マラソン終了~♪

曠野的雪夜 如同白菊遍地開
淡色的白菊像?的笑容
在我心中永駐
(白菊♪ 中国語訳)

いや~、結構ハードだったけどとてもおもしろかった。
「海嘯」を観ました。
これはかなり好きなタイプだった、そしてどう考えても一つの到達点的作品かと思いました。
ま、あいかわらず別撮りが多いので・・・・・・、舞台だけを観たい私には残念な部分も多かったけど。別撮りがあるからわかりやすいという面は否定はしない。
ストーリーは相当無理やりだけど、この際「こまけぇことはどーでもいいんだよ」で。
唯一の男性役者として登場する張さん、今までの夜会にも出てましたが、この人がよかったです。中国語でしゃべりまくってて面白かった。あれはつまり、言葉として理解できるかどうかだけが大事なんじゃないよ、ってことだよね多分。殆どのお客さんには一言もわからないわけだからねぇ。
白菊の一部をこの人が中国語で歌うのですが、冒頭に置いたのはその部分。
もちろん訳したのは私ではありません、私には無理・・・。多分、よく調べてはいないのだけど、中国語を母語とする熱烈なファンの人が訳したみたいでした。

最後のフロンティアも、この張さんが歌う場面があるのだけど、うぉぉぉぉぉぉ、中国語で歌ってほしかったな。
それと、女優さんで出てくるお二人、最近の2/2にも出ていた方たちだけど、観た中ではこの作品が一番いきいきしてたっつうか、歌も上手だったし、とてもよかったです。

ということで、夜会DVDマラソンも終了。なんとか間に合った。

前回、東京で夜会工場を観たわけですが、どうもよくわからんというか、ノリきれないというか、ついていけないっつうか。ちょっと残念な気分だったのですよね。
「まーさーかー、夜会のDVDすら観ずにここに来た、すっとこどっこいはいないよな?」
って、みーさんも言うとった(うそですけど)。
予習できたので、次の「見物」はたぶん、前回のそれとは若干違うものになる、はず!

では、名古屋へ行ってきます。
名古屋、中日を狙ったつもりだったけど、初日だったんだね~! うひょっ。ラジオでしゃべくり倒して喉痛くしたりしてないだろうね?w
では

じゃぱゆきさん

今日は朝からユーザー車検のために、長野市まで行ってきました。何の問題もなく一発で終了。何の問題もない間は、ユーザー車検で済めばたいへん安く上がって助かります。通勤で使うとか、営業で毎日バンバン走るとかではないので、そうそう問題も起きないと思うんですけどね、今の日本車なら。

今度の名古屋は、友人宅に泊めてもらうのですが、この友人夫婦が旅先で出会った人たちで、そういう意味で話が合う。昨日もその連絡がてら、最近マニラに遊びに行ったと聞いていたので、
「昔エジプト航空が飛んでいた頃の成田~マニラ線って、じゃぱゆきさんで満席だったよね・・・」
というメールのやりとりをしました。
忘れもしない1988年12月29日、年内最後のバンコク発マニラ経由成田行のエジプト航空機。オーバーブッキングでどうにも乗れそうもなく、手違いでウェイティングリストになってしまっていた私は、どうにかこの飛行機に乗りたくて、ま、解釈の仕方はいろいろあるんですけどね、係員のお兄さんと昵懇になり(笑)、どうにか席をひとつ貰いました。乗り込んでみたらガラガラで、なーんだこれじゃあそこで騒いでたリスト組も全員乗れたんじゃ・・・・・・・? と思っていたら、マニラでどどどどどどどどどどどどどっと、女たちがたくさん乗ってきまして、飛行機はあっという間に満席に。これが見事なまでに全員じゃぱゆきさんだったわけで。
あの頃は、そういう時代でした。
今はエジプト航空はもう飛んでいない。フィリピン航空とか乗ったことないけど、あんな風に明らかにその人たちで満席ってこともないような気がする。
初めてらしい人はとても不安そうにしていたし、経験者らしき人はそんな人を励ましたりしていたっけな。あの手のビジネスはどうしたって裏の社会と切り離せないものだろうけれど、それでもできるだけマシな組織が接点だったらいいなと、願わずにはいられませんでした。

