
私が行ったとき、その場所に村はおろか人工的建造物は何一つなかった。だから私はヒルサという地名には記憶がなかったわけですね。

今ではどうやら宿泊施設も出来ているらしい国境のネパール側。あの時は笑っちゃうくらいほんとに何もなくて誰もいなくて、木製の橋がかかっていて、幅は狭いけれど深そうな青い水が流れる川を渡ったな。

あれから30年(正確には28年か?)(きみまろ風に)

国境からネパール側の出発点であるシミコットという飛行場のある村までも、車道が出来ているように航空写真では見えました。たぶん中国が作ったのでしょう。国境を接するすべての国に対する中国の影響力を知らされる。

フムラに、もう一度行ってみるっていうのはどうよ?
とちらっと思ったのですが、やっぱりやめておこうと思いました。
2018年にザンスカールに、念願叶って行ったにも関わらず、がっかり度がすさまじく、未だに何も書いていないのを思い出しました。記憶は記憶のままに、下手にアップデートしないほうがいいに違いありません。

何にせよ新しいものや変化を受け入れるのに時間がかかる化石なんだ。

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今日は予報より多少よく、日中は晴れました。
朝起きると手が握れない状態がこのところ続いていて、しばらく時間が経つとなんとか握れるんだけど、ちょっと指の使い過ぎかと思います。リウマチではない、たぶん。
ではまた