新年を迎えてからずっと晴れが続いている。気温は低くなっているが、晴れれば団地の部屋は暖かい。日中は暖房なしでいける。まぁこれは軽井沢でも、晴れさえすれば暖房なし、ということもできなくはない(でも圧倒的に気温が低いので……)
高台にある団地なので、富士山の頭もちょこっと見える。尤もこれは海とは反対側の窓で、しかも身を乗り出してやっと見える程度だけど。
私は丹沢の向こうに富士山が見える場所で生まれ育った。小学校も中学校も校歌には当たり前のように富士山があった。ここは距離が近くて丹沢とは別の山の向こうに富士山があるように思う。丹沢は北側にあり、富士は西だ。
浅間山もきれいだし、高原の夏は過ごしやすい。冬はちょっとな~・笑 23年ほどは頑張ったのでそろそろ脱出してもいいかと思った(^^;
もちろん、できればタイに行って「暑い暑い」と騒ぎながらビールとか飲んで暮らしたいですが。それは少なくともこの冬は無理ということで。
過去旅しごと。
重慶~長江下り 1989.10-12中国の10
『ナニカアル』 桐野夏生
林芙美子の評伝、かと思ったがどうなんだろうフィクションなのかな。
戦時中、多くの作家が徴用されて戦地に向かい、戦意高揚のための作文をさせられた、そんなころの話。林芙美子はマレー半島やジャワ島に派遣されたそうだ。夫がある身で大不倫をしており、それが軍部にばれていて他の女性作家よりも明らかに待遇が悪い。正体不明のお付きの兵隊や憲兵などなど色々出てくるが、林芙美子は無事に帰国し夫にばれないようにこっそり出産、その子を「貰い子」として育てるのだが……、というような話。
どこまでが史実なのかよくわからなくなった。不思議な感じだ。
☆4 買ったきり置いてある『放浪記』を読まなきゃなー
『落陽』 朝井まかて
明治天皇が没した後、お墓は京都に作るとして、東京にも何か作らねば! ということで明治神宮が作られたんだよ、という話だった。
そうかそうか、そこまでは天皇は京都にいたんだよなとか、皇居ってよく考えてみたら江戸城だったのね、とか、明治神宮の辺りはただただ広大無辺な荒地だったのかとか、そういうことの勉強にはなった。
しかし惜しい惜しい惜しい。帯と中身が全然一致しない。「いざ造らん、永遠につづく森を」と謳うならば、森を作る話に集中すればよかったのに。三流新聞記者を狂言回しに使った理由がまるでわからない。資料が足りないのか、天皇を書くことに臆したのか、だから天皇、世相、森を細切れに切り貼りしてしまったのかな。「細切れ切り貼り」をもっともらしくするために、「ずっとそれだけを追いかけているわけではない」新聞記者の目から見た、ということにしたのか。説明ばかりでさっぱり何が書きたかったのかがわからなかった。伝わらなかった。
☆2 書き出しがよかっただけに残念さが増す
明治神宮って、神社で結婚式場、というイメージしかなくて、それが明治大正の頃は荒地で水も殆どなく、木が育たない場所だったとは。そして全国からの献上苗を植えて壮大な森を作ろうとしたのだという。その時作られた森は、今ある森と同じなんだろうか。戦災に遭ったのではないかと思うが。
ではまた