初雪、端布の整理


起きるとうっすらと雪が積もっていた

最低気温は軽井沢で氷点下4.4℃。ここは軽井沢よりも標高が高いのでもう少し下がっているかと思う。
寒くなってきた……。

さすがに日中はプラス(とはいえ6℃とかそんなもん)なので午後には雪は見えなくなった。


重い重い腰を上げて、端布の整理。
いちばん奥のビニール袋は、処分するもので町指定の袋に入っている。
手前は大体種類別に分けてみた小さな布の山。
ただし、思ったよりもないんだよね・・・、どこかにどっさり置いてあるのだろうか? 何より今年の端布がほとんど見当たらなくて、エアポケットにでも吸い込まれたのかという感じ。それかどこかにどっさり……???

使えそうなサイズのものをざっくりと種類別にして袋に詰め、工房の端っこに並べてみた。いつか出番が来るのかどうか、わからん。

午前中から始めて4~5時間かかってしまい、すっかり疲れる。
明日以降は工房の片付けを予定。何よりやりたいのが型紙の整理。今年は大判の封筒をいつも買い忘れてしまい、型紙を作っても片付けられずにそこらに放置している。先日やっと買ってきたので、これらを封筒に収めて何であるかを明記しておかないと。

では

着物からのコートやっとこ出来た

しばらくかかりきりになっていたコートがようやく出来た。まだボタンは付けていないので一応、だが。ボタンホールが苦手なのでスナップボタンにしようかと考え中。飾りに付けるボタンはくるみにしようかな……。

 よせばいいのに~♪
これも解き着物から取り出した真綿 保管してあるものの中でよさそうなのを選んで、型紙にほぼ合わせて裁断。足りない部分、薄い部分には足していく。たいへん不格好な状態だけど、自分のだからいいのだ。

 前身頃左右に真綿を乗せた状態

因みに真綿を乗せたのは裏地の方。ベンベルグキュプラのするっするの生地に真綿を乗せるので、ある程度固定することが必要。手縫いで縫いまくる。ほんとは縫い合わせる地縫いの前にこれをやっていれば、縫えたのかもしれない、でもそうすると合わさる部分は厚みが出る、そこをどう考えるかだと思われる。今回はこのやり方で。って、次回はないと思うが・笑

さすがに袖にまで真綿を入れる気力はなかった。

 表地
衿を付ける。この時点でほぼ地縫いは済んでいる。衿の付け方は色々あるが、今回は綿も入って大ごとのため、表と裏で挟んで縫ういちばん簡単な方法に。チャイナ衿なので出来る方法かもしれない。


上と同じ段階での裏地。これでもかと真綿が乗っている(^^; 固定のために手縫いで縫いまくったが、手縫い糸の減りがこんなに早いのは初めてだった。
表地がウール混でかなり摩擦が大きいので、片面が表地になればそれなりに固定されると思う。

衿をつけながら表地と裏地を合わせて、裾を残してぐるっと一周。このあたりで裾の裏地に矛盾があることに気付くがもう仕方ないのでそのまま進行。
肩の中綴じ。総裏自体初めてなので、もちろん初めての作業。

 袖の突合せ
表袖と裏袖を袖口で縫うわけですが、考えずにやると絶対に「どんでん」できない。それぞれ裏返しの状態で付き合わせて、袖口同士を「中表」にして縫う。まったくもってアクロバティックな……。これ考えた人はすごいな。
自分でやってみても、なんでこれで「どんでん」できるのかわからないもんなぁ。洋裁って面白いなぁ。

んで、袖の中綴じ。

 後ろ身頃で前身ごろを包み込んで
この状態で脇線の中綴じ。

さぁ、いよいよ「どんでん返し」だ。出来るのか? 裏付きノースリーブのどんでんではまりまくった過去がよみがえる。

 おぉ、返った!
袖はチャイナ風に袖先細めで折り返してもいい感じにした。その部分は見返しが付いている。

 こんな感じになった♪

こうして完成画像を見ると、なんでこんなに手こずったのか自分でも不思議だが、総裏はやはり難しい、そして中綿、それもシンサレートとかじゃなく真綿(しかも使い古し)とか罰ゲーム並だったのだと思う。
箱布を左右一緒にすればさらによかったな、向かって左の箱布にラインが入っちゃってる、まぁご愛敬ということで。
あと、裏地があるとほんとに着やすいんだなと実感した。これ、裏地がなければ、脱ぎ着の際に結構摩擦で引っかかると思う。

