大晦日

いよいよ今年も終わります。
今年はどんな年だったか、考えてみると出てくるのは反省ばかり^^;
来年はもうちょっといい年にできるようがんばりたいです。

今年はどこにも出ない1年でした。
ウメが最晩年でもう長くないのがわかっていたので、どこかに出かける気にもならず、ずっと日本にいました。
7月の終わりにウメを見送った後も、さてどこかへ・・・? 出かける気にならなくて、ちょっと不思議な感じ。すぐにでもどこかへ行くだろうと多くの人が思っていたようですが、意外と本人たちはそうでもなかった。

体調的には、腰関係はあいかわらず、花粉症もあいかわらず。そこに今年五十肩という強敵が加わりました。これはもう、気をつけるとか治療するとかいうものでもないと思うので、仕方なく受け入れ、少しずつでも慣れていくしかないのでしょうね。何をしたからこうなった、という明確なものは多分ないのだろうけれど、私の場合はやはり若い時分に人の数倍~数十、数百倍も肩を使ったというのは、原因の一つではあるでしょう。もちろん野球・ソフトをやった人がみんななるわけじゃないから、個人差、体格の問題も大きいと思います。

そんなこともあって、いよいよ自分も老境というか、最後の一花をどう咲かせるか、的なところに差し掛かってきたのを強く意識しました。
軽井沢の土地を伐採し、開墾し、今の状態まで作ってきた過去20年ほどの時間。店を開き、少しずつ形態を変えながら現在の形になり、安定していると言えば言える、行き詰まっていると言えば言える。そんな状況です。このままずっと軽井沢一本で行くのか、それとも違う道があるのか。
というのは、やはり軽井沢は寒いんですよね。寒くても別に暮らせますし、どうとでもなる、それは事実です。が、一方で、Tシャツ短パンで暮らせるタイの事情も熟知しているわけです。あるいは日本の暖地では、冬でも野菜がとれる、柑橘類が実る場所もあります。年間の半分近くが冬で、土が凍ってしまう軽井沢に、どうしてもいなければならない理由は私にはありません。
そのようなわけで、12月に日本の西の方をささっと旅してみたわけです。通過しただけなのでちゃんとしたことは何も言えないけど、全体的な印象では九州が捨てがたいなと思いました。ただ、距離の問題は大きいですけどね。

いちばん現実的な線としては、やっぱり海外避寒かな。
と思って2月アタマのバンコク行きチケットを検索したら、あれ? と思うくらい高くて驚いているところです。LCCで片道4万とか冗談だよね? って感じ。
これでは、冬場はタイに行ってて、みゆきさんのコンサート(の自分が取れた公演日)に合わせて一時帰国する、という私の計画が頓挫してしまうではないか。さすがに10万かけて往復するわけにはいかないですからね。
チケットは取りたい日にとれるわけではなくて、今回みたいに2月だけってこともあるのでですねですよ。ま、ものすごく頑張って始まってすぐの時期を押さえればいいのですが。オクで買うとか。

話が逸れた。

いろいろ言っててもなるようにしかならないのが我々の人生ですが、来る年が皆様にとってよりよい年になりますようお祈りいたします。
私もよい年にできるよう、素直な気持ちでがんばりたいです。
よいお年を。

大掃除

年末もお正月もあまり関係がない我が家。
おせちも何も食べないし作らないという、かなり究極の手抜きぶり。
結婚した当初はそれなりに、作ったり買ったりしていたのですが、あまりそれ自体に価値が見出だせず・・・、結局「何もしない」ことに。海外で年を越せば何もしないし、何もないしな、というのもあります。

とはいえ大掃除もしないかというと、さすがにそれはちょっと。
この時でなければやらない部分も多々あるし。電灯とか。パソコンの裏とか。
そんなわけで今日は半日ほどは大掃除。
3時くらいから、たくさん買ってきた「ゆず」の処理にかかりました。皮をむいて、刻む。中身の方は種を出して、ちょっとだけ細かくして。
今日の作業はここまで。刻んだ皮は表に出して凍らせます。加工は明日。

