藤が咲いた

  もう藤が咲き出しました

  この藤は、私が生まれた世田谷から持ってきたものです
古い木だったので心配しましたが、2度の移転に耐えて今も花を咲かせています。

  サクラソウ、元気な株はいま満開です

  ギボウシもいちばんきれいな頃

  昼ころの藍畑予定地

未明から降った雨が午前中続きました。予報よりもやむのが遅かった。
そんなわけで午前中は家の掃除をしたり、衣替え(今頃か!)をしたり。
夫に手伝ってもらって布の撮影場所を整えて、ちょっとテストで撮影してみました。室内はどこでも光は弱いけど・・・、さりとて外では風やら何やらでこれまた環境がよくはない。撮影は難しい・・・・・・。外付けのストロボ(?)を布でもかけて発光させればずいぶん違うかなとか思いますが、んなもん持ってないし。

午後は雨も上がったので、藍畑の予定地に最後にもう一度鍬を入れ、レーキでざっと均し、植え付け開始。
3~5本ずつになるように苗を分けて、20~25センチくらいの間隔で植え付けていきます。根がびっしりと張ってしまい、分けるのが大変。短く切れてしまう根も多く、活着まで多少時間がかかるかな。まぁ、本来は雑草並みの植物ですから、大丈夫とは思いますが。

この場所全面に植え付けて、残った5~6ヶ所分は畑に植えました。最高の環境に置いて、しっかり花を咲かせ、種を採るためです。うまくいくかどうか・・・。

第二陣を植え付ける場所を今から確保しないとな・・・。あちこち分散植えになりますな。

夜、ぼーっと天気予報を見ていたら、霜注意報ですと! まだビニトンかけてなかったので、慌てて手近のバケツやら段ボール箱やらを苗の上にかぶせました。明日は忘れずにビニトン、と。ではまた~

佐久では半袖

夕方、買い物に佐久まで出たのですが、子どもはもう半袖で歩いていてびっくり。確かに今日は暑かったですね、夕方は長袖でも平気でしたが、日中は夏のようだったのだろうな。佐久は軽井沢より標高が低く、気温も高いです。

ウメはだいぶ「柴犬専用ドッグフード」に慣れてきて、お湯でふやかしてやるとよく食べるようになりました。今は投薬も一緒なので、これはチーズにくるんでわからないようにして食べさせています。朝も散歩から戻るとお腹が空いて、じーっと皿の前に立っているので、ドッグフードをやっています。
ウメは、おすわりやお手など、犬ならたいてい覚えさせられることを、一切覚えずに育ちました。テツがいた頃は、テツがオスワリするので横で一緒にしたりもしていたけど、今はまったく。甘えることもしません。ただ黙ってじーっと、お皿の前にいるだけです。
何もしなくても自分にも与えられる、という確信を持って生きてこられた犬なのかな。
テツは何かしなくちゃもらえない、愛してもらえないと、いつも必死だったように思います。
生まれてすぐにうちに来たウメと、途中で怖い思いをたくさんしてからうちに来たテツの、大きな違いでした。
ウメのこの安定感というか、泰然自若としたところは、見習いたいといつも思っています。もう少し寿命があるようなので、学ばせていただきたい(笑)ものです。

 

ネパールで数日前に大きな余震があり、震源地はテレビで報道された時の地図から見て、ちょうど中国~ネパール友好道路の国境のあたりかなと思っていましたが、今日ネットを見ていたら、エベレスト街道のサブルートにあるターメという村から30キロほどのところだったらしいです。私の見当と大きな違いはなかったかな、もう少し西だと思いましたが、意外に東だったか。

ターメ村は、1995年頃に1度、エベレストに無酸素で11回登ったアンリタ・シェルパさんの取材をさせてもらった時に、彼の故郷を見てみたいとこのあたりを訪れ、寄ったことがありました。村外れの小さな宿屋に泊り、子どもたちの写真を撮ったりしました。2006年に再び訪れ、その時泊まった宿を探し当てました。村はずいぶん大きくなり、建物も増え、探すのがちょっと難しかったです。子どもたちはもう全員巣立っており、奥さんがひとりで宿を切り盛りしていました。昔の写真を引き伸ばしたものを渡すととても喜んでくれました。

