「解釈と鑑賞」って、たしか、文芸系の昔のムックみたいなやつでシリーズでしたよね? 「大江健三郎 解釈と鑑賞」とか、そんな感じのやつなかったっけ? 今でもあるのかな?
まぁそんなことはどうでもいいのですが。
朝、インド・ラジャスタンのブロックプリント・サリーを2枚水通しして、アイロンで地直しをしていると、ピンポンピンポンとチャイムが。お客さんが来ているのは知っていましたが、地直し始めると途中でやめられないんですよ。乾いたらアウトなので(水吹けばいいけど面倒だし)。でもピンポンが鳴ったら行かないわけにはいきません。
店に行くと、年配の女性のお客さんが2人。
挨拶して、私が「歌ですか?」と振ると、「いえいえ、歌は無理」とのことで。あら残念。
**中島みゆきさんがお好きなんですね~
**えぇ、女房が。夫婦喧嘩したら突然「夜会」とか「コンサート」とか行き始めまして・・・
**あの人、面白いですよね、喋るのが
**ええ、コンサートでも面白かったですよ
などと、お客さんAと私と夫とで会話を回していたところ。
それまで聞き役だったお客さんBが、おもむろに、微笑みながら。
**中島みゆきさんの言ってること、わかるんですか?????
凍りついた・・・・・・。
私は・・・・・・。
みゆきさんの言っていること、歌の内容を、理解しているんだろうか???
かっこえぇ、この歌好き、ばっかりで、肝心なことが欠落しているんじゃなかろうか???
そもそも私は、考えて歌を聴いてるのか???
この間たっぷり5秒。
**ねぇあなた、それどういう意味で? と、お客さんA
微妙な空気を察したお客さんB、
**あ、もしかしてえぇと、奥さん、日本の人???
よかった。そういう意味か。外国人なのによくみゆきさんの歌とかしゃべりがわかるのねと、そう言われただけだったんだ。
もしかして、ものすごいファンの方で、「ちょっとあぁた、みゆきのことわかった気になるなんて百年早いわよ」と言われてるのかと思っちゃった。
いや、わかっちゃいないけどね、なんも。
ただ歌が好きで歌を聴いてるだけだから。
歌についての論評みたいなものは、自分の中に一切ないな。
(いや、公言するつもりは一切ない、か)
自分にとって意味があるかないか、好きか嫌いか、自分が何を受け取るか、だけなような気がする。好きと嫌いの間はもちろんあるけど。
ひとつの歌に、作った人の世界と、受け取った人の世界があって、もしその2つの世界が重なる部分があったとしたら、多分その歌は受け取った人にとって、意味のあるいい歌なんだろうね。無理やり説明しようとしたら、そういうことのような気がする。歌に限った話じゃないですね、小説でも映画でも何でもそうだと思う。
すんませんどうでもいい話。
そんなわけで、未だチャレンジャーは現れず。早く誰か歌わないかなぁ。
地直しはその後、そのまま霧吹きで押し進めました。コットンだったので大丈夫でした。
裁断から縫製へ進みましたが、あまりの暑さ(本日31℃)に表裏間違えたりして、まだ完成していません。
台風がじわじわと来ているようですが、軽井沢はぎりぎり明日もお天気もちそうです。ではまた
ヤマネさんが外国人妻だと、お客様は思われて、ただでさえ難解なみゆきさんの歌の歌詞を理解できるのかとw
朝から笑いました、ありがとうございました。
みゆきさんの歌の解説サイトとかありますよね。拝見するとクビをひねったり、ウンウンと頷いたり。ファンの中にはみゆきさんの歌を理解するなんて百年早いと本当に言いそうな人がいるから怖いですw
結論としては好きに聴けばいいじゃないという話ですよね。Life is Art,またArt is Lifeということだと思います。人生いろいろですから。
みゆきを世界で一番理解しているのは俺(私)だ! と思っているファンが1万人くらいいそうw
友人と話していても「えっ、この曲にヤられたの?」という会話になることがあります。私には「変わった歌だ」としか思えなかった歌に、友人は泣いてたりする。その逆ももちろんあるし。だから面白いんだよね。歌はたぶん、発表された瞬間に、聴き手のものになるんだろうね。みゆきさんが「自分の曲なんか聴かない」と言うのは、そういうことなんだろうと思ったりします。