日中プラスになる

昨日、今日と日中はプラス気温でありがたい。こういう日もないとまじでやってらんね~。という感じの寒冷地。

あちこちに緊急事態宣言が拡大された昨日。
それにしてもいつも政府の人間が何か言う時に、「専門家の意見をお聞きして」が強調されるのが気になって仕方がない。
専門家の意見=免罪符、なんだろうな~と思う。専門家が気の毒である。この国には何かの時には腹を切る覚悟を持った政治家はいないのだろう。
それにしても、コロナで困る人がいる傍らで、コロナで太る人もいる。救われる人がいれば救われない人もいる。そういうことが社会に与える影響を思うと暗澹とする。

姪っこが陽性になったらしく、身近では初めての感染だ。首都圏にいるのでこことは危険の度合いが格段に違う、若いから学校に行ったりバイトしたりもするだろう。陽性は陽性でも症状が出ないまたは重くならなければいいのだが(家族みんな)。

 『くまちゃん』 角田光代

連作短編集。失恋の話ばかりが続く。振った人が次では振られる(逆もあったかな?)、ことの繰り返しで面白い。最後だけちょっと違った展開になって、失恋の連鎖が止まる。
☆3.5 なんてことはないんだけど面白い

 『裸の華』 桜木紫乃

怪我をして引退したストリッパーが出身地札幌に戻ってダンスバーを開く。謎の凄腕バーテンダー、若い踊り子二人、そして姉御肌の主人公ノリカ。登場人物それぞれがよく書き込まれていて見事に立っており、最後はえっと驚く幕の引き方で恐れ入った。ハードボイルドのいいのを読んだ感じだ。この人が書く女はほんと強いんだよね。
☆4.5 命短し恋せよ乙女

 『森へ行きましょう』 川上弘美

同じ名前の女2人の、出生から60歳くらいまでの半生記、というのかな。パラレルワールドもの、らしい。あの時別の道を選んでいたらどうなっていただろう、ということを見せてくれるというか。最初は交互に繰り返される同じ名前(漢字とカタカナ)の二人の話にちょっと辟易し、これが最後まで続くのかと、読むのやめようかと思ったが、案外読めてしまった。
タイトルの「森」は何かの拍子に森へ入り込んでしまう、というような言い回しで使われていたが、むしろ生まれた時からずっと森の中、なんじゃないかと思った。最初の10年くらいは親またはそれに代わる大人に手を引かれているけれど、自分がその手を振り払うのか、親が離すのか、不可抗力で離れるのか、いつの間にか一人で歩いている。誰かと出会ってたまさか一緒に歩いても、それは道と道が並行しているだけで、一つの道を一緒に歩いているのとは違うのだろう。なんて思った。
☆4.0 そいつと結婚するのだけはやめろルツ!

1966年生まれの女を描いた小説で、結婚か仕事かどちらか選ばされた世代だ、というような描写があった。うんうんそうだった、と思った。私が結婚するすこし前、当時出入りしていた出版社に行くと、顔見知りの編集者が「聞いたよ、結婚するんだって? 残念だなぁ、ゴトーちゃんとは一度仕事してみたかったのに」と、喜色満面で言ったのを思い出す。「え? 結婚するだけですよ?」と言った私に、「いやいや、仕事できなくなるでしょ」と返されたっけね。その頃、結婚はともかくとして、出産しても続けられる仕事なんて、公務員か教員か、くらいだったと思う。会社員でも有能な人だったらできたかな?
つうかまぁ、この編集者とのエピソードは、単に私が疎んじられていた、ということなのかもしれない。でも当時は確かに、女は結婚したら辞めるものだった、と思うのだが。
今はどうなんだろう、よくなっているといいな。

