あ・・・

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あ・・・、咲いた。
本日午後3時ちょっと前。1輪開花確認、3号店南のあんずの木。
去年、根元近くに虫が入ってぐずぐずになっているのを発見し、ダメだろうなぁと思いつつも支柱で支えて様子を見ていた木です。去年よりずっと蕾の付き方も多い。
これでパタッといってしまう可能性もなくはないですが・・・。
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ほら、蕾もこんなにたくさん。
実を期待するのは酷な土地柄ですが、花だけで十分です・・・。
何しろ毎年わが家の1番乗りですから。
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こちらも毎春しみじみと春の到来を感じさせてくれるキャットミント。
冬には完全に地上部が枯れて、春、芽吹いてきます。
その勢いと力強さときたら、ちょっと他の比ではないように思います。
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こんな感じ。
この肉厚ぶりといい、密集してぶわーっと伸びだしてくるところといい、ほれぼれします。手で触ると香りもふわっと広がるし、毎年こうして出てくるし、そこそこ増えるし、でも排除しようとすればしやすいし、我が家の優等生です。
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ど根性パンジー。
こぼれ種から勝手に生えた2世です。
今はF1(一代交配種)と言って、買って蒔いたそれはちゃんと咲くけれど、そうして結実した種を蒔いてももう同じ花は咲かない、という種子が主流です。このパンジーもそう。で、これは2世なんですけど、比較的親に近い花を咲かせているんじゃないかと思います。他にもあちこちで咲いていますが、ほとんど一色になってしまったりしています。
屋根の上は今年、何もしていません。花屋根は終わり? と思われるかもしれませんが、いえ、そうではなく、ようやく、何もしなくても勝手に自分たちで出てきて咲いて終わっていく、そんな状況に近づいてきたようなんです。少なくとも今は。
で、今は屋根一面にパンジーとビオラの勝手に君たちが生えてきて、小さな花を咲かせています。これでいいんです。大きく立派な花を咲かせたかったわけではなく、ほんと、野原の状態を作りたかったんですよ。
今いるこの人たちが終わった後に、バトンタッチできるように他のものも出てきてくれるとベストなんですが。どうかな。
えー、本日の軽井沢は最高気温19.8度と、今年最高気温を記録。
しかし最低気温は1.8度、ご油断めさるな。
札幌ではソメイヨシノが開花したそうですね。軽井沢はどうでしょうか、もう咲いている場所があるかもしれませんね。
連休に向け、本格開店準備着々。ではまた

聖火はエベレストを登る?

ネパール国軍と警察は、オリンピック聖火のエベレスト登頂を援護するため、ネパール側の第二キャンプ(第一キャンプの間違い?)に要員を配置したそうです。キャンプ地の標高は約6500m。当然、高地訓練をしている特別な人たちが任務に当たります。
彼らの任務は、聖火に対する抗議行動の阻止。
必要ならば発砲も可なのだそうです。
まぁこれは、「私たちは中国の味方ですから」というネパールのアピールなんでしょうけれどね。だって、標高6500以上に行ける抗議活動家って・・・。そりゃいるかもしれないけど、だからと言って、どういう「妨害」が予想されるんでしょうか。先に山頂を占拠して登らせないとか?
無理ですわ(笑)
聖火はチベット側から登り、4月末から5月10日の間に登頂する予定だとか。
例年であればアタック・ラッシュのこの時期ですが、ネパール政府は5月1日から10日の間は、7500m以上に登ることを許可していません。いわゆる普通の登山隊のみなさんは、時間調整をしなくちゃならないわけですね。その後どっと押し寄せたりすると、あの時(1996.5.10いわゆるプレ・モンスーンの大量遭難)のような事故にも結びつきかねないな。いや、登山許可申請が激減しているとも聞いてますから、そのへんは大丈夫かな、だといいのですが。
ところで、今週末に長野に来る聖火が、そのうちにぐるっと回ってエベレストに行くのかと思っていましたが、別立てだったのですねー。知りませんでした。
それにしても、聖火がエベレストに登るって、一体何の意味が・・・。
標高8850m、強風が吹き荒れ、酸素はおそろしく薄い中、火は燃えることができるのでしょうか。というか、何で燃やす必要が・・・?
「ここも(つまりチベットも)中国領土だからっ!」
と、全世界にアピールしたいがため、ですよね。全世界、そして中国国内に。
バカバカしい。
それでいて「オリンピックは政治と切り離すべきだ」と言われてもね。にわかには納得できませんわね。
エベレストはチベットからもネパールからも神の山として考えられていて、もともとは登ることが許されない山なのです。それはエベレストに限らず、他の山々にもそういう事情はありまして、たとえばマナスル山は日本隊が初登頂を果たした山ですが、その後麓の村で疫病が流行り、以後ネパール政府はマナスル山周辺へのトレッキングを長く禁じたという経緯があったりします。
それでも人は高いところに登りたい生き物です。いつの間にかエベレストも今や年間数百人が登頂することもある山になりました。神の山に登るということを、登る人とそれを見守る人がどのように理解し納得しているか。そのあたりはかなり微妙ですが、まぁ、純然たる登山であれば、許されると考えていいのかなと思います。
最近では比較的経験の浅い人でもお金さえ出せばプロが連れて行ってくれる登山方法もありますが、そして装備の進歩によって登頂者数は激増しているとはいうものの、それでも感覚的には、エベレストに登るというのは、生死五分五分、ではないでしょうか。体力と技術と精神力の全てを兼ね備えても、天候の急変によって命を落とした例は数限りなく。
命を賭けて登る。
その是非はともかくとして。
もしかしたら死ぬかもしれない、でも、それでもいいから登りたい。
何のためもへったくれもない。ただ登りたいから登る。
そう思う人だけが、ベースキャンプから山頂への一歩を踏み出せる。
それだけの思いを持つ人だけに、神は道を開ける。
私はそんな風に思うのですが。
もちろん、聖火は登ってしまうんでしょうけれど。
世界一見たくない、登頂の図です。