と、何でこんな話を書いているのかというと、きのう鑑賞した「問う女」という夜会の劇に、じゃぱゆきさんが登場してとても重要な役どころだったのですね。私はずっとフィリピーナだと思って見ていたら、タイ語を話しだしたのでちょっとびっくりしましたわ。私もタイ語で数数えられるよ(自慢w) 
アナウンサーである主人公が、最後に仕事を辞めるところで話は終わるのだけど、その理由にHIV+を持ってくるのではなく、個人の内面の問題に帰結させたほうがすっきりしたかな、というのは、完全な私の好き嫌いの話です。多分この頃、エイズの問題、とりわけその差別の側面は、日本でも大きく取り上げられつつあった時期ではなかったかと思います。

今でもじゃぱゆきさんって、もちろんいるだろうけど、その人たちをじゃぱゆきさんと呼ぶことはなくなりましたね。
タイからも、普通にビザ取って、ごく普通の人々(もちろん中流の上くらいの人)が旅行しに来るようになりました。

そうそう。「問う女」の中では、そのじゃぱゆきさんことニマンロクセンエンは死んでしまうんだけど。
ここで「エレーン」だろっ!
と思うのは私だけではないはずだ(笑)

あいかわらず知らない人には何のことやらさっぱりわからない内容で。謝らないけど(笑)
そんなことより、今朝がツキイチのラジオだったらしく、またもや録音し忘れました~~~。

バス好き

昔からバスが好きでした。東京にいた時も、電車よりバスが好きだったりした。私が住んでいたのは世田谷区の成城という町ですが、二子玉川や渋谷なんかにもバスの路線があって、よく乗りました。
そっか。
コクーンに、バス一本で行けたのか私・・・・・・(笑)。
その頃なら150円とかそんなもんだったかもね。もっと安かった? 覚えてないや。

先月、東京に工場を観に行った時もバスでした。
今週、名古屋に行くのですが、これも松本までは車で、そこから高速バスに乗って行きます。
さらに今週はもう一箇所、法事があって東京に行くのですが、またまたバス。
今日この東京行きを予約したのですが、時間の都合でえらい早朝のバスで・・・、ちょっと心配。あと週末なので、東京入るときに渋滞されると心配。ま、かなり早く着く予定なので、少々の遅れなら大丈夫だけど。
慣れるとすごく便利です、時間は新幹線よりはかかるけど、安いし、やっぱりバス移動は嫌いじゃないから。それと一応、路線バスなので安全度もそこそこだと思います。

今日は「シャングリラ」と「問う女」を豪華二本立てで観ました。どちらもよかった。「問う女」は歌は極端に少なかったけど、きちんとしたテーマのある舞台だったのであまり気にならなかったです。ただし、半分以上が別撮り? と思えるくらいあまり舞台の映像がなかったので、実際に演じられた夜会を観たのとは相当かけ離れている気がする・・・。
1994年晩秋、1995年晩秋、どこにいたべ・・・。
1994年は、日本にいた確率が高いです。1995年は、雨季にネパールのジョムソン街道に行って、その後バンコクから香港まで陸路で抜けた記憶はあるのだけど、秋はどうだったかな、記憶が抜けている。日本にいたかも。
旅をしながら、ライターとして何とか生きていけそうになりつつあった時期で、私もそれなりに野心も持っていたし、頑張ろうと思っていた時期でしたねぇ。だから日本にいたとしても、あまりほかのことには目が向かなかったな。

