真冬日飽きた

連日真冬日が続きます。
北陸では大雪のため渋滞したまま雪が降り積もって閉じ込められた車が続出しているとのニュース。軽井沢でも何年か前に同じことがあったなと思い出します。停まったところにどんどん降ってくると、仮に自分の車がスタッドで四駆だったとしても、脱出できなくなるんですよね。こんもり積もられたらもうアウトです、前後左右そうなったらほんとどうしようもない。
排ガスだけにはお気をつけて。

と書いて、思わず「北の国の習い♪」の歌詞を書き付けてしまったんだけど、さすがに自重する。知りたい人はぐぐってください。

軽井沢は決して豪雪地域ではなく、むしろ少ないと言われているのですが、それでも1年おきくらいには雪の多い年がやってきます。そして数年に1度はとんでもなく大雪の年があります。そんな大雪は、日本各地を巡回しているのかな、今年はここが多い、次の年はあっちが多い、という具合に。

今度の連休にまたおばの演奏会があるのですが、この間夜会に行ったばかりなのと(あ、夜会工場だった)、山に行こうかな、あるいはお客さんとの打ち合わせも入るかも、という具合で出かけるのはやめました。かわりに花をお贈りしようとネットで検索すること1時間以上。いいなと思うと「時間指定ができない」など、最後でつまづくこと多数。結局、有名なところで頼んだのはいいけど、これまた最後に「ヤフーマネーで払えない」ことが判明。でももうこれ以上は勘弁、で、クレカで決済しました。やっと注文できた。
ヤフーマネー。
ヤフオクでちまちまといらないものなど売っているのですが、その売上をヤフーマネーで受け取ると、落札手数料が実質0円になるという触れ込みにつられて契約しました。ヤフーショッピングで使うこともできるし、こいつはいいやと思ったのだけど、使えない店もけっこうあるみたいで、これじゃ看板に偽りありに近いですよね。

クレカ、スイカ、ヤフマネ、あたりまではなんとかどうにか追いついたような、いやスイカはまだ全然わかってないけど、ともかくどうにかこのへんまでは使えそうな気がします。が、仮想通貨となるとこれはもうまったくわからんを通り越して宇宙人の使うお金ですか、って感じ。それが暴落したとか消えたとか北朝鮮の攻撃だとか、何が何やら。
今中国ではこの手の(かどうかはわかんないけど)電子決済とやらが普及していて、ほとんど現金を使うことがないのだそうですね。旅行者はどうしているんだろう、もう何年も行っていないのでわからないけど。

札でも硬貨(殆どなかったけど分玉ふぇんだま、ってのがあった)でも鷲掴みにして投げつけてきた中国人が懐かしい。

明日ももちろん真冬日予報。朝はマイナス12℃。ではまた

 

 

寒さ続く

節分を過ぎて寒さの底はまだまだ続いている軽井沢。今年は全国的にずいぶん寒いようで、天気予報で鹿児島が雪マークだったり、氷点下だったりするのを見ると、やはり冬場のタイはあったかいよな~(暑い)と思います。明日からまたぐっと気温が下がり、明日の予報はマイナス11℃。今夜もボイラーをつけっぱなしで寝ることにします。

さて。
もしかすると、「ヤマネは川を遡上していくあの魚の名前がシャケだと思っているのか?」と思われているとしたら困る(よく考えれば別に困りはしないけど)ので、一応書いておくと、あれが鮭という魚だということは存じておりますの。切り身になってシャケ。シャケって書いたほうが面白いかな~と思ってそう書いただけ。蛇の足ですいません。

私が生まれた世田谷区の野川のほとりに、いつ頃だったか、中学生の頃だったかな、「カムバック・サーモン」の試験場みたいなものが出来ました。そこでは、定期的に鮭がいるか確認したり、稚魚の飼育なども行っていたと記憶しています。いつも犬の散歩で横を通っていたのでよく知っているのですが、その後鮭は戻ったかな。
野川に戻すというよりは、多摩川に戻すという話だったかもしれません。野川でもいいのでしょうが、川としてはそんなに大きくないから。

生きて 泳げ 涙は後ろへ流せ  (サーモン・ダンス)

鮭の話になってしまった。
鮭じゃなくて人は、生まれた場所に戻りたい人、戻りたくない人、戻りたいけど戻れない人、いろいろで複雑だ。
ではまた

 

