是非に及ばず

信長の原理  垣根涼介

あ~おもしろかった。
垣根涼介、時代物も書くようになったのか・・・。
信長なんてもう書かれすぎててドラマにもなりすぎてて、いまさらどうなのよと思ったけれども。
いやおもしろかった。
☆4.5 ちと長いけど。それにしても光秀かわいそう・・・

 

人間を含めてたぶん生き物は、一生懸命な組・テキトーな日和見組・何もしない組の割合が1対3対1だ、というのが信長が発見した原理。その比率はどんな場合にも変わることがない。一生懸命な組だけを抽出して観察すると、その中でまた同じ比率でダメなやつがたくさん出てしまう。なぜなんだ・・・。
信長はそれを何とかして克服しようと部下の尻を叩きまくるわけだけど、全員が100%の働きをし続けることは絶対にない。信長はそれに苛立ち、それでもそのうちに何とか受け入れはするけれども、今度はダメなやつ=謀反を起こすやつだと気づき、それを取り除くことに躍起になる・・・。

昔聞いた話では、会社員も似たようなもので、給料分の仕事をしている人は実は全社員の2割くらいだとか。ほんとのところはわからないけど。
無駄を省いて合理性のみを追求していくのが現代社会そのものだと思うけれど、こう、働いてるフリだけ上手なヤツとか、いつもサボってお茶飲んでるヤツとかがいなければ、ギスギスしてしんどい社会なんじゃないかなぁと。みんながみんな賢いわけじゃないし、上昇志向でギラギラしているわけでもないんだよね。
サボり常習犯の私が愚考してみた。

ぐずついた天気が続く秋ですね。
カラッと晴れた日なんてほとんどないような気がします。
こうしてこのまま冬になっていくのか~
ではまた

下山は1日・2018ストックカンリ登頂記5

下山後、ランチの席でインド若者組と登頂を称え合う。ドイツ人親子はいないので、そのままもう下ったのかも。今日ベースキャンプに到着した人たちも大勢いて、登山の様子を聞かれたりした。今夜登る人、一泊して明日の夜登る人、色々だ。

雲が多くてちょっと嫌な雰囲気になってきた気がする

夕飯の時にはインド中高年2人組も下りてきて顔を見せていた。登ったそうだ。素直にすごいと思う。この2人が登ったのがいちばんびっくりした(高所順応のためのミニハイクで尾根に到達できなかったと知っているので)。大奮闘したのだと思う。下山したのは午後3時過ぎだったとか。お疲れ様でした、本当におめでとう!
下りたと思っていたドイツの親子もいて、ランチは疲れて寝ちゃっていたんだって。健闘を称え合う。
我々は、下山の時も非常にゆっくり下りてきた。ガイドのサントッシュが頻繁に休憩を入れ、写真を撮れ撮れと言ってくれた。早く下りてもすることもないし、目一杯この山を味わって行けばいいと、考えてくれたんじゃないかと思う。もちろん我々に高度障害がまったくと言っていいほど出ておらず、元気だったせいもある。
「下山してきた時には死人のようになっていて写真なんか撮れない」と言われたABC でも、元気に写真撮影をしていた。ガイドのペース配分が非常によかったのだと思う。

夕食後は就寝。ランチの後は結局暑くて寝られなかったので、さすがにすぐに寝た。
深夜ふと目覚めると、テントを叩く雨の音。まじかよ。お願いだから早く止んで!
この夜は、出発したものの早めに引き返したパーティーもあったと、後でガイドに聞いた。ここでは雨でも、上に行けば雪になっただろうと思う。それでも登った人たちがいるのだろうか、それについては知らないのだが。

朝になると雨は止んでいた。
わずかに青空も見えていたり。登った人たちがあまり危険なく登れていればいい。苦しく、怖かった第一関門への道を最後に撮影。
8時半にベースキャンプを出発する。


往きにも写真を撮ったあたりかもしれない。ストックカンリが見えている。往きに見た時は、
「あんなところどうやって登るんだ」
と思っていた。帰りに見たら・・・、
「どうやって登ったんだかわかんない」
だった^^;


スーパーガイド、サントッシュさんと。よいガイドさんでした。


モンカルモへの下り道。川も流れている。


ベースキャンプ方向を振り返ると、かなり雲が湧いています。今日の天気が心配だ


何度も渡渉を繰り返しながら、岩峰群の中を下って行く

たくさんの人達がモンカルモからも、ストックからも上がって来ていて、陽気なスペインからの団体とは全員とのハイタッチを強要されました。登頂のツキを分けろと、そういうことだったみたい。


