昨夜の雨でもっと融けるかと思いましたが、気温が低いのか意外に雪が残っている今日の軽井沢。今日は一日中弱い霰が降り続く変な天気。夕方から雪に変わり、もう世界は一面真っ白です。
真夜中まで本を読んでしまい、その後ちょっと飲んで寝たもので、今日は夕方まで使い物にならず。
読んだ本は『文学地図』 (加藤典洋)。えらくお固い本。文芸評論です。副題が「大江と村上と20年」とあり、どんな内容なのかなと手に取りました。特別に大江と村上だけを取り上げているわけではなく、実は楽しく読んだのは1990年頃からの「文芸時評」。現在から過去を振り返っているのではなく、その時代にリアルタイムで書かれた時評を、後から読むという経験はあまりないですよね。その意味でとても面白かった。今はそうそうたる中堅作家が新人として登場してきたり、既にない作家が対談していたり作品を発表していたり。
1970年代以降の日本の文学を考えるときに、大江と村上の2人は確かにはずそうと思ってもはずせない重要な人物だと思います。どちらも今の私にとっては、あまり重要な作家ではないのですが、特に大江健三郎は若いころに熱心に読んだ作家の1人なので、今でも興味はあります。大江は、私にとっては初期作品群で終わってしまった作家で、中期以降、おそらくは障害のある子どもを得てからの作品群はあまりピンときません。「イーヨー」「ギー兄さん」「壊す人」といった、各作品に共通したりもする特定のキャラクターと、閉塞的な世界観がどうも好きではない。日本を代表する現代作家であることは認めますが、自分には合わないのです。それはもう、仕方のないことですね。
村上春樹は、『ノルウェイの森』までは、好きだったかもしれません。いや、たぶん『ノルウェイの森』で村上と出会い、過去の作品群を読んで好きになったが、気がついたら『ノルウェイ~』をどう評価すればいいのかわからなくなった、的な。その後の作品はときどき読んでいますが、やはり自分とは接点がないなぁと思う作家です。今も村上といえば「春の熊ちゃんのでんぐり返し」なんだな(笑)。原文とは違います、多分。原文がノルウェイ~であったかどうかも、もう定かではありません。
それにしても、昔も今も、たくさんの作家がいて、その人たちがいろんな作品を書いているんですよね。時評を読みながらしみじみそんなことを思いました。
物語る才能というのは、これはもう天性のものであって、ある人にはあるし、ない人にはない。言語能力とも違う、特別な才能。
今、雫井修介の『犯人に告ぐ』を読み始めたところなのですが、うまい、うまいよ。いきなり引き込まれる。これがあの、『犯罪小説家』や『殺気!』を書いて私をガックリさせた作家なのか。読む前から、この作品の評価の高さは伝え聞いていたので、ある程度わかってはいたのですが。
昔のことがよみがえるような本を読んだせいか、昨夜は母親と国電に乗ってる夢を見ました。高田馬場に行こうとしているのに、新宿で中央線に乗ってしまい、「あぁ、ともかく大久保で降りなきゃ」と思ってる夢。大久保界隈は昔職場がそこだったので、土地勘はあるのですけどね。すこし前に父親が出てくる夢を見たときも、舞台は新宿だった。元気な親が出てくる夢を見るせつなさというのは、若いころにはわからなかった感覚の一つですね。
その夢のあと、巨大イチゴ畑を眺めている夢(たけのこみたいに巨大なイチゴなんですよ)と、すももの木の下にたくさん実が落ちていて、持ち主に「とっていいよ」と言われて超大喜びで拾っている夢。さて、夢占いだと何と出るのでしょうかね・・・。「果物が足りません」って?
チケット、ほぼ、なんとか、落ち着くところに落ち着きそうです。帰路、スワンナプーム空港での野宿があるのが難点ですが(笑)。あちら立てればこちら立たずでね。もう、しょうがないみたい。はぁ。
ではまた