吹雪

予報では、長野北部は雪でもこのあたりは免れそうだったのですが、しっかり雪です。
朝の時点で7-8㎝、除雪して、しかしその後も降りやまず、夕方からまた少し積もりそうな降り方になってきました。風が強く、木に乗った雪はすぐに吹き飛ばされ、窓から見ていると真横に真上にびゅんびゅん飛ばされていく。とても散歩には行けませんでした。

山は大荒れでしょうね。何もないといいのですが。

きのう出かけた先の友人は、自他共に認める物欲の人。「防水カメラも欲しい」と、オリンパスμの話題に。
μはかなり前から出ている防水カメラで(たしかフィルムカメラでもあったと記憶してます)、アウトドア系の人はけっこう使っているのではないかと思います。私も興味はありつつも、今までは一度も使ったことがありませんでした。
しかしこれ、「氷点下10度まで耐える」と、スペックで宣言しています。
ということは、他のカメラは耐えないのか? よくわかりません。実験したこともないし。
ただ、2006年にゴーキョとレンジョ・ラに行った時は、ニコンのD50もクールピクス3700も、普通に動作し、動かなくなることはありませんでした。


左がμ3000、右がμ8010
どちらも発売前みたいです。防水防塵耐寒カメラ。たしか28-105ミリくらい。
欲しい。
今度のヒマラヤ用に。
インドや東南アジアなども、防塵機能があるといいんじゃないかと。もちろん防水も。いきなり牛がオシッコしたりしますからね(笑)。ソンクラン(タイ正月)にぶつかるとドラム缶からバケツで水をぶっかけられるしね。

ちょっと前までは、

オリンパスのペンや、パナソニックのGF1にちょっと食指が動いていました。どちらもレンズ交換が出来る小型のデジ一眼。写真のパンケーキレンズ(薄型)を付けるとかなりコンパクトでかっこいい。
いま持っているニコンのD50はやはり大きくて重いので、こっちに切り替えようかなとか。

しかし、よく考えてみると、もう昔みたいに一生懸命写真を撮ることもなくなって、ただ記録というか、メモ代わりに残すスナップ写真ばかりになってきているのも事実。だとしたら、ここまで高スペックのものは必要なくて、上にあるようなコンデジで、細かいことはともかく「防水防塵耐寒」で考えてもいいかなぁ。なんて。
特に山登りの時には、小さくて軽いというのは何にも代えがたいです。

まぁ、μの新型はこれから発売だし、きっと秋にも新型が出るのでしょうから、悠然と構えていて平気そう。
とりあえず、死蔵しているフィルムカメラと交換レンズ群を手放そうかと思います。
もうこういうカメラとレンズとフィルムを持って旅をすることもないのだね。ちょと寂しいような気もします。

「私とは何か さて死んだのは誰なのか」 池田晶子
池田晶子さん。哲学のひと。哲学エッセイという新しいジャンルを文芸界に持ち込んだ人。ソクラテスと悪妻のかけあい漫才みたいなものが有名。今回初めて知ったけど、モデルをやっていた時期もあったらしい、つまりは才色兼備というやつです。写真を見るとたしかにお綺麗ですわよ。
私より5年ほど早くこの世に生まれて、そしてもうこの世にいない。
知っている人は知っているし、知らない人は知らない。そもそも「私とは何か」だの、「テツガク」だの言われてピンと来ない人には一生縁のない人。それでいいとご本人も思ってるだろう。
いろんなテーマの文を集めた一冊で、まぁいろんなことが書いてあるのだけれども、
・私なんてものはない
・個をつきつめていくと普遍にいたる
をおさえればいいのかなと。ほかのことはむずかしゅうてよくわかりませなんだ(笑)。
本の副題になっている「さて死んだのは誰なのか」も、実際著者が亡くなる前に遺した言葉と知れば、なるほどこの人の哲学が最後に行き着いたのはそこなのか、と思わされますね。
自分というものの存在を、絶対の、揺るぎのないものと認識して、通常われわれは生きていると思うのですが、その認識を「え、どうしてそんなふうに信じられるのですか?」と、さらっと問われている感じ。私が、私が、自分が、自分が、私だけが、自分だけが・・・・・・、なんか、そんな風に自己主張しながら回り続けるわれらの社会を、すこし別の角度から見られるようになる、かも。少なくとも私は、ちょっと力を抜くことを教えられました。
哲学書としては無類のおもしろさ、☆4つ

池田晶子さんについてぐぐっていたら、佐藤亜紀(「バルタザールの遍歴」のね)さんがなぜか出てきて、さらにぐぐったら、有名な犬猿の仲だったらしい。佐藤さんが自身のホームページで「哲学の巫女」呼ばわりをして散々叩いたらしい、もちろんそうなる前には何かがあったに違いないけれど。
まぁね、「私なんてものはない」なんて言われたら、学のある人なら反論したくもなるわな、多分。

ではまた