昔の写真


プモ・リ  1990年11月

当時ちょっとハマっていたモノクロの写真。今はデジタルでモノクロに加工するのも簡単だけど、当時はモノクロフィルムを使うしかなかった。リバーサル、カラーネガ、モノクロネガ、と3種類のフィルムを持って旅をしていたのだな。大きな白い山の手前に黒い三角が見えるが、これがカラ・パタール5545m。エベレスト街道と呼ばれるトレッキングルートの終着点がここだ。私は89年3月に続く2度目のエベレスト街道で、やっとここまで到着した。
おそらくこのモレーンを乗り越えて少し行ったところがゴラクシェプ、当時は簡素な小屋が2つあるだけの小さな小さな場所だった。

ではまた

雪1~2センチ

予報通り雪になったけど、うっすらと積もった程度で済んだ。よかったよかった。
今日もそんなわけで真冬日、自宅2階でせっせとフィルムのデジタル化を進めた。
使っているスキャナーは、マウントしたポジフィルム(リバーサルというのが正しいのかな)は4枚、スリーブのままだと6枚、が一度にスキャンできる上限だ。日本で現像したフィルムはほとんどが1スリーブ6カット。海外で現像したものの中には1スリーブ4カットなどというふざけたものもある。
セットし、蓋を閉め、いったん読み取って、それから本スキャン。終わったら取り出して、次をセットし、同じ作業を繰り返す。
たいした写真じゃないし、大きく引き伸ばすこともないと思うから、カラーフィルムやモノクロ(一時期はまった)は300dpiで、リバーサルは1200dpiで取り込んでいる。もっと上で取り込んだ方がいいのはわかっているが、膨大な時間がかかるので、妥協も必要だと思う。

そうはいっても時間がかかる。機械のそばにずっと付いていないと進まない。細切れの、1分とか2分とかの時間がたくさんある状態。
ネットでぼーっと何かを見ていることが多い。
今日はアゼルバイジャンの地図を見ていた。そういやみゆきさんの歌にあるな~と思ったのと、去年は隣国と紛争になっていて、まさに歌で歌われていたようなことが再び起きたということだと思っていたんだった。
トルクメニスタンからアゼルバイジャンのバクーという街へ、船で渡れる。渡るのはカスピ海だ。何かわかんないけどかっこいい(違
その西にあるのは黒海だ。こっちはかっこいいとは思わない、なんか怖い印象だな。
また海外へ行ける日が来たら、今までアジアを出たことがなかった(仕事では出たけど)ので、もう少し西へ行ってみようかと思ったりしている。完全な西欧社会にはあまり興味がない。興味があるのはせいぜいが、黒海沿岸あたりまでだろう。

そんな妄想をしながら、ひたすら機械の手足となっている。この冬はこれしかしないかもしれない。でもこの機会がなければきっとずっと出来なかった、やらなかったと思うので、コロナに貰った機会なのだと思うことにしよう。

明日は晴れて、日中はプラスになる予報。ではまた

-12℃で冷え冷え

昨夜、お風呂を入れようとしたら途中でお湯が出なくなり、給湯器がとうとう壊れたかと焦った。ちょうど同じような寒さの所に住む友人が同じ状態になったと聞いたばかり。うちはその後やり直したら無事に出るようになった。でもこの寒さで給湯器は危ないので、昨夜からはつけっぱなしにしている。間欠泉みたいにボーボーうるさいけど仕方がない(^^;

今日は-12~-1、という真冬日だった。寒さが身に滲みる。
次の冬はぜひともタイあたりの南の国で過ごしたい。向こうで仕事もしようかと最近考えている。タイ出張事務所、妄想タイム。

今日も写真の取り込みを継続。今日は昨日も取り込んでいた1996年のゴーキョピークのネガを取り込んだ。
この頃は、ポジフィルムとネガフィルムの両方を使っていた。ポジは高かったし、複数持って行くカメラに全部ポジというわけにはいかなかった。それゆえネガフィルムもそれなりの数があり、一度焼いたからもちろん見てはいるけどそれっきり。いい機会なので、もう全部のフィルムをデジタル化してしまおうかと!