久しぶりに頭も使い(結局計算ミスで裾裏が一部カッコ悪くなったけど)、知恵も使い、初めてのことを本と首っ引きで作業して楽しかった。燃え尽きた。

***

昼頃に出来たので、午後は町のごみセンターへゴミ出しに。そのまま佐久へ回って買い物数軒。車で走ってたら「白菜100円」という看板があり、引き返して白菜とキャベツを無人販売で買う。それから友人宅に寄って静岡からもらってきたみかんをおすそ分けした。友人宅には一時期白菜が4つあったそうで、今年は豊作&暴落であちこちに回ってるみたいだね~と言っていた。

師走に入ったせいもあるのか、人出はどこも多い。コロナが早く落ち着けばいいのに……。ではまた

 

 

思いがけず

今日も朝から工房で作業の続き。
で、届いたばかりの新しいやつを聴いてみようかと開封。
1枚目のCDと、今回はちゃんと同梱されてたDVDはすぐわかったが、2枚目のCDがどこにあるのやら、ケースが初めて見る変なタイプでしばらく開ける場所を探してしまった。たぶん3分くらい……(^^; アイロン温まるまでに開けて機械にセットしようとしたのに、出来た時にはとっくにスタンバイになってた。

一緒に入ってる冊子を一度出すともう二度と収まらない(><)、なんか難しいケースだった。どうすりゃいいのか。やっぱりipodに落として二度と開けないケースにすればいいのか。もちろん、丁寧に、来た時の状態を再現できれば収まるとは思う(^^;

そう、それで、思いがけずというのは、全部持ってる曲だしなと思っていたところが、「おや、何の曲???」と思うものがあり、「瞬きもせず」だったという。持ってなかった、こいつはうれしい。うれしくって熱唱した。あと、ももクロが歌ってた「泣いてもいいんだよ」も持ってなかった(あまり好きではないかな)。つまり全くちゃんと収録曲などを見ずにいたという……。相変わらずテキトーだ。

今まで散々聴いている曲でも、別の順番だとまた新鮮に聴こえる、ということはあるわけで。リマスタリングとかいうのもされてて、昔の音とは違ったりもするらしい、詳しくはわからない。私が持っている音はレンタルCDから落としたものも多いし、そもそも耳もあまりよくないし。

コートは本日も未完。呆れるほど手をかけ、また、無駄なやり直しなんかもしている。明日はいくらなんでも出来るといいが、鬼門の「どんでん」が待っているからな~、自信なし。ではまた

今日も縫製

この大物を何とか早いとこ仕上げてしまいたいと思い、今日も朝から工房にこもって縫製作業。


こういう生地、反物 ウール×シルクだと思う

地味ながら柄合わせが必要という意味がわかってもらえるかと。なんか地紋のような織り模様が入っている。


紺と青の2色、このせいで接ぎの部分では色合わせも必要となり、通常なら袖から袖が取れるところがダメだった。


虫食いもあちこちに。印つけといて、パターンを置く時に避ける


裏地の黒一色ベンベルグ(化繊)


袖付け
普段はいせこみの少ないパターンを使うのでしつけはかけないのだが、今回はかなりいせこむ必要があって、念のためしつけをかけてから。

昨日失敗した箱ポケットをやり直して完成させてから、パーツの組み立てに。表と裏があるので工程も多い。というわけでまだ出来ない (^^;

 

ぐんと寒くなってきた。さすが12月。ではまた

十二月

今日から12月、今年も最後の1か月に。速いなぁ。
12月と書けばただの12月なんだけど、漢数字で書くととたんに「人恋しと泣け十二月♪」に同期されるなといま気付いた。自分だけか・笑