明日はマイナス6℃の予報です。寒いですね。ではまた

荒野を越えて~♪

タイトル何も思いつかないのでたった今観終わったDVDで歌われてた歌から。

きのう「金環蝕」、今日「花の色は~」と観ましたよ。
「金環蝕」は最後の「アマテラス」のシーンを動画で何十回も見ていて、数ある夜会の中でいちばん楽しみにしていたと言っても過言ではなかったのですが、いざ観てみたら「むぅ・・・・・・・・・」でした(笑)。その格好でエレーンを歌われても困る。コーラスの人の歌が多かった。最終盤のEAST ASIAからの流れは好きだ。全般的に、映像の作り方がたぶん私の好みではないんだろうなぁと思いました。別撮りいらんじゃろ? 変な映像が多くてちと興ざめでした。
「花の色は~」は、先にドキュメントを観てからだったので、さらに楽しめたというか。ただ、ちょっと長くて疲れました。最後のあの「時間泥棒」の部分は、ああいう風に入れなくちゃ完結しえなかったのかな、それまでの流れとは異なる部分だし、急に難解な説明風になってしまったので、違和感がありました。
この部分でちょっとだれたけど、最後のバンバンバンの歌攻撃で盛り返しました。タイトルの「荒野を越えて~」というのは、人待ち歌という歌の一節です。
あ、大事なこと。
祭り装束のみーさんの地下足袋に萌えたわ・・・(あと紺の股引にもね・笑)

↑ 紺色のただの足袋かもしれない、他のシーンも靴下とか足袋だったから

あー忘れとった、コクーンに行けたか行けなかったかの検証。
「金環蝕」、1992年11~12月。ネパールヒマラヤの、マナスル山麓におりましたわね。12月には帰国していたかなぁ、もしかしたら公演の最終盤なら日本にいたかも。もしかしたら行けたかも、だな(チケット取れる取れないは抜きにして)。
「花の色は~」、1993年11~12月。インドのラダックからダラムサラと旅していて、法王さんに謁見したのが10月半ばだったから、それからどのくらいで帰国したかな。あの時は結構ダラムサラ&デリーでだらだらしてて、タイに戻ってチケット取ったりするのにだらだらしてたはずだから、うーん、でも12月には戻っていたかも。もしかしたら行けたかも。
でもいずれにしてもこの時期はまだ、帰国のチケットは持たずに旅をしていたから、予定の立てようもないというか・・・、そんな状態でしたね。「帰りの切符は今夜も捨てないね♪」っつう歌があるんだけど、私はそもそも「帰りの切符」を持っていなかったんだよ(笑)

今日は母親を送って高崎まで。さすがに紅葉は終わったけれども、落葉はまだ完全には終わらない状態。軽井沢に戻ったら冬枯れの景色で、あぁこっからが長い長い冬だわと思いました。
明日は晴れる予報。ではまた

はぁ~、疲れる

母親を軽井沢まで迎えに行ったら、いない・・・・・・!
たいして大きくはない駅の中をあちこち探しまわり、北側のエレベーターが修理中なので南口に降りたかとそっちへも行き、駅員に訊ね、それでもいない・・・・・・。
だーいぶ経ってから、はたと気づいた。
1時間、間違っとった(笑)
北口に停めた車の中で1時間待つ羽目になり、本も持ってきてないし、することないので「遅れたまま放置していた車の時計」を進めたり。ちょっとだけみーさん聴いたけど、エンジンかけずにオーディオだけつけててバッテリー上がったら最悪なので1曲で我慢し(どれくらい使って平気なのか知らないので・・・)、後はひたすら待ち、無事ピックアップし、銀行とスーパーとコンビニと寄って自宅に。

