中国韓国からの入国制限

とうとうここまで来たか、という感じ。中国韓国からの入国者は2週間の隔離(帰国者は自宅待機)となる模様。

もともとの予定では、チェンマイー広州、香港ー東京、と乗り継ぐ予定だった。香港が大陸との扉を閉めたので事実上このルートは不可能になり、まず広州便をキャンセル。コロナ発生国の航空会社だったので、返金にも応じてもらえそう。
香港からの便はキャンセル対応をしないとアナウンスし続けていたが、とうとうこの隔離措置でジ・エンド。ついにキャンセルに対応し始めた、のだが。

サイトがつながりません・・・・・・

というお粗末なことになっている。
当然、チャットなどもダメだし。電話もダメだろう。平時からつながらないと言われているので、さらに。

自分の乗る時間までにキャンセル手続きができなければ、ノーショーと見なされて税金すら返らないことになる。こちらにできることはほとんどない。せめてもと、キャンセル希望のメールを送っておいた。こちらにキャンセルの意思があり、お宅のサイトがつながらないんだよ、ということを、日時と共に残しておけば多少は何か役立つかなと思って。

ギリギリまでやってみる。

それにしてもコロナさん大暴れで。

今日は市内の市場に行ってみたが、やはり人は少なく、いつもは混雑している飲食エリアもガラガラだった。開いていない店も多く、これはひどいなという感じ。
昨日、ターペー門近くのいつもは欧米人でわんさかしているローカルと外人用の中間くらいの感じの店に行ってみたら、客が一人もおらず、今回いちばんびっくりした。

静かでいいと言えばそうなのだが。

チェンマイの物価は、10年前のほぼ倍になった。当時20だったものは40に、30だったものは60に。家賃はわからないが、倍よりは少し下ではないかと思う。
日本はこの間デフレだったので、物価差は縮まる一方。
世界は縮まっているのか拡大しているのか、わからなくなる。

では

 

極悪レートATMに注意!

備忘録として書いておきます。

インド、ミャンマー、と無事にATMでキャッシングしながら旅をしてきて、タイに入った時、気軽にキャッシングをした。
手数料がかかりますがいいですか? という問いはどこでやっても出てくるが、基本的に無視していいものらしく、普通に「YES」を選択。
すると次に、日本円でこんな感じですよ~いいですね~?
的な画面になり、何だかよくわからないまま、自分がキャッシングする額を確認してるんだろうと思って「YES」を選択。

これが大間違いつうか落とし穴!

タイで最初にキャッシングしたものを返済しようとした時に気付いたのだが、当時3.5円強の公定レートに対し、3.7円強のレートが適用されていた。1バーツあたり20銭強である。ひどい話だ。
要するに、公定レートではなく今このレートで「日本円で」キャッシングしろと誘導されているらしい。で、日本円の総額が表示されるだけなので、その場で電卓たたかない限りレートには気付かないことが多いかと。

ネットで調べると、こういうATMが世界中で増殖中で、とにかくこの怪しい画面が出たら「NO!」を選択するしかない。
そのうちに、選択もさせずに勝手にやりだすかもしれない、それが怖い・・・。

私は今回、この画面になったATMはタイだけである。恐るべしタイ。気を付けよう。

今日はワロロット市場へ市場調査兼顔見知りに挨拶兼買えるものがあったら買おうと出かけ、ちょっと多めにキャッシング。円高に振れているのでタイミングとしてはいいかな。もちろん例の画面は華麗に(たぶん)スルーした。

顔見知りは元気、だが商売はメタメタだと言っていた。
一番話が通じる中華マダムは、「逃げて来たの? え、3か月日本にいなかったの? それじゃ、帰っちゃダメ! 今帰ると大変なことになるわよ、タイにいなさい、3か月くらい。夏になったら落ち着くだろうから。それに・・・、今帰ったって商売になんかならないから!!!!」
と、えらい勢いで勧めてくれた。
かなり誇張された日本の状況が、タイ人に広まっていることがよくわかった。

正直、チェンマイも相当やばいのではないかと思う。地理的に中国にぐっと近いし、タイもすぐに鎖国したわけではないから、中国人は多数来ている、単に検査やらの体制が整っていないから、数字として出ないだけだと思うのだが。

ワロロットは人出も少なく、店員が暇で商品の上に寝転んでいる始末。じんわり怖くなってきたかもだ。

少し鎮静化?

今朝ヤフーを立ち上げた時にコロナ関連のニュースが1本だけだった(6本中)ので、少し静まってきたのかなと感じたけどどうなんだろう?
海外にいると、ニュースはヤフーなどのネットのみ。動画系は基本見ないので、文字だけを目で見ている状態。日本にいれば目から耳から情報が入ってくるので、違うだろうなと思う。効果音とかも入ってくるし。

コロナについての全体像的な把握に、ここなんかわかりやすかったのでよかったらECDC

現状では、だけれども、やっぱりエボラは怖かったなとあらためて思った。今も怖い・・・。あまり知らなかったけどMARSというのも怖いんだな。

土曜に続いて日曜の夜市にも行ってみたけど、こちらもそこそこ混んでいた。ただしいつもに比べたら空いてた、やはり地元民が出歩いていないせいかと。欧米・中国など旅行者は多かった。
全体的にはぱっとしないな~・・・。
3年という間を空けて来てみて感じたのは、全体的に底上げがされているということ、前は何でもかんでも売っていたけど、今はかなり選別が行われている印象。
それと、以前時々困った時に発注していたような小さな服作りのお店が、姿を消していた。もちろん服を売っている人はいるが、大量生産のものが多く、家内工房的なものは激減。たまたま来ていなかったのかもしれないけど、顔なじみに1人も会わなかった。みな私よりは若い人たちだったから、転身したのかな、うまくいっていればいいけれど。