昨日か一昨日か、どちらか忘れたけど、着物からのコートの裁断に入り。
パターンを3つほど作ってみたところがどれも気に入らなくて、結局、前から持っている自作のパターンに一部変更を入れながらやることになり、まず徒労感がものすごかった。
いざ裁断を始めると、「おぉ、地味ながら柄合わせが必要じゃないか」と気付き、とてもめんどくさいことになり。しかも通常は、着物の袖部分で袖が取れるのに、二色に分かれているためそれができずに別の所で取る(着物から袖を取る時には幅が足りないので二枚裁ちになる)とか、虫食いをできるだけ避ける特に前身頃は絶対に避ける、とか、どんどんどんどんややこしくなり。
ようやく表地を取り、今度は裏地。以前買っておいたベンベルグを、キセ分を足しながらなんとか取り。
それから接着芯を裁断して貼り付け。前身頃なんかは全部貼るようになっている本もあるけれども、うぅめんどくさい……、ってことで見返しなどの必要最小限に止めてみた。このへんの判断は妥当なのかわからない。

普段、裏地を付けることが全くないので、裁断だけで燃え尽きた感じ。
そのせいか、箱ポケットを「本の通りにやればできるだろ」と始めたら、老眼の故だと思うが解説の写真を見誤り、これおかしいよな~おかしいよな~と思いながら縫って行ったらやっぱり違うじゃないか! と、今ここ。
明日はこの部分のミシンをほどくところからスタートという、やる気が保てない状況になっている。

でもまぁここさえできればあとは組み立てるだけだから(ほんとか?)

7~8年はああでもないこうでもないと考えていた生地なので、なんとか形にしたい。
そんなこんなで、商いとはまったく関係のない縫製に走っている。色々なものを作ることは確実に経験になるし、多少は技術も上がる(かもしれない)し、オフシーズンはこういう感じでいいのではと思う。

夕方、みゆきさんの新譜(でいいのか?)が届く。すっかり忘れていた、というか数日後だと思ってた。とりあえず、開封もせずにそのまま仕舞った・笑
何日か前に、ようやくi-podに1月の新譜を苦労して入れたばかり。既にやり方を忘れた。なぜドラドロで入れることができないのか理解に苦しむ。
ではまた

海抜ゼロメートルへ

時々やっている海抜ゼロへの旅、今回は(も)静岡に行ってきた。

その前に長野市方面へ行って、リンゴを購入。昨年の台風で被災したエリアに行ってみた。もう水害の痕のようなものはわからなかったが、たくさん並んでいる直売所の1つでサンフジや王林を購入。種類などはよくわからず(^^;

 まとまった買い物になったせいか、おまけ付き
撥ねだしりんごの詰め放題……

それから静岡へ。
 山梨県から見る富士山

山の上に見えるので、すそ野を長く引く静岡側からの姿とはずいぶん違う。

静岡市あたりに着いたのがもう4時とかそんなころだったので、この日は泊ることにして急遽じゃらんで探し、行ったことがなかった御前崎で一泊。GOTOと自分のぽんたくんポイントを使ったら2000円弱という……。

GOTOの場合、お得感を狙って高級宿が人気とよく聞く。中にはその方が割引率が高いとか言っているのも聞くが、割引率は変わらない。お得感(嫌な言葉だ)は確かに高級宿の方が強いかもしれない。
でもうちはビジネス素泊まりだ・笑
それに……。
どっちみちどの宿もこのキャンペーンで下駄はいてんのよ。こういうのをWINWINとか言うんですか、これも嫌な言葉だな。だから思いっきり吹っ掛けてきている宿には泊まる気がしない。日本で吹っ掛けられるとか、今まであまり考えたことがなかったけどそういう時代なんだなと。

そういやGOTOイートなんて、一度も行かないうちに終わってしまいそう。外食をすることが滅多にないので別にいいんだけど、色んな攻略法みたいなのを見聞きすると、うんざりしてしまう。


話は逸れたが御前崎の西側の海岸


あれが世にも有名な浜岡原発でござい


その前の海は平日でもたくさんのサーファーで賑わう

自分はマリンスポーツにはとんと縁がないけど、でっかい大海原で遊ぶっていうのもよさそうだなと思った。山もいいけど。ただし泳いでいくと、清志郎じゃないけど原発が建ってる……。

焼津の魚センターに寄り(その前に道を間違えて藤枝駅などを通過した)、魚をいろいろ見繕い、それから義兄に電話してあいさつに立ち寄った。

「長野のりんごです~」
「おう、みかん持ってって」


で、ドーン みかん!

