NHKの番組「チベット・カイラス巡礼」を見ました。
なんか、全体的に不満足。カイラスぜんぜん見えないし。
そもそもね、カイラス北面の映像がないってどういうことなのよ?
これはあれですよ、「夜会」観に行ったのにみゆきさん出てない級の・・・・・・、言い過ぎか。
なーんか散漫だし、漢族の巡礼に話持って行きすぎだし、なんだかな。
安易な作り方にちょいがっかりした。
でもま、驚いたことは驚いた。
ラサからシガツェへ鉄路が延びてたとは知らなんだ、不覚。
シガツェからカイラスまで2日だと! ハイウェイだと! ぎゃぁぁぁぁっ。
タルチェンが町になってる! なんじゃこれは!
以下同じ以下同じ以下同じ・・・・・・。
ずいぶん変わったなぁ~。
番組を見た人がいるかもしれないので、昔の写真をちょっと載せてみます。変化が見て取れて面白いかも。
タルチェン 1992年
山の麓にあり、ここが一周の基点であることは昔も今も変わらないようです。今はすっかり町になっていましたね。1992年当時もごくごく小さな村がありました。飲食店はなかった。招待所が1軒だけありました。商店もなかった、このテントの中に小さな雑貨屋があり、そこでビスケットを買いました。
タルチェンから歩いて2時間ほどのところ
当時はチベット人巡礼も少なかったし、それ以外の人間などいなかったので、こんなことしててもよかったのです。コンロでお湯を沸かして、なんか作って食べていました。
この仏塔みたいなものに家畜を通そうとしている家族
巡礼というわけでもなくて、家畜を引き連れて、これから村へ行くみたいなこと言ってたけど、チベット語わからないのでよくわかりません・・・・・・。写真送ったけど、絶対に届いていないだろうなぁ、ラサの人たちにも誰一人として届いてなかったのだから。
ディラプク・ゴンパの宿坊
今はホテルができていましたね。1泊2日で回るならここが宿泊地になる。私は4泊で周ったかな?5泊したのか? タルチェンを午後出てるし、景色がよければ泊まったし、山が見えなければ連泊したし、で、ですが。
ここでは、かなり離れた場所にテント張っていたらゴンパの管理人がやって来て、「宿坊に泊まれよ、自分で荷物背負ってきた奴は安くしてんだよ」と言われて、ありがたくこの建物の中にテントはらせてもらいました。テント張るしかないただの土間の部屋だったから。
カイラス北面
この時期に、私にとって可能な限り早かったこの時期に、自力でここに至り自力で歩いて回ることもできた、そんな自由な旅ができたことに心から感謝します。私は幸せ者です。
ドルマ・ラ 5668だったかな?
この頃もタルチョーはあったけどこの程度。巡礼自体ほんとに少なかったし、また、豪勢にタルチョーを買い込んで来るほどにはみんな豊かじゃなかったのだと思います。
中国もチベットもどんどん変わっていくな。
押しとどめようのない流れに飲み込まれている。
もう一度、機会があれば行ってみてもいいかなと思っていたカイラスだけど、たぶん行かないほうがいいんだろうなと思いました。
すこしさびしい気もする。でももう十分歩いたな、という気もする。
と、感慨にふける夜。
夜になって雪が降り出しました。明日も雪の予報、あまり積もらないといいのですが。
ではまた~