作業をするのに何か見ようとチャンネルをかちゃかちゃ回して(うそ、さすがにそんなテレビではありません)いると、あらなんと、wowowで「縁会」の劇場版をやっているではないですか。知らなかったので点けた時にはもう「常夜灯」なぞでして、ということは後半ですな。そこからは最後まで見ました。
世情あり、時代あり、月そこあり。贅沢なコンサートだったなぁ。
来シーズンはコンサートがええぞなもし。

明日も寒そう。ではまた

さらば陳北王

楽しみに見ていた中国ドラマ「孤高の花」が昨日で最終回でした。
主人公の陳北王、ヒロインの白ピンティン、悪役の何侠、たくさんの脇役たち。はるか昔の戦乱の世で、なぜか純白のドレスを着続けるヒロイン。登場人物たちの衣装は絢爛豪華で、時代考証もへったくれもあったものではなく、こんなにきれいなものを戦の最中に着ているのかいと、毎度突っ込みどころは満載ではありましたが、楽しめるドラマでした。終わり方も上手かった。
さて次はと思ったら、この間までwowowでやっていた子龍(趙雲)伝が始まって残念。見たことのないものをやってくださいー。

並行して見ている項羽と劉邦の方は、結構それなりに考えられた衣装を着ています。今はみんな出世してそうでもないけど、最初の頃の、劉邦がまだただの村長だった時代には、みんなボロを着ていて、しかしそれが美しいのです。ボロって美しいですよね、特に藍布。ひと目で手織りだろうとわかる粗布は、実に味があっていいです。もちろん手織りに似せて作られた生地かもしれないけど。
こちらのドラマは年が明けても続きそう。中国史は面白い。

明日の最低気温はマイナス12℃だそうな。
昨日の話じゃないけど、ほんと、暖地に避寒したいです・・・^^;
ではまた~

真冬日

最高気温がマイナス2.3℃と、本日の軽井沢は真冬日でした。
午後、買い物に佐久へ出ましたが、こちらも寒かった。風も強かったし、真冬だわ~~。

親戚にりんごを送ろうとツルヤに行ったのですが、贈答用はもうなくて、かなり見てくれの悪い家庭用ばかり。思いついて近くの道の駅に行ってみたところ、まぁまぁ及第点のものがありました。そこで近所の知人にばったり。数年ぶりかな、お互いの最近の様子や、暖地への憧れなどを立ち話で。雪が舞っていて寒かった。申し訳なかったです。

私も、今日お会いした彼女も、根っこは東京なのでどうしても関東圏で動きたいという気持ちがあります。でも関東圏は・・・。人気が高くて、ということは資金力がないと難しい。
なかなか思うようにいかないですが、この先をどんなふうに生きていくか、いつもアンテナを張って考えていきたいと思います。

明日の最低気温はマイナス10℃の予想。
九州や四国でたくさん見たみかん畑でも夢に見て寝よう。
ではまた

 

まだやってる・・・

旅行に出かける前からやっていた大相撲問題、帰ってきてもまだワイドショーは貴乃花を追いかけていて、進展は何もないらしい。何をやってるんだか・・・、つくづく暇な人たち(違うか、ていうか暇なのはお前だろ、とw)。

昨日は有馬記念でキタサンブラックがまさかの先行逃げ切り。いきなり先頭に立ってしまったのを見た時には、こりゃいかん・・・、と思ったのですが、意外にもというか何というのか、とにかく誰も来なくてそのまま逃げ切り。何だかみんながキタサンブラックに遠慮して行くに行けなかった、というふうに素人には見えて面白かったです。馬にも「忖度」ってものがあるのかな、とか。貫禄とかそういうものもあるのかな・・・。とまれ有終の美を飾ったキタサンブラック、お疲れさん! 武さんもよかったね。

で。
留守中に撮りためていた中国ドラマをまとめて見ていたら、久しぶりに世界がゆっくりと回るタイプのめまいが出現し、薬を飲んで寝たら今度は起きられなくなり、これまた久しぶりに9時間くらい寝てしまいました。薬の力も強いでしょうが、やはりそれなりに疲れたのかな。年の瀬でもあるし。

 

 赤猫異聞  浅田次郎

久しぶりの浅田次郎。久しぶりの時代物。
矜持ってものを、身分の上下や男女の別なく多くの人が持っていた頃の話。
今の時代とはずいぶん違う。
☆4 浅田節を堪能しました

