ラオス・織りの村へ

ラオス中南部は木綿の産地が多いことで知られています。今回訪れたサバンナケートも一大産地。とはいえ、集約農業化はまだまだ進んでいない(と思われる)ラオスのこと、村々で家内生産的に作られた木綿が多数です。

中国でもタイでもインドでもベトナムでも、「ここに布がある」と聞けば飛んでいくわたし。
細かな情報もないまま、最終的にたどりつくべき村の名前1つを連呼して、たいていはたどり着きます。
その場にいる誰かしらが、私をそこへ行く(もしくは途中まで行く)バスに乗せてくれる。
現地ではガイドも専用車も付けません。
付ければいいこともたくさんあると思うし、そろそろそういう段階に入りつつあるのかなと思ったりはしますが、まだ付けません(笑)。

でも今回は、サバンナケートにツーリストオフィスがあるのを知り、事前に情報を聞いてみることにしました。

「これこれこういう村に行きたいのですが、どうやって行ったらいいですか?」
と聞く私に、職員の人は簡単な地図を指し示しながら、
「それには、まず市場から出るソンテウに乗って、70キロほど離れたこの町へ。2時間半ほどかかります。そこから村までは3~4キロなので、何か乗り物があれば乗って行けるでしょう。最悪歩きかも。そして帰りですが、町とここを結ぶソンテウは午前中で終わるので、パクセから来るバスをヒッチするしかないですね。町にはたしか宿があるはずですよ」
「そうですか、今日行って今日帰るのは難しいかな?」
「無理ですね。今日行って一泊して、明日なんとか村まで行って、帰ってきたら?」
「明日の午後にはサバンナケートを離れるんです」
「それじゃ、こうしなさい。今回は村はあきらめて、サバンナケート市内にいくつか織りの場所、工場がありますから、そこへ行ってみたら? まずここね、ここがラハシンという大きな会社です。たしか作業場もあったはず。ほかに障害者の工場もここにあります。さらにここには、ハンドクラフトセンターがありますよ」
「ありがとう、行ってみます」

どこへ行くか、って?
聞くか私に?
村に行くだろ、村に!

1時間遅れで発車した、途中の町まで行くソンテウはこの有り様。両側にベンチシート、真ん中に木のベンチが無理やり置かれて、3列で無理無理座ってる。外にも人がぶら下がってる。それでも、昔に比べればずいぶんマシです。
窓のところに、串刺しがいっぱい見えますかね?
これは途中で停車したソンテウに群がる物売りが手にしている、各種串焼き。鳥とか、蛙とか、虫とか、いろいろ。
北ラオスではこういう光景は目にしないような気がします。中南部では昔もこうだったし、今もこうなのね・・・。

町までは、2時間半はかかりませんでした。たぶん走り出してからは1時間半ちょっとだったと思います。道は舗装されていて、それほどしんどくなかったです。


町ではソンテウを待っていた小さな3輪がいました。お坊さん2人とおじさん1人を一緒に乗せて、いざスタート。道はすぐにダートになりました。半分くらいのところで、「村まであと4キロ」の表示があったので、町から村へは7~8キロはありそうです。

村の話はまた次にして、今日撮影したので布を1点だけ。

村は今でも植物染めをしているそれほど数多くない産地の一つです。
これは手紡ぎのラオス産の木綿糸を、藍で染めてから織ったストール。染め方もしくは染め手、もしくは甕によって色合いが微妙に違う。濃厚な藍の香りがして、それだけで幸せな気分になります。

今日の軽井沢はぼけぼけ陽気。店の屋根にのっていた雪もあらかた融けました。でもこれから寒くなるみたいですね、まぁそうですよね、まだ2月なんだし。ではまた

荷物到着

たいへん亀ですが、2009年春にタイ北部チェンコンに行った折の様子を旅サイトにアップしましたので、お暇な方はご覧くださいませ~
こちらでございます

タイから貨物で発送した荷物が本日到着。
最大の箱6個で総計は165キロです。
このほかに手持ちで30キロ強持ってきたので、やっぱり今回の仕入は200キロほど、でした。