レーでツアーアレンジした混成部隊に1人で参加していたインドネシアからの登山者。「アジア友好同盟~!」ってことで。


馬も下る


こんな花も咲いてる


この水は飲めるんだ、と湧き水を汲むサントッシュ


トントン・ラへの登り


沢沿いにたくさんのミントが


これは、かつて中国軍がこの地に攻め込んできた時に、当時のザンスカール国軍との戦闘になり、敵が撃ち込んできた銃弾の痕らしいですぜ。こんなところまで攻め込んできたんですな、中共は。


ザンスカール軍の砦の跡


そこまで登って中覗いた、銃眼が残っている


これが最後の難所、急登と急下り。
谷の出口に見えている緑のかたまりがストック村。途中にいる団体は韓国からの登山隊、我々と同じ日に登頂しました^^/
ところでこんな崖、往きに通ったっけ? とサントッシュに訊いたら、
「いや、そん時は下回って川渡って行ったから。今日は水量が多くて川が渡れないからこっちへ回った」だそうでした。

この下りきったあたりから小雨がぱらつき始め、ストック村が見える頃にはけっこう降ってきた。かっぱを着るまではいかないくらい。
ストック村の食堂の牛。久しぶりに普通に人が暮らす場所に戻った。
到着時刻午後1時。4時間半でベースから村まで下りた。


食堂の子ども


トイレ
ラダック&ザンスカールエリアでは、こんな感じです
テントサイトでは日本の工事現場用みたいな箱があり、中はこんな感じです


ガイドが電話で呼んだタクシーが、出発点に来てくれていて、雨の中大急ぎでストック村を後にしました。これは途中、車内から撮ったストックの旧王宮。

 雨のレー
レーに戻り、代理店に。社長以下スタッフに大喜びで出迎えられ、借りた装備を返し、しばらく歓談。ガイドのサントッシュは明日からカン・ヤツェへのエクスペディションが入っているとのこと。そっかぁ、もう会えないんだねと別れを惜しみました。精算のために翌日また来ることを約束してホテルに戻り、夕方散歩に出ると大雨になりました。しばらくカフェで雨宿り。

山はどうなっているのだろう・・・。ベースキャンプで会った人、今日の下山中にすれ違った人たちを思って心配になりました。今夜のアタックは無理だろうな、時間的に待てない人もいるだろうし、どうするんだろう。
天候はどうしようもない、旅行の日程を決める時にそんな先の天気などわかるわけがない、それはわかってはいるけど・・・。自分たちが幸運に恵まれただけに、出会った人たちにもどうか登頂のチャンスがありますようにと願うばかりでした。

次回は登山の総括やら費用やらのまとめをします。

土のPHをはかる

土壌酸度測定器、というものを買ってみました。
文字通り、土が酸性かアルカリ性かを調べるための道具です。
さっそくやってみた。

 5.4~5.5くらい?

酸性でした。

 

軽井沢は火山の灰や砂(焼き砂と当地では呼ぶようです)と降り注いだ溶岩によってできている土地。溶岩の隙間に砂がはさまってる、という感じです。背の高い木も根を深く張れずに、横へ横へと根を伸ばしているため、風に弱いらしい。実際、表土の数十センチが「土」で、その下は「砂」ですから・・・。
で、溶岩性の土壌は酸性だと言われているので、それなりに石灰も使ってきました。でも、中和されているのか? もしくはアルカリ性に傾けてしまっているのでは? などとも思い。思いながらも毎年適当に石灰をまいてきたわけです。

適当でもいいのでしょうが。
何となく、計ってみたくなりました。
結果は見事に酸性だったので、やはり石灰資材を投入しないと、ということがわかりました。毎年入れていても、入れ過ぎじゃなかったんだなということも。

 

ミシンが直って戻ってきました。結局、糸切りのカムと、その横にあるカムの2つが破損しており、2つを交換して・・・、という修理だったようです。2万円ほどでした。その程度ですんでよかったです。
また大事に使って、あと10年くらいはもつかなぁ・・・?
次に故障したら、たぶんそのときには買い換える時期になるでしょうね。
早速、待っていただいていた服を縫製。機嫌よく動き、糸切りもジャッ! と切れています。前とちょっと音というか抵抗が違う気がするけど、多分これが本来のものなのだと。