生存確認

しばらく留守にしていました。9日に出発して西日本をぐるっと一周、ちょうど2週間後の22日夜に帰宅しました。走行距離は3900キロにも及び、日本って思っていたより広いんだなと実感すると共に、九州と四国の地図をほぼ完全に把握しました。社会科見学みたいな旅行でした。

長野~岐阜~愛知~三重~京都(ナビに連れて行かれた)~大阪~兵庫~岡山~広島~山口~福岡~大分~宮崎~鹿児島~熊本~長崎~佐賀~(大分)~愛媛~香川~高知~徳島~和歌山~(三重~愛知)~静岡~(長野)

流れる星よ いつか最後に どこへたどり着こうというのだろうか♪(流星)

道の大半は下道で、何度かフェリーに乗りました。道の駅での車中泊と、疲れるとホテル泊。別府と指宿がよかったです。あと勝浦温泉のホテル浦島がよかった(笑)。なんかちょっと悔しい気がするけど温泉はここが最も正しい温泉だった。最後に寄った義兄のところで勝浦の~と話したら「ホテル浦島だろ!」とつっこまれて笑いました。

出かける前は、温泉県vsうどん県vs ゆず県 どこが勝つかな?

帰ってきた今思うのは、温泉>うどん> ゆず  かな(さっぱり・・・)

それにしても、庭で柚子の実がなる土地がやっぱりうらやましいですね。ゆずだけじゃなくてみかんとかキンカンとか鈴なりの庭とか、ほんとうらやましい。

詳しくはまた後日。ではまた

ドラレコ付けた

何かと物騒な世の中ですので、ドラレコを車に付けてみました。
ホームセンターでは3~4千円のものも売っているのを見たことがありますが、さすがにそれでは心もとない。いざという時に録画されていなかったらアウトですから。ネットで国産品を探して買い、自分でくっつけてみました。
電源はシガーソケットから取るだけなので、付けるのは簡単。
コードが邪魔なので、そのうちに何か買ってきて固定する予定です。

シガーソケットは、スマホの充電などにも使いますよね。というわけで、シガーソケットを分岐するものも買ったり。何かと物入りでござんした。

スマホの電波掴みはまだ不具合が直っていません。
結局LINE は前のものが引き継げず、新規登録ってことに。
で、皆様を登録しようとしたらできませんのこれが。
私の側が格安SIMなので種々制約がありまして。
次にお会いした時にふるふるですね、毎度すみません。

 

軽井沢は一日小雪が舞う天気。夕方からは本格的に降ってきて、積雪2~3センチというところ。全国的に寒いようですね、私は明日の早朝に健康診断で病院に行かなきゃいけないのですが、雪積もってたらやだな・・・。
ではまた

友人とこ

用事で佐久まで行ったので、帰りに友人のところに電話、在宅してたので寄って1時間半ばかりおしゃべりしてきました。
前回は家に来てくれて、その時はまだウメがいました。
ウメがいなくなった話など。
互いの近況、家族の話。
いろいろ、いろいろ。

この友人夫婦と最初に会ったのは東京、仕事で、でした。その仕事で、生まれて初めて軽井沢という場所に行きました。正確には中軽井沢でしたけど。当時はまだ信越線が走っていたので、軽井沢では降りてもいません。そのご夫婦が経営していた施設で、チベット関連のセミナー講師を引き受けました。ちょっと怪しそうだけど・・・、奥さんの方は世にも稀なるチベット学で学位を取っている方で、そのお父上はこれまた世にも稀なるチベット語学者なのでした。
仕事はその1度だけで、以後、賀状のやりとりはしていたかな、とにかく会うこともなく日が過ぎて。
紆余曲折の果てに軽井沢に土地を求めた時も、正直この友人のことを思い出してはいなかったと思います。

東京では、近くに仕事で出会った人が住んでいるからといって、遊びに行ったりすることは稀です。「近くに来たら寄ってよ」「今度遊びに行くね」と、誘ったり、誘われたりはあっても、それは社交辞令であって、実際に行くことはまずない。だから軽井沢にあの人たちが住んでいると思い出したとしても、だからといって連絡しようとか、そういうふうには思いませんでした。