生地がどっかんどっかん出てくる。
現地では大喜びで買っていたのですが、
「これ、誰が縫うん・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
的気分も若干。
若干ですけどねぇ。
やっぱり布は好きだから、出来合いの服を買うよりは布買うほうがずっと楽しいです。

これから伝票整理、税関係の確認、仕入の精算などを経て、価格をつけて、店に出します。
おっと、店はまだ開けていませんのですが。
3月半ばの予定にしています。まだまだ寒いので~。

追々、荷物の整理などしながら、今回新しく入れたものなどもアップしていきますね~。

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やっと店やってる人のブログっぽくなってきましたな~(笑)
長い旅をして帰ってきた気分。
とか言いつつ、ヘッドホンで聴いてるのはやっぱりあのひと♪
あのひとの音源しか持ってない♪
厳密に言うと洋楽はちったぁ持ってるが。
ではまたです

ラオス、16年ぶりのサバンナケート


サバンナケートの町の中心あたりにある、教会。
この国は長くフランスの統治下にありました。

サバンナケートは16年ぶりに訪れた、ラオス中南部の街。メコン川に面しています。
初めてここを訪れたとき、ラオスはまだ開かれたばかり。ほとんど情報もないままビエンチャンからバスで十数時間かけてここに着き、ここからベトナム目指して国境へ、トラックバスで向かったのでした。その後私がどれほどの艱難辛苦を乗り越えてベトナムの街ドンハにたどりついたかは、また別の機会に。国境で乗り継ごうとしたのが間違いでした。

その後16年。
サバンナケートは激変していました。もうまったく、どこがどこやらわかりません。というか、記憶が失われているんですけどね・・・(笑)
タイとの間に第二友好橋がかかったことで、ここはベトナム~ラオス~タイを結ぶ交通の要衝となりました。以前からそうではあったけど、より一層。


サバンナケートのバス駅。とても立派なバスが止まっていますね。
これはタイへ向かう国際バス。ムクダハンまで行きます。タイ側のバスです。私が乗ってきたのはラオス側のバスだったので、ぼろかったw

ほんでもって~!


次に私が乗るバスはこれ。
バス?
トラックですな。
タイではソンテウと呼びます。
ラオスでもソンテウで通じた。


たいへん空いててよさげに見えますか?
出発前だからこうなんですよ。
これからいざ出発するぞ、ってなると、わらわらわらわら人が湧いてくんの。そんで、やっと発車したと思っても、あっちでもこっちでも人を乗せるの。で、どうなるかというと、この1台に、大人20人、子供10人、大量の荷物と野菜、にわとり、が乗ってるのです!!!

ていうかね。
これ、既に、出発時間を15分も過ぎてるんだけどね・・・・・・。
結局、10時半発のこのソンテウが、実際に街を出て走り出したのは、11時半のことでしたよw

続きはまた今度。

さてさて。

ときどき私のブログに登場してくる「山の畑友人」が、とうとうブログを作りましたよ!
彼女は大変すばらしい環境の下、有機野菜を作っています。大きなハウスも建ちました。
今年から本格的な営農に入るので、野菜の話がたくさん聞けると思います~
オーガニック畑から聞こえる ← ここを押してください
押さない・押します・押すとき・押せば・押せっ!

昨日、カラオケ屋で来ていた人が、携帯電話の新しいやつを見せてくれたんです。なんとそこには、ユーチューブのみゆきさんの映像が映ってた。
どこに数字のキーがあるんだろと思って(だって電話だっていうからさ)、あちこち引っ張ったり押したりしたら、「コラコラ!」 って言われちった。引っ張り出したりするとそこにキーがあるのかなと思ったんですよ。よくあるでしょ、そういう携帯。
そしたら、画面が、キーになるのね~。
海外でも使えるのかなぁ、国際通話にならずに ← これ大事
どうも、携帯については、さっぱりわからん。