ただ、ネガフィルムはスリーブのままなので作業はやりやすいのだが、ポジは切り出しという作業を既にしている。ポジはいいものを切り出して四角いケース(マウント)に入れて、それを焼いたり保管したりしていた。当然、切り出さなかった大量の残ポジがあるわけで、これはぶつ切りになってたりして取り込むのが厄介そう。
でもやらなきゃね……。

 

謹賀新年

今年は丑年、これ使えばよかったよ


こっちはヤク、雪のバッティ(山小屋)でお出迎え

 まじめにやってる写真
どこだろう? ピークではない、ザック背負ってるから


急遽ナムチェバザールで買った毛糸の帽子、手袋はカラー軍手、靴はごく普通の5000円以下の気に入っていたトレッキングシューズ。これで雪の中を1週間くらい歩いた。毎日ずぶ濡れになって、凍傷になったらどうしようかと心配した。ならなかった。

そろそろ、もしもヒマラヤに行くなら、ゴアテックスの靴を履いてもいいかなと思える年になったと思う。


ヒマラヤの虎と呼ばれたアンリタさん、奥さん、私
アンリタさんは絶対笑わなくて……。何カット撮ったことか。なのに1枚も笑ってない(^^; いや笑ってるのか?(笑
ずっと若いアパ・シェルパさんの方が知名度が高く、アンリタさんは不器用で人に騙されちゃったりしたんじゃないかと思う。アパさんの立派なホテルが建設中なのをターメ村で見たが、アンリタさんは簡素な家に住んでいた。
スペイン隊を連れて山に上がる前日だった。「行けそうですか?」と訊いたら、「今頃クライミングの練習してやがる、ダメだろ」と笑っていた。
「連れてってやろうか?」と訊かれて、「無理無理」と笑ったら、「背負って行ってやるよ、あんたは背中で酸素吸ってろ」と。実際それができてしまいそうな人だった。

アパ・シェルパさんは21回エベレストに登り、アメリカに移住したそうだ。数年前に山岳事故で亡くなったというニュースを目にした気がしたのだが、今ちょっと検索してみたが出てこないので、同じ名前の別人だったのだろう。この記録は既に別のシェルパによって抜かれている。

2020年はヒマラヤ界隈も静かだったことだろう。観光客が来なければ小屋もガイドもポーターも収入がない。世界中で同じようなことが起きている。補償などという概念がそもそもないであろうこのような貧国の人々が、この禍を何とかしのいでいけますように。

昔の写真とかネットつながらないとか

ここ何日かは真冬日の超厳寒が続いている軽井沢。朝の最低気温は-10℃を下回り、日中ももちろんマイナスのまま。
今年はほんとに寒いと思うけど、いつもこうだったっけ?

さて、この数日はパソコン様との息が合わず、ご機嫌取りに忙しかった。
事の発端は、あまりの寒さに北側にあるPC部屋を出て南の吹き抜け部分に移ったこと。これと同時に例の無線ルーターのケーブルを長いものにして吹き抜けのど真ん中に持って行こうとした。
そしたらネットがつながらなくなった……。
どうもLANケーブルのカテゴリーを5eから6にしたのが原因らしい。他に原因は見当たらない。ルーターの方は大丈夫かもしれない(実際に飛んでいたのだが、なぜかタブレット=✖、スマホ=〇だった)。モデムから3本のLANケーブルを出して、2階PC、1階PC、そして無線ルーター、なのだが、一時はすべてがつながらなくなって焦った。切り分けたりするのに時間がかかり、ほぼ1日がかりで復旧。疲れた。
次には古いスキャナーを引っ張り出してつなげようとしたらつながらない事件。これはWIN10用のドライバを入れて、起動をやり直しているうちに半日くらいで直った。

今はせっせと古い写真を取り込んでいる。何年も前にやりかけて、途中でやめてそれっきりになっていた(^^; 特にポジフィルムは20年で劣化、と聞いていたのに、既に25年以上が経過したものもある。
そんなわけでせっせと。この機会を逃したらもう次はないかも。