夜会工場2を見てきました

金曜の午後、心配したほどの雪にならなくてほっとしつつ上京。とはいえ軽井沢はけっこう降って、雪かきが必要でした(夫がやってくれました、謝謝!)。

渋谷ではチケットを譲ってくれた友人と待ち合わせたのですが、私の渋谷度の低さが露呈する事態に。東急百貨店があんなところにあるとは知らなんだ。昔は知っていたのかな~、忘れただけなのかな?
「東急本店で待ってるね」(友人)
「緑の電車が置いてあるところ?」
「違うよ、信号渡ったところ」
「あー、昔東急だったはずなのに、なんたらいうビルになってるけど?」
「違うそこじゃない! bunkamuraはわかる? 109わかる?」
「地図見て行きます」
・・・・・・・・・・・・
Bunkamuraの場所はちゃんと家で地図見て把握していたんだけど、それと東急本店が一緒だということがわからなくて、混乱してしまいました。

そういえば夏過ぎに遊びに来た腐れ縁の悪友が、「おまえ、渋谷に行ったらびっくりするぞ、東急の駅がないんだからな!」と言っていたのはこのことだったのか。たしか信号渡ったところに東急の駅と、東急デパートのしょぼいのがあったんじゃなかったですか? その近くに成城行きのバスが出るところがあって、そのへんは割とわかるはずだったんだけど。
渋谷は大学からのターミナル駅ではありましたが、私は自転車かバイクで通っており、小田急沿線に住んでいたので新宿のほうがやっぱわかるな。

と、どうでもいい話ばかりで。

夜会工場2をやっと見ることができました。友人と軽く食べてしゃべってたら開演ギリになってしまい、バタバタと席について身構える間もなく始まったそれは、もしかすると今までで最も気楽に見た公演になったかもしれません。
チケット、取れなきゃ取れないでしょうがないな、という温度の低さで臨み、実際自分では取れずに友人が回してくれて。でも初日が開いてからは数ヶ月が経っており、その間情報はシャットダウンしていたので当日も「今日行くのか~、なんかぜんぜんその気がしない~」と思いながら。

楽しかったです。

みゆきさん本人が歌う場面は多くはなかったけど、前回は事情によりみゆきさん歌えませんのでこの人が歌います、という印象があったところが、今回は歌手の人が出ていたので代役って感じではまったくなく、それはそれで別の人が歌えばまた別に聴こえるというね。アタルさんの「船を出すなら9月」とか、声がきれいでとてもよかったです。
わが祖国は風の彼方 もよかったな。長い間私の中でこの歌は、どこかチベットに結びついていました。祖国を追われた流氓の民として最も自分に近いのがチベットだからでしょうね。何度も旅をしました。うん、でも昨日見て、シャケの歌になったかも!(シャケが生まれた川を遡上しようとしてるのにダムが出来てて帰れない、っていうシーンの歌だったかな)

前半で、今まで見たことのない人が舞台に上がっていました。最初は「問う女」のキャスター役の紳士。次は「ウインター・ガーデン」の詩を朗読する紳士。どちらもその時に出た人が、今回もまた出ているのかなと思って見てましたら、詩を朗読した人が例のシャケの歌でも舞台にいて、しかも歌ってるじゃないですか。おやまぁ、低音の素敵な俳優さんだと思ってたら歌も歌えるのね! 誰なんだろう???
休憩時間、トイレに並んでいる時に友人にそう聞いてみたら、「は? 文さんだし?」
いつもコーラスのところにいる要するにコーラスの人だったのでした。
とんだ赤っ恥をかいてしまいました。あの時近くにいた人たちは、
「こいつ文さんの顔も知らないのかよ」「情弱だな」「ニワカは帰れ」などと思ったに違いありません。どうもすみません。
後半、そう思って見てみたら、確かによくお見かけしている人だったのでした。なんという鳥頭。

まぁそんなことはあったけど、とにかく大満足でした。すごく楽しかった。
夜会が始まったのが1989年なんだそうです。私にとっての1989年は、旅を始めて2年めの年。それからはや30年。その間、私にはみゆきさんを通じて共有していると思えるものはあまりない、特に前半の20と数年に関しては皆無です。でも、そのすぐ近くで、ああまぁ遠かったかもしれないけど、私にも同じだけの時間が流れたんだな、と、ちょっとしみじみと思ってみたりしました。
正確に言うと29年かな? およそ30年ってことで。

また次のシーズンも。慕情をぜひフルで♪

田町のホテルに泊まり、今日は新宿でちょっと行きたいところがあったのでそこに行き、そうしたらもう東京か大宮に出て新幹線に乗るのがめんどうで、バスで帰ってきました。バスタは半数以上が外国人? カオスでしたわ。
ではまた