中島みゆきさん以外の歌は、昭和で終わってる。
パソコンはブログまでしかついていけんかった。
携帯は、何がなにやらさっぱりわからん。

ではまた

バンコクからウボンを経て

今回の旅行は、タイとラオスを回るものでした。
出発は成田空港から、割とよく使う中華航空の台北経由便で。腰が悪いので、途中で一度降りられたほうが楽なんですよねw
バンコクには夕方着。そのままエアアジアのタイ国内線でウボンラチャタニへ。2時間ほど遅れましたが無事に飛びました。


こんな飛行機。小さいですねぇ・・・。


ウボンラチャタニは、実は初めて行った街。ここが国際空港だとは・・・。どこから飛んでくるのか、国際線が。
乗客は三々五々歩いて建物に向かいます。
20年と少し前の上海も、こんな感じだったよ、信じられないだろうけどね。


ウボンからバスで3時間、ムクダハンのタイ側出国ゲート。ここにはタイ~ラオス友好橋の2番目が架かっていて、バスでラオスに渡ることができます。ラオス側はサバンナケート。
ムクダハンは2度目だけど、今回は通過しただけでした。

ウボンからムクダハンに向かうバスの中からぼんやりと外を見ていたら、何もない荒野にぽつりぽつりと、鳥の置物が。バスから見えるんだから結構な大きさのものが、数メートルおきに、コンクリートの支柱の上に載ってる。オウム、インコ、フラミンゴ、フクロウ・・・・・・・・・・・・。そして、タカ! そのタカは両翼を広げて今にも飛び立たんとする迫力のある風貌をしてまして、私は思わず居住まいを正したのでありました。
そう、それは、♪ 見なさい~! ♪ と絶叫するときのみーさまそのもの。(「鷹の歌」ね。)
皆さんもぜひ、このルートを通るときには、この「みゆき鷹」をご覧くださいませ。進行方向向かって左手でございます。

あまり通ることもないかとは思いますが。

入国からわずか一晩でタイを出国し、ラオスへ。続きはまた今度。

閑話休題

昨日は中島みゆきさんの誕生日だったんです。富士山の日と一緒だ。覚えやすい(そうでもない)。
で、今日は県民歌会のミニバージョンに行ってきました。
これで昨年秋から続いたみーさま祭りは、一応、終結しました。
あー楽しかった、燃え盛った(笑)
しばらくは冷静に生きるとしますか。
直に荷物が到着して荷捌きが始まるしね・・・。

年末、夜会があるらしい(ぼそり)。

今日の軽井沢は、日中いっとき雨がぱらつく天気でした。気温は高いです、雨が降るくらいだから。
ではまた

地球もなまもの、だね

ニュージーランド南島の地震、被害が心配ですね。
昨日はニュースなど見ずに呑気にブログを更新してたんだけど、夜になって知っておどろきました。

初めて外国に行ったのは大学に入ってすぐの夏で、その渡航先がニュージーランド、クライストチャーチでした。19歳だったのかな、多分。自分で決めて行ったわけじゃないので、何となく自分の旅歴からは抜いて考えるのですが、今回の報道で、そういえば自分の初・海外はここだったんだなぁと。

私の父は新潟県のスキー場の会社にいましてね。当時、ニュージーランドのマウントハットスキー場と姉妹スキー場になったり、そのお膝もとの町どうしが姉妹都市になったり、したんです。
その関係で、親善訪問というのか、表敬訪問というのか、そういうものがありまして、私はそれにくっついて、生まれて初めて海外へ行ったというわけです。本当にくっついて行っただけなので、やっぱり「自分の旅」じゃないんだけどね。
日本の夏に行ったので現地は冬。スキーもしました。ヘリスキーなんてのもやりましたよ。私はスキー場屋の娘に生まれたけどスキーはそんなに得意じゃないので、まぁ、やってみただけ(笑)。

クライストチャーチの大聖堂、覚えてます。
あんなふうになっちゃうなんて。

ここには10年くらい前にもう一度行きました。その時も父と一緒に。この頃の父は、ちょっと足元とかおぼつかなくなってて、だから付き添いで。首相にもお会いしたりしました。
クライストチャーチは本当に美しい町でしたね。それぞれの家が庭をきれいに作っていて、競い合ってるみたいな感じでした。石造りの家と緑の庭と花、きれいだったな。