ミシンも戻り、あとは私が本調子に早く戻れば・・・。
夫が治療中の歯が痛くてちょっと大変です。たぶん歯のいちばん根っこの部分が膿んでいるからかなと思います。

夜になって雨。ではまた

くもりのち晴れ

予報に反してどんよりとした曇天で始まった本日。
きのう畑仕事をしたので今日は外作業はなし。朝ちょっと目眩があったのもありまして。日によって、かなり平気な時と、ぼやややーんとしていてフラフラする時と、はっきり分かれます。だんだん平気な日が増えていけばいいな。

なんせミシンがないので縫い仕事もできずでしたが、夕方電話があって、直ったとのこと、明日取りに行くことにしました。

ミ「明日休みなので木曜以降に取りに来てください」
私「はい・・・、えっ? あーっと、今日月曜日ですけど・・・」
ミ「えっ? 月曜日?」
私「はい、おそらく月曜日かと・・・」
ミ「すいません、でしたら水曜以外で」
私「わかりました、明日取りにうかがいます」

私もカレンダー把握してない方ですが、ご同類でしたのね(笑)

 

 花や今宵の   藤谷治

はいあの藤谷治さんですね。「船に乗れ!」の藤谷さんですよ。しばらくぶりだったので図書館で手に取りました。
この人の文章は、美しいと思う。上手な文章、正しい文章、それなら書ける人はたくさんいるけれども、美しい文章って、なかなかどうして書けるもんじゃない。
10歳くらいの子どもが、友達と「行ってはいけない」と言われている場所へ行き、そこで友達が消えてしまう、神隠しにあってしまう、その後20年近い歳月が流れて・・・、というようなお話なのだけれども、子どもの母親と祖母、学校の先生、誰もが実に「考えうる限りベスト」な対応をする、それがとても救いだった。「自分の」保身とか体面とかそういうことを置いて、「子どもの」ためにどうすることが一番かを考えてくれる。大人なら誰でもそうできる、わけではないよね。むしろできない大人のほうが圧倒的に多いんじゃないかと、自分だってそうなんじゃないかと思う。人のやさしさ、あたたかさ、って、こういうことなんだなと、まったく教条的にではなくしみじみと教えられるというか感じる。
小説は最後に「!」な方向にぶっ飛んでいって終わる。「なるほどそう来ましたか」って感じだ。そうじゃない終わり方を読みたかった気もするが。
☆4.5 気の利いたことは何も書けない、いい本だった

 

畑しごと・本2冊


スマホ写真なので色が変!
畑に耕運機をかけました

 救助したカエル
私はぜんぜん気付かなくて、夫が気付かなければそのまま轢いてしまったかもです。畑の土の中にいた。

今年は草をはびこらせてしまったので、耕運機もいつもよりさらに上手くかからない、跳ねまくります。夫にも手伝ってもらいました。
その後、先日買ってきた堆肥を全面にまきました。


一応、平米あたりの投入キロ数を計算して多すぎないように。


混ぜこぜ後

まだこれから投入するものもあるので、冬が来るまでにもう一度は耕運機の出番があると思います。


スマホ写真、あんまりきれいじゃないな~やっぱり。
ヤマザクラの紅葉、落葉風景

今年は果樹と庭木の思い切った剪定と、入れ替えも計画中。
日がずいぶん短くなり、やっぱり急かされる気分ですね。暖地がうらやますぃ・・・。

 

 ニセモノの妻  三崎亜記
先日何かで三崎亜記の名前を出したせいか、久しぶりに読んでみました。あーやっぱりの三崎ワールド。この世とそっくりな、ほんの少しずれたところに存在する異界。4作の短編集で、特によかった! と思うものはないけど、独特の世界を見せてくれるところは期待通り。
☆3.5 ラブラブカップルの会話がうざすぎた・・・笑

 あの夏、二人のルカ  誉田哲也
3人の語り手がそれぞれ過去と今を語りつないでいく小説。誰が誰であるのかがつながるまでが結構長いけど、つながったら一気にあれもこれもが収斂していくところはさすが上手かった。なかなかの青春小説、ハートウォーミングな一冊でした。
☆4.2 青かった自分のことも思い出せて甘酸っぱくもほろ苦い