せっかくなのでちょっと写真など。

 1995年8月香港にて
25年と5か月ほど前のお写真でございます
定かではないがラッキーG.H近くのバス停だと思う

この時は、バンコクから香港までオール陸路で行けるかどうか、のチャレンジ旅だった。持ち込む気満々でやった旅。当時はまだ、できるという情報はなかったんだよね。ネットとか当然ないしさ。タイ~ラオスの国境も開いてから間もなかったし、ラオス~ベトナム国境、ベトナム~中国国境、これが越えられるかわからなかった。
なんたってラオスビザを取るのにラオス大使館に電話すると、怪しい旅行社(片言の日本語を話す中国人だった)を紹介されて、まずそいつから送られる大量のツアー情報をFAXで受け取らなきゃならず、ツアーは要りませんビザだけでと平身低頭して買わなきゃいけなかった、2万円以上した、そんな時代の話。今はタダですよ、タダ!
帰国後、例の(笑)猿岩石が逆ルートで……(撃沈)

完旅としてはどこにも通らなかったが、ラオス1国に絞って書いた原稿がアウトドア系以外の雑誌に載せてもらえてよかった。もちろんその稿料の数倍の旅費を使っちゃったのでまるっきり赤字だけど、当時も今も、黒字の旅をしようという発想はなかったし、事前にお金をもらうこともしなかった。だってねぇ、じゃあ何のために働いてるのさ? 旅するためでしょ? って話だ。

 

 1996年4月ネパール・ドーレ村あたり

これも持ち込み企画にした旅だったんだけど、色々あって持ち込んだことは出来なくなっちゃって、仕方なく成り行きでゴーキョ・ピークに行った時のもの。4000以上に行く気はなかったので装備が足りず、カトマンズでいろいろ借りたのを覚えている。大雪だった。写真はおそらく4200辺りではないかと思う、定かではない。
自分がメインに据えていた企画はダメになったけど、エベレストにその時点で10回登っていたアンリタさんへの取材が雑誌に載った旅になった。
しかしうれしそう。たぶん雪の中を半ラッセルで歩き続けて着いた村、での1枚ではないかと。この頃のヒマラヤは本当によかった。

旅はいいな~。
早く普通に飛行機が飛んで、チケットが買えるようになってほしい。
ではまた

続く感染増

東京では一気に2500なんていう数が飛び出してきて、長野も80近くて過去最高。コロナの感染はもう止めようがないのかなぁと思えてしまう。
緊急事態宣言も出されたけど……。
ビジネス関係者の入国は継続するらしい。
先月お会いした医療関係の知人は、国内の旅行云々よりも、感染が急増した直前に何があったかと見ればそれは入国制限の緩和だったんだよね~、と言っていらした。外国からどんどん入って来るものを、国内の移動でどんどん地方に拡散させた、という感じなのかな、素人考えだけど。

うまく多くの人が抗体を獲得していることを願うしかない、のか。
欧米でもまったく歯止めがかからず拡大しているようだし、いやいやいやいやもうまったく……。今せっせと打っているワクチンの効果が目に見え始めるのはいつ頃なんだろう? 今はそれに期待するしかないのかと思う今日この頃。

寒波襲来で、風が強かった。雪が混じると吹雪状態。
明日の最高気温が氷点下4℃とかで、コロナも凍るだろ(笑)

今日は自分の旅サイトをいじっていたら、画像の三分の一ほどが消えるという恐ろしい目に遭い、何とか午後一杯かけて救出したというか、ほぼ復元した。が、ウォーターマークっていうのが一部は消え、一部はデカくなって残るという変な状態。でもこれまたいじると画像消えるかもしれないんで、もうこのままにする。
そういう不思議な動きをするので、この手のものは怖い。
総目次を作っていて、そこのサムネイルにまでウォーターマークが入るのを阻止しようとして、そんなことになった。
一応、その総目次はこちら

