四半世紀

6月4日、25年前の北京で民主化運動が死んだ日。
その後の中国の経済的発展は著しいし、多くの人が海外旅行を楽しむというあの頃には想像できなかったことになっているけれど、ではあの国がどう変わったかというと・・・・・・、わからんですね。
何か言い出しそうな知識人を拘束したり、事件の遺族が天安門で追悼活動をするかもしれんというのでこれまた拘束してみたり。
こんなような現実とまったく同時進行的に、懐に数百万円突っ込んで銀座に来てバンバン買い物する富裕層が存在する、というのが、やっぱり未だにうまいこと飲み込めないです。
うん、もちろん、富裕層は現金じゃなくて、銀聯カード持ってくると思うけどね(笑)

そんな日に読んでいたのがこの国際謀略小説。

長い・・・・・・。説明っぽい部分は正直かなりすっ飛ばした。北朝鮮と中国と日本と、アメリカと韓国がからむ国際謀略もの。
そういや江沢民がある日死んだと報じられ、しばらくしたらやっぱり死んでなかったと訂正されたことがあったなと、思い出したりしました。そんなことも色々と書き込んであって重厚というのかなんというのか。
船戸せんせにちょっと似ている(ような・・・)。
でも柴田さん、ザンムーの中国側国境ゲートを越えるとすぐに国境の橋があるのではなくってよ。あそこは緩衝地帯が異様に広くて、中国ゲート出ると散々山下りさせられて、というか故に歩いて行く奴なんかまずいなくて、歩くと小一時間は下ってからようやく橋、その向うにネパール側国境ゲートなのよ。
☆3.0 グーグルアースに写ってないのかなぁ・・・w

と書いてから、自分の記憶は14年も前のものだったと思い出し、その後中国側国境ゲートが山の下に移動したのではないかと一応ぐぐってみたら、そうではなさそうだったです。でもザンムーの町が異常増殖している写真を見つけて何だかぞっとした。中国って、がん細胞みたいに増殖していくイメージ。

ザンムーからコダリへ、普通は車に乗るのだけど高かったので歩いて下ったんだけど、その時に、じゅうたんを背負ってネパール側国境へ駆け下りていくチベット人たちがたくさんいて、その人達にくっついて自動車道路をショートカットする急な道を、こけつまろびつ転げ落ちていったことを思い出しました。じゅうたんは、中国からネパールに運ばれて、そしてどうなるんだろう・・・・・・? ネパールと中国、経済力からいって、どっちが安いかといえばネパールだと思うんだけど、なぜチベット側から運ばれて行っていたのかな、考えてみると不思議。

明日は1日雨の予報。ではまた