初めて行ったとき、わたしは免許取りたてでねぇ。あれ、もしかしたら仮免だったかも? んで、ニュージーランドは羊しかいなくて車を運転するには最適だ、ってんで、レンタカー借りて父と2人であちゃこちゃ行ったことなど思い出しました。湖とか、教会とか、いろいろ行ったなぁ。事故ることもなくてよかったですw

父は昨年末にこの世の人ではなくなりました。
生きていて、頭がしっかりしていたら、この地震の報を受けて悲しんだだろうな。

人だけじゃなくて、地球も、なまもの、なんだねぇ。
変わっていく、移ろっていく、明日どうなっているかなんてわからない、ものなんだなぁ。
変化なんてしそうもないと思っていた中東でも、いろいろなことが起きているし。
私だって火山の足元に住んでる。

この地震の被害が少しでも軽微なものですみますように。みんな無事だといいね。

ではまた

ただいま~

♪ うぉぅ~うぉぅ~うぉぅ~ 夢は57セント~
うぉぅ~うぉぅ~うぉぅ~うぉぅ~ 一度足を上げる値段ん~ ♪ (シュガー・中島みゆき)

やさぐれて帰ってまいりました。2週間、ただの一度もパソコンを触らなかったです。なんというやさぐれっぷりでしょうか。自分でも呆れる。

東北タイから中南部ラオスに入り、そこから北ラオスまで突き抜けて北タイに入り、最後バンコク。
総計200キロ近い繊維(布が大半、一部は服)を集めて発送して、きました。

すべての荷物を発送し終わり、1日予備日がありました。日曜日だったのね。本当はその日に発送したかったのだけど、カーゴ屋さんが休みなので土曜に前倒しで発送したのでした。
で、その日曜に、サンペーンという市場というか問屋街というか、そういうところに行きました。前はよく行ったもんだけど、最近はずっとご無沙汰していたところです。布や縫製関係の資材なんかも売ってる。でも多いのはファンシー系グッズやアクセサリーの問屋。
ボタンなんかがあったら買いたいと思って狭い通りをごちゃごちゃと歩いていて、店頭にボタンの出ていた店に入って、壁を見たら、全面にどわぁぁぁーっと袋詰めされたボタン? が積み上げられてました。よくよく見ると、それは全て、スパンコール。赤やピンクや紫や黄色や、キラキラキラキラ、いろんな大きさで。

はい、もうわかりましたね(笑)

♪ スパンコールと 羽飾りをつけて 今夜もあたしの 出番がくる ♪ (シュガー)

ですよ。
「あ、スパンコールなんだ、ほぇーーーっ」 と呟いた直後に、もう歌ってた。外国はいいな、何してても誰にも変に思われない。特にタイは。

そういえば、土曜日にカーゴ屋さんに行こうと歩いていたら、赤シャツ軍団の大車列に遭遇。プラトゥーナム大交差点を、北・南・東からそれぞれ車列がやってきて、ここで合流して西へ向かっていました。プラトゥーナム近辺では、狙撃されて一般市民が何人も死んでるから、ちと緊張した。まぁこの日のデモは平和なもんで、警官隊が誘導もしてたしね。夜にアルジャジーラを見てたら、戦勝記念塔(だと思う)で大集会をしている様子が中継されていました。

政情が不安定だからインフレになるのか、よくわからないけどタイの物価は上昇の一途をたどっています。
中国の勢いに乗っかろうとしているタイ、今まで他国の力に乗っかってうまく切り抜けてきた要領のいい国ですが(インドシナで唯一欧米の植民地にならなかったし、ベトナム戦争の時にはアメリカに協力してインフラ整備をさせた国)、今度もうまくいくでしょうか。
中国の勢いを間近に感じる旅でもありました。インドシナにもものすごい勢いで拡散しようとしている。