2度の地震で建物の殆どが被害を受け、たいへん酷い状況になっているようです。おそらく私が泊まった宿も、被害を受けていると思われます。窓枠や扉などは木材ですが、基本は自然石を積み上げて壁にしていますから、耐震性とかそういうことはまったく・・・。2階建てだったので、せめて人的被害がなければよいと願っています。
ターメは美しい村で、メインルートではないために訪れる人もめちゃくちゃ多くはなく、私は大好きでした。クムジュン、ゴーキョ、ターメ、この3つの村は忘れられないな。
そういえば2006年の時は、エベレスト登頂記録を塗り替えたばかりのアパ・シェルパさんのゲストハウスが建築中でした。多くの著名なシェルパを輩出する地でもありました。

  2006年秋のターメ村 3800米くらい

 ターメ村、コンデ・リの麓

奥の谷からの沢が広がっていく小さな扇状地のような場所にある小さな村です。エベレスト街道はもう卒業だな、と思っていますが、もしももう一度行く機会があるならば、その時はこの谷を上へ詰めて、その先にあるテシラプチャという峠を越えて、ロールワリン山郡を抜けて下山してみたいと思っていました。もうルクラで来ない飛行機を待つのは勘弁だと・・・。

村々の再建が1日も早く進みますように。

明日も天気よく暑くなる予報です。藍の植え付けを始める予定。ではまた

藍の畑つづき

今日も午後から外仕事。
藍の畑にする店前ガーデンの勝手にワイルド空間を整地する作業の続き。今日は力仕事を夫が買って出てくれたので、荒起し、堆肥撒き、撹拌の作業は夫にしてもらいました。

その間に、私は畑にナスとピーマン、きゅうりの苗を植え付け。一応穴を掘って、去年だったかバラ用に買ったけどあまり使わなかった堆肥(うちの堆肥のほうがずっとマシって感じ)に有機肥料を混ぜて底に入れ、その上に苗を。
うちで蒔いたいんげん豆も2株畑に下ろしました。
ほんとはビニールトンネルをかける予定でしたが、ガーデンで呼ばれたのでそっちへ。

残す植物、処分する植物を夫に教えながら、自分はサクラソウの救出作戦。やはり粘土のようにも思える何とも言えない土壌で、ちゃんと根を伸ばしたり水を吸い上げたりできなかったのか、かなりのサクラソウが瀕死の状態でした。これを救助して、ガーデンの他の部分に植え替え。それから、すべてのサクラソウを救出した跡地をこれまた耕して、ちょっと腐葉土を入れて、そこに大部分のサクラソウを戻してみました。以前はここでよく繁殖していたので、土の状態をある程度よくして、侵食してくる植物を除いてやれば、また元気になるんじゃないかな・・・。

作業3時間。二人共バテバテ。ではまた

藍の畑

パソコン仕事を終えて、午後遅くから外仕事。だんだんに仕事の配分なども考えていかないとと思いつつ、ずるずるとあれこれやってしまう・・・。縫製の時間が最近は取れないことが多いですにゃ。

順調に増えていくのは、「ねこあつめ」の煮干しばかりなり 笑

猫がやたらとにぼしを持ってくるので、もうにぼしはいいよ、他のもの持ってきてよと言いたい感じ。でも、餌をやっておくと勝手に来て食って帰ってるみたいで、誰が来たのか見るのは楽しみです。

藍のメイン畑にしようと思っている店前ガーデンの一角。ワイルドストロベリーと、無限に増えるゲラニウムの仲間と、雑多な雑草に覆われています。3年前に藍を育てたのもここでした。その後、肋骨を折ってちょっとナーバスになり、藍の栽培は中断していたのですが、今年はやる気復活。
3本鍬で耕しながら雑草を取る、地味な作業を2時間ほど。
この一帯には、バーク堆肥というものを毎年のように購入しては入れていた、正確には地面の上に置いていた、のですが、2年ほど前から何となく「?」と感じていたことが今日はっきりと。このバーク堆肥、未熟なものだったのと、常に撹拌する場所ではなかったせいか、地表部分10~15センチくらいの深さで、化石化(?)している。発酵しながら固まってるというか。故に耕しても土はほぐれず、粘土のカタマリのようなものがぽこぽこ産出される感じです。それを手でほぐしたりもしてみましたが、ほぐれることはほぐれるけど、全面それをやったら体力が・・・。
そんな土でもいいですよんという植物が生き残り、そうではない植物にとってはよい土壌環境ではないようで弱っているみたいです。店前ガーデン全体がそんな感じ。クマった。

