あれから10年経った

十年は長い月日か 十年は短い日々か (十年 中島みゆき)

と歌詞にもあるけれど、あれから10年が経った。3月に入ってからテレビをつけるとあちこちで特番だったり特集だったりで、嫌でも節目のこの日を意識した。
去年の今日は、最終地タイから帰国した日で、震災のことはほとんど考えなかったように記憶している。

十年前の今日はスーパーにいて地震に遭った。夫に引っ張られて外に避難した。家に帰ると何十キロもある薪ストーブが動いていた。軽井沢は地震の少ない土地なので、かなり怖かった。翌日(つまり明日)には長野北部でやはり大きな地震があったのだった。

あの日は何も手につかず、テレビを眺めるか、ネットサーフィンをして気を紛らわせていた。震災ファイトと呼ばれているらしい、阪神淡路大震災の年のコンサートで歌われたファイトの画像(あぁ違うなニコ動の画像という意味)をその時初めて見た。叫ぶような吠えるようなファイトは、胸に突き刺さった。あひるちゃん、という人のブログでだった。特にすごいファンというわけでもないこの人のブログに、もちろん見ず知らずの赤の他人なのに、どうやって行き着いたんだろう。
私は他人のブログを殆ど見ない。いや、友人知人がほとんどブログをやっていないと言った方がいいか。あひるちゃんはその後も時々見に行っている。読む人のために書いているブログだと思う。私のそれとは正反対のところにある。

人生の中で、10年は長い。

廃炉まであと30年とか言われているらしいが、おそらく無理だろうとほぼ全員がわかっていると思う。私が生きている間に、廃炉完了のニュースを聞くことはないだろう。あそこを巨大な核の墓場にする以外ないんじゃないかと、何もかもあそこに置いて現代の科学力知力の全てを注ぎ込んで完全に封印することができないものなのかと、ド素人は思う。

長野群馬県境に降った放射能はほとんどスルーされ続けているのだが、未だに山菜きのこは出荷制限がかかり、採取自粛のままだ。ずっとこのまま続いて行くのだろうか。除染も何もしていないのだから、そういうことなのかな。

印度からも中国からも注文したものが届かずにイライラもMAXとなってきた今日この頃。本日ようやく中国からは到着した。よかった。一昨日くらいにブチ切れてチャットで延々と文句を言ったのだが、その時はもう日本まで来ていたくらいなんだろう。インド人はのらりくらりのらりくらりの状態が続いている。やれやれでござる。ではまた