私はほんとにヒマラヤが好きだったんだな~とか、ヒマラヤと中国(チベット狙い)がほぼ交互に来てるわ~とか、思いながらの作業。昔の旅はよく覚えているのに、意外と1990年代後半から10年、15年、くらいの記憶が薄い。
旅以外の、旅を支える土台の部分があちこち崩れたり水が噴き出したりして、その補修に追われていた時期なのだろうと思う。それでもちょこちょこと旅はしていたからえらいというかなんというか。
それにしても画像がまったく見つからない旅があるってことに愕然としている。ショック。どこかにあるんだろうか。

まだ風が吹いている。ではまた

PC仕事いろいろ

私の持っている古いi-pod、なんと、amazon music に互換性がなくて入れられないことが判明した。そりゃ古いけど。ショック。64GBもあるのに(関係ないが)。こうしてあちこちに、これは出来るけどあれは出来ない、あれは出来るけどこれは出来ない、的ないろいろが溜まっていってしまうのかと思った。
今使っているタブレットではamazon musicが使え、昨日届いた小さな機械をミニコンポにつなげると、うまくbluethoothとやらで無線で飛ばし、音楽を聴くことができてよかった。とりあえず。

で、賀状印刷だ。さすがに今さらかと思って寒中見舞いを発注しようとしたところが、どうもピンと来ず。それならコンビニで印刷をしてみようかと思って準備もしたが、慣れない機械もどうよとちょっと二の足を踏んで、結局、自分のプリンターで印刷した。うちはレーザープリンターを使っていて、これ、葉書を印刷するとものすごく反るので嫌だったんだけど、今回使ったのは比較的薄いタイプだったので、あまり反らなかった。もちろん反ってはいるが。

んで、宛名書き。もう、手で字を書くのが本当に下手で苦手で、印刷しようと思い立ち、エクセル(じゃないけど風のやつ)で住所録を作って、ラベルメーカーのソフトでやろうとして、散々つまづいて、ようやく出来た。こんなに苦労するなら手書きでも、と何度思ったかわからないけど、次回以降もこれで使えるならいいなと思って頑張った。頑張らないと出来なくなってきた、のでもあると思う。理解力とか、落ちてると思う……。

 『のろのろ歩け』 中島京子

北京、上海、台湾という3つの中国圏を訪れた日本女子の小さなラブストーリーみたいな感じの、短篇3つが入った本だった。
まぁそれなりに面白く、とはいえ特にどうということのない、よくある女流作家のほんわか小説。片言の中国語をカタカナで書いている場面も多く、これ中国語わからん人にはわからんじゃろうと思ったり。
あと、著者が訳を誤解しているわけではないのは承知の上だが、「慢慢走」からの発想としてのこの表題は違和感がある。「のろのろ」ではない。「ゆっくり」だ。この違いは大きいと思う。
因みに、「慢慢走」はしばしば「慢走阿!」などと簡略化したり最後にアを付けたりして使われるが、私の経験からは、飯食った店を出る時とか、泊まった宿を出立する時に、そこの人からかけられる言葉だ。それも、ほとんど言葉も交わさなかったなんていう店ではかからない。少し話をした店なり宿なりで、その話をした相手から親しみをこめてかけられることが多い。「気をつけて、ゆっくりお行きなさいよ」という意味だ。今は多分、こんな言葉を耳にすることも少なくなったと思う。
☆2.5 北京の白い服はおもしろかった

 『小松とうさちゃん』 絲山秋子

こっちを取っておいてよかった。年末年始読書の最後を飾るのはやっぱ絲山秋子だ。
表題作と、ほかに短篇が2つ入った本。表題作だけだと思ってたので、ちょっと驚いた。50過ぎた男女の恋愛物語。この作家にはちょっと珍しい感じ。
とっても普通で、特に深い感慨とかはないんだけど、とはいえやっぱりうまいなとあちこちで思わされる。ネトゲとか、戦闘ゲームみたいなものを知らないので、知っていたらもっとリアリティを感じつつ読めるのかもしれない。
☆4 普通もまたよし

