1993年の秋

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ラダックの都・レーの僧院。1993年9月。
小さな僧院を訪れると、この小坊主くんが鍵を持って案内してくれました。
暗くてぶれぶれ(笑)。
特段に意味はないんですが、写真を整理していて出てきました。ぶれているんだけど気に入っていたので。ほんと、写真は下手です・・・。
この写真を撮った後、私はレーを基点とする9日間のトレッキングに出かけ、亡命チベット人の馬方・ケルサンさんと起居を共にしました。そしてレーを離れてすこし南に下り、亡命チベット政府のあるダラムサラという町に行き、ダライ・ラマ14世にお会いしました。あのおそろしく濃厚な40分近い時間・・・・・・。少なくとも対談中は笑顔の中でも決して笑ってはいなかった14世の目の光と共に、あの時すでに抱え、その後もずっと抱え込んでいる重い問いは、今も自分の中でくすぶり続けています。
チベットとはほんとうに、浅からぬ縁がある。
しみじみ、つくづく、そう思います。
私は基本的に、自分が書いたものは読みません。ライターだったときも、先方に渡すまでは何百回も読み返しますが、終わったら雑誌が届いても読みませんでした。死ぬほど恥ずかしい。山中に穴を掘って埋めたくなる。自分を、ね。
昨日、珍しく、ダライ・ラマにお会いしたときのことを、自分はどんな風に書いたのだろうと思って、読み返してみました。へぇ、と思いました。えらく淡々と書いてるな、とおかしかった。
その前年に出した著作の中で、あまりに率直に書きすぎた部分が何箇所かあり、それによってかなりのバッシングを受けました。だから、というわけでもないのでしょうが、相当気を使って言葉を選び、あっさりと、書いたのかもしれません。様々な意味での縛りはきつかった、と思います。勝手に自分で自分を縛っただけかもしれませんが。
なんでこんな話を書いているかというと、先日来日された法王の記者会見をテレビで見て、「あ、またこの怖い目をしている・・・」と何度も思ったから。皆さんには笑顔に見えたかもしれない、いや、法王ご自身が笑っていらっしゃるのかもしれないのですが、私には、怖い・・・。
またこんなことを書いてると危険かもしれません(笑)
このことについては、後日、勇気があったら書くことにします。
2日ぶりの更新、週末のカウンターはおとなしいです。気温が大きく変化しているからか、何日か腰の具合が悪く、うだうだとしておりました。
本日の軽井沢は午後から雨になりました。
気温は低い低い・・・。
ようやくふくらみかけたスイセンの蕾が、雨に震えています。
どうか、標高の高いあの地で捕らえられている人々が、寒さに震えていませんように。
ではまた