 

 

ついに山頂へ!2018ストックカンリ登頂記4

ふと気づいたら、登頂からちょうど2ヶ月が過ぎていました。
8月3日に麓の村をスタートし、5日の深夜から登り始め、6日早朝に登頂しました。月日が経つのは早い・・・。

(ここから登頂記)

 

レーを出発してから3日が過ぎた。

初日 レー~ストック村~モンカルモ(テント泊)
2日目 モンカルモ~ベースキャンプ(テント泊)
3日目 ベースキャンプ周辺で体慣らしなど

3日目の夕食後に仮眠に入り、夜10時50分のアラームで起きる。出発は11時半なので急がず慌てず、寝袋を出て身支度をする。
上は登山用のアンダーシャツ(ハイネック)+ フリースパーカー  + ウルトラライトダウン + アウタージャケット(雨具兼用)
下は登山用の厚手のタイツ(歩行を助ける類のものではない) + 登山用ズボン + オーバーズボン(非ゴア)
それにフリースの耳まで隠れる帽子、ウールの手袋
ヘッドランプ
靴はごくごく普通のトレッキングシューズ(非ゴア)、靴下は登山用のウール、しかし1枚しか履けず一抹の不安

背負うのは自作のULザック。
水、行動食(チョコバーなど)、カメラ(コンデジ)、予備の電池、サングラス、オーバーグローブ くらいを持った


既に登っている2つのパーティーが確認できる。ガイドたちと合流し、装備の最終確認。時間は11時半を数分回ったところだ。
ガイドの合図で出発。
気負いもないし緊張もない。ただ淡々と歩いていくだけだ。

暗闇の中をひたすら進む

空には満天とはいかないまでもおびただしい数の星が瞬いている。ヘッドランプの明かりのみを頼りに、ベースキャンプに着いた日に歩いた第一関門、尾根上の峠へ向けて登っていく。先頭をサントッシュ、次が私、夫、最後をポーター。ベースキャンプから見えていた先行パーティーの明かりは、いつの間にかわからなくなっていた。あるいは私が上なんか見上げなかったのかもしれない。
何度かの休憩を入れながら標高を上げていく。
出発から20分ほど経った頃か、サントッシュに促されて振り返ると、たくさんのライトが一団となって登り始めていた。おそらく韓国からの登山隊だろう。
幅30センチあるかないかの道を、とにかく登る。
不意にライトで照らされて驚いて顔を上げると、2人の登山者が道から少し逸れたところで休憩しており、我々はそれを抜く形になった。そこからわずかの登りで、尾根上の峠に着いた。ここには7~8人の人たちが固まっていて、ここからは前後しながら進んで行くことになった。

なんとなく記憶している地形のとおりに道は続く。標高が上がったせいか出発時よりも気温が下がっているように思える。今のところ寒くはない。
ABC到着、時刻は午前1時ほぼジャスト。
「いいペースだ、問題ない」とサントッシュ。ABCからは氷河のすぐ脇にあたる大きな石がゴロゴロしている河原のようなところを進んでいく。道がない場所もある。やがて氷河に到着。
ここでアイゼンを装着する。対岸までかなりの距離があり、その間には少なくとも2本の大きなクレバスがあると聞いていた。ザイルは結ばず、サントッシュに遅れないように氷河の上を歩いていく。ガイドとポーター2人で手分けしてクレバスを渡れそうなルートを探す。ようやく幅が狭まっているところが見つかり、まずガイド、次に私、夫、ポーター、と順に飛んで渡る。サントッシュが目一杯向こう側から差し出している手を、飛びながらつかんで向こうに引っ張ってもらう感じで2度クレバスを越えた。
さらに氷の上を歩いて行き、ようやく足元が石のところに到着。氷河を渡った。アイゼンを外し、適当な場所にデポする。
ほかにライトの明かりは見えず、暗闇の中ですこし休憩。特に寒さは感じない。風もほとんどない。

地獄のような上り坂が待っている

誰に訊いても、氷河を渡ったところからの登りは地獄のような角度と距離だ、と言っていた。いよいよそれが始まる。靴紐を確認し、その登りにかかる。まずABCあたりから見えていた手前の尾根を越えるのだと思う。この登りにかかったあたりから、急に先行するパーティーの明かりがあちこちに見え始めた。遮っていた斜面を回り込んだのかもしれない。あるいは氷河を渡るところでみんなバラバラになり、我々が意外に早く渡ったので追いついた部分もあるのかも。わからないが。

