端切れの整理

とにかくちょっと見てみようと工房に入り、端切れケースをチェック。
20年くらいこの仕事をしているので、色々な時期に整理してはプラのケースに畳んで並べているものもある。新しい端切れはそのまま箱に放り込んでいる。後から後から放り込むのでしわくちゃになっている。素材も分けていないので一緒くただ。

ざっくりと分けると、
・インドネシアの更紗(バティック)
・インドの木版更紗
・インドのカディ
・タイ、ラオスの手織り布
・タイの汎用布
・中国の土布
・ミャンマーのロンジ―
・国産布
・自分で染めた布
のようになる。
それぞれの中でさらに、大きな四角、接げばスカートになる程度の長さのある四角、中くらいの四角、小さい四角、5センチまたは4センチの短冊、に分ける。
分けると言っても四角の状態であることは稀なので、不定形の布から四角を切り出す作業が必要で、そのためにはまずアイロンをかけることから始まる。一見したところ四角に整えた後のように見える畳まれた布も、開いてみると不定形であることが多く、仕事は際限なく増えてしまう。

今日はインドネシアの更紗に挑戦してみたんだけど、疲れて疲れて全然終わらんわこれ。
私はネズミやリスみたいにあちこちに端切れを忍び込ませているので、「そうそうあそこにもまだ」「大袋がどこかにあるはず」となる。

冬の間に神奈川でのんびりやろうとも思っていたのだが、案外スペースが必要だし、アイロンもアイロン台も要る。そういうのを運ぶのも面倒かなと思ったり。
今年は新作を作ることよりも、こういう整理に残りの時間を当てようかと考えている。ものすごいチマチマ組を冬の間の仕事にしようかな(ほんとに小さい端切れの群れもありまして)。

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円ドルが151円台半ばまで進んだのを昨夜見た。32年ぶりだとか。
1990年頃とすると、私が旅を始めて2年後、最もあちこち出かけては3か月~、2か月~、とほっつき歩いていた頃だ。その頃の円ドルは150円くらいだったのか。
アジアへの旅だったのでドルに換えることはまずなく、常に円のT/Cを持っていたから、さほど円ドルのレートについて考えることはなかった。当時のアジアは全体的に物価が安く、円との交換率がどうであれとにかく安く旅行ができた。今でも覚えているが、当時の「地球の歩き方・中国」の表紙には、1日500円以内で旅をする、と謳われていた。実際それは可能で、場合によっては100~200円で暮らせる日もあった。
1993年の初夏頃だったと思うが、NHKのラジオに呼ばれて旅の話をしたことがある。じわじわと円高に向かっていた頃だ。円高について話を振られたので「旅をする者にとってはありがたい」と言ったところ、広島のリスナ―様(!)から怒りの電凸があったそうな。おそらくマツダの関係者だろう。まさかそのリスナー様も、その後円高が80円まで進むとは考えもしなかっただろうなと思う。

そうしたら深夜に介入があったらしく、今朝は147円台後半になっていた。どっちにしても数円の違いでは殆ど何の変化もないけど。

ウクライナでの戦争は泥沼化しているし、中国ではしーさん個人崇拝絶賛推進中だし、世界はこれからどうなっていくのだろう。コロナ前の状態に戻る日はあるのだろうか。円ドル110円、ガソリン120円、バンコクへのLCCが2万円、そんな日がまた来るのかどうなのか、神のみぞ知ることだけど、自分もとにかくこの変化し続ける歴史の中で生きているんだな、と思う。

今ニュースを見たら、李克強首相が退陣(クビ)、それが発表される直前に胡錦涛が党大会の会場から連れ出された、とあった。なるほど本当にしーさんは皇帝になるんだなと思った。権力の座に座るものは誰も同じだが、イエスマン以外は全て切っていく。毛沢東の時代から何も変わらない。どれほど血塗られた椅子なんだろう。くわばらくわばら。

ではまた

 

 

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