win10はDVDが見られない

ということを今日知った。
工房で仕事中はずーっと中島みゆきを聴いていることが多い。他の人の音楽はほとんど持っていないし、工房にはWIFIが届かないのでいきおい持っているもの=中島みゆき、ということになる。最初のアルバムから最後のアルバムまでずーーーーーっと聴いて、そしてまだI-PODに入れていない最新アルバムをCDのままご褒美(!)に聴いて、という感じ。これを延々とエンドレスで繰り返しているのが私の人生(笑)。

今日がそのご褒美の日で、大量の生地にアイロンをかけながら2枚聴いて、そうだまだDVDを見ていないじゃないかと思い出し、PCで見ようと思って持ってきたら「アプリが入ってない」とかなんとか言われて見られない。少し前にリアルプレイヤーというのは入れてあるけど、これで見ようとしてもうまくいかなくて、「もういいわお前には頼まん」といつもの諦めにたどり着く。
普通にテレビで見ます。

私が進化から取り残されるのも時間の問題かと思えてくる昨今だ。

インドの木版更紗にアイロンをかけて撮影していったら、全部で53種類の生地を持っていた。プラス数種類、これはもう尺が1m切っているとか、特殊な反だったりするもので、これらも合わせるとちょうど60種くらいかと思う。
何年もにわたって集めたものとはいえ、なかなかすごいなと実感。
今日はタイの無地生地にアイロンをかけてみた。そんなに高品質のものではないので、どうするか迷い中だ。でも自分ではもう使わないような生地、色目のものもたくさんある。安く出してしまえばいいのだろうか。

新しいアイロン台は、スイッチを入れると確かに上に置いたものが吸い付く感じがする。霧吹きの水分も早く抜けるし、いい感じ。足元のスイッチもなければ困ったと思う。
音がぶぉーーーんと出るので、音楽が聴きづらくなるのだけが今のところマイナスポイント。音量上げればいいだけだけど。

 

『御社のチャラ男』 絲山秋子

どんな会社にも必ずいる「チャラ男」についての小説、という帯なのだけど、読んでみると特にチャラ男に焦点を当てているわけではないと気付く。地方の小さな会社に勤める者やその周囲にいる者が、それぞれモノローグで会社、自分、社会、そしてたまにチャラ男について語るという手法。たくさんの人間が独白していくので、群像劇の面白さがある。
最初はユーモア小説かと思った、ははは、と笑ってしまうフレーズがたくさんあった。それがだんだん、怖い小説に変化していく。油断していると足元をすくわれていたたたた、となる。
今の時代の閉塞感、誰もが記者気取りで文字を書き飛ばし他者を論評し糾弾するネット社会への違和感や不安、この先どうせ先細っていくだけなんだという諦め、団塊がいてバブルがいてゆとりがいて氷河期がいてという世代間ギャップ、野心や夢や挫折や諦念や呪詛や渇望。そういうことがどっさりと詰め込まれている小説だった。
あらためて、絲山秋子すげぇなと思った。
☆4.5 最後の数章の展開が唐突すぎる気もしたのでそこだけ引いた

市井の一市民が、何か言いたいことがあるとすれば新聞の投書欄に書いて送るくらいが関の山だった昭和が懐かしくなった(^^;
初めて出版社でバイトして、雑誌の編集後記にほんの3行ほど書かせてもらえた時のうれしかったことなんて、今の時代を生きている人にはピンと来ないのではないかと思う。あの頃の我々ど素人は、発信する術を持っていなかった。今は子どもだって世界中に向けて発信できてしまう。
それがどういうことなのか、人間は幸せになっていくのか、これが正常進化なのか、わからないことばかりのようにも思う。
時々インスタなど見てみるけど、自分のまったく知らん多くは外国人がいきなり踊ったりなんだりしているのを見せられるのがたまらなく嫌。そんなものを見て何が面白いのかさっぱりわからん。動画が始まらないようにすればいいんだろうけど(できるのかな)。

あ、メリークリスマス