いきなり始まるかなりの急斜面。大きな岩が行く手をふさぎ、両手も使いながら遮二無に登っていく。その急斜面を過ぎると、斜度は多少緩やかになり、細かく折れながら延々と細い踏み跡が続いている所になる。
時々他のパーティー(殆どは最初に出会った7~8人のグループ)と出会う。抜いたり抜かれたりする。誰もほとんど口を聞かず、黙々と登っていく。
何しろ暗闇で稜線も見えないため、いったいどこまで続くのかわからない登りを延々と進むのは辛い。少し登っては止まって呼吸を整え、また進む。サントッシュが辛抱強くこちらのペースに合わせてくれるのがありがたい。

氷河を渡ったあたりから何となく怪しかったポーターが、遅れ始めてそのうちどこにいるのかわからなくなった。サントッシュは待たずに進んで行く。
何度か雪渓にも出くわした。カチカチに凍りついた上のトラバースは正直アイゼンが欲しいレベルだったが、ガイドが常に下部に入ってくれて、何とか渡る。氷、岩と砂礫、また氷、再び岩・・・。繰り返す。
登るにつれてどんどん呼吸が苦しくなる。一度に歩ける歩数が減っていく。立ち止まっては休み、また進む。早く夜が明けないかと、そればかり考える。自分がどこにいるのか確認したい。
サントッシュのヘッドランプが切れてしまった。しばらくは明かりなしで、その後はスマホのライトで足元を照らしながら進む。
「見て、あんな所に人がいる、迷ったんだ」
言われて見上げれば、はるか左斜め上にライトがいくつか光っている。そしてそこととんでもなく離れた右斜め上にもライトが見える。どうやら右のライトが正解らしい。登りの前半では何となく道がわかったが、途中からはどれが道なのか、まったくわからないところをひたすら登ってきた。たまに足元に飴の紙などが落ちていて、少なくとも誰かが通ったことのある所だと安心したりしていた。

いったいどこまで続くのか、さらに登り続けていると、少しずつ東の空が白み始めてきた。うすぼんやりと、なんとなく山の形が見えるような気がする。気温はどんどん下がり続け、登っているのに寒さが堪えてきた。
寒い、辛い、苦しい・・・。


この夜、というかこの朝、最初に撮った写真。どこだろう、よく覚えていない。まだ稜線には到達していないと思うが、いやもう到達していたのか、まったくわからない。


下からずっと見上げていたゴレップカンリの氷河が、自分の下にある。ずいぶん登ったのだ。


朝日が昇り始めている。たぶん4時半を少し過ぎたあたりだと思う。

ようやく稜線に出た。
出た途端にすさまじい風が襲いかかってくる。吹き飛ばされそうな風だ。やっと稜線に登り詰めたのに、休むことすらできない。サントッシュがすごい力で私を引っ張り、少し離れたところの岩陰に引きずり込んでくれた。ここでようやくしばし休憩。この強風の中、ここから両側が切れ落ちた稜線上の綱渡りのような難所が待っているはずだ。

「俺たち、登れるのかな?」 珍しく夫がきいている。

「ワンハンドレッド パルセント!」

何を言い出すのかと言わんばかりにサントッシュが返している。当たり前じゃないか、ここまで来て登れないわけがないだろう、と、言葉にはしないが言っている。そう聞いた瞬間に、なぜかぶわっと涙が出そうになった。

ザイルを結んで最後の難関、キレットから山頂へ

そこでザイルを結ぶことになる。ポーターはいないからハーネスがない。直に結び合う。そしてキレット状の岩場の通過があり、崖を蟹歩きで這って歩くような場所があり。怖い。怖いのだが、いま思い出そうとしても具体的にどんな場所だったのか思い出せない。
ザイルが見える。稜線上で休んでいるところかと。


もうじきだとは思うが、遠い遠い遠い。これは後ろを振り返っているはず。

ドイツ人の親子パーティーが下りてきたのに会う。稜線に出る登りの後半で完全に置いていかれ、以後出会っていなかったが、ずいぶん速く登ったのだな。
「がんばれがんばれ、もう少しだもう絶対行けるから!」
励まされても声も出ず、ハイタッチするだけですれ違う。
吸っても吸っても苦しい。10歩歩いては立ち止まり、両手を膝について肩で、というよりも全身で呼吸をしてしまう。ノロノロ運転だ。歩いても歩いても先に進まない、ましてや上になんか登っていない気がする。