東京は1200万都市。
軽井沢は当時14000人ほどの小さな町。
そこらへんのスケールっていうのかモジュールっていうのか、そのへんがまったく把握できていなかった私でした。
友人の方から伐採作業をしていた現場に訪ねて来てくれて、以後ずっとよい距離感でお付き合いが続いています。軽井沢に来て最初にできた友人(私にとってはその前からだったけど)が、気がつけば未だに残ってくれている友人でもある。
常に沈着冷静で、物事を的確に把握し、適切かつ親身なアドバイスをしてくれる人たち。ありがたいな。

毎日寒い日が続きます。軽井沢は本日の最高気温4℃。
そして私が年賀状をネット印刷で注文し、今日届きましたので、明日は大雪になるかもしれませんよ(!) ではまた

 

スマホが~!

スマホがおかしくなりました。数日前からちょっと変だなと思いつつ、何とかなっていたのでそのままにしていたら、今日外出先でまったく電波をつかまないことに気付きました。
数日前からおかしかったのは、ホームボタンが反応しなくなっていたこと。
ほかにも何かあったけどそれは忘れました^^;
しかし電波をつかまないとは由々しき事態。何のためのスマホなのか。

今使っているスマホは、タイで買ったASUS 。タイで使うために買ったのですが、日本でも使えることがわかったのでそのまま使ってます。でも我が家では、飛んでいる電波の周波数が違うので、wifi でしか使えません。家を出て数百メートル町方向に近づくと、キャッチできる周波数が飛んでいるので使える。東京などでも問題なく、唯一ダメなのが我が家の半径200メートルという・・・笑

自宅に帰っていろいろ調べてみましたが、さっぱりわかりません。
試せと書かれていることもやってみたけど、国内版じゃないので微妙に違ってて、あるはずの項目がないし、アウト。
しょうがないので初期化しました(あきらめるのが早い)。
たいへんシンプルな画面になり、新鮮な気分。
でもまたアプリなど入れなきゃいかんのか、めんどくさいな。

あっ!!!
LINEは大丈夫かしらん?
確かえらい苦労して入れたんだった、ほとんど使っていないけど、たまに、月に1度とか、使うからな~~~。しばらく使えないかもしれないけどすみません。約2名の方にこの場を借りてお知らせいたしました。

で、とりあえずホームボタンは押せるようになったけど、電波をつかまえるかどうかは明日、家を出てどっかに行かないとわからんわ。山の中に住んでるのでしょうがないですね。
ハードディスククラッシュとスマホの不具合は突然やってくる、と。

ではまた

畑しまい

朝は強烈に冷え込んで霜が下りましたが、晴れて暖かくなったので畑に最後の耕運機をかけて、今年の畑仕事を終わりました。もう凍結が始まっていて、耕運機がケンケン跳ねる跳ねる。土が凍るんですよ、怖ろしいですね。
少し前に藍の残りを畑にまいたので、かけなきゃなと思いつつ今日まで。その間雨が降らなくてよかったです。
ついでに今年開いた畑には石灰と鶏糞もまいて(春だと遅くなっちゃうので)、こちらも一緒に耕転しました。あ、こちらは夫に頼んだ。

空気は冷たいですが日差しが当たっているところはぽかぽかで、椅子に腰掛けて畑を見ていると、まるでヒマラヤのどこかの村にいるような気分です。

ずっとずっと昔、エベレスト街道の小さな、通常のトレッカーは通過する村で泊まった時、収穫したじゃがいもを茹でて、ござの上に並べて潰し、干す作業を家の人がしていました。凍結乾燥保存ですな。その時は本当に、普通の民家に泊まったような感じで。部屋もなく、家の人と一緒に土間から一段上がった板の上で寝ました。
私が作業を見るともなく見ていると、おばあさんがひょい、とじゃがいもをくださる。食べる。またくださる。そのうちに私もじゃがいも潰しを手伝って。
夜になるとろうそくの明かりの下で、その家のご主人がお経を読んでいました。私はもう寝袋に入っていたと思います。当時のヒマラヤの旅では、日が落ちたら寝るしかなかったから。うつらうつらしながらずーっと経文を聞いていたことを思い出します。

 

ではまた