この年末年始は、PCや機械関連のことと、読書で終わった。昨年ほとんど読めなかったので、まとめて読めてうれしい。特に笙野頼子を読めたのは、自分の精神状態が悪くないことの証左なので、うれしかった。ヘビーなものも多かったが、最後にちょっと力の抜けた絲山秋子で終われて満足。

週末にかけて寒波が来るらしい。このへんも気温がさらに下がりそう。
ではまた

音系改造計画

昨年末にPCに部品を入れたりして改造(?)し、スピードがとても速くなり快適になった。同時にいつかやらなければと思っていたHDD内の迷路を探検し、整理した。色々な階層に同じものが入っていたりする、開けたことのない古い蔵みたいなことになっていた(^^; これはこれでスッキリしたし、だいぶ空きスペースも出来て、これもスピードアップにはつながるのではないかと思う。

で、気をよくして、今度は音系でも色々やってみようかと計画中だ。

1つは、隣家までwi-fiを飛ばし、せっかく入っているアマゾンプライムの音楽を工房で聴けるようにしたい作戦。さすがに永遠にみゆきさんだけというのも、いくらなんでも化石すぎないか、とちょっと思ったので(^^;
今のところまったく飛ばないので、ハイパワーのルーターを購入しなければならないのか、それとも別の方法があるのか、検討中。まずはLANケーブルを1本買って、今使っているルーターを家の中心部分に設置しようと思う。それにより現在よりも壁1つ抜ける。これで弱くても渡り廊下まで電波が飛べば、そこに中継器を置いたらどうかなと思っている。

2つめは、1階にあるミニコンポで、同じくアマゾンの音楽を聴きたい作戦。
このミニコンポはBluetoothに対応していないので、今のままでは聴けない。買い直さないとダメかなと思っていたところ、今さっきググってみたら、2000円くらいの機械をくっつけることで聴けるようになるらしい、早速注文した。

音系でも少し進化したい新年だ。

 『垂直の記憶』 山野井泰史

すいません今頃読みました。
山に興味がある人ならだれでも知っている、世界的な登山家である山野井氏の山行記。氏はそれはそれは先鋭的なアルピニストで、世界中のとんでもなく難しい壁をたくさん登った人だ。それもほとんどが単独登攀、そして私の大好きな自力(スポンサーを極力つけない)での山行をする人。この本の最後にあるが、2002年にギャチュン・カン(ヒマラヤ)の登頂後に雪崩に巻き込まれ、もう誰もが生還を諦めた後に自力で(同行していた奥さんを助けながら)下山したウルトラスーパーな人だ。ただこの事故で指をだいぶ失ってしまい、その後は超先鋭的な登山からは引いているのだろうと思う。それでもあちこち登っていて驚かされる。
すさまじい山行の数々なのだが、読後は本当にすがすがしい。山に出会ってよかったね山野井さん、という気分だ。
☆5 いやもう☆とかありえない世界です

著者とは同年生まれ、一度ヒマラヤのナムチェ、そしてゴーキョでお見かけしたことがある。2006年だったかな。内気なわたくしは声などかけられませんでした。
登山家が山に行く。どうして? 危険なのに? などと思ったことはない。彼らは山に行かなければならないから行くのだと思う。もちろん内なる欲求として、必然として。
それにしても生きて帰ってくるこの人はすごいな、奥さんももちろん。

私もさっそく、今年最初の散歩に行った!