また急な登りにさしかかる。インドの若者3人組が下りてくる。
「あと5分、いや5分もかからないかな、もうすぐそこだよ!」
励まされ、なんとかかんとか涙目で急傾斜の斜面を這うようにして登り切る。そこは稜線で向こう側がすっぱりと切れ落ちている。ということは登ったんだ、これが山頂なんだ。
へたりこみそうになる私を、サントッシュがすごい力でザイルを引っ張り、右へ右へとたぐり寄せていく。もう登ったのに何で・・・。引きずられるがまま、そちらについていくと、鮮やかなタルチョーの山が目に入った。あぁ、これが山頂だ、こっちだったのだ、でももう間違いない。
登ったんだ、というよりも、もう登らなくていいんだ、と思った気がする。
サントッシュが笑顔で手を広げて待ち構えている。何も考えられず、ただそこに抱きついていった。

おめでとう、おめでとう!
今あなたがいるのは、6153mだよ!
わかる? 6153、山頂だよ、おめでとう!

私はサンキューサンキューと返しながら、今度こそその場にへたりこんだ。
おそらくあの登りきったところでプツンと切れてしまったら、こちらの山頂まで来るのにはえらく時間がかかったに違いない。前しか見ていないから、そこが終点だと思ってしまう、おそらくたくさんの登山者がそうなのだと思う。だから休ませずにそちらへ引っ張って行ってくれたのだ。
8月6日、時刻は午前6時10分。
出発前にサントッシュから、7時間から8時間くらいで登れるんじゃないかと聞いていたが、それよりも幾分早く6時間40分余りで登ったことになる。

それにしても、夜が明けてから、山頂に向かって登っているのに、その登っている方向を写した写真が1枚もないのはなぜなんだ!


これが山頂のタルチョーの山。6153m(諸説あり)。
夜が明けてんのにヘッデンそのまま、ザックも下ろしてない。


ゴレップカンリと氷河がずいぶん下に感じられる。
おそらくこの氷河の手前に見えている斜面を下からずっと登り、稜線に出て、稜線伝いに登ってきた、のだと思う。氷河を渡ったあたりははるか下であり、ここには見えていない。


山頂には雪があった。タルチョーの端っこが雪に埋もれている。


快晴ではなかったが、広大なラダックの山々、ザンスカール、遠く中国国境やパキスタン国境方面の山々も見えていた。サントッシュがひとつひとつ教えてくれたが、何一つとして覚えてはいない。

サントッシュが誰かと電話で話しているなと思っていたら、レーの代理店の社長で、「おめでとう、吉報が届くのを待ってたんだ」と言われた。電話が通じるなんてすごい。
山頂には15分ほどいただろうか。風が強くて寒かった、ひたすら寒かった。自撮り大好きのサントッシュが、ピッケルを構えてポーズしながら写真撮ってたり。稜線上の山頂の端っこまで行って写真撮ったり。向こう側はスッパリ切れ落ちた断崖絶壁だから怖いのなんの。

下山だ、慎重に行こう

下り道は先頭を夫、次を私、最後がサントッシュで、ザイルを結んで慎重に。ストックを使いながら、滑りやすい急斜面をほぼ横歩き状態で下りていく。
驚いたことに、キレットにさしかかるあたりで南インドからの中高年男性2人組に会った。昨日第一関門にすら到達できずに心配していた人たちだ。なんと登ってきていた! かなり疲労が濃く、「あとどのくらい?」と訊かれて、「30分もかからないと思う、あと1つ坂を登ったら山頂だから」と励まして別れる。
さらにキレットを通過し下ってショルダーと呼ばれる地点で、韓国隊とすれ違う。
そこからの長い長い下りで、一度夫が滑落しかかり、二人で止める。サントッシュが瞬間倒れて制動したので、私も弾かれて倒れただけとも言える(笑)。サントッシュは満足そうに「訓練が役に立った! 俺がしんがりにいる意味がこれでわかったよね?」と。