「明日あたり、みかん持って軽井沢へ行こうかと思ってた」と義兄。
ウチは今回、気が向いたら伊豆へ行こうかとか思っていたので、あやうくすれ違いになるところだった。
因みにこのみかんは、義兄が言うには、早どりしちゃったからジュース用、らしいのだが、まったく普通に食べておいしいみかんだった。
ちょうど姪たちも仕事を休んで遊びに来ており、家の前で大人が6人マスクで立ち話という、不思議な光景になった。静岡は急に感染者数が増えているので、家には上がらずに早々にお暇した。

週末にかかったし、感染者も増えてきているし、伊豆はやめて帰ることに。中部横断自動車道がずいぶん出来ていて、静岡市内から高速に乗り、山梨の南部町まで。ここからしばらくは52号線で北上し、また横断自動車道に乗って今度は中央高速に入って須玉まで。あとは下道を清里~野辺山~佐久、と帰宅。この有料道路が出来てずいぶん楽になり時間短縮にもなった。全線開通すると須玉から静岡まで行けるので、楽ちんですな。

それにしてもコロナ、いつになったら収束するのやら。ではまた

連休終わり

コロナの第三波が来ている中での3連休、本日で終わり。
ウチは普段と何ら変わらない3日間でしたが、各地はかなり混雑したようで、軽井沢もそうなのかな、遠いのでわからない(^^;

車検から愛車が無事に戻って一安心。今回は結構交換部品などがあって金額がいったけど、車を持つ以上は仕方のない出費ですな、まだまだ走れそうなのでこのまま乗り続ける予定です。


昨日の朝


畑一面の霜


マクロ撮影などしてみた これは土塊の霜


時々デッキから家を覗き込んでいる、あるいはガンをつけてくる野良猫

このところは新しい型紙を作ったり、先週購入した生地の縮みを実験したり。ニット生地は水通ししないほうがいいと思うので、どのくらい縮むかは調べる必要があります。水通しはする人も多いと思う、でも私はニットを水通しする自信がない(^^;
で、今日はとにかく最初の1つをと、裁断してみたけど、これがまったくもって難しい、ニットなのでぐにゃぐにゃで、布帛の場合必ずある「耳」もないし、要するに基準線がない状態、いやいや難しいね~。自分のだから適当に妥協して断ってみた。
あと、ボタンホールだけ残して染めあがっていたものにホール開けたり。実はこれも苦手で、できるだけこれのない服を作ろうとしているんだけど、シャツの場合ないわけにいかないし。ほんと苦手、歪んでしまう……。
そんなこんなで比較的工房にこもっている最近でした。
ではまた

 

古布パンツ作った


ラオスの古布と日本の古布と

シルク×シルクでパンツを作りました。細長く切り出した部分を飾りとして付けています。

  

長年気にかけていたものがようやく形になり、ほっとしました。
これほどの生地、受け継いだ以上はきちんと何かにしなければと考えていたので。
この頃はまだまだ古くてよいものがなんとか手に入りました。ラオス革命の時に亡命した多くの富裕層が二束三文で手放したものが市場に出ていたのです。もちろんずいぶんな値段がして、私もその時初めて、海外でクレジットカードで買い物をしました。手持ちの現金では足りなくてですね……(^^;

もちろん今でも、そういうものを持っている店はあると思うけれど、たぶん完全に手が出ない価格になっているのではないかと思います、あくまで「私にとって」ですが。

このパンツ、ラオスの古布の部分はすべて手縫いです。ミシンで叩くなんてできない。

 

昨夜またテンが来たのでどうぞ。
昨夜は強風で、デッキに敷きっぱなしになっていた茣蓙がめくれてて、そこにアカマツの落ち葉(棒っぽいの)が散乱しています。食べるものはありません(^^;

今日も異常に暖かく、雨が降りました。
発注していた生地の最終便が今日届き、暖かかったので工房で水通しをして干して、という作業をしたところ、午後体調が悪くなりました。急激な気温の変化は、いくら暖かいとはいえあまりよくないようですね。
今夜からまただんだんいつもの11月に戻っていくようです。ではまた

テンとか古布とか


今朝5時過ぎにデッキにやってきたテン

野良猫にたまにやっているエサを取りに来たみたいです。
すごく短いけど動画もアップしてみます。

テンが来る家! タヌキよりかっこいい!

