早朝、寝返りを打ってぱたりと腕を落としたら、何やら温かくてざらざらしたものがそこにある。なんだろう、と目を開けると、なんと、ウメが私のベッドで寝ているではないか!
びっくりしてすっかり目が覚めてしまいました。ウメがベッドに上がってきたなんていうのは、外をイノシシが通過したときくらいしか思いつきません。いったい何が起きたんでしょうか、彼女に(笑)
もちろん退出してもらいました。
で、早く起きてしまい、今日も一日、店とミシン仕事、&、布団干し(ウメのお蔭で仕事が増える)、生地の洗い干し、スモモの木にCD吊るす作業(アブラムシは光るものが嫌いだと言われるので)など、はぁー忙しい。
最近評判のいいチャイナ式のシャツジャケットを2枚、それから手織りの青い生地でヤオ族のスタイルに似せてジャケット。創る前から小さいだろうなぁと思ってましたが、やっぱり小さめだった・・・。Sサイズということで。
夕方、もう1点裁断して、いま製作中。これはちっと、いいのが出来ると思われ。
あまりいい写真ではないけど(いつもです)、こんな感じ。
今日は22度まで上がりました。イングリッシュ・デージーがあちこちで白い花を咲かせています。こぼれ種で増えると聞いていたけど、あまり増えません・・・。
八重咲きのニリンソウ、園芸種。開きかけたところです、きれいですね
昨日だったかなぁ・・・、日中も室内から出ずに、寝ているウメ。前足がピンと伸びてるのがおかしくて。
ふだんはデッキの囲いの中にいるのですが、たまに「絶対に家に入る」と決意して固執することがあるんですよね。どういう気分によるものなのか。
さて、今年も5月3日が。
作家であり中国文学者であった高橋和巳が、39歳という若さで旅立った日です。昭和46年、私は生まれてはおりますが、その頃はもちろんこの人のことを知る由もなく。
高校生のときに知って好きになり、大学の卒論をこの人の『堕落』と『悲の器』と『邪宗門』で書きました。大学に入るときに、高橋をやると決めていたという変人ぶりで、しかも、にもかかわらず、高橋とは縁もゆかりもない、そもそも現代国文には理解のない大学に行ってしまい、あやうく卒業できなくなりそうでした。
(もちろん、高橋に縁のある大学も受けましたが、落ちまして・・・w )
たまたま新任の講師が引き受けてくださって、無事に卒論を書くことが出来ました。その先生が着任しなければ、私は多分、漱石か鴎外か藤村あたりでどうでもいい切り貼り論文を規定の50枚きっかり書いて、不幸な卒業をしなければならなかったのだろうと思います。
普段は高橋和巳のことを思い出すこともなく、彼の思想や生涯について考えることもなく、日々を過ごしておりますが、今日だけは思い出します。多分日本のあちこちで、やはり今日、彼のことを思い出している人が少なからずいるだろうと思います。「俺の小説はたった1人か2人、便所の中で読んで泣いてくれればそれでいい」と、生前語っていた人ですが、たくさんの人の胸を打ったのだから、役割は果たし終えていたのかもしれません。
殊勝な気持ちになりまする・・・・・・。
明日は軽井沢も25度の予報です。
でもね、まだまだ寒さがぶり返す、それがここなんですよ。連休もあと2日、ではまた