チン州

ネットのニュースを見ていて、ミャンマーからインドへ国境を越えて逃げる人々がいると知った。その多くは兵士や警官だという。殺せ、撃てと命じられて、それが出来ないから逃げたのだという。あちこちの国境で同じことが起きているのかもしれない、私が見たのはインドのミゾラム州の話だった。
ミゾラムと国境を接するのはチン州だ。この辺りは1年と少し前に通ったのでことさらに気になる。


赤い線で囲まれているのがミゾラム州、ここも含めて黒の実線がインドとミャンマーの国境、右側がミャンマー。

私は地図の上の方にあるインパールから南下東進して国境を越え、AH1というマークのある黄色いラインを通った。このAH1が白骨街道であるとされている。もちろん1本の道がそうであったわけではないと思うが(この辺りの話はここにある)
この国境が越えられなければ、ミゾラム州に下って、ここにある国境を越えようかと思っていた。実際には越えられたので、ミゾラムには入っていない。

ミャンマー軍のクーデターからの一連の動きを見ているが、また長い混乱になると考えている。一時は収まっていた各地の少数民族たちが、再び迫害されることを恐れて動くのではないかと思うからだ。現にミゾラムに逃れた人々はチン族の警官だったり兵士だったりするらしい。彼らは同じ民族の非武装の人々を撃てと命じられたのだという。ひどい話である。
チンであったり、ナガであったり、あるいは東に行けばカレンであったり。長く独立運動を戦ってきた民族がミャンマーには多数存在する。そのどの民族もすばらしい布を作っており、私はその布を通じて彼らの存在を知っている。

実は前回、チン州の山の方に入ろうかと考えたこともあった。ただ寒かったしインドが長くて疲れてもいて、次の機会にしようととりやめた。入っておけばよかったが……、こればかりは未来のことがわからないのでどうしようもない。
AH1を南下しながらモンユワという町へ向かっていた日、途中で休憩があった。食堂のような場所で、みんなトイレを借りた。オープンテラスでお茶を飲んでいる初老の男性が2人。私と夫を見て、「どこのもんだ」というように顎をしゃくった。「日本人です」と答えると、一人の男性が立ち上がり、胸を勢いよく反らして、「チーン!」と一言、大音声で。「俺はチン族だ」と。刀のようなものを腰に下げていたっけ。遠い昔のことを知ってか知らずかはわからないが、手を差し出され、握手した。

この一瞬の邂逅の話はいつか書きたいと思っていたが、こんなことになろうとは。その時私は、「あぁ自分は遠からずチン州に行くだろう」と確信したのだが、残念ながらそれはかなり先の話になってしまいそうだ。

一日も早く平和が戻ればよいと思うが、それはたいへん難しいことも理解する。どうなることが平和なのか……。人々は民主化を求め、少数民族は(おそらく)ある一定の自治権を求め、軍はそれを認めない。まったく希望がない。

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今日は午前中に生地の最終グループにアイロンかけ→撮影。
午後からは撮影待ちしていた服などを撮影。一部補修したり、ネームを付けたりといった作業。1点パターンを作り始めてうまくいかず右往左往。5時過ぎに夫が声をかけにきてくれたので、そこで水入りにした。
ではまた