1990

この季節は、みーさん関連の話が続くけど、ま、しょうがないっすよね。リアルタイムじゃけん。

夜会1990、というDVDを観ました。初めて観た。劇仕立ての夜会は観たことがあるけど、初期はまったく劇ではなく、コンサートの発展版というのか、なんというか。ただ歌うのではなく、場面がそれぞれあって、ひっくり返って歌ったり、いろいろ。断片的に観たことはあったけれども、通しは初めてなので、新鮮でよかったです。
ほほぅー、なるほどねー。
そりゃ、これを生で観たなら、あーなるほど、今回の工場は懐かしいだろうな~。運び方としては、割とこれに近い感じのようにも思いました。

私にはその感動やら衝撃やら記憶やらを共有することはできないんだけど。

ではその頃私が何処で何をしていたか、思い出してみました。
これが行われていたのは1990年11月半ば~12月半ばだそうです。
私は日本にはおらず、ヒマラヤ山中におりました。
ネパール自体は3度目、そして2度目のエベレスト街道で、ようやく終着点のカラ・パタール(標高5545の小さな山)に到達したのがちょうどこの頃。うんまさに、11月中~下旬だったと。エベレスト街道には3週間近く入っていたかな。
そして下りてきて、カトマンズで具合が悪くなり、こりゃもう一回山さ入るべと、12月上旬はランタン谷に入ってました。ランタン谷は2度目、終着点のキャンジンまでこの時初めて行き、ランシサ・カルカまで最後に往復。風がむちゃくちゃ強くて、難儀したなぁ。ランタン寒かった。ヤクのヨーグルト食べたら一発でお腹壊した(笑)。この頃のヒマラヤは、まだトイレが「そこらへんどこでも」状態の所も多く、ただ私にとっては、下手になんちゃって整備された現在よりも、当時のほうが旅しやすかったなと、思ったりもします。

コクーンに、行けるわけなし、この身はヒマラヤ(笑)

また、この頃は、もしもみーさんの歌を連れて行くとしたら、ウォークマンとカセットテープを持ち歩くしかなく、そんな重くてかさばるものを持つほどの体力的な自信はなかったので、なーんもなしで旅に出てましたね。
あーでも今思い出したんだけど、当時カトマンズにあった日本食屋の「古都」に行ったら、店員が気を利かせてみーさんのテープをかけてくれたんだけどもさ、なんとそれがさ、「生きていてもいいですか」でさ、いや、あれはあれで、非常にいたたまれなかったな(笑)。古都、何度か移転しつつ営業していたけど、今でもあるかな。6~7年ネパールにも行ってないや・・・。

そんなことを思い出しながら観たら、また少し別の感慨もありました。服一つとっても、こういう時代だったなと。女も肩肘張って男なんかに負けるもんかと頑張ってた時代だったかな。私は頑張らなかったけどw

今日は午後、しばらく止めていたミシンを動かしてみました。作りかけのものもあるし、新しく作りたいものもあるし、時間を制限して少しずつ、また縫っていこうと思ってます。
今朝は冷え込んでマイナス5℃、明日はどうかな。ではまた