ショルダーから少し下りたあたりから、下りていくところを見ている。左下の雪渓の奥に道のようなものが見えているが、つまりあそこに向かって下っていくわけだ。右上から流れ落ちてくる氷河の、写真では最も左(下流)のあたりを目指して下りていく。目が眩みそうな斜面だ。よくこんなところを登ったもんだ。


これはもう相当下ったあたり。氷河がすぐそこに見えている。右手の氷河(雪渓)は、もっと上の方で何度もトラバースした。向こうに見えているのはインドからの登山者、ノーガイドなのかな? 途中から後ろをついてきた。うーん? この人達は登らずにショルダーで引き返したのかもしれない。なぜなら、ショルダーより上では会っていないから。


氷河を渡る。表面がザクザクした氷で、その下はツルツル。下流方向を見ている。


飛び越えたクレバスの下はごうごうと流れる水、そしてえぐられた氷の側面。落ちたら間違いなく助からないと思う。


氷河が運んだでっかい岩


氷河上から見上げるストックカンリ


氷河下流方向の遥か彼方、中国国境の山々


氷河を渡り終えてやれやれ、の図


ABC の少し向こう(ベースキャンプ寄り)で休憩。ガイドと、ガイドの友達がしゃべりたそうだったので


第一関門の尾根の峠まで、こんな感じの道が続く


第一関門尾根の峠からベースキャンプを見下ろす。
昨夜出発したのが11時半、現在時刻11時。ようやく帰ってきた。
最後のこの急斜面、サントッシュの後ろに続いて、道ではないところ(道は滑りやすい)を、富士山の砂走りのように転げるように下りていった。

ベースキャンプ到着11時20分。
何人かのキャンプスタッフと言葉を交わし、祝福され、テントに入って着替え、そのままランチまですこし寝た。

登頂記1 レーからモンカルモ
登頂記2 モンカルモからベースキャンプ
登頂記3 ベースキャンプ滞在

ミシン入院・堆肥購入

午前中は要らない布で堆肥なんかを入れるための袋を縫いました。
土嚢袋では小さすぎるし、他にちょうどいい袋が売られていないので、どうにも使えない布が大量にあったのを思い出して作っちゃうことに。
90×60より少し大きめのものを8枚作りました。
この縫製を、家庭用のミシンでやりましたが、やっぱり使いづらいな。返し縫いなんかでも必ず自分が思ったのより一目多い。地味にイラつく。

で、午後ミシンを佐久のミシン屋さんに持ち込んで見てもらいました。私が思っていたとおり、自動糸切り関連のズレ(タイミングのズレ)らしい。底を開けて見てもらったら、カムと呼ばれる部品に亀裂が入っているのも見つかり、まだイケそうではあるけれどもこの機会に交換してもらうことにしました。
怒涛のようにミシンについて語る店主さんで、たいへん勉強になりました。マニュアルに書いてあるとおりに油をさしたらダメ、差し過ぎはダメなんだそうな。私もせっせと差してた(間違った場所には差してないけど)ので、今後は気をつけようと思いました。
ミシンは入院して、来週前半には・・・、の予定です。

サブのミシンはコンピューターミシンなんだけど、これは昨年液晶が映らない状態になりまして。映らないだけでボタンは押せるし反応もしているので、まぁ支障はないのですが、こちらはまだ3~4年じゃないかなぁ、壊れるの早いよね。
サイクルが速くて部品の供給がすぐに止まってしまうという話も聞いたので、今回見てもらうことになったのはよかったかもです。

その足で堆肥センターに行き、これから畑に投入する堆肥を買ってきました。340キロもあった^^; 庭じゅう畑にするつもりか! 笑

 藍の花
fuji X-E1  +  Supertakumar35mm

今日の写真は全部同じレンズです。いわゆるオールドレンズ。父の遺品です。35mm、換算で52.5mmの画角。あまり使ったことがないので練習練習。フルマニュアルなのでピント合わせに大忙し。

 バラが1輪残ってた

 ノコンギク
昨日も同じような場所からコンデジで撮りましたが

 これもノコンギク
単焦点ならではのボケ具合かな? 知ったかぶり^^;

