『極夜行』 角幡唯介
4ヶ月も太陽が昇らずその間真の闇に包まれるという北極圏を旅したノンフィクション。著者の本はこれで3作目だと思うが、期待を裏切らない探検家であり、そしてその体験をここまでの文章に昇華できるすごい物書きだと思った。単独で、犬1匹だけを連れて、闇の中を歩き続ける旅。平らな地面の上ではなく、平らな氷の上でもなく、ゴツゴツと障害物だらけの場所を橇を引いて行く。デポした食料はシロクマに食われ、最後の最後には犬を食うしかないと覚悟を決める壮絶な日々。この旅の理由を新たに生まれる、生まれ直す、というところに落とすあたりはさすがだった。
☆5 読んでみて。
本作の中で触れられていたのだが、大学生の時にこの人は成都に行ったことがあるらしい。おそらく1995年前後の話だろうと思う。その頃に早稲田の探検部が成都に行くということは、十中八九チベット狙いではないかと思う。
そこまで考えてふと、もしかして私はこの人に会ったことがあるかもしれないと思いついた。
あれは1994年を挟む前後数年のことだ。早大探検部の学生3人がチベットの話を聞かせてほしいと言ってきた。最初は断った。私以外に適する人間がいると思ったし、その頃既にパニックを患っていて知らない人間には会いたくなかった。
でもどうしてもと言われて嫌々会った。有意義な話なんかできなかったと思う。探検が終わったら報告書を送ると言われたが、送られて来ただろうか? 記憶にはまったくない。
そもそも私はこの手の連中が嫌いだった。身も蓋もないけれども。
何をいい若い衆が3人も雁首並べて人の話なぞ訊いているのかと。
おなごが一人で旅した場所に自分らは3人で行くのだろう、何をびびっているのかと、とっとと行けやと。行けばわかるだろうと。行く前にわかってどうすると。状況は刻々と変わるし私が会った人間に彼らが会うわけもない、彼らが会う人間に私が会っているわけもない、訊いたってしょうがないじゃないか。
もちろん理解はしている。彼らにとって私に会うのは部の決まりごとでクリアすべきハードルの一つ。あの人にも会った、この人にも会った、準備万端、ということだ。そして計画書を作り、OBが関わっている企業を回って金と資材を集めて出発していく。
けっ、くっだらねぇ!!!!!
くっそおもしろくもねぇ!!!!!
自分が遊びに行くのに、よくもまぁ他人様のところに金だのモノだのくれろくれろと言いに行けるなと思う。金は稼ぐもんだ貯めるもんだ、バイトをいくつも掛け持ちして死に物狂いで貯めた金でやる旅じゃなければそこに意味なんかついてこない。他人の金を入れたら旅は死ぬ。
尤も時代はどんどん進み、今ではインターネットを使って募金を集めることが当たり前に行われているらしい。昔はそれでも、誰かのところに行って頭を下げた、恥をかいた(植村直己がそれが出来なくて苦労したのは有名な話だ、しかし植村直己の時代は1ドル360円、この頃個人の資金だけで遠征しろというのはまこと無理な話であり、私はそれすら否定しているわけではない)だろうが、今ではそれもなしに人は他人様の金を当てにしているらしい。
なんということだろうね・・・。
話が逸れた。
そう、会ったことがあるかもしれないな。少なくとも私が会った探検部の面々は、この人の知己ではあるだろうと思う。
だからどうしたという話ではない。そういうことがあった、というだけの話。
で、探検部とかそういう人たちには後に何人も会ったことがあり、誰も彼も気持ちのいい人だったので、今はまったく偏見を持っていないので念の為。
あとがきで、「人には勝負をかけた旅をしなければならない時がある」というようなことが語られていて、うんうんと頷きながら読んだのだが、よく考えてみると、勝負をかける旅をする、などということは一般の人、99.9999%の人にはないのではないかと気付いてふとおもしろかった。
うんうんと頷いたのは、私にも勝負をかけた旅があったからだ。探検部が話を聞きに来た旅だ。地図すらないに等しかったネパールの西端からヒマラヤを越えてチベットに入り聖地カイラス山を巡った旅である。密出国密入国禁足裁判罰金刑ビザなし移動と、色々あった旅だった。彼の極夜行とはあまりにもスケールが違うが、私も私なりにこの旅には勝負をかけたし命もかけた。綿密に計画を立て(実際にはそんなものは何の役にも立たなかった)、現地の情報も出来る限り集めようとし(集まるわけがなかった)、伝手をたどって特殊なビザを取ろうとし(結局取れずにどツボにハマった)、装備道具類を吟味して買い揃えて(これは普通にうまくいった)旅に臨んだ。
何とか無事に拘束されることなく(中華人民共和国を、ビザなしで数週間旅したわけなので出国地点で拘束されるのが普通だろう)香港に抜けて旅を終えた時、自分は今後これを超える旅をすることは決してないだろうと思った、そのとおりになった。幾度か試みたことはあるが、まったくダメだった。
いま自分はあの頃の旅や自分をなつかしく思い出す。新たな旅をしかけようという気持ちはもう殆どない。旅はできる、それはわかっているが、命さえ失うかもしれないがどうしてもやりたい行きたいそれによって自分は人生を変えてみせると思うような旅は、もう二度としないしできないのだ。
そんなことをつらつらと考えた。
著者もこれを超える旅をすることは難しいと書いている。冒険も探検も、もはややりつくされてしまい、新たな「極地」を探すことは難しいだろうと思う。それでもこの人には旅をしてほしいし書いてほしいものだ。
※著者はスポンサードを受けずにこの旅をしている。私は基本的に他人の金を入れた旅は旅として評価しない。仕事としては普通に評価するけれども。私は既に古い人間であり、カチカチの石頭なのだ。