うわもうこんな年の瀬・・・

ぜんぜん気付かなかった、もうこんな時期なのか、あと3日しかない? 年賀状などまるっきり用意などするはずもなく、今年も盛大に遅れる、もしくは出さない、ことになりそうです。そうならないように何とかしたいとは思っておりますが、こんな日に限って朝は早く・・・・・・w
今日やっと、前から気になっていた窓拭きをしました。年末だからというわけでもなく、だいぶ汚れたなぁと気になりつつ、雪降ってたり風強かったりでなかなか出来なかったので、今日できてよかった。でも今日は真冬日だったので、すぐに凍って開かなくなった(笑)

やかいこうじょうについて、メモしておこうかな。興味ない人はどうぞスルーで。また、人さまにわかりやすいようには書きませんので、悪しからずです、ただの箇条書き、やっぱ全員スルー推奨です。

初日を観た時のなんとも言えない違和感は、たぶん、「懐かしさ・思い出の共有」なんつう「らしくない」ことをこの人が始めちまったのかという驚きだったのだと思う。それは同時に、共有すべき懐かしさ・思い出を持たない自分の疎外感にもつながったかと。
2回めを観た時に、いや多分違う、懐かしさの共有ということではないんじゃなかろうかと思ったけれども、それ以上はわからなかった。
大阪で最初の語りかけの時点で既に「あれ、声がおかしいな」と思いながら、続いて始まった「産声」の歌でやはり声が変だと思い、思いながら聴いていた時に、懐かしさや思い出というよりは、もうちょっとシンプルに、色付けや香り付けをされていない個の「記憶」そのものを辿る旅に出るんだよと、そんなようなメッセージが聞こえたような気がした。

「十二月」の間奏部分で、それまでの上下黒のツナギ(工員服)がぱっくり割れて中から真紅のドレスが現れるシーンで、「あ、産まれた」と思った。それまでの2回はただ目を奪われてただけで、何も思わなかったのだけど、この時は自然に「産まれた」と思ったんだよね。この曲を歌い出す前に、椅子に座ったまま脱力してだらんとなる、「死」をイメージさせるシーンがあるので、それとのつながりなのかもしれない。
産まれる、何度でも産まれる、産まれ直す。
というのは、彼女が発し続けていることの一つでもあると思う。

「さよならの鐘」の前に、舞台の袖ぎりぎりに来て待機する数秒があるので、その時にいったん奥に引いて水でも飲んでくればいいのにと思っていて、でもやっぱりそうはせずにそのまま歌に突入してしまい・・・・・・、と、はらはらしていた時に、どうしてだか飛んできた言葉。
ぜんぶあんたの話だから。
これ、もう一回後半で飛んできたのだけど、どの曲だったかはわからなくなった。
ぜんぶあんたの話だからね、と、もちろんこんなこと言ったわけではなく、勝手に飛んできた言葉だけど。

ワニの着ぐるみを着て「SMILE SMILE」を歌う時に、後ろを右から左へと横切って行くゴジラと恐竜は、「昔から雨が降ってくる」の、「大きな恐竜」と「小さな恐竜」なのかもしれないなと大阪で初めて気がついた。そしたらこの曲も、「憶い出す」ことを歌ったものだったなと思った。

最初と最後に歌われる「産声」という歌を、大阪で聴いていたら飛んできたこと。
産まれた時にたったひとつ持ってきたものを思い出せ、取り戻せ。

千秋楽ではみーさん体調が悪く、出ない声を無理に出しているのがありありで、大丈夫なのかもう歌わなくていいよ後はコーラスの人が歌え・・・・・・的な、いつもなら集中して観て聴くのだろうけれど(席もかなり前方だったし)、その部分でまったく集中できずにドキドキしていた、また、私個人もちょっと参ってて自分に都合の良い言葉だけを(曲解しながら)受け取ったということも多分にあるなと思いつつ。

ほんとに箇条書きになっちゃった、いやいや、何だこれは。暗号か。

あぁそういえば、朝、コーヒーをレンジでチンする時にボタンを4回押すのだけど、それが
ツー、ツー、トン、トン
なんだよね。
ゼットのモールス信号(だよね?)。
思わずそのまま「アマテーラース♪」と続けてしまいそうだわ。

最初から最後まで一般の方にはわからない話で。
あぁそうそう、数日前に100万超えまして。2000年からやってるので歴史だけは長い。

今日はとうとう真冬日。明日も氷点下9℃の真冬日。寒波居座り続け、雪はどうですかね。ではまた

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