雨です

午後から雨。

「転生」 篠田節子
チベット文化圏モノが得意な作家です。「ゴサインタン」や「弥勒」など、あのあたりのことを上手に書く。取材に行ってガイドがついて、きちんと勉強しているんだなと思う。
この小説は、いわゆるライトノベルスに分類されるものだと思います。講談社ノベルスだったかな、新書版。だから、というわけでもないのか、いや、だからなのか、畏れ多くもパンチェン・ラマが主人公だというのに、笑わされるストーリーでした。だってさ・・・、毒殺されてミイラにされて金箔塗られてシガツェのタシルンポの霊塔に奉られている10世が、転生、つまり生き返ってしまって(正確には転生して転生して元に戻ってきた、ってことなんだが)、撃たれても死なない(ミイラだからね)体で、金色の顔で、どすどす歩いてモモ食って尼さんのお尻を追いかけたりするのよ。そんでもって中国を批判して、亡命したダライラマやカルマパを暗に批判して、説法して回る。二重三重に、こんなこと書いてて大丈夫なのか篠田さん、と思ったよ。
ライトノベルだから面白く読めて、しかもチベット人や中国に対する強烈な批判精神もみられる。この作家、ほんとにおもしろいなぁ。
☆3.5  チベットをこんなに軽く扱っちゃってもいいのね! にびっくりと同時に敬意を。勇気の要ることだ。核云々になってからの後半は正直つまんなかった。

パンチェン・ラマは、ダライ・ラマと並ぶチベットの指導者。第二位の指導者とする説が正しいのかな。ダライはラサ、パンチェンはシガツェにいて、それぞれ宗教と政治の頂点に君臨していました。ダライが日であればパンチェンは月、というような並び立つ2人。実際は仲が悪かったとも聞きます、昔の話ね。
現在の14世ダライラマとそんなに年齢が変わらないパンチェンラマは十世。中国がチベットに攻め込んできた時には一緒に北京に行って毛沢東に会ったりしています。その後ダライラマは亡命の道を選び、パンチェンはチベットに残る道を選んで北京に行き、見方によっては中国の手先として、逆の見方によっては彼こそがチベット人の代弁者として、存在した人です。チベットの窮状を訴えて、ちょうどそれが文革と重なって投獄され、10年以上も獄中にあり、ようやく名誉回復されてチベットに戻り、そこで中国のチベット統治を批判する旨の発言をしたことで、毒殺されてしまいました。遺体は金色のミイラになって、彼がもともといたシガツェのタシルンポ寺に安置されています。
ダライラマが認定した11世パンチェンは、家族もろとも拉致されてその行方は今もわかっていません。この世にはいないのではないかという見方も多い。中国政府が認定した11世が北京にいるはずです。

なんていうことがわかって読むとさらにおもしろいかも。

軽井沢は午後から雨。昨夜の予報では、今日の洗濯指数は80だったのにな。
オーダーのパンツを作るのに、まだ形が決まらない。1つ試作をしようかと思います。

ではまた