10周年に向けて・その2

明け方から激しい雨が降った軽井沢です。予報では今日は一日曇り、のはずだったのですが・・・。
さて。
古い写真を引っ張り出したので、今日はその古い話など。
私たちがこの追分の土地にめぐり合ったのは、1997年夏のことでした。
その頃は、隣の群馬県に住んでいました。東京を離れたのが96年春。1年埼玉県、1年群馬県、そして長野県・・・。一つずつ律儀に県境をまたぎながら、ここまで流れてきました。生まれ育った町をトラブル絡みで泣く泣く離れざるを得なかった、という事情もあり、啄木ではないけれど、この前後数年は私個人にとっても、そして夫との夫婦関係においても、かなり危機的な時期だったといえます。
犬がいて、夫が木工家だった。
これだけでマンション住まいは無理で、居場所を探してずいぶん各地を回りました。一都六県はもちろんぜんぶ回ったなぁー。廃屋も探したし、自治体の斡旋するものも見て回りました。
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これは房総の農家物件。高すぎて無理でしたが、房総は今も憧れの地だったりします(笑)。なんといっても気候温暖ですからね・・・。
房総には手を打つ寸前までいった物件もありましたっけ。その頃はまだ、私は東京で仕事をするつもりだったし、関東エリアを出ることは考えていませんでしたね。とにかく電車さえ通じていれば、と思ってました。
群馬県中条村なんてところも見に行きました。新築の村営住宅(タウンハウス)畑付きが、たしか家賃2万円! しかし、遠かったです・・・・・・。高崎までバスで2時間くらいかかるのじゃなかったかな。朝、そこを出ても東京にたどりつくのは昼。無理でした。
追分の土地を見たときは、「あぁ、これだわ。ここだわ」と思ったのを覚えてます。別荘地のいちばん奥。道は行き止まり。二方を国有地に囲まれている。誰もいない。その時はまだ、この「誰もいない」ということが商売には最悪のシチュエーションだということには、考えが至っていませんでした。
不思議なことに、この土地の原初の姿を写した写真が1枚もありません。撮ったはずなのですが、一体どこにいってしまったのだろう。
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代わりに、ごく初期の写真。1997年10月頃だろうと思われます。
97年の8月に伐採を始めました。最初は鋸と斧でやっていたのでえらく時間がかかりました。あらかた高木を倒したころにチェーンソーを買いまして(順序が逆なんだよね)、そこからはまぁまぁ順調に。
この写真の奥や右側にある林。ヒマラヤハウスもこれとまったく同じような密林状態でした。アカマツと雑木が混ざり合って土地全体を覆い、さらにツル性の植物やら潅木やらが絡み合って、分け入ることも難しいような状況でした。これぞまことの「原野」でありました。「原野・現況」であったことと、持ち主が急いで換金したかったらしいという事情が重なって、とんとん拍子に手に入れることができました。
倒した木の枝葉はすべてここで燃やして処分しました。当時はまだ、そういうことにうるさくなかったのです。
倒した木、その枝葉を、処分しつつ、しきれないものは土地の端っこに寄せて、重機を入れました。木の根っこを処理しなきゃならないからです。
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コンマ2、というサイズのユンボを操るわたくしです。ライター時代にとった免許が役に立ったなぁ・・・。
ウソです。免許など持っておりません。
でも自分の土地で運転するには免許はいらないのです。運搬はレンタル会社がトラックでやってくれますからね。
これで根っこをずんばずんばと抜いていきました。タコのようなその根っこをずりずりと引きずって土地の端っこに積み上げました。
長くなるので今日はこのへんで。続きはまたいつか。
ではまた
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第14世ダライ・ラマ法王を支持します