今年もそろそろ

どんどん寒くなってきている軽井沢。紅葉などというものはとっくの昔に終わり、今はただ本格的な冬将軍の到来を怯えながら待っている、という時期でしょうか。

というわけで、明日で通常営業は終了いたします。
そこから先は、お馴染みのお客さんに限りまして、電話予約で対応いたします。初めての方はごめんなさい、来春の再開をお待ちくださいませ。

今年もご愛顧、ありがとうございました。

☆ ☆ ☆

続けて「よいお年を」と書きそうになってしまいましたが、さすがにまだ早すぎますね(笑)。
今朝は0度でしたが、明日はマイナス4度の予報です。最高気温も5度と寒い。あ゛ー。

まだ「夜会」の余韻が残っている私ですが、それでもサンプルの製作を再開しました。やらなきゃならないことは、やらなきゃなりません。ようやくチケットも取れ、来月ちょっと行ってきます。

前回、「夜会」のことを書いたのですが、内容についてはぜんぜん自信がない。そもそも、本を読まされて「テーマ」とか聞かれるのが大嫌いです。みんなそうだと思いますが。
「後悔」という言葉を使ったのは、今回の「夜会」で演じられていたのが、悔いを引きずりつつ転生を繰り返している人びと、であったからです。山椒大夫の登場人物である母、竹、安寿、厨子王。この4人が姿を変え時代を変え、過去の過ち、そして悔いに身を焼かれながら生きている。その過ちは決して赦されることはない、108つの除夜の鐘が鳴ったところで消えはしない。
というのが一つの大きな主題であったと思います。
その悔いのあまりの深さに圧倒されてしまい、自分もまた自分の人生で悔いることはたくさんあるから、ああ、生きることは悔いることの積み重ねなのだ・・・、と重ね合わせてずしんと受け止めたのだと思います。今世の悔いだけでたくさんあるのに、前世の悔いまであるとしたら大変だな、人間はw

ところでこの「過ち」という言葉ですが、母が子を攫われたのはたしかに不注意でありあまりに愚かであった、ゆえに過ちと言えば言えるかもしれない。では竹はどうか。竹は自分が仕える人の子どもたちを攫われてしまった、その責任を取ってあっけなく海にざぶんで自殺してしまうのですが(原作では)、竹のそれは過ちなのか。さらに弟を逃がすために自分が犠牲になった姉のその行為は過ちか、姉の犠牲の上に生き延びた弟のその行為は過ちか。
意図してしたことではない、悪意を持ってしたことではない、むしろ相手のためにしたことですら、所を変え人を変えれば悪になりうる、罪になりうる、過ちになりうる、そういうことを言いたかったのか、と思いました。

決して赦されない、というテーゼがあって。
けれど最後には赦される、というアンチテーゼがある。
自分はここの部分、あれからずっと考えているのですが、いつかは赦される日が来るだろう、だけどそれがいつかは自分には決してわからない、その日が来るまでは赦されないまま生きていくしかないんだよ、ということなのか、と、今は解釈が落ち着きました。解釈というか、自分が受け取ったこと、ですが。それは少し開き直った自棄気味の明るさ、強さなのかな。
坂口安吾が「生きよ、堕ちよ」であるとすれば、「悔いよ、生きよ」ということ、か。
だから、何はともあれ、今日いちにち、ということなんだよね。

と、このように書いてくると、めちゃくちゃ抹香臭い&辛気臭い劇かと思われそうですが、コミカルな芝居、コミカルな歌、歌い方もたくさんあって、笑う場面もたくさんあるんですよ。宝塚出身の女優さん、梁山泊の役者さんもすごく印象に残りました。
ああ、最後の怒涛の20分(くらいだと)をもう一度見たい。十二天を寝たままがなっていたように記憶しているのだけど、もしかしたら途中から起き上がってがなっていたのかな、とか。母の転生した姿であったみゆきさんが赦され河を渡る船に乗ったかどうか、記憶が抜け落ちてて確かめたい、とか。DVDになりますように・・・! 

アルバムの「DRAMA!」もすごくいいです。普通のアルバムだったら最後の一曲になりうる曲が、ずらずら並んで入っているのに驚いてしまいました。じわじわ売れるんじゃないかな、私はここ数年に発表された中ではダントツでこれが好きですわ。
しかし、あまりにも壮大な曲ばかりで、カラオケで歌う勇気は出そうにありません。

長々と失礼しました。最後まで読む人率ってどのくらいなのかな、と時々考えたりする・・・。ではまた