明日は仕事始め。昨年末に撮影した画像の整理あたりから始めようと思う。
ではまた

おっと忘れるところ。時間差ついちゃってもうダメだねと思って中継も見ていなかった大学駅伝、母校が13年ぶりの大逆転勝利だった。それにしても13年も遠ざかっていたとは驚き。せんだんりーん、せんだーんりん! おめでとう

2021年スタート

新年おめでとうございます

あいかわらず激寒の軽井沢で正月を迎えた。昨年の今頃はインドの南部におり、毎日カレーばかり食べて楽しく過ごしていたことを思うと、コロナ禍によってあっという間にこうなったことにあらためて衝撃を受ける。
今年は少しでもよくなってくれれば。
願いは小さく。

 『拳の先』 角田光代

表紙絵でわかるようにボクシングの話。ぜんぶ読んでから、実はこの小説には前作となるものがあったと知り、あらら……。
ボクシングにはまったく興味がなく、フィリピンのパッキャオがなかなか面白いということを知っている程度だが、そんな自分にも十分楽しめる小説だった。ボクシングってとりわけストイックな印象だが、そのとおりらしい。誰もが階段を上に登っていけるわけでもなく、どんな強者にもいつか終わる時が来る。そんな当たり前のことを、おもしろく読ませてくれた。
主人公は出版社の編集者。そこにボクシング本を書きたいと接触してくる鼻持ちならない作家やら、ジムに通う子供やらのサイドストーリーも絡んでくる。タイのムエタイの話などもあり、楽しめた。
☆4.5 だけど、だけど、それ、書くならお前だろっっっっ!!!

(↑ 読んだらわかると思う・笑)

 『チーム・オベリベリ』  乃南アサ
オベリベリとは現在の帯広をさすアイヌの言葉。その帯広、十勝の原野を最初に開拓した晩成社という組織があったらしく、その開拓史とも呼べる小説。
チーム・オベリベリとは、晩成社の中核を担った3人の若者のこと。その中の1人の妻(キリスト教系の女学校を出た才媛)が語り手となって小説が動いていく。3人それぞれに性格も立場も異なり、徐々に軋轢を生み、友情に変わりはなくとも組織としては瓦解していく。厳しい自然、次々と離れていく(遁走・失踪・死別)開拓者(小作農)、アイヌとの関り、などなどが物語られ、一気に読了した。こんなに分厚い本読めるかなと思ったが、面白くてまったくの杞憂だった。
厳しい自然にみんなで立ち向かっていく、という綺麗話ではない。晩成社には出資者があり、そもそも言い出しっぺはその出資者グループの家系の者だ。勧誘されて参加した農民たちは所詮小作農でしかなく、収穫がなくても年貢を納めなければならない。収穫物がなければ借りて払うことになる。そうして逃げることも帰ることもできずに農地に縛り付けられ、借金だけが膨れ上がっていく。言い出しっぺは早々に開拓地を諦めて別の土地で新たに開拓を始め一貫性がない。チームの1人(語り手の兄)は晩成社に見切りをつけて別の土地に行き、残る1人(語り手の夫)は酒に逃げ、本来の弱さ故にあっちにもこっちにも首を突っ込み(つまりは自分の足元を顧みることがない)。そんな中、語り手であるカネは黙々と神に仕え、周囲の子に学問を授け、畑に出て生きて行く。
☆5 この時代の女の強さときたらどうだよ!

今もそうかな? 笑

結局、持てる者が持たざる者をうまいことだまくらかして自分たちだけが利益を享受できるようにシステムを作ってしまう。それは今の方がわかりづらくなってはいるが、今も昔も変わらないのだなと思った。
それにしても主人公のカネさん。この時代に学があるというだけですごいのだが、結局のところは男にとってのこれ以上ない都合の良い女、でもあるわけで。良妻賢母滅私奉公みたいな。それはもちろん明治になってすぐの話だからこうなんだろうけど。本当に本当にダメな男の妻を描いた同じ時代の北海道を舞台とする『地の果てから』のほうがすがすがしい読後感だったなと思う。

今年は昨年よりも読書をする年にしたいと思う年の初め。
ではまた