既に紅葉が + 「水の彼方」


今朝の軽井沢・追分原。松の木に取り付いているツタウルシが真っ赤です。
ヤマザクラは既に落葉し始めています。毎年そうですが、ほんとにヤマザクラは早いんだわ・・・。さすがにまだ他の木は緑ですけど、標高1000mの地は、すっかり秋でございます。

写真が暗いなぁ。
今日は初めてうどんを打ってみました。これは私の手ではありませんが。
妙にうどん生地が小さく見える。
これで200g、ふつうパスタとかは1人100gでいくので、こんなもんかなと思いましたが、もうちょっと打ってもよかったと思いました。

さらに暗い写真。
シンプルに釜揚げで。製麺機が欲しくなるね。
強力粉のミノリユタカと中力粉のキタモミジ(だったかな)を100ずつ、塩10、水100でした。通販で買える国産小麦の中で、いちばん安いやつ、でも特にミノリユタカはいいですよ、美味しい。パンも美味しいし扱いやすい。ま、好みの問題もあるけど、私はハルユタカとかよりこっちが好きです。

共和国への入国は、ぼつぼつです。ふだんの週末とさほど変わらないですね。高速1000円はいいけど、それによる経済効果は場所を限定して発生するのではないかと、悪いアタマで考える。

明日の軽井沢はくもりの予報。そのぶん朝の冷え込みは緩やかです。今朝も6度ほどだったらしい・・・。ではまた

(追記)

『水の彼方』 田原  原題「双生水莽

パッと見たとき、「あぁ、とうとう、苗字だけ、っていう作家が出てきましたのね」と誤解した。タハラさんかと思ったのさ。世の中に、本を書いたことのある人間が山ほどいるもんで、その中に埋没しないようにと人はいろんなこと考えてペンネームをつけるのだろうけど、全部平仮名とか、全部カタカナとか。ついに「苗字だけ!」かよ、やれやれ・・・。
違います。ディエン・ユエン さんだね、中国の人。

思春期の、多感な、あまりにも繊細な、あまりにも過敏な・・・・・・。ちょっと胸が痛くなるような幻想チックな小説でした。全体的に「過剰感」を受けたけど、壊れやすいガラスみたいな女の子、はよく描けていたな、もちろん「過剰」だとは感じたけど。
小説の筋はともかくとして、私が面白かったのは、中国の地方都市で1985年に生まれた女性に見えていた町、社会、国の様子でした。地方都市といっても武漢だから、上海からそう遠くはないけれど・・・。とは言っても1989年当時、武漢から上海まで船で2泊3日かかった記憶がある。列車ならもっと早いけど。
私が初めて中国に行ったのは1988年、著者3歳。それからの7~8年が、私が最も足繁く中国を旅した期間で、著者はその間に小学生になり、やがて中学へ・・・。私が見ていた中国よりも、著者の暮らした中国のほうがはるかに進んでおり、家電製品や部屋の調度品や様々なものが既に身近にあったようで、それがひどく不思議なことに思えてしまいました。私とは20歳の開きがあるから、それらのモノに親しむ度合いもまったく違うのだけれど、意外に何もかもあったんだなぁ、90年代後半から2000年代前半にかけての中国って。
尤も、それもまた格差のある社会のことで、この2月に訪れた貴州省や広西自治区のあたりでは、携帯電話には手が届かない人民の層もたくさん目にしたのでありますが。
因みに、この世代のことを80后(パーシー・ホウ)と呼ぶのだそうです。80年以降に生まれた、という意味でしょう。著者はミュージシャンでもあり映画スターでもあるそう。文筆の才にも恵まれているとはうらやましいな。
ていうか、もしかして、みんな知ってるような有名な人だったのかいな・・・?
☆4つ(うーん、3つ半か)
田原さんにはブログもあります(すっごい重い・・・)。写真も綺麗だし、何より実際の中国語の勉強になりそうだ! 「94年,我?是小学生,第一次来北京。」このくらいなら読めてわかるゾ(笑)