先週発注した生地が続々と届いていて、開封→チェック→タグ付け(後でわからなくなるので生地の詳細をメモして貼り付ける)→収納→満足 (^^;
というようなことをやっています。買うと満足してしまう。
今別のものをやりかけているので、それが終わったらこっちにも取り掛かるつもり。


ラオスのシン

いつ買ったのか忘れるほど昔に買ったもの。いま自分の旅ブログを見に行って確認したところ、2004年の二度目のラオスの時ではないかと思う。今はもうなくなったけれど、ビエンチャンのモーニングマーケット前にあった古布市場で買った気がする。
その時は、黒のどうでもいい粗布をくっつけてシン(スカート)として売られていた。粗布はほっといて、このメインの生地のすばらしさときたら。ほぼシルク、それも草木で染めていた時代の色合い。そしてこの紺色の部分は木綿に切り替わっている。もちろん藍染。木綿の別絣の中に、カラフルな模様はシルクという手のかけよう。すばらしい、美しい、もう手に入れることはおろか見ることすらないだろう(博物館とか行けば別だけどもうこんなものは作らないんじゃないかなぁ)。

で、これを手に入れた時からずっと、黒のいい布と合わせてパンツを仕立てたいと思っていた。なぜパンツか、私はスカートをはかないからだ・笑
ずっと黒の生地を探していた。コットン×麻、コットン×絹、あたりで艶のない黒、ちょっとくったりして薄手で……。これが見つからない。いいかと思って買ってきても、合わせてみると違う。そうして十数年が過ぎた。
黒に近い濃紺の布がいい。もしかして、着物の解きに何かあるんじゃないかと探してみたら、いけそうなものが見つかった。男性用の着物を解いたもの、たぶんシルク。いい感じに破れたりスケたりしていて、このラオスの布の古さに合う。そうか、新しい布をなぜ合わせようとしていたんだ、古布のほうが合うのに。


合わせてみようとしている着物の布。濃紺と金色っぽい糸の混ざり。もう少し濃い紺をイメージしていたが、これはこれで合うような気がする。

そして、とてもじゃないが切れないということもわかり、スカートを仕立てることに。一部分だけ細長く裁断して、最初に思っていたパンツに飾りとして付けることにした。

今日はそんなわけで、1つの着物の解きをパンツ、スカートの裾とウエスト部分、そして残りはジャケット用にとパーツ分けをし、一部を裁断し、縫い始めたところ。売らないと決めているものの仕事はなんて気楽で楽しいんだろう。

夕方散歩。今日は軽井沢もこの時期にしては異例の暖かさ。コロナの感染者は増え続ける。ではまた

 

Happy DIWARI!

と、インドの知人からメッセが来ていて、本日DIWARIだと知った次第。

ディワリはヒンドゥー教の新年だそう。
光の祭りだと思ってた……(^^;
ネパールだとこの画像のようにみんなでろうそくに火を灯し、静かに祝うらしい。その時期にネパールにいたことは何度もあるけれど、全てヒマラヤ山中に入っていたようで、ディワリの記憶がない。ヒマラヤ山中はチベット仏教圏なので。

私の強烈なディワリの記憶は、1988年のそれ。たまたまヴァラナシという街にいた。到着してすぐだったのか、超有名な久美子ハウスに泊っていた。
ディワリの日は大変危険なので外出禁止が申し渡されており、私も外には行かずに(日中は出たかもしれない)じっとしていた。暗くなると花火が始まった。そのうちに久美子ハウスの壁に向かって打ち上げ花火が発射されはじめ、ドガーン! バゴーン! とえらい騒ぎになった。同じようにあちらにもこちらにも打ち上げ花火爆弾が発射されており、さながら市街戦のようだった。
なるほどこれは危険だと納得した。

祭りの日に貧民層がどさくさに紛れて日ごろのうっ憤を晴らす、というのは古今東西どこにでもある話だと思う。久美子ハウスは多分、ヴァラナシの中でも相当嫌われていたというか、何かあったんじゃないかと思う。子どもが誘拐されたりもしていたし。

今はどんな祭りになっているのか知らないが、特に今年は多少はおとなしくしているのではないかと思うがどうだろう、しかしインド人は想像を裏切るからなぁ……。

来年はよい年になりますように(まだ早いか)

ではまた