隙間に存在していた小さなものが消えて行くのは、どこも同じなんだなと痛感しながら歩いた。タイはそれでもいい方だと思うけれど。

とりあえずチェンマイは暑い。

チェンマイとコロナ

昨夜は土曜夜市、すぐ近くなのでマスクをして行ってみた。一応、市場調査のような意味合いもあり、チェンマイに行けば土日の夜市は必ず行くことにしているので。
最初は人の出が少ないなと思ったがどんどん増えてきて、逆にびっくり。

5割欧米人、4割中国人、1割その他タイ人含む

大体こんな印象だった。中国人が多くて驚いた。もう団体旅行制限が解除されたのかと思うほどいた。しかもノーマスクの人が多くて、まじかよと・・・。(ただしこの3年の中国人の多さは体感していないので、まだまだ少ないのは事実なんだろうと思う)
タイ人は少ない。わざわざ出かけないという選択をした人が多いのだろう。賢明だ。

コロナなどどこ吹く風(除くタイ人)
というのが如実に表れていて興味深かった。

日本でも学校が休みになるとか、イベント中止要請が出るとかあるようで、中島みゆきさんのコンサートも中止になったそうだ。
一方で、東京事変というグループのコンサートは催され、それに非難の声が上がっているとかいないとかの記事を見た。
東京事変は椎名林檎さんという人のグループだそうだ。少し前にグループ名を目にした時には、なんだなんだ戦争かよと、少し嫌な気分がした。今回の旅は戦争と深く関わる部分があったので、特にそう思ったのだろう。上海事変、満州事変、事変という言葉そのものは戦争ではなく広い意味での騒乱を指すようだが、戦争以外でこの言葉を実際に使うことはあまりないのではないか。
それはともかくとして。

怖いのは、こういう「右へ倣え」的なことで、それに反する動きをすると糾弾されるという空気の方じゃないのかと思った。
コンサートをやる、やらない、どちらでもよい。どちらの判断も難しい。行く、行かない、どちらでもよい。どちらの判断も難しい。そしてその集合体としての判断も、個としての判断も、尊重されるべきで、外野がとやかく言う話ではない。ああそうか、でいい話だ。
だいたいこういう場合、「これが原因でコロナになったらどう責任を取るつもりなんでしょうか」的なことが言われるのだが。
責任なんか取れるわけがない。そんなことみんな百も承知で生きてるんじゃないのかね。

話は変わるが、中島みゆきさんが中止前のコンサートで「(前略)その一方、私が心配なのは心優しい人たちが人に譲りすぎて倒れてしまうことです。皆様はどうぞ、自分のことを少し大切にしてください」と話したのだそうで、友人から聞いて知った。

これを読んでふと思い出したのが、壷井栄の『あたたかい右の手』という児童向けの短編。実際にはここにたどり着くまでが大変で、なんせ「しろちゃんの? あたたかな左の手? 住井すゑ?」てな感じで記憶していたので。おかげで住井すゑの戦争責任についての論文などがヒットしてしまって読む羽目になったりした(一時話題になったのは新聞記事等で記憶にあるが、詳しくは知らなかったので勉強になった)。

この作品は、慈雨ちゃんという心やさしい少女が戦後の混乱期に貨車に乗り人に押しつぶされて死んでしまう、という悲しい話で。慈雨ちゃんは決して押し返さない、押し返さずに死を受け入れてしまう、のね。そしてそのクリスチャンの両親は、神に召されたとしてその死を受け入れ、泣かない。それを見た慈雨ちゃんの親友が、どうしてなのかと泣き、その母親が肩に右手を置いて「泣いてあげなさい」と言う。そんな話。私が子供の頃にはまだ多かった反戦文学のひとつだ。

献身、自己犠牲、そんなあたりから連想したのかとは思うけど、ほかにいくらもありそうな中でなぜこんな、50年近く前に読んだものを思い出すのか、人って不思議。
それにしてもクリスチャンはブレーキが壊れた列車を止めようと身を投げ出し(『塩狩峠』三浦綾子)、仏教徒は仏にあげる食べ物がないからと自ら火に飛び込み(火に飛び込むうさぎの話)、こういう献身、自己犠牲というのは人類共通の修身教養みたいなものなのだろうか。因みに『塩狩峠』は、泣ける小説を教えろと言われたら真っ先に挙げる1作であるが、私が読んだのは小学生のころだったので、今読んだらどうかはわからない。

で。中島さんの話に戻ると。
自分はそんな「心優しい人」ではないので、どうしたもんかとちょっと困ったような気分になった・・・。
心優しい人たちは、本当に気を付けてください。まず自分が助かっていいんだよ、高山でヤバいときにはまず自分が酸素吸うんだよ、飛行機で酸素マスク下りてきたら最初に自分がマスク付けてそれから人を手伝うんだよ、それがルールなんだよ。

何にしても。
早く時間が流れて、「コロナかー、そういうこともあったよね」と言えるようになればいいなと。それは間違いなく、あっけなく、来るのだからね。経済が持ち直すには時間がかかると思うけど・・・。

そんなこんなをぐだぐだと考えながらチェンマイにいる。