 紅葉も始まってる

そんなこんなです。すこし体調が戻りつつあります。
ではまた

秋晴れ

昨日のほうが快晴だったかも、今日は雲が時々かかる晴れの日でした。

今日も体の調子を見ながら午前中外仕事。
昨日救出し忘れたエリアのバラを助け、落ち葉堆肥の場所も雑草に覆われて近づけないような感じになっていたのを除草しながら何とか近づけるようにしました。落ち葉堆肥場は今年作り変える予定。
鎌を振る動きは五十肩には悪いらしく、昨日の作業中から肩関節が痛いなと思っていて、夜には湿布を貼りました。五十肩、治ったわけではなく、少しよくなっただけでした・・・。でも可動域はぐんと広がったので、インドに行く前よりはずっといいです。
ありがとうサントッシュ^^;

 ノコンギク
野生で、地下茎で広がっていきます。この時期はきれいですね

 石窯の上にも咲いてた
石窯、このところ使ってないからな~

 紫がきれい

 これは何だっけ
メタカラソウとか? いや忘れたわかんない

 ヤマザクラ
もうかなり落葉しています。サクラは早いです

 すもも彩の姫
こんなにボーボーになっちゃってどうすんの・・・(>_<)
落葉したら剪定しなくちゃ

 ミシン壊れた

わたくしの相棒、JUKIの職業用ミシンがちょっとおかしくなりました。
壊れたというか、不調?
自動糸切りが、使おうとするとウィーン・・・と止まってしまい、その状態から「何だ糸切れないのかしょうがないな」と針上げしようとすると、これまたウィーン・・・、と動かない。手動で針を上げることはできる。さらに、針を動かすと今まではなかった音がする。縫うには支障はないのですが、異音がある以上縫わない方がいいだろうと、いったん使うのをやめました。

何でこうなったかの原因ははっきりしてます。
押え金を上げたまま縫ってしまい、下糸がからまりまして。でもその下糸は取れたし、その後針板を外してチェック&エアダスターで掃除もして、釜には問題がないはず、少なくとも肉眼で見える範囲では問題なさそうなんだけど。何かが回転釜に触れている気がする、一瞬。それがカチャカチャ音になっている。
うーん、修理かな・・・。

こういう時のために、数年前にボタンホール用にミシンを買う時、少々高めのものにして直線縫いもきれいなやつにしてあるので、すぐにとても困るわけではないのですが、やっぱり使い慣れているものがいいわけで。ボタンでも何でも位置が違うからいちいちめんどくさい。
でも、こっちのコンピューターミシン(多分)は、「押え金が上がっていたらそもそも縫えない」機能が取り入れられており、これだけはいいなと。
滅多にはやらかさないですけど、たまーにあるんですよね、うっかり押さえを上げたまま縫ってしまうこと。でも今まではこんな風にはならなかったのに。
ま、購入から10年以上経っているらしいので、一度整備も兼ねて見てもらおうと思います。

そんなこんなで、ではまた

バラ救出したり

夏の間ずっと留守にしていて、帰国後も体調不良でほったらかしにしていた畑&庭。今日久しぶりに少しだけ手入れをしました。ちょっと、動いても大丈夫かな、って感じだったので、朝。
今最もやだなと思っているのはやはりふわふわ目眩。血圧もずっと低すぎるままなので、やっぱり低地病だと思う(+更年期はもちろんだけど)。大丈夫そうな日には動いて、徐々に慣らしていきたいと考え中です。

雑草に埋もれたバラを救出。
一度、夫が草刈機で雑草を刈ってくれたのですが、株に近いところまでは刈れないし、すぐにまた伸びてきて結局埋もれてた。草取り鎌で周囲ぐるっと取ってやって、一安心。こうなっていれば、草刈り機が入ってもバラを刈られちゃうことはなくなるし^^;

庭のあちこちに放置していたアカマツなどの丸太っころ。
だいぶ腐ってきたのでそろそろ畑に入れてもいいかもと、チェック&一部やってみた。さすがに全てはぐずぐずにならないですね。硬いままの部分はさらに積んでいつか土に戻します。そんな丸太が結構あるので、この秋にゆっくり作業しようかと思ってます。

そろそろ堆肥を頼むか、買いに行くかしなければ。
体調がこのままよくなっていけばいいんだけど~。

あ。
来年の夜会、当たりました。第一希望の最終日。ダンナの名前で申し込んだのが当たった、前から思っていたけど、敬老枠みたいなのがあるんじゃないかな?
早速振り込めはがきが来ていたので、近い内に振り込まねば。
ホテルも予約しないとね・・・(はぁ~)

ではまた