じゃぱゆきさん

今日は朝からユーザー車検のために、長野市まで行ってきました。何の問題もなく一発で終了。何の問題もない間は、ユーザー車検で済めばたいへん安く上がって助かります。通勤で使うとか、営業で毎日バンバン走るとかではないので、そうそう問題も起きないと思うんですけどね、今の日本車なら。

今度の名古屋は、友人宅に泊めてもらうのですが、この友人夫婦が旅先で出会った人たちで、そういう意味で話が合う。昨日もその連絡がてら、最近マニラに遊びに行ったと聞いていたので、
「昔エジプト航空が飛んでいた頃の成田~マニラ線って、じゃぱゆきさんで満席だったよね・・・」
というメールのやりとりをしました。
忘れもしない1988年12月29日、年内最後のバンコク発マニラ経由成田行のエジプト航空機。オーバーブッキングでどうにも乗れそうもなく、手違いでウェイティングリストになってしまっていた私は、どうにかこの飛行機に乗りたくて、ま、解釈の仕方はいろいろあるんですけどね、係員のお兄さんと昵懇になり(笑)、どうにか席をひとつ貰いました。乗り込んでみたらガラガラで、なーんだこれじゃあそこで騒いでたリスト組も全員乗れたんじゃ・・・・・・・? と思っていたら、マニラでどどどどどどどどどどどどどっと、女たちがたくさん乗ってきまして、飛行機はあっという間に満席に。これが見事なまでに全員じゃぱゆきさんだったわけで。
あの頃は、そういう時代でした。
今はエジプト航空はもう飛んでいない。フィリピン航空とか乗ったことないけど、あんな風に明らかにその人たちで満席ってこともないような気がする。
初めてらしい人はとても不安そうにしていたし、経験者らしき人はそんな人を励ましたりしていたっけな。あの手のビジネスはどうしたって裏の社会と切り離せないものだろうけれど、それでもできるだけマシな組織が接点だったらいいなと、願わずにはいられませんでした。

と、何でこんな話を書いているのかというと、きのう鑑賞した「問う女」という夜会の劇に、じゃぱゆきさんが登場してとても重要な役どころだったのですね。私はずっとフィリピーナだと思って見ていたら、タイ語を話しだしたのでちょっとびっくりしましたわ。私もタイ語で数数えられるよ(自慢w) 
アナウンサーである主人公が、最後に仕事を辞めるところで話は終わるのだけど、その理由にHIV+を持ってくるのではなく、個人の内面の問題に帰結させたほうがすっきりしたかな、というのは、完全な私の好き嫌いの話です。多分この頃、エイズの問題、とりわけその差別の側面は、日本でも大きく取り上げられつつあった時期ではなかったかと思います。

今でもじゃぱゆきさんって、もちろんいるだろうけど、その人たちをじゃぱゆきさんと呼ぶことはなくなりましたね。
タイからも、普通にビザ取って、ごく普通の人々(もちろん中流の上くらいの人)が旅行しに来るようになりました。

そうそう。「問う女」の中では、そのじゃぱゆきさんことニマンロクセンエンは死んでしまうんだけど。
ここで「エレーン」だろっ!
と思うのは私だけではないはずだ(笑)

あいかわらず知らない人には何のことやらさっぱりわからない内容で。謝らないけど(笑)
そんなことより、今朝がツキイチのラジオだったらしく、またもや録音し忘れました~~~。