夕方、群馬銀行から電話。
母の銀行のキャッシュカードが期限切れで(キャッシュカードに期限?)、送付したのだけど戻ってしまう、という話を昨日からしている。
もうね、とにかく。
詳細は省くけど。
頭が固いっつうか、まったく柔軟性に欠けるというか、一切「お客さん」の側に立たないというか、ね。
昨日と今日1度ずつ行員の女性、今日はさらにその上司らしき男性、と話したけど、まったく話にならず、向こうもそう思ってるだろうけど、こういう思考回路の閉じた人間とどんだけ話しても無駄、って感じだ。

どっと疲れた。
まったく話は平行線のママ、明日また電話が来るらしいが、どうせ何ら新しいことはなく、同じことを繰り返すだけなんだろうな・・・・・・。はぁ~。

このところ、小さなもやもやが続いていて、DVDもちっとも観てなくて、まずいではないか、間に合わん! ではまた

円安ですね

今日は半年ぶりの円安になったとか、ニュースで見ました。103円を超えたようですね。それに応じて株高に。日本にとってよいことなのかどうなのか、よくわかりませんな・・・・・・。

タイバーツは現在3.2円ほど。やはり高いですね。2.8円前後で安定してくれると、計算がしやすいので楽なのですがね。何でも仕入れたら、1バーツ3円で計算すると、関税なども含んでの概算に近くなる、と考えてやってきました。もちろんモノの大小、かさばるかさばらない、いろいろ幅はありますが。これが3.2円となると、概算するに3.5をかけなくてはならず、めんどくさい(笑)。それにもちろん、3.2円よりも、2.8円で買える方がありがたい。
ま、簡単に言うと、ウチのような輸入する業種にとっては、円安は歓迎すべきものではないんですよね。
ただ、では円高であればあるほどいいのか、というと、もちろんそんな単純なことではなく。

どうなんでしょうね、ここ1年ほどで80円から100円超えまで一気に来たわけだけど、95円くらいが妥当な円ドル水準なのかなぁと、なんとなく、そんな気がします。ここからどちらに転んでも、ひずみが大きすぎて吸収するのがとても大変なことになりそうです。

80円でドル買っとけばよかった・・・・・・(笑)

タイがまたちょっと混乱しているようですね。死者も出たとの報道なので、「ちょっと」という域は出ているかも。明後日が国王の誕生日だそうなので、そのあたりで収まるといいですね。しかし、いつまでたってもこれではね・・・・・・。

コート、出来ました。やっぱり小さい。特に袖ぐり。11号の型紙で作ったのになぁ・・・・・・。前にも書いたけど、文化出版局のスタイルブックなので、基本、サイズの問題はないはずなんだけど、これはダメでしたわ。着れないことはないけど、私はサイズ的には9号、場合によっては7号でOkで、でも大きめが好きなので11号でいつも作る、ということを考えると、ジャストサイズが11号の人にはぜーったいに小さいですわ。なんでだろうな。
ということで、せっかく型紙作ったけど、使わない印を付けて、使わないところに片付けてしまいました。

明日は晴れの予報、最高気温は8℃、ではまた

キタ~~~~~~~~~~~!!!!!

昨日は1年半ぶりに、管理している別荘の庭掃除。1年半もの間さぼっていたわけではなく、建て替え工事をしていたので、庭の管理は不要だったのでした。久しぶりで、しかも、私はちょこっとやるのかと思っていたのに、夫は全力投球だったので、疲れた上に夕方には腰がピキッと逝ってしまい、今年はこのまま行けそうだったのに最後の最後でギックリかと、でもそこまで酷いものではなく、大丈夫でしたが。

そんなわけで今日は体のあちこちが痛く、朝も早くは起きられず、だらだらして、みーさんいつものようにランダムでかかるようにして聴いて、それでも何かしなきゃとまだできていないコートの続きをやっているところに、郵便屋さん。おお、千秋楽のチケットが届きましたわ奥様。ちょうど歌は「キツネ狩りの歌」。

あーぁ、今度は2階や3階かも、高いところはちょっとなぁ・・・。もしくはまーたまた端っこかなぁ・・・。
(何に付け一応は絶望的観測をするのが癖ですw)
と思いながら封を切り、チケットを取り出して、まったく期待せずに、番号を見てみたら。

1階1列センターブロック!!!