と言いつつ、予定していた半分くらいの面積を何とか荒起し。明日以降、よい腐葉土と、買ったまま積んでいたバーク堆肥の完熟した部分などを入れながら、整地していくつもりです。いやぁ植え付ける前が大変だ。

外仕事を終えて家に入り、ウメを散歩に連れだそうとしていたら、ふらふらーっと足元に歩いてきて、んげぽっ、と黄色い胆汁(?)を吐いてしまいました。
食べるものが変わったのと、薬も飲んでいるから・・・・・・。
いきなり方針変更しそうになるけど、頑張って今日もドッグフード中心、ほんのちょこっと人間の豚肉を乗っけてやりました。獣医さんには内緒ですよ。食欲はあるので大丈夫そう。

今週末に植えられるか、結構ギリギリな予感。明日は今日より暑くなりそうです。ではまたにゃん

藍の苗

  密植気味の藍・第一陣 もういつ定植しても大丈夫そう

というかさっさと定植しないと混みすぎてまずい・・・・・・

  こちらは第二陣 本葉がぽちっと見えている状態です

  わたの芽が出た~♪ 種も大きかったけど双葉も大きいです

  カイドウ  下に向かって咲くんだよね

  ボケ いつも思うんだけど何でこの名前なんだろう・・・

  ブルーベリーの花が咲いた

 

夕方から予報どおり雨になりました。ここはそんなに大雨にはならない予報。まとまって降ってくれていいのだけど。
花粉も洗い流してほしい。
例年よりも早く雑草が開花してしまい、連休前から花粉症がずーーーーっと続いています。スギ・ひのきから継続してそのままなだれ込んだ感じ、まぁ例年通りではあるのですが、ちょっと早い。草刈りが間に合わず、ようよう昨日、今日と刈ってもらえて助かった~。
連休中、電動草刈機を買って自分で刈る夢を見たくらいです・笑

午後は、まだネットに上げていないもののページ作りなど。写真は撮ってあるけど・・・、というグループ。
今年はこれらの他に、今まで全然上げていなかったストール・ショール類や、クッションカバーなんかも撮影してみようかと考えているところです。ゾウがたくさんいたりする・・・。

同業の友人から(そういや彼ともチベットつながりだ・・・)ハガキ。中国からのエアメール。航空信、と言います。
おや、たしか彼は今、タイに仕入れに行っているのでは・・・・・・?
中国に行き、帰国し、あらためてタイに行ったはずなので、タイムラグが生じたんですね。
彼を見ていると、円安でも現地がインフレでも、何とかできる人は何とかしていくのだ、ということがよくわかる。

はぁ~。仕事しよ。ではまた

カラカラ

もうずいぶん長くまとまった雨が降らないので、畑を歩くと土埃が上がるくらいに乾ききっています。砂漠のようです。
今のところ、野菜が植わっている場所は少ないのでジョロで水やりをしていますが、それなりに大変。店前の部分は、ハタネズミにやられたところが乾きがひどく、今年もサクラソウが結構ダメになってしまいました。

南にいる台風が本州にも来そうで、明日の午後には雨になる予報。豪雨は困るけど、少しまとまった量が降ってほしいな。
きのう買ってきた夏野菜の苗は、この雨の後に植えることにして、まだ衣装ケースの中で待機。
藍1号、2号もまだ待機中。
今日は畑の横にあった堆肥山の最後の部分を畑にぶん投げました。腐葉土箱のほうはまだまだ底まで到達せず。もうちょっとかかりそう。そうこうするうちに店前を耕さないと藍が植えられないな。

あ、そうそう、今日はバラにちょっと黒点が見られたので、ダイセンという殺菌剤を撒きました。
そんなこんなで外仕事もけっこう忙しく、やらなきゃと思っていることが進まないな。

ウメはハンスト中。どうして今までもらえていたものが出てこないのか、わからないもんね、犬だもん。甘やかせてしまって、ちょっと反省。ではまた

メタボ・・・

ウメがここ半月ほどかな、お尻を気にするようになって、よく床にこすりつけていました。ちょっと腫れているな、とは気付いていたのですが、まぁそんなこともあるかと様子を見ていたら、ちょっと腫れが酷くなってきて・・・。
来週行こうと思っていた病院に、急遽土曜日の朝、連れて行きました。

