1週間ほど中国上海と近郊を旅してきました。
往復とも春秋日本、スプリングジャパンを利用。ちょうど寧波に就航キャンペーンをやっており、上海はすぐ近くなので(実際は結構遠かった^^;)思わず。日本人乗客を増やしたいからでしょうか、往路は真ん中席をブロックしてくれ、帰路は非常口席に。結果的にそうなったことはたまにあるけれど、チェックイン時に伝えられたのは初めての経験でした。飛行機もごく普通で何の問題もなく、茨城線は最近使っていないからわからないけど、成田~寧波線はまた使いたいと思いました。
今回の旅はずばり、土布探しの旅。
かつては上海の骨董街東台路トンタイルーで買うことができましたが、出発間際になってそのエリアが再開発で取り壊され、業者も散り散りになったと知りました。実際、東台路は更地になっていて、「ここへ移った」と情報のあった骨董ビルにもいくつか足を運びましたが、土布を扱う人には巡り会えず。
崇明島まで足を延ばしてようやく少し手に入れました。
崇明島のバス駅
崇明土布の織機(新しい)
上海に戻り、あちこち目星をつけていた場所を探し回り、ようやく土布をまとめて持っている人にぶつかりまして、反で10本ほどか、入手できました。
土布はコレクターらしき人々がかき集めてストックしてしまい、普通の場所にはまったく流通しなくなっていました。以前もそうだったのかもしれません。コレクターは自分が集めたものは売りません。完全に市場から消えてから、出してくるのだと思います。冷凍さんまと同じです(違)。土布を手に入れるのはほんとうに難しくなった・・・。
紹興では中国最大と言われる生地市場に初めて行ってみました。染めるための白い木綿が、どんな感じで売られているのかという市場調査です。サンプルで少し買ってみたりもしました。ここは面白い。ぜひまた行こうと思います。布好きの人なら発狂ものです・笑
ごく一部
こんな巨大なビルがいくつもいくつも連なったり点在していたりして、そのどれもがびっしり生地屋。日暮里の数百倍の規模だと思います。でかすぎてようわからん。
魯迅先生と
紹興ではぜひ行きたかった魯迅紀念館に行きました。特にファンというわけではありませんが、日本人なら必ず学校で習っていますからね。ただ共産党によって徹底的に利用された魯迅さん(まぁその多くは没後だけど)、実際はどうなのかしらんと思いながら展示を見ました。
寧波には道元禅師に縁の場所があるらしかったけど、疲れちゃって今回はパス。出身大学の開祖が道元さんなので・・・。
以下雑感
上海の中心部はもうほんとうに日本とほとんど変わらなくなった、人もそうだ
中国人も乗り物に年寄りが乗ってきても席を譲らなくなった、譲っているのは中年以降の人が多い
それでも私達に席を譲ってくれる若い人がいたりはする
スマホ決済は実際すさまじい。現金だと釣りがなかったりする
スマホ持たざれば人にあらず
未だに地下鉄でもバスでも乗降口に突撃するバカはいる、一部はちゃんとしている
かーっぺっ、も中心部では激減した、離れるとまだ結構いる
離れるとバスの運転手がめちゃ横柄、昔と変わらん、私も怒鳴られた(行くかどうか訊いたら)
それでも中国人が「ごめん」と謝るシーンに何度も出くわした、驚いた
いわゆる90後(ちうりんほう)、00後(りんりんほう)の世代の若者と話す機会が何度かあったのだけど、皆ふつうの若者で、日本の若者と何も変わらない。反日教育の洗礼を受けた世代のはずだが、特に私たちに敵意を持つこともなく、むしろ歓待してもらうことが多かった。
旅を通じて自分が日本人であるが故に不安を感じたり、何かやられた! と思ったことはたぶん一度もなかったと思う。
中国はものすごく変化した。この30年の中国の変化はすさまじい。よくない方に変わった面も無論ある(昔の大らかさは影を潜めた)が、よい方向に変わったことがより多くあると感じた。中国の未来を悲観することはない。人権問題なども、時間はかかるかもしれないが、いつか解決されていくと思いたい。いずれ世代はいやでも変わっていく。その前に、本当に、国など、出自など、どうでもいい時代が来るのかもしれない。
世界は今後ますます米中の二大大国が覇権を争い、おそらくは世界を二分して支配していくようになるのだろうと思う。日本がどこに立ち位置を見つけるか、それは我々一国民にはどうしようもないこと、政治家にしっかりしてほしいと強く思う。
紹興の市場でバスを待っていた時、しげしげと私を見続けるおばちゃんあり。上から下まで数分かけてじっくり眺めた後で、やおら
「あんた中国人なのにどこの言葉しゃべってんの、どこの言葉なの?」
「日本語ですよ、わたし日本人だから」
「何言ってんの、中国人でしょうが!」
「いやいや日本人ですから」
「はぁ??? どこからどう見ても中国人じゃないの! なんでウソつくの!」
「すいません、でも日本人なんです」
というアホな会話。
彼女の脳内の日本人は、テレビや映画なんかで見る素敵な日本婦女子なんじゃろうね。こんな、確かに市場に出稼ぎに来てんのかって適当なナリでいてすいません。
なんか忘れられない人だった。
中国の旅はもうちょっと詳しくまとめるつもりですが(つもりね)、ざっとこんなところで。帰国すると軽井沢は新緑の盛りで年で一番美しい季節。畑の野菜も無事でした。植え付け前の藍が、トレーごと畑に埋めていったけどやっぱかなり減ってた^^; 生きているのをぼちぼち植え付けます。今夜から雨の予報、そういえば中国では一度も太陽を見なかった。蜀犬日に吠ゆ、と言うけれど、上海あたりもすっきり晴れない場所なのかな? ではまた