数日振りに晴れ間

数日ぶりに青空になりました。午後いっとき、ばーっと雪が降りましたが、たまたま雪雲が通過しただけのようですこしすると止みました。


製作者として絶好調ではなく、なんとなくこんなスカートを縫ってお茶を濁す一日。なんとかせねばと気持ちは焦るのですが、イメージ力がついていかない。
タイで織られている布のことを考えても、今持っている布は消費しなくちゃと思うのですが。

どうもやっぱり、タイ語が話せないかぎりコミュニケーションは難しいですね。今回も、ずいぶん織っているみたいだし、さらに織るのかもしれない。なぜそんなに大量の糸を買ったのかもわからないし。あまりたくさん織られても困るのですが、そのへんが通じない。というか、向こうの状況がいまひとつ見えないのです。ちょっと参った。楽しい困惑ではあるけれど。
タイ語の本がタイ兄弟の家に置きっぱなしなので、1冊注文しました。アマゾンで在庫がないので、何日かかるのか不安ですが、もし間に合わなかったら、「指差し会話帳」をもう一冊買って持って行くことにします。


暖房機の前のウメ。
このところ寒いので、晴れない日は家の中に入れています。いびきをかいたり、夢を見たりしながら、寝ています。

夜、久しぶりに「夜を往け」。
けっこう好き。
最後の「with」は、昔はくどくて(リフレインが長い)あまり好きではありませんでしたが、最近よさがわかってきた(笑)。進化するみーすと。言葉おかしいですかね、みゆきすと、とか言うかなと思って。
「新曽根崎心中」という歌も入っているのですが、私、この歌詞をずっと勘違いしていました。
「浮世の浄土、さぁ!」 を、「うー、切らなくちゃ、だ、さぁ!」 だと思ってたんです。去年か一昨年、友人とカラオケに行った時、「六本木心中」を歌われたのでお返しにこれを歌ったのですが、そのとき初めて知って驚愕。
「心中」だから、刺すだの切るだの、想像してそう聴こえて、以後ずっとそう聴いていたわけですね。

驚愕といえばもうひとつ。
きのうの本ですが、長男の畑狂いのシーンで「あれ、このシーンには見覚えが・・・」と思ったのですね。その時は、もしかすると「女たちのジハード」でこういうシーンがあったかと、しかしそうだとしてもあれは主人公が女だからな、と、もやもやしたまま進んだのですが、最後の例の慰安婦のあたりで、「おかしいな、このへんも見覚えがある、どこかでよく似たものを読んだのだろうか・・・」と思いまして。
もしかすると、わたし、この本、既読だったのかもしれません。完全に忘却するほど、嫌だったのか、私よ。それとも単なるデジャヴで、初ものだったのか。謎です。

明日も寒そうです。ではまた

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