皮膚炎でした。細菌感染。
内服薬と消毒薬、それに外用薬が出ました。
皮膚炎は同時に口の横のところ(食べたものがくっついてハゲちゃったのかと思ってた)などにも出ていました。

それより何より・・・。
ウメさまメタボ認定。
豚肉なんてやってちゃダメなんだって。
ジャーキーもダメ。
ウメの好物2つが完全ダメ出し。

フィラリヤの薬もワクチン注射も、ウメどこにも行かないし他の犬と接触しないしなぁと思ってたら、「抵抗力が落ちている時にこうして病院に来れば感染するかも・・・」と言われ、なるほどそりゃそうである、と・・・。意識の低い飼い主でして。
さっそく両方共注射してもらうことにして。
「こうして年に1回、ワクチン注射がてら健康チェックをすれば・・・・・・」

ウメ、もうそんなに長くないと思ってたから、好きなモノを食べさせて好きにさせてたんだけど、えと、まだ長いんだ???

どうやらそのようです。
ウメさまには今後、ドッグフード中心に食べてもらうことにして、今日はさっそく、「11歳以上柴犬専用」ってやつを買ってみた。案の定食べないけど、ま、お腹が空けば食べるでしょう。

ウメは、3年前に手術した時に急性腎不全で死にかけ、その時に何も食べられない状態が長く続きました。ウメが食べられるものを探してスーパーをうろうろし、カステラやプリンが救世主になったりしました。どんなものでも食べてくれさえすればよかったあの時の記憶が強すぎて、食べないと心配になってつい、食べるものを与えてしまう・・・。
ウメはまだまだ大丈夫そうなので、これからは肉やジャーキーは与えないことを前提に、まぁ少しはやると思うけど、殆どやらずに過ごさせてみようかと思っています。

昨日、今日とまたちょっと気温が低く、今もストーブをつけています。まぁこれが普通というか、先週までが暑すぎた。

台風が南にいるようですね、こちらにも来るのかな? ではまた~

発送しました

連休中にご注文をいただいていた皆さま、お待たせをいたしました。

本日、全てのお客さまに商品を発送しましたので、お知らせします。
明日以降に到着しますので、もう少しだけお待ちください。

どうもありがとうございました。

 

♪♪♪

連休が終わった軽井沢は急に冷え込んで、今日の午前中は電気ストーブをつけるくらいの寒さでした。
午後には雷と雨、風も吹きましたが、すぐに通過していったようで4時には晴れ間も見えてきました。
しばらくまた静かな時期が続きますね・・・。

畑に植え付ける夏野菜の苗もまだ買っていないし、畑の準備もまだ出来ていないし・・・。
藍の第一陣はそろそろ植え付けてもよさそうな、というか植えつけないなら植え替えろと合唱している状況ですが、こちらは植える予定の店前をまだ耕していないので、今週末から来週の仕事になりそう。第二陣も順調に発芽が進みました。

そんなこんなです。
ではまた

連休終了!

お疲れさまでした・・・・・・。

わが家も軽井沢と別の場所での2本立てで頑張りました。
そろそろ手放したい・・・、と思っているものなどはうんと値段を下げてしまい、少し手放せました。
よいものが出るとうれしい。
でもなかなか、よいものは出ませんなぁ・・・・・・。
インフレターゲット2%、原油が上がりだしたのでこのまま行けばまたインフレも進むのかな?
インフレ、かどうかはわからないけど、物価は確実に上がっているので、普通の人達の財布の紐の固さは当分緩むことはないと思います。緩む間もなく次の増税がくると予想。

それはともかく。
私は軽井沢組だったので、店番のほかに畑仕事をしたり、縫製をしたり、していました。
畑には、堆肥の山、腐葉土の山を少しずつ崩してネコでよたよたと運んでみたり。
ちゃちゃっと畝を作ってキャベツなどを植え付けてみたり。
玉ねぎの苗(密植のまま越冬させたもの)を植え付けてみたり(玉ねぎになるかどうかは不明)。
よもぎ、スギナと無駄に闘ってみたり。
してました。
あとはカディの服を縫ったり、ネットショップの発送準備をしたり。
今日は久々に店を閉めてから縫製しながらみゆきさんを聴いて一緒に歌いました・・・