へ? そんなバカな。
もう1回ちゃんと見た。

1階1列センターブロック!!!

ぬぉわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!(壊れた)

キターーーーーーーーー!
1階1列ーーーーーーーーーっ!
1階1列ーーーーーーーーーっ!
ついにキターーーーーっ、私にも春がーーーーーっ!
チケットを手にしたまま、「イチレツーーーっ!」と踊りました。キタキツネじゃなかった、キツネ狩りの歌に合わせて、例のうさぎダンス! うそだインディアンの踊りだ! 
そんなものじゃ収まらない私は、そのまま玄関を出て、店に向かって走りながら踊りながら、森羅万象八百万の神によろこびを伝え、また、分かち合いました。仕事中の夫にもチケットを突きつけ、1階1列を確認させ、さらに踊り狂いました。

狂喜乱舞という四文字熟語がこの世にあることは知っていましたが、自分がその状態になったのは、記憶をたどる限りありません。狂喜乱舞、欣喜雀躍、などとも言いますな。

1階1列、夢にまで見た(見たことはないけど)最前列、さいぜんれつ!
視界を遮るものの何もない、とにかくなんたって最前列!
特に今回の工場では、あの人はやたらと舞台の前の方にいる!
ぶっ倒れていたりもする!
アマテラスの時にはよく見ると胸の谷間が見えそう、らしい(いや私はそんなものには興味はないぞw)
それらのすべてが眼前に!
そうそうあの黒いピンヒールも!
見上げる体勢だから首が痛い? そんなものが何だというのさ!
1階1列、売れば10万は超えるよ?(もちろん売らないが)
いや~、10年くらい頑張れば1度くらい来るかと思っていたけど、こんなに早く来るとは・・・(感慨深い)

3分後。
家に戻り、再びチケットを見てみると、ん? 何かこう、違和感が。なんだろ?
「1階」の「1」と、「1列」の「1」が、微妙に違う形に見えるんだけど?
は?
老眼鏡をかけて、よく見てみると・・・・・・。

「1」じゃなくて、「 I 」(アルファベットのアイね)だったよ・・・・・・・・・・・orz

そんとき私の情念増幅装置は、キツネ狩りの歌に続けて、「うらみ・ます」を流していましたとさ。
(これホントの話ねw)

いやいや、まぁ落ち着いて考えてみると、アイ列で十分というか、これ以上望みようがないくらいにいい席をいただけて、感謝感激雨あられでございますの。ギリギリだけど1ケタ列だー。千秋楽で今回いちばん前で見られるなんてありがてぇ、ほんとに。場所も端っこじゃないと思うし(センターかどうかはまだわからないけど)。
ま、ただね。
最前列って思い込んじゃったので、それに比べると、しょぼーんなことは事実(笑)
多分今日。日本全国で50人ほどが、全く同じことで一喜一憂したと思われます。紛らわしいっすね、イチとアイ。
てなわけで、同行してくれる方、すんません、最前列じゃなかったです・・・・・・(笑)

イチじゃなくてアイだとわかった後で、腰痛がさらに悪化。
しかし、踊っていた時はちーとも痛くなかった。
人間、アドレナリンが出まくってると痛さを感じないって本当なのですね。
アドレナリン? ドーパミン? ま、何でもいいか。
午後はまた、コートの続きをやりましたが、総裏なのでとんでもなく工程が多く複雑で、まだできない。しかもどう考えてもこれ7号じゃないの? という大きさなので、モチベーションの維持が難しいです。

あー最前列(まだ言ってる)
明日も晴れの予報、あ、12月に入ったんですね、ではまた

あ、でさ、タイトルが「キターーー!」なんだけど、もちろん、〆としては、
「来てねぇーーーーーっ!」だやね。