来た

朝のワイドショーを見て、同じような年齢の女2人が、別々の土地で、同じような詐欺と殺人を繰り返していたらしいことを知りました。最初は同じ人が鳥取のほうでもやらかしていたのか、と思ったくらいです。34歳と35歳だっけか。
でも、その後の報道を見ていると、そのあまりの隔たりに、ちょと愕然とするくらいです。
方や1億近くとも以上とも言われる金額を騙し取り、自身はすっかりセレブ気取りで豪華マンションに豪華な車、食い道楽に走り、その自身の暮らしぶりをブログにアップして自己満足に浸る。
方やたいした金額は詐取しておらず、ただひたすら何も考えずに生活費をちょこまかと借りては踏み倒し、催促されることにめんどくさくなって消えてもらう、の繰り返しに見える。生活は荒れ放題で誰がどう見たって破綻している。

やったことは似ているのだけれど、ここまで両極端の女の人生を見せられると、いろいろと考えさせられますね。
「見せる自分」なんてものについても考えました。これは豪華女のほうだけど、完璧なブログを作って人に見せることで、自分の虚栄心を満足させているわけですね。で、これはまぁ、この女の虚栄心だけなのだけど、世に溢れるありとある情報の大部分が、実は「見せる」ために作られている、のですよね。決してそれは「素の何か」ではなく、「見せるための何か」なのですよね。作為が働いている、と言えばかなり当たりかな。
ブログなどというものはその一つの典型で、多くの人が作為的に作った自分、あるいは作った何か、を発信しているわけです。見られたい自分、なのかもしれない。見せたい自分、でもあるのだろう。あぁ、それは一体、何なのだろうと、思いませんか・・・?
商売の話をすると、私自身のこのブログや、ショップのブログなどは、もっともっと「作る」べきなのだ、と、思うこともよくあります。人があこがれる、人を惹きつける、素敵だわ、素敵な暮らしだわ、もっと知りたい・・・、的なことを思ってもらえるように「作る」ことがね。そうするべきなんだろうと思いつつ、そして自分はかつて、まさにその仕事(いやいや、詐欺じゃなくてね、昔雑誌作りとかしてました)をしていたのだから、技術的には可能なのだけど・・・・・・。

めんどくせ。
と思う時点で、私はセレブ豪華詐欺女ではなく、自宅周辺に生活道具を積み上げる破綻女の系列なんだろうなぁと、思うのでありました。

まぁ、あそこまで破綻する気もない小市民の私は、せっせとサンプル縫製に励んでいるわけなのです。
ようやく出来たチャイナスタイルのシャツ。えらい苦労した。やたらと失敗してはほどいた。衿なんか裁断し直す羽目に陥った。やっとできたけど、再チャレンジはしたくない・・・。
簡単だと思ったパターンが、実はやりにくいと気づきまして・・・。
またパターンから作ります。


これが参考にした20年前のチャイナシャツ。
大理の第二招待所から山に向かってちょっと歩いた右にあった仕立て屋さん。おじいさんだったから、もうこの世の人ではないだろうなぁ・・・。大理もずいぶん変わっただろうし。二招と言ってわかる人は、相当なロートルパッカーだしね。

で、上のシャツの仕上げをしていたところに、車が入ってきて、佐川急便。

来た!
のはコレだ!
なかなか届かないので、お金を振り込んだコンビニのおばちゃんにガメられたかと心配していたのですが(普通の日本人はこんなことは思わないですよね、すいません、いつもインドとかでいろいろやられてるので・・・)、とうとう来ましたよ。2階ってのがね、またね、なんとも控えめで。
これを楽しみに、しばらくがんばります。とりあえず、パターンやり直すか。

ではまた