そんなこんなの連休。わが家は例年になく早く桜が咲き、もうヤマザクラはほとんど葉桜に。枝垂れ桜とハナモモ、桃がまだ満開で見られるかな。そうそう、スモモに早くもアブラーが来ていたので何とかせねば。

連休中のご来店&お買い上げに心から感謝申し上げます。
ではまた~

ランタン村のことなど

連休もぼちぼち終盤ですね。昨日はぐずつき、夜は雨、そして今朝には上空の空気が入れ替わったのをはっきり感じる寒さ。軽井沢は異常な暖かさの連休スタート~中盤でしたが、ここにきて普通の状態に戻った感じかな。でもヤマザクラもすっかり葉桜となり、なんだか季節を損した気分です。あまりにも早すぎた・・・・・・。

ネパールの大地震、エベレストの被害は伝えられていましたが、より震源に近いランタン・ゴサインクンド・ヘランブーといった地域はより被害が大きいのでは? と思っていたら、今日ランタン村の情報を目にしました。雪崩と地すべりでほぼ壊滅。住民の3割が命を失うという大惨事だったとのこと。未だに外国人客を含む多数の人が埋まっているとか。やはりそうでしたか・・・・・・。

ランタン山郡は、カトマンズに入った観光客にとって最も近い開かれたトレッキング・ルートです。往復10日(7日でも行けるかな)あれば美しい氷河を抱くランタン・リ・ルンの直下まで入れます。川沿いの比較的湿潤な緑深いエリアから、チベット的な高地までを歩くルート。それでも最高点で4200とかじゃなかったかな、5000は越えないのでまぁまぁ楽なルートです。入山にあたって飛行機を利用する必要がない、そもそも空港がない(?)のも利点。
私が行ったのは1988、1991,2002の3回ですが、最初は2軒ほどだったゲストハウスが最後に行った時は10軒くらいになっていてびっくりした、それが今は55軒だそうです・・・・・・。いかに人々がヒマラヤに向かったかがわかる。このエリアだけではないけど、観光収入はすごかったんだなぁと思います。

検索していたら、このランタンに義援金を届ける団体を見つけました。ランタン村は日本のどこかの大学が小型水力発電をやっていて、けっこう早い時期に電気が点いていたのを覚えています。募金しようかと思って、募金の使い道というところを見てみたら、呼びかけ人の渡航費、現地滞在費、とある。もちろん、呼びかけ人はちゃんとした人で、身元や職業も公開していますし、「使い道」を事前に公開しているのはたいへん良心的だと思います。でも。
うーーーーん・・・・・・・・・・・・。
そこはあなたが支払えばいいんじゃないでしょうか、あなたにそのお金がないとは思えませんが、と思うのは、私の根性がネジ曲がっているからなんでしょうか。
NGOでもNPOでもこの手の話はどこにでも転がっていて、故に私はちっともそれらを信用しないのだけど、それでもどこかに寄付をしようというときには、どこにするかはだいたい決めています。
一つは、キリスト教の海外医療関係の団体。主に修道女の方たちが海外の貧困地域に「神の手」となるために赴く活動をしている。この人たちはそもそもが金銭を得るための仕事をしていないので、身銭で行きやがれという考えは成り立たない。多くの場合彼女たちは一生をそこに捧げ、紛争に巻き込まれてもその地に「見捨てられた人たちと共に」留まったりする。そうして命を落とす方も多い。自分には絶対にできない活動をされている方たちの団体。寄付をして生きる場の一つだと思います。
もう一つはこれもキリスト教系ですが、曽野綾子さんが主催している団体。今もあるかどうかは不明。ここは、集めた寄付からびた一文として自分たちの経費を出さないことを謳っている。寄付金をどこに使うかを見極めるために渡航するのも全員が自費、各種活動のために集まる交通費やら何やらも当然自費、全てを自費で行い、募金は1円の間違いもなく現地に確実に届ける。ここも寄付をしたらそれが全額生きる場です。

何のために目の前の箱があるのだと、いま検索して調べましたら、曽野綾子さんの団体はJOMASという大きな団体になっており、現在も活動していました。現在も運営費の一切を無償奉仕で補うという精神に変りはないようです。
ご興味のある方はこちらから  JOMAS
なお、曽野綾子さんは現在は代表を退かれています。

何だか話が変な方向に。ではまた