今回はツーリスティックなエリアではなく、ビジネスエリアに泊まっていたせいか、ネットカフェがほんとに見つからなくてね・・・・・・・。見つからないっつうか、目に付かない。探すまでの気力もなくて、何となく最後までそのままにしてしまいました。次回からは世界最小のパソコン(イメージはないけど)を持っていこう。wifiの看板はよく見たんですよね、もう持ち歩くのが常識になりつつあるんだろうなー、きっと。

チェンマイで、クーラーに当たって大風邪を引いたけど、何とかバンコクで持ち直し、無事に帰国しました。
最後の台北~東京線では、シャンパンなぞを飲んでご機嫌になりましたw ちょうど「サバイバル・ロード」を聴いてるときにお代わりワゴンが来たので、勢いで「おかわりっ、シャンパン!」wwwww
だってほら、みーさまも、「男らしい歌いきますっ!」って言ってたでしょ? 風邪は治ったがこっちは治らん私です・・・。
最近の飛行機の楽しみは、何といってもイヤホンでみーさまを聴くことだな。ちんけな画面で見る映画なんてつまらんですわ。
実は今回、行く直前にネットを徘徊していて、某会場の音源を拾ったんです。すいません違法です違法です。ごめんなさい。でも、落ちてたから拾ったのw
んなわけで、イヤホン耳にして笑ったり泣いたりしていた女は、私です。
みーさま聴いてると、つらいフライトも短く感じるんですよ。ありがたいありがたい。ほんとにみーさまありがとう。

じゃぁまた。

風強し

午前中に買い物に行ったら、すごい風で開けた瞬間の車のドアを持って行かれそうになりました。空いてる駐車場でよかった(混んでりゃ慎重にいくけど)。
風は強いのですが、晴れて何となくだけど暖かいです。
陽射しが強いというかね。
なんだかんだ言って、冬も峠は越えたのかな(甘い?)

毎年思うことですが、陽射しが長く、強くなっていく1月後半から2月ってのは、まだ耐えられるような気がします。
嫌なのは、あっという間に日が暮れてしまい、これから来る寒くて長い冬が圧し掛かる11月後半から12月いっぱい。
そして、下界はとっくに春なのに、いつまでたっても来ない春を延々待たされる3月4月。
です、私の場合。
ハウスがあれば3月にもなれば当然、種まきやら色々できると思うんですよ。冬越しの葉モノなんかは収穫もできると思うし。でも露地では無理なんだなぁ~。

暖地に下りたい。
しかし、暖地は人が住みやすいので、人口密度も高い→嫌だ。
なんてワガママなやつなんだろう・・・w

膨れ上がる願望がそうさせているのか、最近、野鳥のさえずりも変わってきたように聴こえるんです。繁殖期に近づいているのを、野鳥も感じているような声。うまく言えませんが。

とは言いながら、まだまだ寒さが続くのが軽井沢なのですが。
明日は今日よりは寒くなりそうですよ。ではまた

暑いか寒いか

北タイにいる知人からメール。
今年の北タイは30年に一度の寒さなんだとか・・・!
ほんとか(ウソついてどうする?)
バンコクは35℃近くになっているらしいのに。

どっちなんでしょ?

ま、一応、着て行く冬物は持ち歩くから大丈夫なのですが。


昨日作ってたワンショルダーバッグ。紙の型紙ではオッケーだったんだけど、いざ合わせてみたら微妙にずれが出て、特に上の部分はかなり無理やり納めた感じです。ははは。
前でタスキがけ。胸のあたりで保持って感じです。安心度高そう。

まだ行きませんがw

今日は最高気温2.9℃と、けっこう寒かった。平年よりは高いと思いますが。ここ何日か暖かだったので。
明日のほうが晴れるぶん、暖かく感じられるんじゃないかな、今日は曇天でした。
ではまた~

(追記)
そういえば、今日はネットショップへのご注文があり、夕方発送しました。
タイへ出張することと、たな卸しも必要なので、2月一杯はネットショップもお休みになってます。そんなわけなので、悪しからず~ご了承ください。

立春ですね~

きのうが立春。
今日の軽井沢は3月半ばの気温だったとかで、なんと8度ちかくまでいきました。最低はマイナス7~8度だったかな。
いやぁあったかい。
屋根の雪がどんどん解けます。
地面の雪もだいぶ消えました。建物の北側などは、終日日が当たらないので残っていますが、日が当たるところにはもう殆どありません。

この反動が怖い。
と言いつつ、来週には気温34℃とかふざけたことを言っているバンコクへw
大丈夫だろうか。

今日は、急遽申し込むことにしたフェアの応募書類作りなどでデスクワーク。ちょっとだけ撮影も。
それが終わってから、今回の旅用に作っていたワンショルダーバッグを仕上げ。
貴重品などをオシャレにw 持つためのバッグです。
財布、ケータイ、カメラ、に加えて、老眼鏡やペンやそういったものを入れて身につけるんです。ディパックは背中になるし、ショルダーも意外に体から離れるでしょ? ウエストバッグは腰の悪い私にとっては好き好んで地雷原に足を踏み入れるようなもの。でも絶対に体に密着させておきたいw バスで居眠りとかしても大丈夫なように。人混みを歩くときも心配ないように。で、体の前にちょうどナナメにくるように、小さめに作りました。去年オークションで手に入れた酒袋を使いました。
そうそう、タイ国内で使うためのケータイ(日本では使えない)を持っているので、普段の私の番号に電話もらっても出られませんので念のため。到着したらSIMカードを買って、新しい番号を入れるんです、毎回。料金はプリペイドカードで払います。

もひとつ付け加えると、ほんとうのほんとうの貴重品は、ンなところには入れません。

タイもラオスも、全世界的に見ればたいへん安全な部類に属し、実際、私も何度も旅しているけれど、一度も危ない目や盗難に遭ったことはありません。
それでも、何も起こらないにこしたことはありません。全財産とパスポートまでショルダーバッグにぽいっと放り込んで、みたいなことは、まだまだ私には怖くてできないな。
特にここ最近の私は、”みゆき祭り”でたいへん浮かれておりますので、ここはひとつ、バシッと気合を入れてかからねば。

昔の話ですが。
中国のシルクロードを旅していたとき、知り合った日本人旅行者が、長距離バスの中でウエストバッグを切られて中身を抜かれた、と聞きました。そんなに大金じゃなかったけど、鋭利な刃物でスッパリ。居眠りしていたとはいえ、気づかないものなんだなぁと、以後ますます荷物には気を使うようになりました。
同じく中国で、大きなザックを背負って歩いていると、何だかだんだん軽くなる。振り向くと、自分の荷物がちょっとずつ歩道に散乱。背負ってるザックを切られた、んだそうです。これは伝聞だけど。

話が変な方向に。
明日もそこそこあったかそうですよ。ではまた

+7.5℃!

今日はよく晴れて風もなく、なんと日中の気温が7.5度まで上がりました。平年よりも6度も高いそうです。朝はマイナス9.5℃でしたけど。


デッキで日向ぼっこ、にも飽きて日陰に入ってみているウメです。
こんなに暖かいと、さすがに外がいいみたい。


この暖かさで、というわけではないと思いますが、スノードロップの芽が出てました。ずっと前から出ていたかもしれませんが、雪の下だったのでわからない・・・。


デッキの手すりの上にある小鳥レストラン。
主に来るのは、カラ類(シジュウカラ、コガラ、ゴジュウカラ、ヒガラ、ヤマガラ)など。
隣に平らな餌台もあり、こちらにはミヤマホオジロ、キジバトなどが来ています。
ルリビタキはこのところ毎日庭にお出まし。散歩のときにもよく見かけるスポットがあります。

友人と確定申告の話をしながら、ついでに畑仕事の開始時期について聞いたら、そろそろ種まき用の床土つくりを始めるのだそうでした。大きなハウスがあるので、仕事も始められるんでしょうね。ウチでは無理です。

明日も日中は暖かくなりそうです。この反動が怖い。ではまた